「参加と自治をめざして」

 〜生徒会指導の一年〜  熊野谿 寛 −目次− 0.はじめに 1.ゲンちゃんたちとの出発 2.年間方針と最初の生徒総会 3.はじめての生徒会合宿 4.生徒の参加する生徒総会をめざして 5.応援団員募集と体育祭 6.「エレキ委員会」と協議会 7.ユネスコ委員会と核実験 8.学園祭に燃えよ 9.修正案が通った・・・ 10.生徒会役員選挙と生徒会合宿 99.「参加と自治」をめざした一年を振り返って
0.はじめに  94年12月の高校生活指導研究協議会・関東ブロック集会で、私は全校集団の分科会でレポ ートする機会を与えていただきました。この分科会は、数々の豪華な参加者の顔ぶれをえて、 私にとっては実に刺激的な学習の場となりました。当時、生徒会指導に一つの行き詰まりを 感じていた中で、この集会は私にとっての一つの大きな転機となりました。  それから一年、ここで議論されたことを自分なりにうけとめ、95年度全国大会・基調報告 で言うところの「生徒自治への実験」をめざしながら、気楽に楽しく取り組もうと思って やってきました。そのおかげでしょうか。この一年間は、私の生徒会指導3年間の中で、最 も楽しいものであったと思います。  三年前、学園の「機構改革」の中で、私の生徒会指導は始まりました。この「機構改革」 については既に前回のレポートで述べましたので、ここでは詳しくのべません。簡単に要約す ると次のようなことをめざした改革であったと言えましょう。  (1)学校が社会的な責任を果たせる様に、責任の所在を明確にする。そのため、学内で学園 長候補を選挙を行って理事会に推薦し、その学園長が校長・企画委員等の人事を「組閣」的 に行う。  (2)教育活動の計画と総括を各年度において明確し、その内容を継承する事を通じて組織体 としての学校が統一性を保つ様にする。  (3)教育を実施する主体としての学年会と教育計画の全般を考える企画委員会・委員会とを 分離して、計画立案から実施、総括にいたるまでを自覚的に行うものとしていく。  (4)全体として、子どもを中心にした教育をすすめ、そのための学校としての態勢を確立す る。そのことによって私学危機に対応できる教育力を持つ学校に改革する。  その後の進展を振り返って考えると、どの様な改革や体制も、その裏付けとなる教育実践 の前進、さらにはそれを支える教育運動の高揚なしには、本来の役割を発揮できないのでは ないか、と思われます。しかし、どの様な限界があるにせよ、私にとって、あるいは生徒た ちにとってはこの改革を通じて、生徒会活動・生徒会指導の新たな可能性が開かれました。 それは、(1)生徒会指導にあたる生徒会指導委員会が、指導方針を策定して企画委員会、教員 会議の承認をへて、独自の指導を展開することができるようになった。(2)教員会議で指導方 針を論議・決定することが出来るようになって、教員の指導とは別個のものとしての生徒会 組織の独自性を認めることができる様になった。(3)生徒会の指導について、教員側での指 導・援助の体制が物理的に保障された。 という様な点でしょう。  そんな中での一年目の実践は、「改革の嵐」の時期の中での実践であったと思います。こ の年に追求した事は、(1)教員会議に全ての行事や活動についての指導方針を提起し、各学年 会に対してその方針にもとづいた課題を日常的に点検しつつ提起していく (2)生徒会の組織 活動を再建し、クラス委員会を中高分離するなどにより討議が行える体制にする (3)生徒会 行事を担う実行委員会を組織し、総務委員会がそれ以外の活動にも取り組みを広げられる様 にしていく 等の点でした。生徒会組織の体制も改変し、12月改選・翌年4月から正式な 任期がスタートとなりました。なんと言っても、この年の生徒会活動は、理屈好きな山下総 務委員長の元で。生徒自らが「生徒会の改革元年」を主張する実に無骨だが刺激的なものと なりました。  しかし、こうした展開のうち特に(1)については、反発がやがて表面化しました。そして、 二年目の実践は、とりあえず生徒会の行事活動を順調に実行委員会が行える様にしていく、 というスタンスのものとならざるを得ませんでした。生徒会総務委員の中心を担う高校2年 生も、相互になかなか議論が出来ず、思った様な展開ができずに模索したのです。これが ちょうど例会・関東ブロック集会で報告させていただいた時点での状況でした。その中で得た ものは多数ありますが、「生徒自身の可能性を追求すること」にもっとかけてみよう、と考 えて今年が始まりました。  幸いなことに三年目の今年、中心となる高校2年の学年は、私が中1中2と担任した学年 でした。総務の生徒たちもよく知っており、中1から休日に学年クラス委員会主催のスポーツ 大会を実施したり、クラスが競い合う学園祭を作り出したりしてきました。「みんなでつく る楽しさ」を少なくとも共に求めてきた生徒たちが多数いる学年なのです。  こうして、「三度目の正直」の思いで、今年の実践は始まりました。
1.ゲンちゃんたちとの出発  12月の後期中間試験が終わったある日、95年度の総務委員長ゲンちゃんを初めとする新 高2総務委員と会議室に集まった。新しい年度に向けてどんなことをしていきたいのか、と いう事で全体の会議の前に中心となり指導学年となる高2で話し合おうという事だ。会議室 でポットと紅茶を持ち込んで話ははずんだ。  新年度のH2のメンバーは次の通り。 ゲンちゃん 中2の時に副委員長になってから、ずっと総務委員を続けてきた。クラスで取 り組むこと、みんなでやることが好きな理系の男子。背が高く名物的な存在、腰が低く人あ たりがやわらかく、決して怒鳴ったりしない。バレー部。 パリラ 昨年は学園祭実行委員会で幹部として活躍し、副委員長となった。中2の時に担任 した事があるが、読書家で学校ですすめてきた特別教育活動では委員に進んでなってきた。 ただ、いろいろ引き受けてバタンと倒れることがあり、やや安定感に欠ける。様々な問題を 自分から進んで考える事が好きで、昨年から旧日本軍の毒ガス問題に関心を持ち、講演会な どに出かけている。学年では「なまいき」と反発する生徒もかなりいる。バレー部。 ゴウ 中3の合唱コンクール以来、実行委員として幹部をやってきた。今年は、総務委員と なっ た。物をつくる、コンピューターをいじる・・等が好きで、凝り性である。私は中1の前半 に担任した事がある。母親がPTA副会長。勉強よりも何かをゴソゴソするのが好きで学習 面では課題をかかえている。書記となった。元ラグビー部。 マリちゃん ゲンちゃんと中2から総務をやってきた男子。実務派で、男女の人数をできる だけ同じにする縦割りの班組みなどは彼の徹夜の産物である。会計としてクラブ関係も取り 仕切る。陸上部。成績も一番よい。 あわちゃん テニス部・軽音楽部の発展家の女子である。今回のメンバーはゲンちゃんが組 織したが、メンバーの中では唯一、実行委員などの経験がない。どちらかと言えば、今回の 中ではミーハーっぽいと言われる存在である。バンド問題などを担当する事になる。 イチコちゃん 新しいメンバーで昨年は学園祭実行委員会の装飾を担当してきた。おとなし い女子だが、小学校時代に児童会長をやっている。美術部。  会議室で「何をやっていきたいか」を語る中で、私が驚かされた事があった。それは、ゲ ンちゃんも、バリラも、やや内容は違うものの「世界の様々な困難や問題の中で生きている 人の役に立つ活動、そうした問題がなぜあるのか、私たちに出来ることは何かを考える活動 をやりたい」と言い出した事である。中学1年から特別教育活動を通じて、社会に生きる 様々な人たちにふれ、あるいは様々な問題をみつめる活動をやってはきたが、生徒側から生 徒会の活動としてそれを位置づけたいと言う話は初めてだった。これは、後で「ユネスコ委 員会」という有志による組織と活動を始めていく一歩となった。  さて、それ以外にも実に様々な話が出された。「生徒会が全校生徒の前で話す機会を増や そう」とイチコが言い、学年でのクラス委員会や生徒会広報とあわせてすすめていく事に なった。要は「みんなに存在を認められる生徒会」となろうという事である。  また、ゴウは「スキー教室はできないのか」と言う。数年前、特活がはじまる時にスキー 教室は廃止された。それについて、いろいろと意見があるのだが、これには少し話をしてお かねばならない。  「スキー教室って、どんなものか知っているの??」「えっ?!」「いやぁ、あれは生徒 会がやっていたのではないよ。学校が企画して生徒は行くだけだった。それも夏期学校とか もそうだけど、規則等は今よりももっと厳しかった。昼はスクールに入って滑るのだが、そ の時間以外には滑ってはだめ。夜は先生方は見回り。コラッ!!なんて正座させたりした。 そのトレーナーはいけない・・・なんて怒ったりもした。そういうのがやりたいわけ??そ れとも行きたい者が集まって、みんなで話し合って楽しく出かける・・というイメージな の??」「いやぁ、それは後の方だよ」「だとしたらそういう行事は今までのウチの学校に はなかったね。」「へぇ。」「だからそれをやりたかったら、こう考えたらどうかね。生徒 会が中心になってそうしたイベントをつくりたい生徒を集め、自分たちで企画するんだ。」 「そんなことできるかなぁ」「もちろん、保護者になってくれる人は必要だから、PTAか ら親を募ってもらう。あくまでも自分たちでつくる、誰かに連れていってもらうのではない 行事にしたら」  横からゲンちゃんが言う。「でも、高校生になったら自分たちで行っているよね」「そう だねぇ。それはそれで良いんじゃない。でも、中学生とか女子とかはなかなか行けない事も あるみたいだよ。それをまとめて行ったら良いんじゃない」「フーム・・・」 ・・・・・  お茶を飲みながら、下校時間が来るのを忘れて話し合ったことを、ゴウとゲンちゃん、バ リラがまとめて総務に出すことになった。それを土台に中1から高1までの16人の総務委 員会が動き出したのである。
