自然の恵みを楽しむ時

 

顧問 熊野谿 寛

 

 1月連休、八ヶ岳・小同心の岩場で取付に立つと、風にながれる雲の向こうに青空がのぞいた。「ヨシッ、晴れてきたぞ」とザイルを結び、強風の中で登攀を開始した。

1ピッチ目は相棒がトップで登るが、「夏とは全然違いますよ」と緊張した声が走る。続いて2ピッチ目をトップで登ると、雪がついて岩のホールドは隠れ、たくさんあるはずのハーケンも埋もれている。三重手袋をした手で雪をのけて、アイゼンをキリキリいわせて登攀するが、なかなか支点が見つからず、気がついたらそのまま10mは登っていた。今、落ちたら岩にたたきつけられる。勢い手袋で岩をつかむ手に力が入る。なんとか掘り出したハーケンに中間支点をとるとホッとした。不思議なくらい岩にアイゼンの歯のフリクションが良く効いてくれる。力のいれ過ぎか、手先がつってしまったが、ようやく確保支点に着いた。

コールして確保の体制を整え、相棒が登ってきた。だが、その顔を見ると雪だるまだ。気がついたら、私達は吹雪が吹き上げ、たばねたザイルが舞い上がる只中を登攀していた。「こりゃあ、本当の厳冬期登攀になったね」と話して、次のピッチはトップを頼む。短いがかぶり気味の核心部を越えて、終了点はすぐそこだ。

小同心の頭から同時登攀をまじえて2ピッチほどで、誰もいない吹雪の横岳山頂に出た。硫黄岳に向かうと風はいよいよ強くなり、身体が浮いて飛びそうになる。耐風姿勢では進まないので、横風をうけながら前に進むが、顔面に軽い凍傷を負った。それでも、私達は厳冬期の登攀を終えた充実感で一杯だった。そして、ベースに帰れば、たくさんの仲間が祝ってくれた。

3月には、天候に恵まれた八ヶ岳・中山尾根を登攀した。快適な春の日差しの中で、ハング気味にかぶる上部岩壁にアイゼンをキリキリさせて登攀する感覚は、吹雪の小同心と同じだ。だが、今日は天候がよく身体が温かい。壁の難しさは数段上だが、私達は無事に鶏冠岩峰の終了点に出ることができた。晴れた空の下に広がる山々をながめながら、「やっぱり春はいいですね」と二人でにこやかに語った。

今年の夏は天候不順が続いた。でも、春から山岳会の仲間たちと北岳バットレスをめざしてトレーニングが盛り上がった。四尾根・中央稜の継続登攀を21年ぶりに果したのは8月末で、仲間たちの最後だった。四尾根ではザイルの色が変わるほど大量のアブにたかられたが、中央稜に取り付くと姿を消した。核心部のトラバースとハングを越え、山頂に立ったのは夕刻だったが、私達は心地よい疲労を楽しんで下山した。

そして、秋に再び私達は八ヶ岳・大同心稜を歩いていた。今日は大同心正面壁雲稜ルートを登攀するのだ。冷たい風に1ピッチ目はガタガタと震えたが、2ピッチ目の途中から温かくなってきた。フリーで登り切るほどの力はないが、初めてのアブミを使った人工登攀をまじえて、切り立った壁を登っていった。ドームを越えて終了点・大同心の頭に出ると、雲一つ無い空の下、今日も山々がすばらしい景色をみせてくれた。

厳しい自然と美しい自然、それらは表裏一体だ。それらを自然が許してくれる範囲で遊ばせてもらう。私達はそれだけの存在だ。九十五歳までクライミングを続け、今年の夏に百歳で逝ったリカルド・カシンが、「岩を登る、ただ、それが気持ちよかったのだ」と語っていた。その足下にも及ばないが、また、氷雪と岩を楽しめる季節が近づいてきた。