山に遊ぶ、山に遊ばれる

顧問 熊野谿

二年ほど続けて、6月の富士山山頂に行った。もっとも、目的は「山」ではなく、アマチュア無線(HAM RADIO)の全国マイクロ波移動通信実験に参加するためである。今年は須走り口からテコテコと登ったのだが、八合目から上は雪で真っ白だったので、少しは山に行った気分になることができた。…と言うよりも、実際には久しぶりにのぼりでへろへろになった。荷物は、自作の無線機類にバッテリー、テントなどで30Kgは超える。自作した5Ghz/10Ghz24Ghzがあり、それにつなぐオールモードのトランシーバーも持参した。さらに、五月連休は秋田・乳頭山周辺の山スキーで遊んでいたので、高度順化しきれないようだ。また、今週は試験づくりで寝不足が続いていた。六合目で偶然一緒になった労山県連の仲間たちは七合目太陽館で泊まるというのだが、「大丈夫かね。一緒に泊まらないかい。」と心配される有様だ。天気は晴れから曇り、そして小雨が雪で、吹雪になりそうだ。だが、どうにもしんどい。

そこで、なんとかたどりついた八合目でゴロリと横になった。10分も寝ただろうか。起きると頭がずいぶんすっきりした。後は山頂までなんとかペースを取り戻して上がることができた。気がつくと天気は晴れて、山中湖方面の夜景が見えている。やれやれ、とその時は思った。完全に無風なので、白山岳山頂まであがって、テントを張ろうと欲張った。

ところが、テントを張り終える頃から再び風が強くなった。テントで無線を…と思ったのだが、風の音で聞き取りにくい。しかも、コンロの着火ができず、ライターまで着かない。仕方なく、パンをかじって寝袋に入ったのだが、夜中にオンボロ・テントが壊れてつぶれてしまった。やっぱり富士山の風は一丁前だ。仕方なく、夜中にお釜の中に降りたのだが、数メートル先は見えないガスで散々だった。風の弱い場所で、壊れたテントの袋をかぶって、あたりが明るくなるまで仮眠した。翌日も風は強く、須走り山頂の鳥居あたりで通信実験をしてから下山したのだが、思ったほどの成果は出せなかった。下山して食べたラーメン定食がなんだか妙にうまいと思ったら、丸々一日、まともに物を食べていなかったのだった。

こんな失敗は、本来は恥ずかしい話なのだが、後の印象という点では強いものがある。それは、こんな時こそ、一瞬一瞬に「自分がここで生きていること」を自覚して、次にどうするかと考えて行動するからだろうか。冬山でテントごと雪に埋まった時の事などは、多分、一生忘れないだろう。

もちろん、いつもこんなでは嫌になってしまう。今年も夏に、家族で北アルプス・涸沢に出かけた。もう七年もテントかついで家族で夏山に出かけている。本当は、去年、台風を恐れて行けなかった雲の平の高天原温泉に入りたかったのだが、今年は長女が交通事故で左手を骨折して、まだリハビリ中なのだ。じゃ、極楽コースで行こう、と前にも行ったのだが涸沢から穂高のコースにした。

朝早く家を出て、青春18切符と各駅停車で松本まで行くと、上高地は昼過ぎになる。一日目はのんびり横尾まで。翌日に涸沢にあがってテントをはり、奥穂高往復。三日目は北穂高往復して、四日目に下山した。もっとも、このコースで最大の「売り」は、涸沢の「おでん」、北穂高山荘の「牛丼」、涸沢ヒュッテの「ソフトクリーム」など、豪華な「食」にある。「眺望」「空気」「運動」などのスパイスもあるが、多分、ここの「食」は街で食べても立派に通用する。テントでも、スキヤキ、ゴーヤーチャンプルー、韓国ちぢみ、などを作って楽しんだ。帰りはもちろん上高地温泉に入り、各駅停車で各地の駅弁をつまみ食いしながら帰ってきた。涸沢で夜に見上げた星空、山で一緒になった人たちとの何気ないおしゃべり、なども含めて、いろいろな「極楽」が詰まった山の日々だった。

山に遊ぶも 山に遊ばれるのも、心のもちようで共に楽しめるものである。