協議会の先に何が見える??

1996年11月20日  熊野谿 寛
1.エレキ委員会再び

 前年、要望書の提出を議決しながら実施できなかったエレキ問題の協議会。今年も話題
になっていたのだが、動きだしは遅かった。7月になってから「エレキ問題についての集
会」が呼びかけられ、20数名の生徒が集まった。そこで、総務委員の絵里家が総務とし
ての担当、エレキ委員として直樹らが代表となった。そして、総務委員長の光哉も加わっ
て、今後の方向を考えようという事になった。
 しかし、9月はじめの段階では、絵里家は憤慨していた。
 「まったく、彼らときたら自分たちが何かをしていこう、という姿勢が全然ない。総務
がなんとかしてくれると思っている。自分たちはやりたい事だけをしたい・・って。自分
勝手だよ、まったく。」
 さらに、彼女自身も学校側からの文書での指摘と回答について、「どう答えてよいのか、
難しいよ」と言う。これには、「君たちは教師ではなく生徒なのだ。君たち生徒の言い分
として何を言いたいのか、自分たちの言い分でまとめる事がまず大切だろう」と話すと、
「あっ、そうか。さすがだね」と言って帰って行った。彼女とは「ともかく協議会を実施
すること、その中で自分たちの言い分にこだわって議論してみなくては何も進まない。」
と言うことを確認した。絵里家なら言い分にこだわって激しく言い合うこともできるだろ
う。
 9/5にエレキ委員会が再び開かれた。絵里家から今後の方針が示され、要望書をまと
めて協議会を申し入れる事になった。クラス委員会は試験前にかかる9/11までが限界
である。しかし、要望書をつくるにあたっても直樹たちは全然言い分をまとめてこないら
しい。絵里家は「ガツンと言ってやった」と言っている。高一女子が高二男子をガツンと
やるのだから、絵里家のパワーは大変なものだ。あげくの果てに、数人のエレキ委員は、
「総務委員会に出す意見書をつくるため」と一人の家に泊まり込み、翌日、そのまま寝坊
して学校をサボッてしまう。これは始末書ものである。教員会議にも当然報告される事に
なる。総務委員長の光哉にこんな事があったらしい、と話すと「しゃれにならない」と呆
れている。
 結局、要望書は絵里家が作ってまとめられた。11日の前夜祭問題・後夜祭フォークダ
ンス等を話し合うクラス委員会に提案して、承認をもらうと言う。
 すんなりと行くと思われたクラス委員会では、いくつかの意見が出された。
 「昨年も同様なことをしたのではないか」「結局だめなのではないか」と言うのである。
絵里家から「協議会で話し合うことからしか先への見通しはない」と話し、私からも「昨
年はいろいろ動きはあったが、結局、要望書は提出されず協議会は行えなかった」と説明
した。そんな質疑の後に要望書は採択された。
 光哉が「これからどうしたらよいのかなぁ」と言うので、絵里家と総務主任のK先生に、
直接に要望書を持って協議会を申し入れに行くように話した。私がなんでも間に入るので
は、彼らの主体性を育てることにはならないのではないか。すでに企画委員会では、昨年
の確認に基づき協議会に対応する事は再確認してあるのだ。試験後のわずかな間に協議会
を行っても、学園祭までに教員会議はすでにない。だから、許可される可能性はないのだ
が、ともかく協議会を通じて生徒たちの活動に新しい展開を求めたい。少なくとも「自分
たちの言い分を言い切った」と言えるものを持たせたい、それが学校が生徒のものとなる
事につながるのではないか。
 翌日から試験前一週間に入って放課後の活動は止まった。

