山に帰る日…

 

顧問 熊野谿

 

この年末年始、山の天気は大荒れだった。天気図に加えて、最近ではWebでひまわりやレーダー画面も見るのだが、当然ながら天気そのものは、人間の手ではどうにもならない。それでも、休暇が少なく無理をして入山したパーティが、稜線で動けなくなり、「救助」を求める事態となった。

そんな中、年末の29日だけは晴天になるとの見通しで、出発を一日早めた。行き先は、もう十回近く冬に通った北アルプス爺カ岳。相棒はワンゲル時代のOBであるI君である。「初めての冬山」という事であったが、そんな気がしない。考えてみれば、現役時代、3月の北八ヶ岳をクロカンやワカンで雪と遊んでいたし、最近は春の山スキーにも出かけているので、当然かもしれない。

もっとも、春と冬では山は大違いである。28日にベース入り、29日がアタック。予想が当たってピーカンの晴天となったのだが、前日までの雪でトレースは消えている。先行パーティに期待して「ゆっくりと出発」したのだが、やはり追いついてしまい、交替でラッセルの先頭に立った。腰上程度のラッセルだが、どうかすると胸までもぐる。息が荒くなるが、やはり冬山の醍醐味はこのラッセルにある。全身で雪とまみれて、流す汗。そして、山頂に立つと日本海側までの展望が広がっていた。

もっとも、ラッセルに時間をとられ、山頂には14時近くになったので、考えていた「冬山からのマイクロ波での通信とテレビの送信」という時間はなくなってしまった。せっかく機材を持参したのに残念であるが、登りのトレースは地吹雪で隠れてしまったのだ。下りながら振り返ると、稜線に雪煙が流れていた。天気図で見る限り、明日には天気は崩れるだろう。でも、あとはベースに戻ってしまえば、そこから降りるだけだ。一晩でテントごと雪に埋まることも、たまにはあるが、まあ、あわてなければ大丈夫である。こんな時が、今年もまた山に帰ってきてよかったな、と思う瞬間でもある。

この学園で偶然になってしまったワンゲルの顧問から私は山に入れ込み、一通りの事に手を出した。少しは岩も登ったし、沢でたき火をして飲んだくれたりもした。この数年は、残念ながら冬山に行く程度なので、かなりのリハビリをしないともう岩登りはできないだろうが、今でも雪稜や冬の壁の感触を忘れることはできない。そんな「山屋」のはしくれが、初代部長となった「釣り仙人」があまりに面白い奴だったので、釣りだのキャンプだのをする「野外活動部」という部の顧問になってから、早くも6年が経過した。

ちょっと20kg程度の荷物を持ったり、山道を2〜3時間歩いただけでへたばるような諸君が多く、やっている事は実に軟弱である。が、湯桧曽川の河原近くでスノーキャンプをしたり、氷の上でワカサギ釣りをしたり、東北の避難小屋に七輪をかつぎあげたり…と「気分はアウトドア」という感じで一年が転がるようにはなってきたかな、と思う。まあ、合宿で「飯は自分たちで作る」という事が定着して、やっと一つの愚連隊程度り集団にははなれたのだろうか。

もっとも、山に限らず、自然とのつきあいは様々な分野とつながっている。気象や地質学は言うに及ばず、歴史的な自然と人間との関係を考えることも必要だし、地球生態系についても考えざるを得ない。本当に入れ込めば、「野外活動から世界を考え、野外活動から諸学へと関心を広げる」ことができるはずなのだが、「赤点友の会」メンバーも多い現状では、なかなかそうした飛翔を遂げるのは難しいだろうか。そうした飛躍こそが、本当に生きた学習につながるのだと思うのだが。まあ、ボチボチとやっていくしかないのだろう。