野外活動部 夏合宿を終えて

 

1998/9/4

 

悪天続きの夏だった。エルニーニョ現象が終わったと思ったら、ちょうど逆の現象が起きたとニュースは伝えていた。中国では大洪水。日本でも梅雨前線が列島を去らず、富山湾に前線が停滞。毎日毎日、雨ばかりの合宿となった。以下に、今年の夏の活動を少しばかり「独断と偏見」で振り返ってみたい。

 

7月20日(月) トレーニングとして丹沢に出かける。場所は丹沢の沢で最もグレードの易しい小草平の沢である。集合時間にそろったメンバーは5人で、大倉までバスで行き、そこから四十八瀬川横の道を二俣まで歩く。が、後ろを見ると少年Yがいない。うむ、バテたらしい。「体力ない奴。合宿は要注意」と心にメモする。

さて、沢に入る。ここで中3の貴公子が妙な物を出した。鋲のついた靴である。なんでも、「渓流ならこれがいい」と店員に言われたという。「ふーん。それなら運動靴のほうがいいがね」と言うが、とりあえずこれで行くことにしたらしい。事前に話しておいたのだがフェルト底でなくて、鋲靴とはねぇ。まあ、人間は少しくらい痛い目を見ないと、わからんものであるが、とりあえずここならなんとかなるだろう。仰々しくハーネス、ヘルメットを着用して、沢に入る。

F1にて上からザイルを出す。主な場所は上から確保してやる。ただ、段差程度の所で中3の貴公子や釣り人ジュニアが滑りおちる。大したことはないのだが、ドボンといく怖くなるのが人間である。まあ、それ位の経験をしないと沢を歩くということは身に付かないだろう。

短い沢なのだが。ツメの手前で昼飯となる。ツメは慎重に、でもスタスタと行くに限る。でも、あれれ後ろをみたら少年Yが遅れて全然踏み跡でない場所を来るぞ。かえって消耗する場所を歩いている。ご苦労なことだ。明瞭な踏み跡なのだがわからないらしい。

大倉尾根に出るとハイウェーみたいな道である。が、かの少年Yは下りでもブツブツ言っている。どうやらハイキングもろくにしたことがないらしい。うーん。これで本当に4日も5日も行動できるんかねぇ。岩トレできる体力は残っていないみたいなので、仙人は不満げだがそのまま降りる事にした。大倉高原山の家で水を飲んで一休みする。江ノ島が見えていた。

大倉は野菜直売所がずらりとならぶ。バスを待つ間に少年Yが土産物を買いだした。買い方が半端ではない。ダーツゲーム、ミニ・ランプ、ガラス細工…。うーん、たかが丹沢でそんなもの買うな!!でも、おみやげ品購入愛好家と名づけよう。ちなみにこの後、彼は疲れ果てたのか翌日の講習まで休んでしまった。

 

8月13日 今日はミーティングである。が、かの少年Yが来ない。釣り人ジュニアが電話したのだが、どうしたことか市外局番をつけるのを知らなかったらしく、昼過ぎになって連絡が付いたら、まだ寝ていたらしい。うーん、「忘れ物をする奴は事故の確立が高い」というリーダー学校での講義を思い出す。どうも合宿でどんな場所に行くのか理解できていないのだろう、多分、旅行程度の認識のようである。

 仙人が海釣りの大会で三位に入ったとの事で、新聞に出たのを持ってきた。コピーして教員室に配る。たいしたものである。しかし、何でも仙人はこの天気なのに、去年合宿で行った宝川に兄弟で行ったらしい。その挙げ句に帰りが遅れて何故か学校に連絡があったと教頭が言っていた。あそこは雨が続けば恐ろしいことになるのだから、今年のこの天気では私は絶対に入らないだろう、なんて事を話す。岩魚釣りを楽しむのはいいが、岩魚の餌にならない決意がまず必要である。合宿も天気によっては銀山湖での釣りパターンにできるからともかく現地までは行こう…というのが私の基本認識である。

しかしまあ、地図を見るとかなり遠く、一日目に恋ノ岐橋まで行けるかどうか実に怪しい。前回の丹沢トレーニングでの体力から行って、途中でテントをはる場所があるか、ともかく確認しておこうと心に決めた。で、帰りに町田で資料をあさると渓流釣りのガイドに流域全体が解説されていた。それによると中之岐あたりでも釣れる、泊まれるとあったので、「うむ、それなら大丈夫だな」と安心したのであった。

 