2.初めての年間方針を決める生徒総会  1月末、初めての「1995年度生徒会年間活動方針(案)」ができあがった。ともかく、 時間的には合唱コンクールがあったこともあってクラスでの練習に時間をとられて集まりにくく、 結構大変だった。かんじんな時に「ゴウが学校に来てない・・・。夜中に作業したが終わら なくて家で寝ているらしい・・・」と言う事もあった。ゴウだけでは話した事を文章にまと められずにパンクすると予想したので、私の方で「たたき台」をつくって渡し、それを自分 たちなりに修正して完成した。ともかく、実務をまずきちんとやりきらせる事が大切だと考 えた。  初めての年間活動方針案ができあがり、クラス委員会で説明が行われた。今回は中3の総 務が説明しきれないので、クラス委員会は中学・高校いっしょとなった。だが、これだけで 終わったのでは、意見も出ないし、あまり意味はないだろう。そこで、彼らに総会に向けた 方向をいくつか提案することを考えた。その一つは、総会でのクラス・ブロックでの着席と クラス一票制採決の導入である。クラスで十分に話し合えない中にあっては、総会でまとめ させる中で話し合いを組織する事ができるのではないか、と考えた。その二つは、学年での クラス委員会の開催である。話し合いを重ねる中でしか討論をイメージすることはできない と考えた。もちろん、総会への取り組みは教員全体の指導にかかわる問題であるので、教員 会議に方針案を提案して承認を求めた上で彼らに提案を行った。かなり新しい挑戦で厳しい と考え、どうするかは君たちにまかせる・・・という事での指導方針と生徒への提案とした。  ゲンちゃんは最初は割と乗り気であった。しかし、総務のメンバーの意見はなかなか厳し いものであった。特にクラスで議案書をおろして意見を聞いた後になると、「クラス委員な んて説明なんてできない」とか、「クラスで話すなんて無理だ・・」という声が高まった。 要するに、満足に議論できるクラスは一つもなかったのである。かれらの結論は「今まで通 り、クラス横一列で着席、採決は後で投票とする」というものであった。討論を組織する展 望を持てない中ではやむを得ないだろう。そこで、総会をともかく、新総務委員会が自分の 考えている事を皆に伝えアピールする場、言いたいことを言う場とする・・という事を取り 組ませる上での目標として指導をすすめることに切り替えた。  何をどう話したらよいのか、彼らに求めたことはそれをまとめ、自分たちが一年間にやり たい事をまとめて話すことである。年間の行事方針について、ユネスコ委員会について、ス キーイベントについて・・・などとにかく自分たちで考えてきた事を総会で彼らとしては総 会で話した。しかし、逆に言えば「話すことで精一杯」なのが彼らの現実でもあった。ガヤ ガヤ・・・ワサワサ・・・会場は私語にあふれていても、なかなか「聞いて欲しい」と沈め られない。終わってから、バリラが「クラス一票でやればよかったのに・・・」とつぶやい たが、かくして総会は終わり、年間活動方針は投票で承認された。  総会が終わって、生徒会総務の次の課題は、初めての「キャンプ講習会」と毎年恒例の 「新入生歓迎会」ガイダンスの企画となった。キャンプ講習会は、5月に中1から高2まで の縦割りの班でハイキングと野外炊事にでかける「野外生活活動」に向けて、初めて実施し ようと私から提起したものである。春休み中に、野外炊事を中心にいろいろと企画しようと いう事で計画したのだが、影のねらいとしては「自分たちで自主的に生徒会の活動に参加し てくる生徒層を結集していく」という事があった。これまで、どうしても生徒会活動という のは金も時間も全て「そろってからやるだけ」の事だった。そうではない何かをつくるとい う事が目的である。案の定、総務の中でも「ええ〜っ、やるんですか??」という声もある。 お知らせをつくったが、なかなか参加者が集まらない。担当のゴウが言う。「本当にやるん ですか・・・」「年間方針で決めことだろう。それに第一、40名程度のメンバーを組織で きなくていったい君の言うようなスキーイベントなんぞに何人を組織できるんだ。君たち総 務が自分たちで呼びかけ、生徒を集めて内容を考え、実施すること〜そうしたことができな くて、何の生徒会かね。」  学年の生徒を具体的に名前をあげて対象者を具体的にあげ、声をかけて組織する様に提起 する。中学生はなかなか参加がのびないが、高校生の参加は増え始めた。それでも25名。 休み中なので総務でも参加できない者もいる。休日に参加費・交通費自分持ちでの行事とし てはこれ位が力量であった。当日は、ぎょうざを中身からつくる、くんせいをやるなど、実 に腹のはちきれるほどのメニューを作り、なかなか充実した一日となった。この準備のある日、 帰りにラーメン屋でおごりながら、「連休に実行委員会幹部も集めて生徒会合宿をしよう」 という話を彼らにした。  一方、新入生歓迎会の方は実行委員会とは別に総務で学校紹介のビデオをつくる・・とい う話になった。しかし、なかなかこの編集がすすまない。市立図書館の編集室を借りたのだ が、機材がうまくつかえない上に責任者のバリラが風邪でバタン、いないので解らな い・・・を繰り返した。ちょっと荷が重かったのである。これ以外に総務で寸劇をやること になり、ゲンちゃんがその脚本を書くことになった。ビデオの方は結局、未完成のまま映し た。どうも素人には荷が重かった様だ。寸劇は・・・。彼らによれば「いやぁ、あれはハハ ハ・・・」という言葉が帰ってくるので、恥ずかしかった様だ。(私は授業で見れなかっ た)しかし、総務が一つのことをする・・・という意味ではこの行事は意味を持った。  さらに新年度に向けて、校舎内の生徒会室を要望して実現した。昔から生徒会室は部室と 一緒にあったらしいのだが、その時は昼でも自由に出入りが出来た。しかし、10年ほど前 に生徒会館を作ったときにそこに入れられてしまい、放課後まで鍵が二重にかかっているの である。実にこれは不便である。生徒会室と言っても知らない生徒が多いし、昼にうちあわ せをする場所もない。書類を提出する先も教員室の私の所となってしまう。これでは「生徒 の会」としての生徒会にはならない。しかし、「生徒会室は汚す」と言われて教室を与える ことについて嫌な顔をされる。新年度にあたって、強く企画委員会に要望してようやく、生 徒会室を校舎内に獲得した。たまり場ができることが、生徒会の活動を支えるのである。
3.初めての生徒会合宿  4月の初めの始業式にあたって、中学・高校ともに「生徒会からの話」の時間をとっても らった。高校はゲンちゃんが、中学はオダくんが話す。そして、新入生歓迎会が終わってか ら各種委員とあわせてクラスから学園祭・体育祭の実行委員が選出されて、4月のうちにそ の幹部団が決まった。さて、次はいよいよ生徒会合宿である。  初めての生徒会合宿は、半原の「愛川ふれあいの村」で連休で休みになる5月1日・2日 に行う事になった。参加者は総務委員、体育祭実行委員会幹部、学園祭実行委員会幹部で総 勢25名となった。特に、それぞれの行事の中心となるH2の幹部は次のような顔ぶれであ る。  =体育祭実行委員会= カッキー H2理系普通クラスの数少ない女子の一人。動画研究部の中心であり、その分野 では一家言を持つ。かつてはずいぶん勉強に自信が無くて悩んだ時期もあったが、今は物理 が好きで、男子にもズバリと言うことは言える。今回、委員長を自分でやりたい、と宣言し て周囲と担任などをびっくりさせた。 ナギコさん  H2理系普通クラスの女子。剣道部で文才があり、はっきりと男子にも物が 言える。カッキーが委員長をやるという事で、実務的にも支えられるという事で書記となっ た。  =学園祭実行委員会= キクチくん H2理系でサッカー部。今回の学園祭実行委員会では、委員長のなりてがなか なかなく、その中で頼まれて就任した。どちらかと言えば、「大工グループ」であり、めん どうな議論よりはトンテンカンテンと身体を動かす方が好きである。しばしば、周囲の幹部 から「わかってない!!」とつめられる事になる。特に会議中に突然熟睡する特技を持つ (?!)ので藤井くんが切れることになる。 フジイくん 実務派として書記役を頼み込む。おとなしい男子。これまで主だった役をした ことはないのだが、会議の実務を誠実に遂行する。実行委員会の中での整理役となる。想像 以上の活躍を見せる。  =高校クラス委員会= タカヒロ H2理系でラグビー部、考古学部とあれこれに首をつっこむ。小学校時代から学 級委員などをやってきたのだが、中学に入ってからはあたりからはからかわれて、なかなか 中心になりきれない。進んでいろいろと取り組むが、自信がなかなか持てず、そこを見すか される所があるのだろうか。しかし、今回はクラス委員長となり、生徒総会議長も勤める。  この他に、中3の委員達も活発であり、中にはパリラの妹やその友達なども含まれている。  こうしたメンバーでの生徒会合宿は、今年度の学園祭・体育祭の実施案をにつめるという 事で、会議、また会議の内容で行った。体育祭・学園祭共に小グループをつくって議論して、 それを全体であわせ、また議論する・・・と言う形態である。夕食までは会議を続け、その 後は交流会の予定。体育祭では、担当についたモッチャンとバリラがガンガンやり合いだし たし、学園祭はテーマのあり方であれこれ議論を続けた。  夜の交流会は、集団でのゲーム(手つなぎバスケットなど)×ゲームなど、久しぶりに高 校時代を思い出してリードした。ギターを持っていかなかったのが残念であったが、その後 も夜中まであれこれと楽しい談義が続いた。夜中に部屋で話していて、ゲンちゃんが広島の 被爆三世であること、土壌の研究など地域に生きる人々と共に物事を考える様な学問や研究 をしたいと考えている事などを初めて知った。  翌朝は再び、朝食の後に会議を行い、昼に厚木に出て解散・・・そのまま大半は昼を食べ て遊びに出かけた。この合宿を通じて、(1)幹部となった生徒と総務との親密感が強まり、(2) 実行委員会幹部のやる気が具体的になり、(3)全体としてエネルギーが倍増した、と思われる。 ただ、反面では総務の中で参加できた者と出来なかった者があり、その内部での団結という 点では課題を残したと思われる。  連休があけると特に3人に一人は班長となっている高2は、野外生活活動の準備が忙しく なる。しかし、それと並行して実行委員会での議論は続いた。そして、5月23日に体育祭 と学園祭の実施案(一次案)が完成した。試験前一週間に入る直前の5月24日にクラス委 員会が開かれ、この原案が提示・説明されて試験前の活動休止期間に入った。