2.協議会と生徒たち

 試験が終わって学園祭準備が本格化した。光哉が「協議会はどうなりましたか」と言う
ので、再び絵里家にK先生の所に聞きに行かせた。翌日の企画委員会で確認して、協議会
の日程は9/30 月曜日と決まった。後はどれだけ彼らが自分の主張を展開できるか、
だ。生徒側からはエレキ委員二人、絵里家・光哉と中学副委員長の洋が出席する事になっ
た。しかし、私は義父が危篤となり、そのまま亡くなった事もあって前日まで欠席せざる
を得なかった。絵里家たちが当日の昼に打ち合わせをして、協議会に臨むのを横目に学園
祭関係の運営を煮詰めるのが先になった。
 放課後、3時半から始まった協議会には、学校側からは教頭・総務主任・生活指導主任
が出席した。延々、2時間にわたる協議会の中で、双方の言い分は平行線だった。ただ、
学校側として「生徒会からこうした申し入れがあって協議会を行った事は、要望書の内容
とあわせて教員会議に報告する」「今後も協議は続ける」「しかし、今年度協議中である
のに無視してエレキを使う事があれば、学校として何らかの措置を検討する」と言う事を
示した。最後の一項目は、高校二年の一部に「来年からの事なんてどうでもよい。俺たち
が使ってしまえばよいのだ」と言っている事が生徒たちの間でも「どうするべきか」と問
題になっている事から、加えて言ってもらった事でもある。
 委員長の光哉は、翌日に総務を集めて配布した「まとめ」の中で次のように言っている。
「要望書を出すのが遅いのだそうだ。・・毎年毎年継続性がない上に要求だけ認めろなん
てだめだ、と言われた。・・内容・・要求があるための土台=条件整備がないのである。
生活指導上の問題等起こらないと断定できるか?出来ない。それを納得させるだけの生徒
の態度、生徒全体の方針がないとこの問題は無理だ、と言うことだったと思う。」「要求
だけでなくて自分たちからの条件づけ、その上での保護者との関係など、これからの活動
の元になる少なくないヒントが得られたと僕は思う」
 エレキ委員会から協議会に参加した高校二年の史郎は、「平行線だったが、自分たちの
考えている事をちゃんと聞いてくれた事はよかった。今年、エレキが使えない事は残念だ
が、その点では満足できた。」と話していたようだ。

3.掟破りのエレキ演奏

 しかし、結果はともかく、こうした経過を具体的に知ることができたのはエレキ委員会
でも高校二年などに限られた。協議会の翌日に学園祭本部設置、それから校内は学園祭準
備一色となった。そんな中で、危惧されたのは高校二年生から間夜祭で、「エレキ演奏強
行」が出る事だった。「奴らがステージを乗っ取ったらどうするべぇ」という相談は間夜
祭担当の実行委員とも何度か頭を悩ませた。だが、史郎たちが「言い分をきちんと聞いて
くれた事はよかった」と話している状況は、高校二年生には伝わった。さらに、間夜祭に
なる経過の中で、「学校からは前夜祭などはにらまれているらしい。これを潰させてはな
らない」という話しも通った様である。結局、彼らはスレスレの所で「規定の範囲内」で
盛り上がる道を選んだ。だが、伏兵は思わぬ所からやってきた。
 学園祭一日目の午後、高校一年の自由参加・バンド企画がエレキを使って演奏を行った
のだ。見回りの先生が見つけ、エレキに詳しい先生が確認した。この団体は、「アコース
ティックでの演奏を行う」と言う事で、担当の先生を捜し、参加が認められた。基本的に
参加団体の内部での問題は、担当教員が管理すべき問題である。だが、協議会の経過から
考えてやっかいな問題に発展する可能性をも否定できない。この事がわかったのは、帰り
の点呼集会が終わった後だった。翌日の参加をどうするのか、この問題をどの様な性格の
ものとしてとらえるべきか・・。いずれにしても、総務委員長の光哉とエレキ委員会の絵
里家には、この問題がおきた事は話しておく必要があるだろう。ただ、基本的な対処は団
体担当の教員が行うべきだ。実行委員会が全ての団体を完全に管理しているのであれば、
別だが、そういう実体にはないのだから、参加団体で問題をおこしたらその担当の教員が
指導するのが当然であり、それはエレキ問題だとしても特別に違うはずのものではない。
しかし、「明日はアコースティックでやるからよいだろう」という程度の認識の様なので、
k先生と今までの経緯と問題をいくつか担当の先生に話した。

