岩と氷雪・沢と藪に交わる時

 

 この数年、山岳会に入り直した事をきっかけに、久しぶりに岩と氷雪、そして沢とヤブ等と格闘する様になった。「山歩き」というより「登攀」、英語で言えばマウンテニアリングとか、クライミングという事になる。ただ、どう考えても身体は硬く、クライミングセンスも怪しいので、美しく登るとか、上手に登るというよりは、ともかく落ちないように、生きて帰れるように登ってくる、というパターンになる。

 この夏、三人で穂高の滝谷を登ろう、という事になった。年齢こそ、50歳過ぎの私・20歳ほど上の女性・10歳下の男性と、人に話せばびっくりされる組み合わせでも、「鳥も通わぬ」と唄われた滝谷を登りたい、という「思い」は同じだ。7月から三つ峠に何度も通い、広沢寺では熱い岩にやけどしそうになりながらも、トレーニングを重ねた。一部にX級(困難)のピッチもあるが、岩がしっかりしているという事でドーム中央稜を登攀ルートに決めた。ゲレンデでもなかなかX級をトップでリードするのは大変だったが、なんとか登れる見通しが持て、8月も終わりに上高地に入った。

 今回は、余裕を持つために北穂高小屋に泊まる。一日目は、小屋から取り付き点の下見を行い、翌日の晴天を祈った。登攀の朝、天気はピーカンだった。下見したよりも取り付き点はさらに下にあり、しばらく三人で迷って彷徨したが、なんとかルートの下にたどり着いた。岩の取り付きでザイルを結び、トップで登り出すと後は全力を尽くすだけだ。苦闘しながら登り、後続を確保して迎えると、再びトップで登る。2ピッチ目は切り立った岩の角を登るが、ふと下を見るとはるか滝谷出合の雪渓、左手には槍ヶ岳、上は青空に太陽がまぶしい。後続をビレーしながらも景色のすばらしさがしみこむようだった。

求められて最終ピッチでトップを交代した。誰でもザイルのトップで登りたいのだから、独り占めをしてはならない。私達は今、共にザイルを結んで登攀することで、共に生きているのだ。すっきりしたどこまでも続いて欲しいと思うようなルートを登攀し、最後のハングを右のクラックから乗り越えると終了点だった。すっかりガスってしまった終了点で、私達は握手してお互いの健闘をたたえ合った。もちろん、小屋に戻って乾杯が続いた事は言うまでもない。

何のために山に登るのか、と言う人がある。しかし、これほどの愚問はない。そもそも人間は何のために生きるのか。人として生きること以上の目的があるのだろうか。そして、私達は、生きることそのものの欠かせない一つとして登攀をしているのだ。ドタバタな登りでも、それはその人の生きている姿そのものなのだ。

この夏、私は一人の仲間を山で失った。短いつきあいだったが、つい先日ザイルを結んだ仲間が逝った事は、今も消えない大きな衝撃だ。役者不足だろうが事故調査委員会に加わり、つい先日、ようやく環境が整って現地調査に入ることができた。事故現場に立ち、線香に火を付け献花してから、私達は検証と調査とをすすめた。そして驚くほど冷静に、なるほどこうして死んでしまったのか、と納得できた。なんだよ、これは防げたはずじゃないか。おいおい、もっと一緒に山に行って、酒を酌み交わし豪快な話を聞かせてほしかったのに・・・。そう思いながら、亡くなった仲間が好きだった御神酒を捧げて、私達は現場を後にした。

私達は、今を生きている。その現実と生命を常に身体に感じながら、今年も一番好きな雪と岩・氷壁の季節に向かいたいと思う。