4.生徒の参加する生徒総会をめざして  さて、二度目の生徒総会に向けてどの様な指導方針を持つか・・・これを試験の休止期間 の間に私達が考えておく必要がある。既に「体育祭の色は総会の当日に決める」という事を 確認していたが、それだけでは面白くない。どの様にするのか、どうしたら総会を全校生徒、 そして執行部の生徒にとって意味あるものにできるのか・・・思案の日々が続いた。しかし、 ここで生徒会指導委員会で議論する中で、一つのプランが持ち上がった。それは「学園祭の 後夜祭を今までの学年別の輪ではなく、体育祭の縦割りで行う」という案である。今年の学 園祭実行委員会は高2は男子ばかり、他は女子ばかりである。メンバーを見てもなかなか全 体を動かすのはつらそうだ。・・そんな事の検討から始まって、思い切って「縦割りの フォークダンスか、学年のフォークダンスか」を総会で全体で選択する様にしようという事 を考えたのだ。わが校で最大の盛り上がりを示す行事は体育祭である。そして、体育祭では 縦割りの中心として応援団が全体を統率する。決して教師が声を枯らしても体操着の裾を入 れない、行進などしない彼らが、応援団を中心に何度か取り組む中で、バチッと決めて行進 をし、ラジオ体操に声をかけて演じる・・・そんな姿がこの数年で作られてきた。この統率 力を学園祭のフォークダンスにいかそう・・・。縦割りは男女の人数も一番接近する様に調 整してあるのだ・・・。  結論は、多分、従来通りであろう。学年の中で踊る方が気楽にできるし、「あの子と踊り たい」という声もあるからだ。それにあわせて、その方法の場合はクラス委員が学年の フォークダンスをすすめる中心になるという設定にしよう。結論は予想がつくが、これは一 つの選択を全体に迫るには面白い問題である。  試験が終わり、ゲンちゃんが今後の事を確認しに来たときに、別紙の様なメモを渡して話 をした。採決方法で挙手でする、などの点は「その場で採決しないと体育祭の色が決められ ない」という事からすんなりそうだろう・・・という事になった。しかし、縦割りでの フォークダンスについては、少し反応が違った。  「たてわりねぇ・・」とややいぶかしげな反応であった。私達の予想としても、7:3程 度で学年別になるだろうとは考える。「それは多分、学年別になるとは思う。しかし、一つ しかない案で決めても、みんながそれに協力してくれるだろうか、自分たちで選んで参加す る・・・そうした事が総会を皆にとって意味あるものとするのではないか」「参加ねぇ。」 「そう。民主主義の基本は皆で決めることではないか。総会で色を決めるのだって、皆が参 加した場面でやるという事だろう。採決もその場で挙手をしてもらうのだ。そうして決定す ることに皆を参加させる事が何よりも、皆で取り組む体育祭・学園祭にするためには大切な のではないかな」「ふーむ、」「まぁ、考えてみてや。最終的には君たちが決めたように やったらよいから」・・・。2日後に総務委員会が開かれた時、ゲンちゃんからは「複数の 案を出して、総会で選んでもらう」という案が出された。   実行委員会の幹部にもこの話が行ったのだが、幹部達は考えるうちに「縦割り案の方が大 変だから・・・」と今まで通りの案だけで良いのではないか、と言う。キクチが来て、「め んどうだ」と言うので、総会で決めるという事の意味を話す。「今までは総会があってもな くても答えは一つしかないのならば同じだったではないか。それでは民主主義ではないので はないか」と話す。そして、より具体的にイメージを持たせるために「総会の運営につい て」のプリント資料をつくり、ゲンちゃんたちに渡した。  こうした状況の中で6月8日の教員会議に生徒総会に向けた指導方針案を提案した。正面 切っては何の意見も質問もでず、会議では指導方針の承認を得た。  生徒会指導委員会として、生徒総会に向けて課題として設定した事は、次の三点であった。 (1)体育祭の応援団について中学生が閉め出されない様に学年別の目安をもうけることにした。 これについて、高校生には「どうせ中学生から切ればよい」という意識が強い。原案ではそ れができない様に考えてあるが、総会の場面で中学生を代表する立場から、勝手に切らない で欲しい、自分たちも先輩達といっしょにやりたい・・・という発言を中3の総務に組織さ せて発言させ、中3の役割を考えさせると共に高校生にも問題を認識させたい。 (2)後夜祭の方法について総会で選択すること、採決をその場で挙手して選挙監理委員が集計 することなど、全校生徒がその場で考えて参加する総会とすること。場合によっては修正案 を組織し、選択を総会の場で行う様にすること。特に体育祭の応援団の人数の目安について は、当初消極的で予備調査では人数が少なかったが、その後の団長を決める確執の中で団員 希望者が激増した高2から修正案が出る可能性がある。 (3)体育祭の各組の色の決定を団長による公開の抽選で行うことにより、縦割り集団の結成を 全校の参加する所で行い、高2各クラスが中心学年としての地位とデモンストレーションを 全校に示す場とする。  そして、全校にある生徒総会は意味のない場・・というイメージを少しでも変えようとい う事が最大のねらいであった。  総会に向けては、6月8日から昼休みに学年クラス委員会が始まった。学年ごとに討議の 状況を出し合い、疑問を聞き、説明のポイントを話し、議論するという場である。中1から 中3が一日目、高1から高2が二日目に行い、それぞれの学年の総務が運営にあたる。しか し、一日目、中3が教室の鍵を取りに来ない。それで鍵をもって覗くと・・・なんとクラス 委員だけが教室の前で待っているのである。あけてやって、すぐに教室の前にある生徒会室 にいたゴウに中3の総務を呼んで来させた。4人中3人がやってきて、始まったが、何も語 れない。やむなく、こちらが話し、心配で顔を出したゲンちゃんに補足をしてもらう。中3 の総務には「もっと自分たちの学年を大切にしないと何もできなくなってしまうぞ」と話し た。だが、これだけではよく解らなかったようだ。・・・もっと中学生にも、総務全体に問 題を考えさせる必要がある。  翌朝、プリントをつくってゲンちゃんに渡した。「議案についての予想される質問・意見  その1」である。「もっとみんなに考えてもらわないといかんなぁ」と話す。バリラやゴウ などがやってきて、これを面白がって持っていった。会室でああでもない、こうでもない、 と話したらしい。  さて、学年別クラス委員会が一巡して、クラスで議案の配布と説明が行われた。とは言っ ても、実際にクラスでまともな討議をできた所はあまりない。中学生の場合、主体的に中心 になっているとは言いにくいので発言もでにくい。中3になってから「今年は団をできるだ ろうか」等の関心が出てくる・・・という状況である。担任から積極的に指導して討議 を・・という状況もほとんどなく、それでも説明はさせてほしい、読み合わせでもよいか ら・・という事でよしとした。学年別クラス委員会では、高2でやっぱり応援団の目安と調 整の方法についての意見が出された。  終わった後、生徒会室にいた中3のオダに次のような話をする。  「なぁ、どうするよ」「えっ??」「高校生の雰囲気は応援団はどうせ目安なんて無視し て中学生から切ればよい、という考えだぞ。それでいいのかね」「・・・できないのは困る なぁ」「じゃぁ、総会できちんと発言する奴を組織しろよ」「発言??」「そう。中学生の 立場から自分たちも先輩達とやりたい、勝手に切らないで欲しい、と言うんだ。」「誰 が?」「学年で影響力のある奴がいいぞ・・。先輩からも言ってもにらまれない奴っている だろう」「うーん、一人かな」「一人でもたくさんでも良いよ。総会で言っていかないと、 高校生はいくらでも勝手にやればよいと考える様になるぞ」「わかった・・・やってみる」  6/13(火)クラス委員会にあわせて第二次案が完成した。クラス委員会で意見を集約 すると共に第二次案を示すのである。中学クラス委員会では、質問も意見も何も出されずに おわった様である。一方、高校クラス委員会では応援団関係の問題で議論が長く続いた。し かし、「どうせ中学生から切ればよいのだ」と思いこんでいるのか、目安とか調整のプロセ スについての意見はあまりでない。むしろ、応援合戦の時間について「出入りを含めて10 分では短い」という意見などが強く出て、これは執行部が持ち帰ることになった。結局、修 正案は出されず、目安については大きな論点にはしないで「形骸化すればよい」というのが 高校生の反発するグループの考えの様だ。  クラス委員会を終えて、翌6/14の放課後に総務・体育祭実行委員会・学園祭実行委員 会幹部・議長団による総会へのつめが行われた。ゲンちゃんのつくった別紙プリントに基づ き、それぞれが話してみて、お互いの説明についてそれで良いのか、議論した。最後に「も しも、原案が可決されなかったら、2週間後をめどにもう一度放課後に生徒総会を開くこと にして、その間にクラス委員会で徹底的に論議を煮詰めることにする」という事を確認した。 とっぷりと暮れた中、帰る彼らから聞かれた「わぁ、今日、寝られないよ・・・」という誰 かの声が、緊張した全体の雰囲気を伝えていた。  明けて6/15(木) 6時間目から生徒総会が始まった。今回は、高2を最前列にして 縦割りのブロックで並んでいる。と言っても狭い体育館なので寿司づめである。高3は「任 意参加、出席しない者は委任状を」という扱いにした。実質的に内容に参加できない以上、 やむを得ないだろう。  ゲンちゃんが司会をして、議長選出を行い、体育祭原案の提案をカッキーが行う。説明し ていてもザワザワはやまないが、高2が最前列なので挨拶などには大きな拍手がわいて雰囲 気は悪くない。  さて、体育祭についての討論で、中3のKが手を挙げて発言する。オダが組織して原稿を 書いた発言である。しかし、Kは先輩の受けもよく、学年でも人気がある。しかし、緊張し たのか最初は声がつまって発言できない。議長に「発言をまとめて言って下さい」とやられ て、頭をかき、会場は笑いとガンバレー、のやじ・・・なかなか雰囲気になってきた。