巻頭言 野外活動部の「ひとむかし」

 

顧問 熊野谿 寛

 

 ふと数えてみたら、野外活動部も1997年に愛好会でスタートしてから、十年以上になった。部活再編の中で、今思うと都合良くつぶされたワンゲル。その顧問をやっていたよりも長い期間、この部の顧問をしてきた事になる。

初代部長・「釣り仙人」たちとは、上越のナルミズ沢で初めての夏合宿をやった。翌年は、大雨が続く中、奥只見・恋乃岐(こいのまた)で国道の橋の横にテントを張る夏合宿だった。毎日、数匹だがイワナを釣っては、豪雨の中でも焚き火でオキを作って焼き上げた。普段も一晩中釣りをしてから学校に来ていたとの初代部長の武勇伝は、半ば伝説化している。

 やがて彼らが去り、部員たちはずいぶん趣が変わった。キャンプ生活を楽しむ、というのが次の代の特徴だったろうか。クマの足跡を横切り奥黒部ヒュッテまで出かけた夏合宿、そして谷川岳の麓・湯桧曽川での春合宿など、人里とちょっとばかり離れたテント生活は続いた。多い時は十数人でテントをかついででかけ、時には海岸や雪上でサバゲーをやり、ペットボトルロケットをグラウンドで飛ばした。三年前には、「秘境みたいな人里離れた山の中に行きたい」と言われて、知る人ぞ知る和賀山塊(わがさんかい)でクマの糞を見たりもした。

 最近の野活部では、「釣り少年」もどきが部の中心になっている。「もどき」というのは、部員諸君には失礼かも知れない。だが、「釣り少年」というには、少々、「自学自習」が足らないように思う。釣果がなくてもあまりこだわりがない。釣りは好きらしく多少の工夫はあるのだが、「コンビニのない場所で合宿はキツイ」などと口にする。八丈島とか、果ては野島公園キャンプ場など、人が住む街のはずれだと気軽に楽しめるらしい。

 こう書くと「なんだ、だんだん軟弱になっているだけじゃん」と言わるだろう。確かにそうだ。ただ、最近はこの軟弱な野活部の活動ですら、「ハードだ」と合宿に参加できない部員が現れた。もっとも世間で言う「アウトドア」は、車ででかけて都市型生活を持ち込み、ゴミだけ出してバーベキューをやり、また帰ってくる、というものが大半だ。そう考えると、そんな感覚の部員が現れても不思議はない。もっとも、車で来てごみを残す輩は、オートキャンプ場とか、ゲーセンか、盛り場、あるいは家にでもこもっていてくれる方がよいのだが。

本当は、人間が自然を楽しむには、そんなに多くのものは必要がない。沢を登り、ビバーク地についたら流木を集める。焚き火を起こし、飯を食べたら、火の周りでゴロンと横になって眠る。雨がふりそうだったら、ブルーシートでも張っておけばよい。焚き火は、当然、跡形もなく燃やす。春先なら雪を掘って、雪洞で遊べば面白い。雪が寒さを防いでくれる。そんな世界の魅力を少しでもかがせてやれたら良いのだが、実際には彼らの感覚の壁があり、なかなか難しい。

 もちろん、安全の確保を大前提として、部活動は本質的には生徒諸君のもの、彼らの自治的活動領域であるべきだ。テントで同じ釜の飯を喰らい、今日の行動はどうするかとミーティングで話し合う。秋合宿はどうするかと決める時も、私はあれこれと言い提案するが、結局は部員が決めた事が、部の活動では基本となる。活動のフィールドは変わっても、この基本は変わらない。ゆるやかで、たいした事はしていないが、部が「俺たちのもの」であるようにしていくことが、顧問の大きな役割だと思っている。これは、私のワンゲル顧問以来の「信念」かも知れない。

 お金を出せば何でも買える。教育もお金を出して買う。買ったモノに文句があったらクレームか返品だ。・・・そんな考え方が闊歩する世の中だが、「自分たちで作り出す空間」「あてがいぶちに買って楽しむのではない空間」を、ある程度までの軟弱さはがまんして、もう少しは続けるしかないかな、と思う昨今である。