巻頭言 3・11と私たち

  

 3月11日を境にして、私達は別の時代に入ったかのような感覚にとらわれます。地震・津波・地盤の液状化・原発事故・帰宅難民・・・etcと、考えてもいなかった事象が次々と目の前に現れました。東北と遠く離れていても、津波の衝撃的な映像を見て、「家族の安否が心配で携帯電話をかけてもつながらない…」と不安にかられた方が多かったでしょう。

ただ、私の場合にはそんなに慌てることはありませんでした。「地震の揺れは、この校舎ならば大丈夫。幸い停電していないから下手に動かないのが一番」「子どもたちも高校や大学にいる時刻だから、安全に問題は無いし、一晩くらい帰れなくても落ち着いて対応できる」等と考えました。また、「災害の時に携帯電話はつながらない」事は、マイクロ波をいじる無線屋には「常識」でした。

思い返すと「ヤバイ時こそ冷静に考えて行動する」という事を何度も現実に教えられてきたと思います。この数年、「雪の富士山頂で、夜中に強風でテントが壊れた」「沢登りの途中で強い雷雨になり、側壁に逃げた直後に数mも増水。やむなく木に自己確保をとってビバークした」「雪山ですぐ後ろを歩いていた仲間が300mも滑落した」など、絶対に忘れられないことがありました。昨年は、残念なことに山で逝った仲間があり、事故調査委員会に加わって現地調査に行き、たくさんの事を教えられました。

この正月、情けないことに家族スキーにてゲレンデ下部のブッシュに引っかかって転倒し、脱臼・骨折をしました。でも、その時も比較的冷静に「これは自分では動けない」と判断してレスキューを呼んでもらいました。その後の入院から松葉杖生活も、自分を割と明るく保つことができたと思います。ただ、311の時にはまだ松葉杖生活で、周囲にいろいろ配慮していただきました。こんな時にこそ、「山屋の知恵」が活かせるのに、と本当に心苦しく思いました。冬山でのビバークに慣れると、「どこでも快適に眠る」ためのノウハウが身につきます。山に行き続ければ、「生きて帰れるかどうか」以外はどうでも良い、と思える経験があるものです。こうした経験は、アクシデントに対応する時に結構落ち着くことができ、大変に役立ちます。

 今年、被災地・石巻高校では例年になくWV部に多数の新入部員が入部したと言います。聞くところでは、多くの新入部員が「どんな環境でも生きていける力を身につけたい」と入部したのです。ちょっと違うかなぁと思う点もありますが、安全に山行を重ねながら、生きていく技や知恵、そして一人ひとりがどんな時でも自分の行動を冷静に考えられる力を育てることを期待したいと思います。

 ひるがえってこの野外活動部を考えると「いやはや軟弱だな」と嘆くことが多くなります。それでも、八丈島の夏合宿では18人分の大なべでの飯炊きに汗を流し、「釣果が無い人は、ご飯と味噌汁・野菜だけ」なんて食生活もしました。もっとも、その翌日は釣り過ぎたムロアジが「一人ノルマ6匹」になったので、その方が厳しかったかも知れません。軟弱部員ぞろいで大した事はできませんが、自分たちの手で生活を作る経験が、少しでも一人一人が自分の頭で考えられるようになり、生きる力を育ててくれたらよいな、と思っています。

 私はと言えば、暑さに弱い上に怪我からのリハビリ中で、被災地を訪ねても迷惑になりそうでした。でも、ようやく人並みに岩を登れる程度には回復してきたので、今は山仲間と被災地のためにも何かをしたいと思っています。たくさんの山仲間が、登山靴でガレキの処理や泥の掻き出しに出かけ、被災地の仲間と山を歩いて明日への力を共に高めて帰ってきます。週休一日の生活ではなかなか参加できないのですが、3・11後の時代を共に生きていく一人として、自分なりに時代に向き合って行きたいと思います。