8月15日(土曜日) 今日から合宿である。朝は上野駅にちゃんと集合した。が、少年Yのザックが妙に不格好で手に荷物を持っている。列車に乗り込んでからお店をひろげて入れ直すと、あら不思議、やっぱり全て収まってしまった。釣り人ジュニアのザックも同様につめなおす。あとはのんびりと言うよりも、何もすることはないので列車内は寝ていた。小出についたのが13時、銀山湖は14時すぎである。ここから歩くのだが、歩き出したら雨が降り出した。本日の行程は20Kmほど。早ければ3時間、まあ4〜5時間だろう。しかし、途中でバテたらそこでテントを張るつもりである。案の定、少年Yが遅れている。さらに道路の平地でコケて転んだ奴もいる。まあ、そんなものだろう…。しかし、だいぶんバテているなぁ。

が、4時半過ぎに異変が起きた。トラックのおっちゃんが引き返してきた所から嫌な予感がしたのだ。いわく、「この先はテント設営は禁止だ。キャンプ場にいけ。トラックで送ってやるから」と言う。あれこれ話してみると、銀山湖から中之岐までの地主らしい。あれこれ言っていたが、「あんたらの足では、どうせ恋之岐まで行かないで、途中でテントをはる。そこは俺の土地だ。張っては困る」というのが本音の所らしい。押し問答を数十分やったが、何でも中之岐橋のゲートには見張りを出して有るという。それでは「途中でテントはればいいや」という訳にはいかない。どうせこのテンポでは恋之岐橋までは行けないし、地主殿は「営林署の奴らの作った林道も、いらなくなったから今度はコンボで壊して元に戻す。そうしないと勝手に車でゲートを開けて入る奴がいる」とまで言うので、その根性に敬服してトラックでキャンプ場に行くことにした。トラックで行くとあっと言う間に銀山湖に戻ってしまった。

ちなみに日本の国定公園の多くは私有地である。山林地主の場合には、明治の地租改正のどさくさに所有者になった者も多くいる。だが、山仕事をしている人たちのじゃまにならない事は、山や沢に入る者が第一に考えるべき事である。ただ、もちろん私有地と言っても原生林とか山頂といった場合には、勝手に好きにしてよいという事ではない。所有権というのはこの場合、自然環境という将来の世代にわたるものによって制約されているのだからだ。この場合には、その山は所有者に対して良好な環境を維持すべく信託されているという事なのだと思う。ただ、オッチャンの言うように、車が入れるようになると荒れ果てる、というのは本当である。丹沢でもそういう問題があって、県にも「ゲートを閉めろ」とか「車を入れないように取り締まれ」と私たちも山岳連盟で要求したりしてきた。だから、山仕事をしているのだからそこを守りたいという考えには、私は共感を感じる。が、キャンプと言っても、歩いて入って歩いて出てくる者を、車で入ってゴミばかり残して行く輩と一緒にされたのではたまったものではない。我々はただ、自然に適度に遊ばせてもらいたいだけなのだ。ちなみに恋之岐は国有林なので、国民全体の共有財産として、自然に対してちゃんとした入り方をすれば、沢を歩いたりするには法律的にも何ら問題はない。このあたり、白神問題でさんざんに議論した事でもある。

で、キャンプ場にテントを設営してから、晩飯となった。焼き肉は暗くなっていたが、なかなか食べ応えがあった。

 

8月16日(日曜日) 雨である。よく見たらテントの下が水路になっているので、テントを移設した。それから目の前の沢を少し上がると岩魚が釣れるというので、釣りに出た。沢は増水して濁流である。が、なんだか平坦でつつまらない沢である。上には雪渓もあるらしいのだが、ゴーロばかりである。まあ、釣り人にはそれでもよいらしい。仙人と会計氏はどんどん釣り上っていく。しばらくすると仙人が尺物弱の岩魚を釣り上げた。でかい。ニコニコ顔となる。私もどうしたことか岩に引っかかったと思ったら岩魚だったのだが、つり上げる時に腹をキラリと見せて消えていってしまった。トホホホ。

早々とリタイヤした少年Y・中3の貴公子と、昼飯時に私も戻ってきた。野菜たっぷりラーメンを作って昼食をとった。しばらくすると仙人と会計氏も戻ってきた。昼飯を食べてからスイカを食べ、今晩はどうするかという話になる。テント場の受付に行くと、「今日は団体が入るのでこの場所は使えない」と言うので、「では恋之岐橋までタクシーで入ろう」という事になった。撤収していると強い雨、お陰でテントがグジャグジャになった。