会場 が発言者がでたらザワザワがとまり、一瞬だけ静かになった。  「応援団について高校生の先輩だけで知らないうちに中学生を切ってしまうということは ないようにほしい。あと、棒倒しができないのはどうしてか」という二つの点を発言した。 最初の点を言うと中3から大きな拍手がわいた。二つ目は予想問答集にもあることなのだが、 なかなかやっかいな問題である。  カッキーが答える。「今年のやり方では、上級生だけで切ってしまうことはできません。 総人数が枠をこえた場合は、その色の体育祭実行委員全員と幹部、総務が参加している会議 で団長からどの様にしたいかを提案し、了解されなければ団の結成は認められないことに なっています。ですから、そんなことは絶対にさせません」・・・毅然、という感じで堂々 と話す。しかし、マイクの声が音響が悪くよく聞き取りにくいのが本当に残念だ。  高2の一部から「フザケルナー」というヤジもでた。が、これで良いのだ。それだけ認識 されることが大切なのだ。やじられても動じない。  やっかいなのは「棒倒し」の方だった。「危険であるのでできない」と説明したが、kは 今度は原稿などなしで「でも、騎馬戦だってできるのだから、させてほしい」と言う。これ にはヤンヤの声援と拍手がわいた。(オヤオヤ、こりゃぁ採決はヤバイかな・・・と少し案 ずる。)  しかし、このkの発言が全体として流れを、「発言しやすい」ものにした様である。  学園祭について次はゲンちゃんがテーマと基本方針、具体的な内容についてキクチが話す。 前日のリハの甲斐があってちゃんとキクチも話した。  これに対して、高2のミワが討論で立って発言する。ミワは発言力のある気の強い女子で ある。「どうして前夜祭が3日ある終日準備の二日目になったのか、これではもりあがらな い」・・・あれれ、これは第一次案から出ているが何も意見も質問も今まで出ていない事だ。  キクチが一応説明するがあまり要領をえない。舞台の袖にいてゲンちゃんに合図する。ゲ ンちゃんが説明するが納得しない。「どうして勝手に突然変えるのか」とまで言われて、カ チンと来たようでバリラなどは顔を上気させて怒っている。「修正案でも出すのか」と言い 出しそうなので、横からマアマア、落ちついてと合図する。ゲンちゃんもこれには「第一次 案でこのことは説明して、クラス委員を通じて意見や質問を求めたが何もでていない。勝手 に変えているとか、突然というのはあてはまらない」と答弁する。しかし、学年で目立ちた がりのOも出てきて発言する。「最終日の方がよいではないか」という趣旨のようだ。  このクラスのクラス委員は学園祭について何も意見がない、と言っていたのであり、その 点も含めて考えると、ここで紛糾させるよりはもっとクラス委員会でもんだ方がよいだろう。 意見を言っても通らないというよりは、部分的な問題ならば総会で出た意見について持ち 帰ってクラス委員会を活性化するという考えもあるだろう。ゲンちゃんに舞台の袖からメモ を回す。「討論のまとめの時に、つっぱって原案で行きたいと言ってもよいが、この問題は 今日はじめて出たので、クラス委員会に持ち帰って議論をちゃんとしたい、というのではず してもよいのではないか」・・・。結論は彼が出すべきことだ。  続いて「後夜祭でのフォークダンスのやり方」について、二つの案をフジイくんと中3の 副委員長シンヤが説明する。討論の最初に高1のコイちゃんとタバタが掛け合いで、「縦割 りがよい」「いや、学年がよい」とやりとりをしてみせる。が、マイクがダメでなかなか聞 き取れないようだ。「みなさんも意見を・・・」ということで終わったのだが、発言で出て きたのは高1のM〜「今の二人は何を話していたのか、理解できなかった。何を話していた のか・・・」と怒っている。(ありゃぁ・・・^_^; )  ゲンちゃんが立って今回の提案の意味をもう一度説明する。後夜祭のやり方を皆で選んで ほしいのだ、それぞれの案の良い点はカクカクシカジカ・・・と。  Mはクラス委員なのに会議に出てこない、どちらかと言えば「問題児」パターンである。 しかし、このクラスでは担任が生徒とつめてとにかく議案書について、自分たちで討論し、 意見を持ってクラス委員会に参加してきた。そうした背景をもって少なくともMは参加しよ うという姿勢を総会に示したのである。しかし、これ以上の議論は出なかった。  採決にあたってゲンちゃんが「討論のまとめ」を行う。「体育祭については、種目につい て意見があるのもわかるが、今までなかった楽しい種目も入れているので、これで認めて欲 しい。学園祭については、前夜祭についての意見は今日はじめて聞いた。だからここですぐ に決めないで前夜祭についてだけはクラス委員会で十分に議論して結論を出したい。」とい う趣旨になった。  採決である。しかし、挙手での採決などやったことがないので大変に手間取った。採決に 参加していない者もクラスによってはいるようだ。選挙監理委員がきちんと数えていない所 もある。担任にはついてほしいと会議で決定してあるのだが、ほったらかしのクラスもある 様だ。しかし、議長のタカヒロはよくがんばった。全体の動きを見ながら、ゲンちゃんが採 決の方法を改めて説明し、きちんと各クラスで集計がされるのをみはからってから、次の事 項の挙手を求めていった。  中1、中2あたりだとどうもよく問題がわからず、「意見が出たから保留」とか「前夜祭 についての意見があったから反対」などのものもあった。しかし、「投票」でおこなったと しても同じであった事だろう。  採決の結果・・・   参加総数 916名   後夜祭について  学年別案支持 771 縦割り案支持 111   学園祭実施案  反対 63 保留 63  賛成 741   体育祭実施案  反対216 保留 133 賛成 513 かくして、実施案は承認された。先に発言したミワが選挙管理委員長として報告すると拍手 が起こり、議長が採決結果を確認した。  その後、高2で選ばれた各団長が登壇してゲンちゃんの司会で抽選会を行った。各団長が じゃんけんで順番を決めて、封筒に入っているカードをひいた。吹奏学部の生徒にドラムを たたいてもらって・・・。色が決まって各団長が決意を表明。最後に言ったE組のタモリン の「団員枠とかいろいろあるけど、みんなで楽しい体育祭にしていこう。下級生も団員にぜ ひ応募してほしい」という発言に大きな拍手がわいた。  「みなさんで決める総会にすこしはできたのではないか」というゲンちゃんのあいさつで 総会は幕となった。時刻は4時10分をまわっていた。延々、2時間を越える総会となった のである。  片づけをしてみると、やはり中学生の所では紙屑が多い、議案書を丸めてたたきあいをし たり、紙投げをしたものもある。中学1年から高校2年までの千人が同じに議論する、2時 間も総会をする・・と言うことは、発達段階の違いも考えるとやはり無理があるのだろう。 しかし、これは現在の体制の中では解決が難しい事だ。それでも、中学生から高校生までが 今までよりは実質的に参加する総会へと一歩前進できた事は実感できた。 5.応援団員募集と体育祭  生徒総会後に一つ焦点化したのが「体育祭・応援団の募集と人数調整」についての動き だった。本校の体育祭は、10年ほど前は「5年に一度」「幼稚園から高校までが一緒」と いうものだった。これは、学園が小規模であった時に始まったものが、そのまま形としては 継承され、しかも第一次急減期後の生徒指導が著しく困難な時期に数年に一度へとかわって しまったものである。それが8年ほど前に、「これでは生徒が達成感を持つことが出来な い」という事から、当時の主事会議で議論されて、中高と小学校以下とを分離して毎年行う 事になった。そして中高では、主催も生徒会となった。そして、その時期から中1から高2 までの縦割りでの「応援団」の活躍が見られる様になった。最初は、この縦割りは「学年全 体を4つの色にアトランダムにわける」という4色のものだった。しかし、これでは縦割り 集団としての意識は希薄で運営上も困難であるため、クラスを土台とした5色へと変えて いった。これも生徒側からは4色がよいとの意見が当時は強く出たのをかなり強力に学校側 の姿勢を示し、さらに実際に運営してみて4色という意見は姿を消して行った。  さて次に、3年ほど前に問題となったのは「応援団」だった。色によっては70人もの団 員をかかえるだが、色の全体が170人程度なのに関心のある生徒は団員となってしまい、 それ以外の生徒を巻き込んだ応援やアトラクションよりも団の中だけで何かを考えることに 夢中になっているのではないか、もっと色のみなが参加する、皆を統率する中心に団がなる べきだという事が議論された。そして、そのためには団員の総人数は制限して、団としての 平等化もはかろう・・・という事になった。この団員の総数を規定する、定員を越えた場合 は総務委員などから切っていく、という原案は紛糾し、いったんは総会で否決された。しか し、当時の山下委員長は、この後の高校クラス委員会での激論を乗り切って、若干の人数枠 を拡大した修正案をとりまとめ、臨時総会で可決にこぎつけた。この年の体育祭では、応援 団が色の全体を統率する場面としての開会式・入場行進でのアトラクションが新たな伝統と して加わり、当時高校2年で中学からずっと総務をやってきたミノリも「自分たちの学年が 新しいものを全校とつくれたことを誇らしく思う」と語っていた。  しかし、昨年、新たな問題が表面化した。高2の人数が多かった事もあり、多少、枠を拡 大したのだが、人数をこえた色が「高2を優先とするのが当然だ」として総務委員である者 もまざって中学生だけを減らす・・という結果になったのである。中学生からは後になって 「自分たちは出来なかった」という不満が聞かれた。また、団の中だけでやっていて、皆を 参加させるものとならない・・という問題も再び表面化した。  また、実行委員会と応援団の関係も問題となってきた。数年前は全く機能していなかった 実行委員会が、3年前から実行委員会が運営の中心になった。しかし、運営に責任を持つ実 行委員会と応援団長会議とは関係がなく、団を通じて実行委員会が全体を把握するというこ とにはなっていなかったのである。  