野外活動部によせて

 

顧問 熊野谿 寛 

 

今年も野外活動部に数人が入部した。中1から入る部員もいるが、人づてに途中から活動に参加してくる諸君の方が多い。中には「合宿だけは参加したい」などと言う諸君もいたりする。これはこれで悪くはないのだが、なにせ集団での活動であるから、ミーティングや準備に参加することは最低限の条件として求めるようにしている。

それにしても、人数も十数人となると、なかなか合宿をやるのが大変になってくる。他の部と違って、なにしろ「荷物運び」から「三度三度の飯づくり」などのすべてが、自分たちの手で行う部活の合宿である。野活部創設の頃、ひょいひょいと5人位で出かけて、豪雨の中、国道の横にテントをはったような気楽さは、こうなると持ちようもない。また、創設した頃の「仙人」のような人材は影をひそめた。「こいつは殺されても死なないだろうな」と思えた初代部長の「仙人」は百年に数人の逸材としても、体力もなく、テント暮らしも野宿もしたことがない諸君が大半となった。それでも、昨年度は人里離れた「黒部」へと出かけたのだが、登山道を8時間歩くだけでも、「死ぬほど大変だ」と言う諸君ばかり。…

「こりゃあ、妥協だな」と考えて、今年は奥只見のキャンプ場での合宿とあいなった。電車(と言っても各駅停車)とバス(一日に二本のみ)を乗り継いだ「だけ」でつくキャンプ場での合宿である。こんな「軟弱」ではなぁ…とも思ったのだが、これでも部員諸君にはそこそこ充実感があったようだ。三食ともに薪で飯を炊いたこと、うどん打ちや竹筒飯などの「昼飯」に工夫したこと、最後に歩いてすぐ(片道三十分程度)の無料の温泉に入ったこと程度の工夫なのだが。それにしても、もう少し、気楽にいけて、しかも誰もいなくて自然の中に浸れるよい場所はないだろうか、と思案する日々である。あるいは部員どもの体力錬成に何か良い手はないかを考えないと無理かも知れないが。

そう言えば、かくいう私も、すっかり山から足が遠のいている。一人ででかけた年末の北アルプスでは、テント内で腹痛を起こして、翌朝、スゴスゴと降りてきた。今年は、この数年続けていた3月の山スキーも、出かけなかった。5月連休の立山にマイクロ波の機材をかついで行って、テレビ中継実験で遊んだあとは、夏までどこの山も行っていない。その夏すら、家族連れでテントを担いで3泊4日で表銀座の尾根を歩いただけだ。「厄年」というのがあるらしいが、ひょっとしたら今年はそれかもしれない。これでは体力が落ちるのが心配でもある。登りたい岩場や沢・雪山のバリエーションルートがたくさんあるのだが、この調子ではもう一度、体力づくりと基礎技術の訓練からやり直す必要がありそうだ。問題は、目下の所、マイクロ波いじりに余念がなくて、なかなかそこまで時間も金もないというあたりなのかも知れない。

そんなこんなで、すっかり「軟弱」な今年の野外活動部ではあるが、部員諸君なりに新しい体験をして、楽しんでいることは確かなようでもある。展示、冊子などご高覧いただき、あれこれとシビアな突っ込みをしていただけると望外の喜びである。