山歩によせて

                              顧問 熊野谿 寛

1991 年10月

 この夏は、いつになく天候が不順でした。クラブとして一大 事業である夏山山行の南アルプス6日間も、半分は雨具と共に歩くはめになりました。さらに、この後に個人で計画した上越の沢登りも、当日になって「大雨洪 水警報」が出てオジャン。夏休み最後に社会人山岳会の仲間と出かけた北岳バットレスでも、岩場の取り付きで大雨になってすごすごと下山。9月の連休も台風 と仕事でオジャン。仕方なく一人で出かけた丹沢の沢では、台風の後とあって、いつもの何倍かの水量で思わず緊張・・・。まったく、今年の天候はおかしいと しか言い様がありません。「地球の温暖化」とか「環境破壊」という言葉が、なんとなく目の前にちらついてなりません。そう言えば、昨冬も12月にラッセル訓練のつもりで行った谷川岳で、山頂にも雪が なく、家族連れがズック靴でハイキングをしていました。
 ごく「普通」に、街で生活して いるだけだったら、たとえ、雨が多くても、寒くても、暑くても、大して気にならないのかも知れません。しかし、私たちは山に登り、その事を通じて、自然の 様々な表情により強く影響されます。「気象遭難」などという最悪の事態は別としても、気象や自然の姿とその変化に、私たちは敏感にならざるを得ないので す。そして、そうした目をもって見ると、今の世界や社会・自然のあり方について考えざるを得なくなっています。
 一例をあげましょう。いま県内でも、丹沢・大 山では酸性雨による被害が深刻になっています。貴重な原生林が死滅の危機に瀕しています。しかし、この事は、実は単に「好きなお山が大変だ」と言うことで はありません。酸性雨が降ると言うことは、「私たちが吸っている空気が、それだけ汚れている。そして、私たちの身体が蝕まれている。」という事でもあるの です。登山者にとって、山が楽しみであると共に、山を通じて今の時代と社会・自然のあり方を考える〜という事にならざるを得ないのです。山に行くものこそ が、頂から見おろした社会の現実を考えるべき時代になっているのではないでしょうか。
 しかし、それだけにワンゲルというクラブで は、今こそ、「自然」と様々に向かい合って楽しむ事のできる山行を大切にしたいと思います。スノーハイクで雪の北八ケ岳に遊び、沢登りで水と戯れ、長い縦 走の後のテントサイトで荷物とともに空を見上げる。危ない事もあるし、嫌なこともあるけど、やっぱり自然の中に生きている事や喜びが感じられる。〜そんな 体験を積み重ねるなかでこそ、自分と自然の関係を考えられる体験的土台が作られるのではないでしょうか。
 このような事を想いながら一年間を振り返る と、ワンゲルの活動は著しい進歩を示したと思います。一年間を通じて約20日間の山行を企画・実施して、年間を通じた活動が初めて行えました。その成果 か、誰が「やれ」と命じたわけでもないのに、生徒諸君が自ら「夏合宿はできるだけ長く行きたい」と言い出しました。夏に向けて「ボッカをやってでも南アル プスに行こう」と重荷を背負ってトレーニングをしました。顧問の方では、内心、「果して、どこまで行けるか」、と危ぶんだのですが、5泊6日の全日程をテ ント泊で通しました。これまでのワンゲルが「山に時々行く部活」だったとすれば、「山や自然が好きな部活」への成長を見せていると言っても良いのでしょ う。
 もちろん、課題はまだまだたくさんあります。 体力、技術、自然への知識や生活力など〜どれもまだ、率直に言って、未熟であると思います。私も「重い食料は顧問持ちという現実だけは、なんとかしたいも のだ」「次の休みも部活の山行か。これでは今年も自分でめざす登山ができないなぁ」と、最近はグチる事しきりです。しかし、少なくとも、「山想う気持ち」 をかかえた部員たちが集い、着実な歩みを進めている事は、間違いないのです。ですから、ぼやきながらも、「顧問稼業はなかなか面白いものだわい」「なかな か、この部活も捨てた物ではない」ともう一面では思っているのです。こんなわけで、当分は、「安く、楽しく、安全に」をモットーに、この部活と共に歩む事 になるでしょう。
 今回の学園祭は、部員のほとんどが学年や実行 委員などで活躍していたため、あまり準備が進んでおらず、大した事はできないと思います。しかし、ワンゲルの活動の一端をご覧いただき、あれこれとご意見 をいただければ幸いです。