夕方、ジャンボタクシーで1時間近くかかって橋に降りる。清水小屋までの道はかなりの藪がかぶさっている。その入り口横に沢でなくなった方の卒塔婆がすえてあった。降りてながめて見たが河原は増水しているのと狭いので橋に横にテントを設営することにした。張り終えるとまたまた雨が降り出した。

仙人たちは豪雨の中でたき火を始めた。待っていたらいつになるか分からないので、私はテントの中でビーフシチューとご飯を作りだした。野菜切りから全て一人であるから結構大変である。でも、材料が死ぬほどたくさんあるので、コッフェル二つにわけて作る事にした。たき火が燃えるようになった頃、夕食となる。仙人はなお、たき火にかかりきりである。岩魚をホイル焼きにするために必死でオキをつくっているのだ。中学生諸君が寝てしまった後になって、岩魚のホイル焼きができあがった。一口もらうとさすがに天然物だ、味が違う。その後、雨音を聞きながら眠りに就いた。

 

8月17日(月曜日) ゆっくりと起き出したが、朝も雨である。仙人たちは釣りに出る。その間に朝食をつくっておく。雨は途中でやんだので、ブラブラと橋に出てみる。

朝食後、清水小屋跡まで行こうという事になるが、少年Yはテントにいるという。留守番がいるのは悪い事ではないし、こういう場合は自分の意志による行動というのが安全の第一原則であるから無理につれていくべきではない。

支度をして出発すると、入り口こそ険悪だが、なかなか踏み跡はしっかりしていた。小一時間ほど歩いて沢に降りると、続きの道が判然としない。増水しているので沢伝いに行くのはちと気分がすすまない。行けば行けるのだが、元々沢を上まで行くのではないから、無理に行く気にはならない。再び雨が強くなりだしたが、ここで一時間ほど釣りをすることにした。中3の貴公子は竿を持ってこなかったので休んでいるだけ。私の竿はどこかにひっかけてしまったらしく、やはり時間をつぶす。竿は帰り道の途中にぶら下がっていた。11時頃に引き返す事になる。帰りはすぐだった。テントに戻ると少年Yは寝ていた。うむ、これでは運動不足になるはずだな。

さて戻って昼飯にそうめんとそばを食べると、中学生諸君がたき火をすると言い出した。たき火遊びのついでにイモを焼こうという事になる。飯盒かけをつくるやつもいたりして、数時間にわたってたき火は続いた。今回の合宿で最大の成果は、雨の中でのたき火ということになるだろうか。しかし、焼き芋はやはりうまい。

夕飯は野菜煮込みだが、ベーコンも使うことにした。皮むきなどをやらせるが、中学生諸君にはできない奴が多い。困ったものである。「嫁いらず」になる事が山屋、沢屋、自然屋の第一条件であるのだが…。どうも家の居心地が良すぎて、必要性を感じないのかもしれない。晩飯に使うつもりのみそがないので、味付けにはめんつゆを使ったが、なかなかの美味にできあがった。飯がたけた所で仙人は再び釣りに行った。車でやってきた釣り人と話していたが、橋よりも下に釣りに下っていった。しばらくして戻ってきたので、会計氏が「釣れた??だめだった」と聞くと、無言だ。なんだだめか、と思ったら急にニコニコ顔になってじゃーんと岩魚を出した。昨日のよりは小さいがなかなかよい形をしている。下の方では大物が出る、増水しているときはチャンスだ、との事である。しかし、雨が止んで数時間たつと、沢の水もだいぶん減ってきた。この調子ならば明日はもっと上まで行けるかもしれない。

さて、晩飯のさなか仙人はひたすらたき火をしている。今日は岩魚を薫製風にたき火で焼くのだという。途中で豪雨になってもたき火を守っている。中学生の少年諸君が寝てしまった後になって、岩魚が焼き上がった。一口だけもらうと、これが旨い。口の中でとろけるようである。岩魚はいいなぁ。魔法の水がないのは残念だが、合宿ではそういう訳にはいかないなぁ…。

それにしても天気がひどいのでラジオを聞いてみた。すると、新潟県は全域に大雨洪水警報が出ていることがわかった。さらに富山湾に前線がいて、今晩も明日も雨雲がやってくるという。列車も磐越西線は運休になったと伝えている。昼くらいから会計氏が「明日も雨なら帰ろうか」と言っていた。仙人は「そんなじゃ合宿の意味がない」と言っていたが、列車が止まったらたまったものではない。このニュースを聞いて、「うむ、明日は少なくとも銀山湖までは降りよう」と決めた。