 帰りの学園祭運営幹部会の後、この問題を彼らに話した。高校一年の自由参加のメン
バーはいずれもエレキ委員会に参加していた者ばかりとの事だった。絵里家が怒る。
「まったく、これではエレキをやる者は規則を守らない者だ、と言う学校側の言い分を立
証する様な事になってしまうね。」
 光哉が言う。「この規定は生徒会が作ったものではないし、生徒会はエレキを認めろと
求めている立場だから、生徒会から参加取り消しにはすべきものではない。でも、これは
困ったもんだ」
 絵里家は「まったく、明日は自分たちから参加を辞退する位の姿勢は示して欲しいね。
これからの事をどう考えているのか、まったく!!」
 そこで、次の点を彼らとは確認した。■そもそもエレキ禁止規定は学校が決めているも
ので、生徒会としては認めるように求めているのだから、参加取り消しなどの処置は生徒
会としては行わない。■しかし、これからも協議会を重ねると約束した現在の段階で、こ
の様な事をされては困る。高一の生徒たちには絵里家から、その事と「参加を辞退する位
の事も含めて考えて欲しいと思っているが、具体的には君たちにまかせる」旨を伝える。

 結局、翌日、高一の団体からは「学校と生徒会に対して、謝罪する文書を出す。今日は
最初に計画したアコースティックのみで演奏を行うので、参加辞退だけはかんべんしてほ
しい」という意向が示された。

4.後期に入って
 学園祭が終わり、後期に入った。エレキ問題の協議会について結果報告をしなくてはな
らない、と言うことは絵里家、光哉とも確認していた。むしろ、彼らの方が「今年の成果
を伝えたい」という点では意識が強かった。しかし、実際のまとめとなると、なかなか絵
里家は動かない。火がつかないと動くまでに時間がかかるのだ。前期の諸行事についての
全校アンケート、その集計と学年でのクラス委員会、中三・高二の旅行、次年度の生徒会
役員選挙への議論・・・そんな中でどうしても後にまわされてしまう。ようやく、11月
半ばになって絵里家が「経過と報告」を作ってきた。これは、アンケート集計結果につい
て議論する全校クラス委員会にあわせて報告する事になった。学園祭での一件もその後の
問題として口頭で話した方がよいのではないか、とは話したが。内容には何も言わない事
にした。最初に、アンケート集計結果について意見を交わしたが予想以上に時間がかかっ
た。それが終わって、いっせいに立ち上がろうとする所を、とめて絵里家の報告が始まっ
た。
 「エレキ問題について、前期のクラス委員会において、全員一致で要望書の提出を認め
てもらい、総務主任のk先生を通じて協議会を申し入れました。試験後の28日に協議会
を30日に行うと連絡があり、生徒側からは私と総務委員長、中学副委員長、エレキ委員
会から二人が出ました。学校側からは総務主任のk先生、教頭先生、生活指導主任のN先
生が出席しました。」〜ここで聞いていた生徒たちはオオーっという顔をした。教頭や生
活指導主任とやり合うのか、そりゃあ大変だ、大したもんだ・・という反応である。
 後は、プリントに基づき話していく。「・・・学校側に理解を示してもらうには継続的
なエレキ委員会の活動が必要であるということがわかりました。」
「エレキについての協議会が開かれたのは始めてでそれだけでもけっこう大きな収穫だっ
たのではないでしょうか。」「来年は1月くらいから協議会に取り組める様な体制を着
くって、取り組んでいきたいと思います。」
 いつもながら歯切れ良い堂々たる話だ。彼女が報告を終えると、期せずして満場の拍手
がわき起こった。次年度へ向けた基本方向、という事で学園祭での問題はふれなかった。
しかし、それで良かったのだろう。前進面は何か、それを報告してクラス委員たちの共有
する事が何よりも大切だったのだから。
 会場の片づけをしてから、次年度への取り組み、活動の継続性、執行部とは何か、そん
な事を改めて考えていたら日がいつの間にか、すっかりと沈んでいた。