2月の生徒総会での年間方針の決定をへて、5月の生徒会合宿から議論してきた原案では これらの点について、次の様な内容を盛り込んだ。 1)応援団の人数枠だけではなく、学年別の人数についての目安をもうける。中学生だけを 切る事は認めない。応募については実行委員会が集約し、調整するための会議は関係するク ラスの実行委員と団長・総務委員会、実行委員会幹部で行う。そこでの了解をへて、実行委 員会の承認を得なければ応援団は成立できない。 2)応援団についての規定を総会の原案に盛り込む。また、団長会議は実行委員会の下にお くことを明確にして、団長会議は実行委員会・幹部が運営する。  これに対しては、「自分たちが中1の時はできなかったのに汚い」などの意見も出たが、 総会では中3から「中学生だけを切ることはしないでほしい」という意見を組織し、それを 確認する中で議決された。・・・  総会が終わってから6月22日まで募集を行い実際に応募を締め切ってみると、定員を越 えたのは5つのうちの2つとなった。白組は定員を4名越えただけだが、青組は10名以上 も越えている。青組の団長のタモリンは、総会で「人数枠とかもあるけど、みんなで楽しい 体育祭にしたいから、どんどん応募して欲しい。」と挨拶して喝采をあびた人物であり、ど の様に調整をすすめるか、幹部達と応援団幹部の厳しい期間が始まった。  まず、結果を公表して辞退者を募集。そして、各色の縦割りの会議で学年ごとの人数をど うするかを決めた。白では高1について、団長がじきじきにオーディションするという事に なった。団長のトシはグラウンドで端から端へ叫ばせて声の通りの良い者を選ぶ。・・しかし、 落ちたKさんは「あたしを落としたら呪ってやるー!!」とか叫んだらしく、団長の人の良 いトシはしばらく寝られなかったとの事である。  しかし、青組の場合はそうは行かなかった。10人以上もオーバーしているのである。ど うあっても高2からも削るしかありません。団長のタモリンからは高2も削る人数の案が縦 割りの会議で提示され、了承される。ところが・・・です。会議が終わっても青の高2では 特に女子が頑固に言い張って調整がすすまない。それどころか、勝手に中1、中2をまわっ て「練習は大変だ」とか言って脅して「辞退させた」と言う事態が発生した。  これを聞いて怒ったのがカッキー、ナギコ、パリラの女三人衆だった。ナギコが中1、中 2に事情聴取にまわり、中1は「もうやる気はないと言っているが、中2はやっぱりやりた いと言っている」事を確認した。そして、高2と厳しいやりとりが続いた。三人の間でもし ばしば厳しいやりとりが行われた。お互いの対応の細かい部分での違いをつっこまれたのだ。 それにしても「どうして生徒総会で議論して決めた事なのにわかってくれないのか」「高2 だからって特権を持つなんて勝手すぎる」「中学生の参加する機会を守らねばならない」と いう彼女らの決意は崇高で悲壮なほどのものだった。  「なに、焦ることはない。他の色の調整は終わっているのだから、他だけ発足させて青を 残せばよい。」といきりたつ彼女らをいさめながら、私は「事実経過を単純明快にわかる様 にまとめておくこと。そして何が問題なのかを整理しておいて、必要とあれば実行委員会で 対応を確認してから、全校に経過と実行委員会としての見解をアピールできる様にまとめて おくこと」を提起した。総務委員長のゲンちゃんにも「タモリンはどう考えているかねぇ、 話してみたら・・」と話したのだが・・・。  約一週間続いたこの問題は、結局、青組の女子にナギコがもう一度、事実経過を整理して 話す中で、「うむ、それでは仕方がない」という事になり、高2の中でくじをひいて削る事 で解決を見た。夏休み前の体育祭実行委員会・会報では、各団長からのアピールが掲載され、 各色の団の活動が本格的に始まった。「学年が上だから、最後だから何でも許される」とい う現実に対して、総会決議を盾にして中学生の参加を守ろうとしていく女三人衆のパワーは すさまじいものであった。体育祭実行委員会を担当するモッチャンとも「しかし、あのカッ キーたちの使命感はすごいものがあるねぇ。合宿してドッと勢いを持っていっしょに考えて きたことがよかったのかねぇ」と話した。  夏休みをはさんで、体育祭の準備は進んでいった。そして、第6回体育祭は10月1日 (日)に行われた。5月の合宿から議論してきた事がようやくこの日に実現するのである。 しかし、実行委員会には様々な生徒がいる。幹部として積極的にやってきた生徒だけではな く、応援団はやりたくないからとか、何となく、で委員となったものもいる。  運営で最も厳しいのは「召集」であるが、下級生に上級生を並べろと言うのはなかなか大 変である。責任者のカスピーは実に几帳面な性格だが、線の細い感じがした。しかし、予行 でうまくいかなかったと見るとすぐに係りの締め直しにかかり、体育祭当日には係り全体を 統率する姿を見せた。  用具係のモンチは、最後まで予定を狂わせた。用具の作成からついつい趣味の竹細工に 走ってしまい、注文までとって竹踏みを作ったりして、鈴割りの鈴をつくろうとしない。案 の定、当日の朝は6時半に登校するはめになった。職人は気に入らない仕事はなかなかして くれない、という事がいつでもあるようだ。  高1の書記であるタカは、ラジオ体操で「隊形にひろがれ」と号令をかけるのだが、「先 輩に対して、広がれ!とかいえない」等と言って「広がってください」などとしまらない事 を言うので全体がなんだかわからない。「最初と最後に一礼したらよいだろう」と言って、 当日は堂々と号令をかけた。  体育祭の担当はモッチャンなにので、私は用具の手配、毎日の予定の調整、雨番組の手配、 その他の雑徭が仕事である。係り分担をしたものの、打ち合わせの時間がとれず、なかなか 大変な中での準備となった。  しかし、この体育祭を前に実行委員会幹部、そしてゲンちゃんは新しい動きを示した。応 援練習の時間、ゲンちゃんはすべての色の様子をみてまわったのだ。そして、団長を集めた 会議で、「もっと色の全体を動かす、みんなでやる内容を工夫しよう」と団長達に要求し始 めたのだ。下級生のクラスに上級生がまわって協力を訴える色、当日の入場行進で全員に内 輪を持たせようと用意する色、応援団のアトラクションに色全体を参加させることを考えた 色、入場行進の時から下級生の中に上級生がはいってもり立てる色、など、様々な新しい試 みがみられた。  応援団にとっては正に不眠不休の正念場だった。様々な葛藤もあったのだろう。しかし、 団長達は直前になって「もうここまで来たら、どこが優勝してもよいではないか。結果発表 では絶対に自分の色だけで喜んだりしないで、お互いの健闘をたたえ合うことにしよう。」 と話し合った。(この事は後で団長のトシから聞かされた。)そして当日、結果発表の時、 互いの健闘をたたえ合う拍手だけがさわやかに響いた。  その日、用具の片づけと倉庫の整理を遅くまでやってから、残った幹部達と極秘に(?) 「打ち上げ」に出かけた。と言っても、ハンバーガーを食べながらとりとめもない話しをし て、あれこれ話し合っただけだが。合宿から寝ても覚めても準備をしてきた一つの祭りが終 わったのだ。
6.「エレキ委員会」と協議会  こうして6月の生徒総会の後も、体育祭・学園祭と活発な動きが続いた。しかし、学園祭 でのエレキ問題については、なかなか動きが見られなかった。昨年度は9月の末に「要望 書」が出て、その日の教員会議で検討してもらうという事になったが、結論は出ずに前進が なかった。その後も、教員での議論はまとまらず、1月に入ってから「現段階で学校での検 討で議論されてきたことを生徒に返す」という事での「回答書」を提示して終わった。その 「回答書」の文書の中では、「この問題について協議会の申し入れがあった場合は、校長を 含む企画委員会が対応する」ことを示しまして、生徒側でのさらなる検討と次のステップを 示す様にした。  しかし、昨年まで中心であった生徒たちが高3となって「引退」して、この問題について は何のまとまった引き継ぎもされなかった。しかも、総務のメンバーの大半は、エレキなん てさっぱりわからない・・という面々。そんな中でこの問題の総務で担当になったのは、軽 音楽部にもはいっているアワちゃんだった。しかし、高2になってなんだか「つまらない症 候群」になったのか、アワちゃんは総務どころか、なかなか学校にも出ない。さらに、私の 所に行くとツメられると思ったのかなかなかやってこない。総務の中でも、アワちゃんと日 常的に一緒になる者は少なく、「どうしてる」と聞くと、「えっ、わかんない」と言われる。 「誰に聞いたら最近の事を知っている」と聞いても、「うーん、誰も知らないみたいだ よ・・・」との返事。割と仲の良いメンバーでも「何をしているんだか、わからない」と言 う。  アワちゃんには、それほど状態が不安定になっていなかった野活前の5月半ばの事、ちょ うど教員室に来たのをつかまえて、これまでの経過や課題、方向などを話した。が、生徒総 会で採決を集計している間に、「エレキ問題をこれから取り組みたい」と話したのを最後に、 またまた姿をみせなくなった。  7月に入っていよいよこれは今年も時間切れかなぁ、と思っていたら、突然、アワちゃん がやってきて「エレキ問題をやります」と言い出した。で、「この問題について、関心のあ る者を集めて委員会を開き、そこで話し合ったことを全校に伝え、それを繰り返しながら問 題への関心を高める」「夏の間に問題点を整理して、秋にはパネルなどと協議会を申し入れ る」など、前に話していたことはちゃんと覚えていた様です。  で、全校にエレキ問題を考えようと訴えると、11名(高2 5名、高1 6名)が昼休 みに集まった。「たった、これだけ」と言うので、「だってエレキに関心のある人はそんな に多数ではないよ。それに高校生が中心だろう。だったらこれは実に立派な数だ。」と話し てやった。エレキ委員会は夏休み前に二回の集まりが開かれ、全校にも簡単な報告のビラが 配られた。そして、「いつ協議会を開くの」と言うので、「その前に何を求めるのかを考え、 総務とクラス委員会で議論してもらわねばならないよ。