山から海への便り

 

顧問 熊野谿 寛

 

「山屋」…私は自分の事をそう呼んでいる。

もっとも、奥多摩の山くらいは歩いたとはいえ、私は中学・高校時代は無線部で活動していた。そして、大学時代は自主ゼミや研究会にあけくれて旅行をする事もなかった。そんな私に「山」の楽しさを教えてくれたのは、学園に勤めるようになってから出会った生徒諸君である。高校から入ってくる生徒が大半であった時代、中学時代に山岳部を経験した諸君がワンゲルの中心だった。しばらくは、そんな彼らについて行くだけの顧問だったのだが、その後、中学から上がる生徒が増えると部員難になってしまった。存亡の危機…「こりゃあ、えらいこっちゃ」と自分での山歩きを始め、やがて社会人山岳会の門をたたいた。自分自身が冬山に行ってみたい、沢登りをしてみたい、と思っていた事もあったのは言うまでもない。

さて、それから生活は一変した。山行日数は最大で年間65日、週末は夜行列車の床で寝るのが通例となった。神奈川県勤労者山岳連盟のリーダー学校であれこれと登山の技術と共にその理論、特に安全についての考え方を教えられた。ちなみにカミさんともここで知り合うことになった。もちろん、たかが数年の登山でさほど困難な岸壁や高度な沢が登れるほど、登山の世界は甘いものではない。私の場合は、せいぜいが「岩登りもやってみた」「沢は好きだけど本当にやばい所にはちと行けないよ」「冬山は好きだけど、北アルプスの一般ルートかな」「春ならバリエーションも登った」という程度の技術レベルではある。ただ、それでもやはり山が好きで、山に行くのを「山に帰る」と思うのだから、山屋には違いない。最近はなかなか山に行けないものの、正月の冬山だけはどうあっても行かないと落ち着かない。

その後、ワンゲルは盛り返し、最盛期には年間20日、最長で5泊6日程度のテント縦走を楽しむ程度の活動が四季を通じてできるまでになった。春の北八ヶ岳のクロカンでの散策、夏の南アルプス、秋の八ヶ岳、冬の雲取山や丹沢…それに沢歩きやフリークライミングも少しは取り入れた。その時に部員諸君と求めたワンゲルは、あくまでも「人間的な文化活動としての登山」であり、それを通じて共有するものを持ちたい、ということができる部であった。だから、高体連の競技登山や「試合」には全く関心を持たなかったし、「運動部」タイプよりも社会人山岳会タイプの活動に強く影響された活動を模索したのだと思う。「山は総合的な文化なのだ」と考え、山を知る、自然を知る、という事の一つとしての山歩きを志向した活動をやってきた。

しかし、その部も数年前、学校の部活動についての模索の中で、今から考えるととばっちりのような結果として、残念ながら廃部となってしまった。以後の数年間、現在もそうであるが、なによりも「生徒会家業」に力を入れて、学園祭やら体育祭を全校生徒の参加する「祭り」とするために、生徒諸君とあれこれと月日を共にしてきた。

今年の春、部活動についてのさらなる模索の中で、新設愛好会を認める方向が決まった時、当然、私の頭にはワンゲルの復活という事が頭をよぎった。もっとも、「生徒会稼業」というのは因果な商売で、放課後と昼休み、そして夏休みなどが一番忙しいのである。さらにいつでも生徒諸君の会議や活動で必要ならば、最大限それを保障すべき役割を持っている。だから、そんな時間的な余裕があるか、と考えると疑問ではあった。

そんな時、本業の「生徒会稼業」に関係して、「釣りの愛好会を作りたい」という相談を生徒諸君がしにきた。「釣りねぇ、そりゃあ難しいんじゃない」というのが最初に言ったことだったと思う。「それだけじゃあ部活にはならないよ。顧問のあてもないしねぇ。」と。

