「怪楽的野人生活」によせて

 

顧問 熊野谿

 

「三度目の正直」という言葉があるが、今年の夏合宿は三年ぶりに晴れた。黒四ダムまでバスではいり、ダムサイトを歩いて少しでタンボ平キャンプ場で一泊。翌日には平の渡しをわたって奥黒部ヒュッテまで移動した。さすがに黒部は奥地で、ヒュッテの近くには熊が出没するという場所もあり、実際に足跡を見た。上の廊下に入る猛者たちやフライフィッシャーの人たち、読売新道を歩く人たちなど、いろいろな人種がここには集まってくる。私たちはと言えば、釣りをする奴、川遊びをする奴、昼寝を決め込む奴、○○話に夜な夜な執心な奴といろいろだ。なんとも気ままな活動と思うかも知れないが、それが多分、野外での生活を楽しむ一つの方法であろう。だからこういう時は、「何をしなくてはいけない」とは私は決して言わない。

ただ今年、顧問の私は「俺は飯は作らないよ」「なんなら自分で飯を作って食べるから、君たちの分は君たちだけで作ったら」と言い出して、基本的にはすべてを食当がやることにした。実際に、あまりに飯を作る手際が悪いと自分のコンロを出して、調理を始め、自分だけバクバクとやってしまう。「ヒデー顧問だ」と思われるかも知れないが、野外で自分で飯を作れなかったら、何が楽しいのだろうか。北アルプスの国立公園内にあるキャンプ指定地であるから、規則としてたき火ができなかったのは残念だが、あれこれ言いつつ肉を切り、「あっ、おまえ自分のだけは厚いじゃないか」などと言いながら群がって食べる生活こそは、野外での活動での楽しきひとときだろう。だから、コンロを使ったり、怪しげな肉を表面だけ削ったりのもろもろをこそ、自分でできる技と智恵をもってほしいものだと思う。

野外活動部と言うと、「体力がないとね」と言われ「どうして文化部なの」と言う方もいる。だが、こいつは一つの「世間でよくある誤解」の一つであろう。なるほど、歩くのに身体は必要だ。体力はあったほうがよい。だが、特に筋肉マンでも山や沢を歩くのには関係はない。それよりも「知恵と技」を学ぶことこそが野外での活動を「安く、楽しく、安全に」してくれるのである。逆に言うと、「何が危険か」とか「どうしたら危険なことになるのか」を正しく知ることが、絶対に必要である。去年も今年も、そうした事を知らないための「水難事故」が山で続けておきている。川でどこまで水が増水するか、どの場所では急な増水がありうるかなど、地形を知り現地を見ればわかることなのに、知らなければどんな体力の人でもやられてしまうのだ。

もっとも体力はあるにこしたことはない。心肺機能が何よりも大切だろう。実は私は30年近くアマチュア無線をやってきた「無線屋」さんである。電波が遠くまで届くので高いところに登っていたのが、山に親しんだ最初だ。今年はマイクロ波でのテレビの無線機を作ったり、パラボラアンテナの製作も楽しんでいる。これらも山に持って行っての移動実験をするのだが、こうなると機材をかつぎあげる「体力」も必要になってくる。なんだか逆転した話のようだが、山頂までかつぎあげての無線の移動実験も、野外活動の一つの楽しみ方でもあるのだ。

さらに合宿に行って楽しむだけではあまりにもったいない。たいてい合宿を三日もやれば、大小さまざまな怪しげな話も残るものであるから、それらを「報告」としておもしろくまとめて楽しみ、また後で読み返して楽しむのである。山岳小説なんてものではないが、自分たちの活動を表現したあれこれの記録を作ることは、それ自体で一つの文化である。

しかし、部員諸君はなかなか「体力」も「知識」も足らないのが現実ではある。今回の学園祭は少しでも部員諸君が「何かを学び、探求してみようとする」出発点にできればと思って部誌のメニューを増やしてみたりした。どうもとってつけたものからは出ないかも知れないが、ご高覧いただければ幸いである。