もっとも、クラス委員には感心のな い人もいるから、エレキ委員会の人も参加した委員会をひらくか、パネルディスカッション などをやったらどうだろうか。」と話すと、「では夏の総務の時に出すわ・・・」と言う。 まだ、内容が煮詰まったとも思えないのだが、ともかく新しい動きがはじまった。  夏休みに入った。今年は耐震補強と全館空調の工事のため校内の約半分が出入りできない という状況だった。その間をぬうように、4週間の夏期講習が行われる。中学生は約2週間、 高校生は希望制で受講者を集めて講習が行われる。その期間か生徒が活動しやすい期間でも あるのだが、講習時間がずれたりするので、なかなか全体が集まることは難しい。  7月21日、総務委員会が開かれるが、なかなか集まらない様だ。エレキ問題の話しをす ると言っていたアワちゃんが来ないので、「あれれ、またまたコケたかぁ」と次の対応を考 える。これについては、とりあえずエレキ問題についてのこれまでの経過、教員側と議論す る上での問題などを整理して、プリントして送ることにした。  後は、実行委員会、総務委員会のすすめることは作業が主である。部室などの入っている 生徒会館にある旧・生徒会室を使って、大工の様な作業をすすめる。電動工具をそろえただ けあって、実行委員の集まりは今一つだが、学園祭のアーチなどは早々に予定した作業を終 えてしまった。総務委員会でゴウがつくるという巨大迷路がなかなか全体像が見えず、なか なか進んでいない。それでも、迷路のユニットづくりは進んでいった。 8月末にも総務委 員会を予定があったのだが、結局、それぞれの講習の時間がずれていてなかなか集まらない ままに9月を迎える事になった。  夏休みがあけると、本校では9月はじめの「基礎学力判定試験」、半ばの前期期末試験、 と試験の季節が続く。それでも二週間は期末試験まであるので、一週目は生徒も活動する事 が可能だ。しかし、そうは言ってもなかなかこの時期の動きは、試験がぶらさがっていてに ぶい。ただ、総会以来持ち越しになっている「前夜祭を終日準備二日目にうつす問題」と 「エレキ委員会からの要望」について、試験明けにはクラス委員会で結論を出す必要がある。 9月のはじめにアワちゃんがやってきた。エレキ委員会を開いて「要望したい事項をまとめ る」と言う。9月6日の水曜日に総務委員会があるのでその前に行う必要がある、またクラ ス委員会をへないでは学校への要望はできないことを話し、今後の日程を話した。  その後、エレキ委員会から「要望事項」(案)がつくられてきた。これは、「学外で練習 するという事で問題があるのならば、学外の練習に教員が誰かついてくれ」と言う様な内容 のものであった。昼休みに総務でゲンちゃんたちと話す。 私 「これで、誰か学外までつきあえって言うらしいけど、何と言われると思う」 ゲン「これねぇ。ちょっとねぇ。」 私 「むしろ、もっと限定した言い方の方が良いと思うんだけどね」「えっ?!」「つまり、 いろいろ問題を言うのもわかるが、エレキ委員会に参加してきたメンバーは問題点もわかっ ているから、このメンバーに限って、時期も活動期間も限ってルールを決めるから学内で実 験的に活動させろ、と言う方がまだ理解されやすいと思うけどね」 ゲン「ううむ」 私 「いや、さらに考えるとね、だめだったら何をするかという事も考える必要があるよ。 ダメなら今の規定ではできる事になっているシンセをつかって学園祭でデモンストレーショ ンするとかしないと、今の規定がナンセンスだという事はわかってもらえないだろうなぁ」 マリ「ははは、そんな考えもあるかぁ」 私 「で、総務とエレキ委員会でよく話し合った方がいいと思うよ」 ・・・その後、総務委員会とエレキ委員会との話しで要望内容の見直しが進んだ。しかし、 それも「じっくりと議論した」と言えるほどのものではなかった。  試験前一週間となった9月12日からエレキ問題と前夜祭問題についての学年クラス委員 会が昼休みに開かれた。基本的には趣旨を説明して試験後のクラス委員会で討議・決定する ということである。エレキ委員会にも分担して、学年クラス委員会に出るべきだと、アワ ちゃんに話しておいた。しかし、これまでのお知らせも全てアキがつくっており、実質的に はアワちゃんよりも、軽音楽部のアキが中心の様だ。その一日目、総務委員のコイちゃんが 憤然としている。「まったく、エレキ委員会なんて言っても、説明してって言ったら何も言 えない。こちらで全部説明しましたよ」「アワちゃんは?」「いやぁ、今日は来ていないそ うですよ!!」「あれまあ」・・・翌日はアワちゃんも現れて説明した。学年ごとに関心の 持ち様は違うのだが、反応は悪くなかったらしい。終わった後にアワちゃんとアキをつかま えて、今後の話しをする。  「これで試験にはいる。だが、試験後にクラス委員会を開いた時に皆が忘れていたらどう なるだろうか。体育祭前一週間の中でクラス委員会を開くことがどんなに難しいか、わかる かね。試験が終わったら、もう一度、エレキ委員会として何を求めたいのか、全校がそれを 読めばわかる様なお知らせを配って、クラス委員会に意見を持ち寄ってほしいとアピールす ることが必要ではないかな。それは試験が終わってからでよい。しかし、忘れちゃいけない よ」  試験が終わるまでの間に、私がなすべき最大のことは、協議会の開催を生徒が求めた時に 学校側がそれを受け入れる体制をつくることである。企画委員会で、これまでの経過を簡単 に述べて、「校長をふくむ企画委員会で対応すると学校として文書で返答してあるので、申 し入れがあった場合にはお願いしたい」と話した。これについては、すったもんだ・・・を したが、後日の企画委員会で「教頭・生活指導主任・総務主任が対応する」「ただし、内容 としてはいろいろ問題もあり難しい、として生活指導主任から生活指導上の問題について、 総務主任から全般的な問題について話す」「教員会議に報告して意見を求めるかどうかは、 その後に検討する」というものとなった。言い換えれば、この時点で「本年度のエレキ許 可」の可能性はほぼなくなった。しかし、まずは協議会を実現して行く中で、生徒の要求と 意識、運動を高めることができるならば、そこから次への展望が開かれると考えた。  試験が終わると、本校の「行事の季節」が始まる。まず、10日後の体育祭、そしてその 二週間後の学園祭である。体育祭の前は、全校、特に高校2年生は体育祭応援団の中心と なって昼夜をわかたずに準備にとりかかる。その中でアワちゃんも、アキもチアガールとし て参加している。総務からも何人かが応援団に入っている。そんな中でクラス委員会を開き、 要望書をつくることは至難の業であることは予想されたことである。従って、アワちゃんた ちには全校へのアピールは試験が終わった日につくる必要があること等を話しておいた。試 験の終わった9月22日(金)、アキが全校へのアピールを作成した。25日(月)にこれ を配布し、27日(水)にクラス委員会が開かれるのである。  27日のクラス委員会はなんとか定足数を満たして始まった。中学、高校ともに前夜祭問 題とエレキ問題での要望事項について話し合った。前夜祭問題について、高校で紛糾するこ とも予想されたが、意外に「前夜祭なんてやめたら」という意見も出て、あっさりと了解さ れた。中学の方では「前日でないと盛り上がらない」などの意見も出たが、なんとか説得し て了解を得た。さて、エレキ問題では、高校では異論があるはずもない。中学はどう か・・・クラス委員の中にエレキをやりたいという者はいない。しかし「自分たちの学年で も高校生になった時にはやりたいという人がいる。なんとかできるように今年、がんばって ほしい」という意見が中3から出た様である。こうして、クラス委員会が終わった。  「では、要望書をつくってすぐに出さなくちゃだめだよ」・・・その日のうちに私はアワ ちゃんに話した。日程から言って、要望書を出して、協議会を開き、それを教員会議に出し てもらう(教員会議に出せるかどうかは厳しいが・・)とすると、土曜までには要望書を出 さないと厳しい。学園祭前最後の教員会議が10月1日(日)の体育祭を終えた直後の10 月5日(木)なのだ。その日程を話し、アワちゃんもメモをとって帰った。さて、正念場 だ・・・・・・  しかし、要望書は出されなかった。寝る間もないチアガール・応援団の活動の渦の中で、 その渦中にある彼らにとってそれ以上の事をすすめることは出来なかったのである。もはや 彼らを呼んで話す時間もとれないほどの状態であった。しかし、10月1日の体育祭が終 わってからの数日は最後の可能性(協議会への)があった。しかし、探して「アワちゃん は・?」と聞いても、「来ていない」「どうしたのかわからない」との返事しか誰からも 帰って来なかった。  そして、学園祭前最後の教員会議である5日(木)がすぎてから、アキが要望書の案を もってやってきた。「ううむ、会議がもはやない以上、現実的にはあまり意味がなくなって しまう。でも、君たちとして今までやってきた事を完結させるには、これを出すだけでも出 す事は大切だな」と話して、内容上のまとめ方をいくつか話した。この段階でアワちゃんで はなく、アキが直接に私の所に来るようになった事が一つの変化だった。  できあがった要望書をゲンちゃんを通じて出すように話したのが10月9日(月)。その 日の夕方から学園祭本部が設置され、朝から晩まで寝る間のない学園祭準備期間に突入した。 もはやこれまで、というのが実感であった。案の定、この要望書は宙にういてしまった。そ れがわかったのが準備期間最終日の13日、エレキ委員会のメンバーが、「今年はエレキは どうなったのか」と聞きに来た事からであった。そして、結局、要望書が私の手元に出され たのが10月13日(金)、終日準備の最終日・午後だった。もはやどんな機関でも学園祭 までに対応することはできない。「もらうことはもらう。でも、今からでは検討できないこ とはわかるね」と言うしかなかった。  その日にアキがきて悔しそうに話しにきた。私は次のようなことを話した。  「昨年は、高2の一部は熱心にこの問題を考えた。しかし、全校はそんな問題を考えてい ることすら知らなかった。だから、クラス委員会でも突然でわからないとする意見も聞かれ た。今年は、少なくともエレキ委員会の活動は皆が知っている。