が、しばらくして考えてみた。それは次のような事である。

「まてよ、俺がワンゲルを始めて、それに運良く人が集まったとしてもだ、多分、俺が何でも教えるぞ、という部活になるんじゃないか。前に生徒諸君に教えられ、そこから共に数年かけて作っていった活動を、そのまま求める事になるんじゃないかな。果たしてそれが俺の言ってきた『自由な文化活動』としてのワンゲルになるのだろうか」「釣り、という彼らは海の釣りがしたいだけなのかも知れない。でも、これにキャンプや山や川、そして沢や雪遊びという様々なものも加えたら、もっと面白い部になるのではないか」「釣り仙人と言われる部長や、釣りのためなら徹夜でもいとわない、というツワモノたちはそうはいない。山も自然、海も自然、川も釣りも自然とかかわって初めて成り立つのだから、これに乗ってやってみるのも面白いのではないかなぁ。俺も釣りを教えてもらえる機会でもあるさ。」

そして思い当たったのは、埼玉の飯能市にあるとある公立中学に「野外活動部」というれっきとした「文化部」があったなぁ、という事だった。なんでそんなことを知っているかと言えば、これまた元は20数年前からちょこちょこやってきたアマチュア無線で知った事である。転送系ネットワーク(FWD-Net)JUNIOR@JPNフィールドにて活動レポートを書いている中3の彼とは何度かあれこれとブリテンのやりとりをした。飯能の美しい渓流ぞいにある中学で、裏の渓流で釣りをしたり、裏山にて探検をしたり、近くの武甲山でキャンプをしたり・・と多彩な活動をしている、と教えてくれた。他にも埼玉あたりでは、そんな部活がやはり「文化部」としてあるらしい。

こんな事から、野外活動愛好会の発足となった。最初に話したのは、「釣り人は釣りに、キャンプ屋はキャンプに、それぞれが『オタク道』を極めよう。その上でお互いの領域を知り合い、オールラウンドに自然とかかわる活動をしよう。」という事である。

この夏には3泊4日の合宿も実施した。候補地は二つあった。東京湾の第二海砲か、谷川連峰朝日岳につきあげる宝川ナルミズ沢かである。つまり、「海」に行くか「山」に行くか…という事だ。ミーティングで採決した結果、私の予想とは逆に「山」に行くことになった。

水上まで青春18切符で各駅を乗り継ぎ、バスで一時間。そこから歩いて少しなのに、岩魚がいるぞ…というのが魅力的だったらしい。もっとも、「歩いて少し」というのは、山屋の私の感覚である。正確には歩いて4時間。うち2時間は林道だが、2時間は山道となる。この「山道」という説明も、山屋の私の感覚と生徒諸君とは違うようであった。彼らの感覚だと林道程度の道だと思ったらしい。実際には、谷川連峰の登山道は冬の豪雪で崩れやすく、まあ、道幅30cm程度、所々はガレたり切れたりしている。私としては、「一応は道があるから大したことはない」という感覚で、実際にキャンプ地とした広河原までは沢登りでは「アプローチ」という扱いである。しかし、この感覚の違いにずいぶん、部員諸君はおっかないと思ったらしい。3泊4日を通じて、たき火で食事をしたり、釣りをしたり、川遊びに興じた。薪を集めること、濡れた木で火をおこいことなどが、それ自体として活動であるのだ。それにしても定着だっので、あんなにゆっくりとすることは普通にはまずないだろう。

秋になって江ノ島付近に釣りに出かけた。部長の釣り仙人が中1に投げ釣りを教えている。それがまたすごく丁寧だ。私の方は、ミニサイズのふぐばかりかかると思ったら、よほどとろい魚だったのか夕方になってセイゴ(スズキの子ども)がかかった。他にも、かに釣りに興じるもの、投げ釣りに楽しむ者と楽しいひとときだった。ここの海も棄てたものしゃないなぁ、とふと思った。

まだ歩き始めたばかりの愛好会である。この先の見通しも手探りだ。気長に楽しく、自然とのかかわりを多彩に楽しめる部活にしていきたいものだ。