山を歩いて考える

顧問 熊野谿

中高年に山歩きがブームだと言う。うざったい世の中、自然の中で身体を動かして汗を流すのは気持ちがよい。さらに自然そのものを身体に感じることは心地よいものでもある。さらに山歩きはそれ自体としては、お金もそんなにはかからない。簡単なお弁当も自然の中で食べればご馳走だ。歩いた後に温泉にでも浸かって、大人ならばビールの一本も飲めば、難しい理屈なしに、「至福のひととき」という奴になる。この時には、社長でも平社員でも主婦でもカンケーナイ。…てな事が中高年の場合、たいていの方にとっての「山の魅力」ということの中身かと思う。

私の場合も基本は「単なるオヤジ」なので、基本的にはあまり違いはないのだが、ちょっとしたコダワリという奴がある。それはかれこれ30年以上もやってきたアマチュア無線についても同じなのだが、「趣味だからこそ、とことんこだわって、その趣味を通じて世界と人間の様々な問題を知り、考える土台としたい」という「壮大な思い」だけは持っている。正確に言えば、持ちたいと考えていると言った方がよいかもしれないが。

まだ中高生だった30年も昔、無線局の免許をとった。学校でも無線部に属して、日々、無線機を作ったり、交信したり、あげくに感電したりを繰り返していた。だが、そんな中で肌に感じたのは、何よりも「世界の動き」だった。新しく独立したパプアニューギニアの連中がたたく電信は、電力事情が悪くてピヨピヨと音が変動したが、「独立」かける彼らの気概を感じさせた。ICBMを探知するために旧ソ連が出していた電波は、カタカタカタというウッドペッカーノイズでしばしば交信を妨げた。「緊張緩和」という言葉が、まさに身近なものであった。また、駐留米軍のKA局とは交信できないことになっていたし、政変で運用が途絶える国も多くあった。そして、年齢に関係なく、学生・社会人・外国人など、たくさんの人が「無線をやっている」というただ一点で交流し会え、その中で社会に生きている人たちの様々な現実や問題を教えられた。今もミリ波にいたるマイクロ波機器の製作と通信実験に入れ込む毎日だが、国際的な周波数割り当て問題と日本の電波利用計画やその背景となる政策全般に、常に関心を持ち、自ら様々な形で意見を表明し続けたいと思っている。

社会人となり、山歩きにのめり込むようなってからは、「自然」を通じて、「下界」である人間世界の問題をつきつけられた。思い起こすのは巻機山にスキー場開発計画が持ち上がった時の事である。すばらしい沢と山を守るべくたくさんの岳人が署名に取り組んだ。だが、その時、「地元の人々の生活をどう守るのか」が大きな争点となった。日本の自然のほとんどは、山麓に生きる人々の生活と結びついて育てられ、維持されてきたのだ。その事を知ってこそ、日本での自然保護は可能となる。この時期、人々の良識によって巻機の自然は守られ、長野でも岩菅山の自然は守られた。だが、全国で多くの貴重な自然が失われ、それと共に山麓の人々の生活にも貴重なものが失われたように思う。そして、環境問題がすっかり「流行」となった今日にあっても、一番大切なことがしばしば忘れ去られているように感じる。この十年を「失われた十年」と呼ぶ人たちが増えた。だが、何よりも自然と共に生きてきた山麓の人たちの生活が失われてきたことこそが、最大の損失のように私は思う。

自然を楽しむ者は、何よりもその自然の価値と営みに関心を持ち、知るために努力するのが当然の帰結だ、と私は思う。その事の前には、社長さんも、労働者も、家庭婦人も、学生も関係はない。もちろん、自然を歩けば、そんな事よりも最近の運動不足で辛かったり、早くビールを口にしたかったりする。だが、山を歩くという行為は、人間としての主体的な行為であるのだから、その主体性は全ての世界への主体性へと開かれたものとなっていくのが自然なのではないか。

山を歩いて考え、学んだらまた山を歩いて行動〜それが私のしたい野外活動の姿である。