しかも、高1の生徒も加 わっている。皆につたわり、クラス委員会でも支持する意見が出てきた。とても大きな成果 なんだ。そこから物事を考えていくことが次へのステップだろう。だが、この問題は教師の 物の見方を変えて合意をつくらねば解決しない面を持っている。そこにはなかなかアプロー チすることはできなかったねぇ」  アキが「エレキ委員会を今後も続けて良いのか」と言うので、「それは君たち次第だ。続 ける中から新しい可能性を探るしか打開の道はないよ」と話した。その後、アワちゃんが立 ち寄った時に、ポツリと「時間が遅すぎた」と言ったのが印象的だった。かくて、協議会は 不発に終わった。  ステージ企画の実行委員をしているケンジロウともこの事を仕事をしながら話した。 私「いやぁ、今の規定でよいのかと訴えるには、君らさえやれれば、シンセとか、MIDI を使って、どかーんとデモンストレーションをやってもよかったんだけどねぇ」 ケンジロウ「でも機械がないし・・・」 私「なあに、機械なら用意してやってもよかったんだぜ。そんな話しも前にしたんだけど なぁ」 ケンジロウ「いやぁ、それはもっと早く言ってくれれば・・」 私「ただ、今年の展開では話はそこまですすまなかったかなぁ・・・」 ケンジロウ「そうだねぇ。残念だ」 ・・・・・  有志グループの組織化をすすめながらも、そこへの指導を公的立場での指導とどの様に区 別してすすめるべきであったのか。もっと早い段階で直接的な指導をアキやエレキ委員会に 対して行うことにしていればどうであったか。あるいは、総務委員会そのものでの議論を組 織化する上ではどの様にするべきであったのか、等、改めて課題を残した。
7.ユネスコ委員会と核実験  ユネスコ委員会は、5月から昼休み中心ながらも、毎週、集まりを持ち、関心のある問題 を出し合ってきた。しかし、中1 7名 高2 2名 高3 2名という構成ではでなかな か議論はすすまない。ともあれ、「毒ガス問題」「地雷問題」「プルタブ」などの活動をし よう・・・という話しになっていた。私は「なに、自分の関心のある事を何でもやっていく、 という事でのプラス志向が大切だよ」と言ってあれこれとパリラと話していた。  が、6月末にパリラが「フランスの核実験再開問題」についての報道に大変な関心を持ち 出した。グリーンピースの事について知らないかと言うので、手紙を出して聞いてみたら、 とすすめた。パリラは、グリーンピースに手紙を出して署名用紙をもらってきて、これをや りたい・・と言う雰囲気になってきた。  「署名を集めるのはよいけど、学校内で政治活動をやったらけしからん、と言われた時に 何と言い返すかは、考えておきなよ」「組織としての活動と個人としての活動は区別した方 が良いよ」「足元も固めないとだめだよ」とは折りを見て話した。が、これではどうも今の 世代には難しすぎたようだ。(何を言われているか解らなかったのだろう・・・)教育基本 法8条論、高校生の政治活動論など、私の高校時代までは中学生でも通じたが・・・・  案の定、7月に入ってある日の休み時間にユネスコ委員会から、という事で「核実験中止 の署名について」という題のグリーンピースのビラを半ば写した様な原稿をパリラが持って きた。もらって中を見て、うーむ、と考え、パリラが昼に顔を出した時に、「もう少し考え た方がいいんじゃない」と言ってメモを渡して、取り組み方をもう一度考える様に言った。 彼女自身の行動は、第五福竜丸前でのすわり込み集会に参加したりして発展してきた。高1 の時から毒ガス問題や731部隊の問題を扱った集会にも参加して来たのだから、彼女に とってそんなに飛躍はないのだ。その話は高1の時から聞いていたし、私も自分の関わる環 境・自然保護のローカルネットワークづくりの話しなどを時々、彼女にもしてきた。ただ、 やや感情的にパッションで爆発して一人で突っ走っていく傾向のある彼女に、「事実を知り、 その問題を考えること」と「それを皆に知らせること」を大切にさせたい、生徒会として全 校生徒に開かれた活動を考えさせたい、と考えた。  結局、終業式の日にユネスコ委員会としての「お知らせ」を配布し、その中で署名につい て関心のある人、やってくれる人はパリラまで、と書くことになった。そして、もう少し時 間があれば、写真展をやったりしたら良かったのに、という事から学園祭での企画として取 り組むことになった。具体的には夏休みにはいってから、ビキニ環礁一帯(ロンゲラップ 島)の被爆写真展を開くということで、写真家の事務所と連絡をとり、具体化が進んで行っ た。  10月の学園祭では、ユネスコ委員会はロンゲラップ島の写真展と731部隊のビデオ上 映、市民団体の援助のための絵はがき販売を行った。これも中1が中心で、なかなか大変で あった。特にフランスの核実験についての新聞のコピーを、5月から集めたものは膨大で、 突然に「印刷して欲しい」と言ってきたがとてもすべては印刷できなかった。それでも、3 0種類くらいは印刷したのだが。借りてきた写真展のパネルは一見すると明るい、しかし衝撃 的な写真ばかりで好評であった。数日前にパリラとは、「入り口に太平洋の地図で、ムラロ ア環礁とビキニ諸島の位置がわかるものを展示する」「できたら討論会を行う様に準備す る」という話しをしたのだが、討論会までは手が回らなかった。それでも、「楽しい行事の 学園祭でこうした企画があることに安心しました」という感想もあった。だが、教員で見て 感想を書いてくれたのは数人だけというのが残念であった。絵はがきも順調で二日で100 部を売りつくした。  学園祭の一日目がおわって、パリラと「署名」のことが話題になった。新聞記事で「生徒 会が集めた署名が学校に禁止された」と言うことが報じられていたものがあったことがきっ かけだった。パリラが「うちはどうなんですか」と言うので、「あれ、やらないの?!別に やったらいいよ。写真を見てもらって考えて、賛同してくれる人に署名してもらう。何の問 題もないよ」と話した。彼女の頭には、当然に前の問題のことがあるのだろう。「ただ、前 の時みたいに他団体の署名を扱う時はいろいろな問題がついてまわるという事は、考えた方 が良いよ。一つ一つの団体にはそれぞれの主張があると同時に癖みたいなものもある。僕が 見ても、例えばこのチラシの団体の特徴とかはわかるよ。それは別に悪いことではない。た だ、そうしたことから団体間で対立していたりする場合もあるし、いっしょになれないとい う事が起きることもある。誰が言っても正当なことは正当なんだが、そういう問題を持ち込 まれる事もあるから。」と話すと、思い当たる所があると言う。「相談にのってくれている 人の中に、今回の企画について指図しようという感じで言う人もいて困る」と言うのである。 「だから自分たちが知り、そしてそれをみんなに知ってもらう中でどうやって活動していく か、自分の手で考えていく事が大切だと思うよ」・・・環境保護・自然保護の連絡会の活動 を通じて私自身が痛感した事でもあるのだが、そんなことをしばし交えた議論をかわした。  翌日、会場で写真に見入り、署名用紙を持ち帰る人(自分で集めて、自分で送れる様にし た)、署名する人の姿が会場に見られた。高校生の平和運動、関東近県高校生平和集会など を紹介してみようかと、話しながらご無沙汰している母校のO先生を思いだした。  この取り組みを通じて、パリラは一つの自信をつけた様に感じる。偶然にチラシをもらっ たので紹介してやろうと思った東京の高校生平和集会を、自分で新聞でみつけてちゃっかり と参加してきた。1000人を越える高校生が参加したと、上気しながら話していた。そして今 は、HIV訴訟原告団・川田さんの話しを聞いて、HIV問題の徹底究明を求める署名を持 ち歩いて広げ、署名が100名を越えたと喜んでいた。厚生省への抗議行動にも個人として 参加している。東京の平ゼミにも顔を出しはじめた。どうなることかわからないが、「卒業 まで私は活動する」と冬の合宿では宣言した。  ユネスコ委員会については、写真展の報告集をつくったら・・という話しをしている。次 年度の総務委員になった中1の女子2人、高1の男子1人がユネスコ委員会に参加したメン バーだった。生徒たちが自分の手で、人類的な課題に参加し、グローバルな視点を持った活 動に参加していく輪を、どの様に今後も継続させ、育てていくべきだろうか。
8.学園祭に燃えよ  さて、生徒総会から後のもう一つの山は「学園祭」である。  この数年間、学園祭の企画については、学校として推進してきた「特別教育活動の発表」 でのものが多くを占めてきた。「人間の福祉」「地域」「人権」などの学年別のテーマに 沿った教科外での学習の成果を発表するという事は、それ自体としては大変に意味がある。 例えば、昨年の高2の模擬裁判の取り組み、数年前の鎌倉の三大緑地問題の展示などはなか なかの内容であった。しかし、全体を振り返って言えることは、何を取り組んだとしても問 題はその中身と組織性、創造性だ、という事である。中身が単に模造紙をはるだけのものに なってしまった所、生徒がいろいろとアイディアを出しても「君たちにはそんなことは無理 だ」と担任につぶされた所、学年参加という曖昧な形式で行われて大半の生徒が参加できな かった所、などが事実として多数あった。だから、総務委員達と議論しても、なかなかこう した「特活参加」については厳しい評価があった。創造性に乏しい企画、クラスの全員が 様々な方法で参加できない企画・・・そんなものしか指導できないという現実では、反発す るのが当然となる。そんな中でゲンちゃんたちは少しばかり違った。中2の時の特活と学園 祭への企画はまさにクラスごとの競演となり、達成感のあるものをつくってきた。私にとっ てもこの時の学園祭企画は、まさに教師冥利につきるもので、ナギコも、パリラも、カッ キーも、その時のクラスで担任してよく知ってきた。  しかし、大多数の生徒が満足できないのではどんなすばらしい理念も意味を持たない。と もかく、クラスを大切にすること、クラスでの企画を大切にすることを強化しよう、と彼ら とは春以来議論して来た。教員会議でも「クラス参加を基本とする方向で指導する」ことを 方針として提起し、さらに「学園祭の参加についての指導方針」の中で「全クラスが参加す る様に指導する」ことを会議で決定した。  