巻頭言 自然に遊ぶ

 

顧問 熊野谿 寛

 

 今年の天候は本当に妙だ。春合宿に行く土合・湯桧曽川の河原は、「日本で一番の豪雪地帯」のはずなのだが、いつも雪に埋まっているマチガ沢出合の東屋が、今年はなんと土台まで出ていた。無理をして雪の上にテントを張ったのだが、去年は確か5メートル位の積雪だった所が10センチくらいしかなかった。もっとも、4月になってからは標高2500m以上の所ではかなりたくさんの雪が降った。5月連休に出かけた北アルプス・涸沢では、雪庇の崩壊からアズキ沢で夜中に大きな雪崩が出た。稜線は例年の数倍の積雪があり、6月まで北アルプスや富士山の上部では雪が降って、夏山でもいつになく残雪が多かった。

 夏になると、今度は台風の豪雨、そして梅雨明けの「酷暑」がやってきた。8月の初めには台風のため、合宿に計画した八丈島までの船が「運航未定」となり、創部以来初めて「合宿中止」という事態になった。合宿中止の憂さ晴らしに行った江ノ島の夜釣りでは、うねる波でいつになくたくさんの釣果があったが、やっぱり「合宿できない」というのは、散々である。

8月上旬に山岳会の仲間と「夜行日帰り」の予定で出かけた上越の沢登りでは、上部で集中豪雨的な夕立に降られて沢が一気に増水し、側壁に逃れて一夜をビバークするハメになった。あっという間に清流がドドーっと暴れる濁流となる姿は、それは大変なものだった。翌朝、電話の通じるところまで出たので、捜索には至らなかったのだが、冷や汗ものであった。

その後、夏に今度は家族で出かけた北アルプス・穂高岳では、半ば熱射病になりかかった。上高地で気温31℃を超え、涸沢でも25℃以上あり、前穂高の上では低山でもないのに、なんと水が無くなってフラフラになってしまった。今、これを書いているのは9月も半ばだが、まだ暑い。いったいいつまで残暑が酷暑として続くのかとうんざりしているのは、私だけではあるまい。

 自然に遊ぶと、人間という生き物は実にちっぽけで自分にはどうにもできないことがたくさんある、と実感する。ちょっとした夕立一つでも、切り立った絶壁の真ん中の沢が増水すればプロレスラーみたいな人でも生きては帰れない。台風ともなれば、トラックでも動かないような大岩がドンドコと流れてくるのだ。暑いのだって、平均気温がほんの数度変われぱ、水没する国が生まれ、酷暑で死人も出る。

でも、最近のこの天候の暴れ方は、人間様の活動によって温暖化と生態系の破壊が進んでいる事が、確実に影響しているようにも、どうしても感じる。だから、自然相手は命あっての楽しみだ、というだけでなく、「おいおい、人間よ。お前さん、自分で自分の首を絞めてどうするんだい」と嘆きを口にすることになる。

 もちろん、嘆いているだけでは、ダメなのだ。自然生態系と環境の破壊は、どこでも最も弱い人たちや動植物を傷つける。もう十数年前、川崎公害訴訟を闘った弁護士さんが「公害・環境破壊は、先住民族・社会的貧困層・子ども・女性などに犠牲が集中する」と「環境的公正」の問題を説いていたことが、今も脳裏に焼き付く。環境問題で「みんなが加害者・みんなが被害者」なんてことは決してない。まず第一に弱い者が犠牲になっている事を是とするような社会や人間であってよいのか、という事こそが、「地球環境問題」の中で私達に問われているのではないか。

 今年の野外活動部は中学生だけとなり、それも「釣り」好きが大半である。「コンビニが無い場所で合宿はしたくない」などと嘆かわしい事を言う者も多い。だから実に中途半端な活動だな、と感じることが多い。それでも自然に遊ぶことを通じて、自然と人間・人間と人間の関係を感じられる何かを、部員諸君が少しでも育ててくれることを望みたい。