 

8月18日(火曜日) 今朝も雨。でも、撤収の時は止んでいた。荷物をつめて尾瀬口に向かった。やはり少年Yは遅れている。でも、一時間半ほどで尾瀬口についた。これはずいぶんと近い。で、自然と「これなら帰れる」ということで今日のうちに帰ることになった。桟橋でも竿を出したが成果はなく、やがて船に乗り込んだ。船を待つ間に中3の貴公子の荷物を詰め直したら、全部中に収まった。ふふふ、パッキングはまだまだ素人ばっかりだなぁ。

 やがて船が来た。奥只見まで40分ほど、それにしてもでかいダム湖だ。景色は最高であった。奥只見でバスを待つ間に各自昼飯・おみやげ買いとするが、少年Yの土産物遍歴がまたまた始まった。それもなんと、ゴジラのライターなど街で買ったらよいようなものばかりである。一方、釣り人ジュニアはなにやら腹をこわしたと言い出した。本人は数時間前に口にした沢の水に当たったというが、時間的にはちと考えられない。Tシャツ一枚だったで風邪をひいたのではないかという話しも出る。ここはもう下界の一角なのになぁ。

バスが小出につくと、いるはずの列車は一分前に出たばかりであった。一日に数本のバスト列車くらいは連絡させてほしいものだ。次はなんと3時間後である。正確に言うと、越後中里までは行けるのだが、そこから水上までの列車がないのだ。新幹線を意地でも使わせるためにこういうダイヤになってしまった。だから私は新幹線が大嫌いである。

仙人たちが風呂に入りたいというので、越後湯沢まで行って行きつけの温泉銭湯に行くことにした。釣り人ジュニアの症状が気になるが、熱があるが薬を飲んだら楽になってきた、腹はいたくないと言っている。新幹線で湯沢から先に帰れとすすめたが、大丈夫だ一緒に行くと言う。熱も下がったなら仕方がないかと思ったのだが…。

湯沢の駅で釣り人ジュニアは待っていたが、他の奴をつれて駅前通りの温泉銭湯に行く。久しぶりに行ったら300円に上がっていたが、シャワーをつけて改装していた。その後、みやげを見たり、晩飯を食べたりしながら、時間を潰す。普通を乗り継いで帰るのだが、中3の貴公子はどうも時間の感覚がついていかないらしく、「あと少しだ」「えっ、とれくらいですか」「たかが40分」「えーっ、それは横浜までよりも遠いですよ」てなとんち問答みたいな事を繰り返した。しかし、かつて乗り慣れた上越線である。新前橋始発に乗り込み、上野まで座って帰った。

上野駅で釣り人ジュニアの父上が迎えに来られた。しかし、さすが親子、顔がそっくりである。が、後ろを見たら中3の貴公子がいない。しばし大騒ぎで探索したり、駅で呼び出してもいない。どうやら「はぐれたからいいや、帰ろう」とそのまま列車に乗って帰ったらしいと判断する。でも、青春18切符を使っている彼らには個々に切符はないのだ。「アホか」と言いつつ家にその旨を電話して、駅でこまって電話してきたら正直に「上野ではぐれた」と言うように伝えた。そんなこんなで解散は夜の11時になった。会計氏と新宿まで行きロマンスカーに乗ったのはよかったが、これがとんでもないスモーク列車。たばこの煙でゲホゲホになって町田に降り立った。

さーて、ビールだ!!飯だ!!と家に帰り着いたのは、日付が変わった後になってしまった。

 

かくて悪天の夏合宿は終わった。いやはや、雨は嫌だねぇ。それに8月末には集中豪雨で土合の駅が土砂崩れにうまったらしい。8月の頭からずーっと雨だったから、そこにあの雨では無理はないだろうけど、大変だろうなぁ。>列車利用者は…。

 

教訓 次のことはできるようにしておきたい。

1)野菜の皮むき、調理の基本、縫い物は身につけて、「嫁いらず」になっておこう。

2)コンロの使い方、テントの張り方と撤収の仕方なども一人でできるようになろう。

3)体力はほどほどでも、自分なりに「身体にいいこと」何か一つはしておこう。

4)土産物はほどほどに。帰りのバス代がなくなるような浪費はやめよう。

 

以上