だが、学園祭の参加申し込みが始まってもなかなか動きはにぶいものがあった。最初に屋 台・娯楽を希望するクラスの申し込みと抽選があり、抽選にもれた場合は、他の企画を考え る・・という予定である。今年はそれと並行して、各学年のクラス委員を集めて、企画につ いての「事前相談会」を行う事にした。クラスでの進め方や企画内容などについて、総務委 員が一緒になって考えるのだ。  高校生について言うと、大半はクラスでの参加をどうしようかと考えている。高2は体育 祭の後である事もあり、全クラスが屋台を希望してた。さらに、高1の3クラスが屋台と娯 楽希望、中3でも2クラスが屋台希望。〜結果として、屋台は定員5クラスに対して9クラ スが希望し、娯楽は定員3クラスに対して1クラスなのでこれは決まり・・・。  しかし、相談会の方ではクラスの悲惨な状態がわかった。中1でも、中2でも、クラス委 員が担任と相談している所は数えるほどしかない。中1で一つのクラスが演劇をやりたいと 班長会で話し合っているのが例外的なもので、他は「屋台・娯楽は中1はしない」等としか 指導されていない。クラスでどうやって考えたらよいのかを担当のコイちゃんが話し、企画 読本も見せて議論もした。中でも中2の総務委員のコックンのクラスではコックンと委員と で、土曜日に生徒会室で遅くまでどうしようかと話してた。  中3の相談会での事、野活キャンプ講習会にも参加したヤッちゃんが来て、「うちのクラ スは学園祭に参加できないかも知れない」と言う。聞けば、「屋台に出たいとクラスで話し たが、男子がめんどうなのは嫌だ、と反対が多数でだめになった。クラスで参加するのも嫌 だ、何もしたくない、と言っている。担任はそれを見ていても何も言ってくれない」と言う。 このクラスには授業で行っているが、4月、5月、6月と進むに連れてだんだん授業がやり にくくなる。生徒が言うには、カミさまがいて何でも神託で決める・・と言う。娯楽の欠員 がある事を話して、追加募集に出るかどうかを聞くと、「でたいが、うちのクラスではだめ だ。こんなならもう研修旅行も行きたくない」と言う。かなり悲惨な状況である。  このクラスには総務のオダがいる。学年の相談会には来る様に話してあり、もちろんいる ので、オダをつめることにした。 「なぁ、男子はどうなんだ。何が関心あるのかね」「いやぁ、何も関心無いみたいです よ」・・・実はかき回しているグループとも彼はけっこう近いし人間関係がある。「しかし、 だ。中3の今にクラスでみんなで取り組めなかったらいったいどうなるのかね。そのまま高 校まで行っても、君たちの学年はバラバラで何もできないで終わってしまうぞ」「うー む。」「なんとか男子を説得できないのかね」「いやぁ・・・。」  聞けばもう一人の総務のハシは「クラスでなんかやりたくない」と言っているという。そ れと言うのも、ハシは最初から担任に反発していたからだ。「なぜ、そうなんだ」 「えーっ・・・(そんなことわかっているじゃない・・)」「まぁ、理由はわかるがだから と言ってそれでクラスを見捨ててどうするよ。自分のクラス、自分の学年だろう」・・・  その後も、ヤッちゃんとオダと1時間もあれこれと議論を続け、「明日が娯楽の追加募集 期限だから、今日のうちに電話で根回しをしてから、なんとか多数をとりなさい」と言って 夕暮れに分かれた。  翌日の屋台の抽選会は、なかなか壮絶となった。阿弥陀くじを引いたら高2の4クラスだ けがはずれた。担任から「おい、抽選にはずれたらどうするんだい」と指導されていたC組 だけは「屋台にはずれたら娯楽に希望する」事をクラスで確認してきており、これに乗り換 えたが、高2の他のクラスは呆然としている。で、抽選会の終わりに昨日の中3のクラス担 任が「娯楽申込書」を持ってた。・・・おやっ、なんとか説き伏せたか・・・。  後で聞いてみると、オダ、クラス委員などで打ち合わせて「必ず参加しなければならない ことになっている。クラスでやらないなら、自由参加で劇をやることにして、全員でてもら う。娯楽とどちらがよいのか」・・・とまぁ、強引にかつ規定とは違うことも言ったらしい。 男子にも「おい、女子が怒っているぞ」とオダが話しておいたようだ。もっとも、総務のハ シは最後まで「自由参加がよい、クラスでは嫌だ」と言っていたらしい。  10月11日(水)朝7時、総務委員達が集まってくる。今日から学園祭終日準備期間。 7時半に実行委員会幹部の打ち合わせがはじまるのでその前に生徒会室に集まってその日の 打ち合わせをする。しかし、開会式の担当となったオダは来ない。開会式について、セレモ ニーとして盛り上げようという事の話しを私が再度持ち出したのは9月の初めだった。「学 園祭は最初と最後が大切だ」という関東ブロでの指摘から、今年の学園祭指導方針の中で 「開会セレモニーを行う」という事を指導目標としてあげていた。そして、「光と音が鍵 だ」という夏の高生研大会での話しを聞いて、ふうむ、これだ・・・と思ったのだ。  で、9月はじめに総務に話しを持っていった。ゲンちゃんは「じゃぁ、コイちゃんとオダ を担当にしよう」と言うのでその様になった。しかし、コイちゃんは参加団体をとりまとめ るのでとてもそれどころではない。一方オダは劇の様な構成を考えたが、あまり内容がにつ まらない。そこで、「全員に今までの中で印象に残ったことを書いてもらえ」と話した。そ れで考えてくる・・と言うことで今日は台本案を持ってくることになっていたのだ。  後になって現れたオダに聞くと、つまってしまう。みんなに書いてもらったものも持って いない・・・どうやら台本案をつくってみたものの、他の総務からけちょんけちょんに言わ れてしまって、頭にきて投げてしまったらしい。さらに、悪いことに体育館の放送施設が体 育祭の練習の初日に壊れたまま直らない。特にワイヤレスは10月末まではだめだというの である。元々ひどい音響施設である。青空ステージで借りた音響を持っていくつもりだった。 しかし、それも移設ができるような代物ではなかった。前年まで借りいていたものならば、 移設しても調整可能であった。しかし、今回のものは無理そうである。  結局、今までの開会式を少しだけ脚色することで妥協することにするしかないな、と考え た。オダには、なぜ開会式が必要なのかを改めて話し、その案を見せると、これで解放され る・・・と言う感じで、ホッとしたようだ。これでよいと言うので、13日の実行委員会に 出した。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 開会式の大要 ト 幕が下りている。太鼓をたたき、ドンガドンカドン!!と強く打ってなり終わると同時 に幕があく。実行委員長が中央にいてスポット。壇上には総務委員と幹部が並んで立つ。 実行委員長 これより第45回学園祭を開会します。・・・この日を迎えることができたの は、ここにいる実行委員会幹部や総務委員のみんなの協力があったからです。その一人一人 から一言を話してもらいます。 各責任者が一言だけ、アピールする。  例 アイス 今年はアイスをイタリアンジェラードにかえました。楽しみに来て下さい。    会計  今年は混雑の解消をめざしてレジを4階にもつくりました。来て下さい。    など工夫した点、アピールしたいことを言う。 ト スポットに加えて全体が照らされる。 総務委員長 安田のあいさつ ト その後、全体でなにかをする。  幕がいったんとじる 校長挨拶 その後 連絡 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  結局開会式はこれだけのものになった。しかし、場内を暗くして幕を下ろし、太鼓の音が 響くと会場は静まり返った。責任者があいさつすると歓声や拍手がわいた。壇上でエイエイ オーとやると拍手がひときわ高まった。わずかな演出であったが、雰囲気は一変したと言っ てもよかった。何よりも実行委員会幹部と総務委員にとっては、襟を正し、この学園祭の中 心を担うのは自分たちなのだ、と自覚した開会式であった。  そして、壇上に立つ誇らしさを自覚した彼らは、片づけの日の朝、最後に全員で舞台に 立って、ゲンちゃんの合図で一本締めをやる。フロアーからも応じて、拍手につつまれた時、 彼らの学園祭が終わった。しかし、返す返す残念なのはオダとそのプランをうまく活かせな かったことである。  さて、今年の学園祭は「いっちょやるか、とことん学祭」というテーマで10月14・1 5日の両日にわたって行なわれた。それに向けては、体育の日で休みとなっている10月1 0日から実質的には4日間の準備期間がとれるのだが、始まって見ると運営経験の少ないメ ンバーには大変な事ばかりの学園祭であった。  まずは実行委員会の中で高校2年生が必ずしも中心になれなかった。高2の実行委員はほ とんどが男子で、その大半が青空ステージづくりしかやりたくない・・・と言う。要するに 運営の中心として委員になった者がほとんどいなかったのである。その結果、中学生だけで プログラムをつくったりするはめになった。それでも、中3のシンヤなどジュース・アイスの 責任者だけではなく、全校の前で点呼の司会をしても平然と対応できる人材がいたので救わ れたのであるが。・・・今年は経験がないだけ、とことんつきあわないと運営できないだろ うなぁ、という予想は生徒の動き方から見て予想できた。  さて、9月の初めには実行委員会・幹部会が機能化しない状況であったのだが、10月に 入ってからようやく幹部会がそれらしくなってきた。それでもステージの責任者のホソヤと ステージ企画のコックンの二人は朝・帰りのミーティングになかなか参加しない。これまでの経 過の中に加わっていないので、自分の所をこなせば良い、と言う風な部分が強いのだろうか。 10月9日に本部を設営してから、終日準備期間は朝7時半と帰りの点呼後に必ずミーティング を行ってその日の動きと翌日の動きを打ち合わせる。その中で、ようやく委員長のキクチが 進行をやる事になったが、実際の運営はやはり書記のフジイくん中心に動いている様だ。彼 は毎日の記録をとり、運営の細かい点を手配している。キクチがすっかり自分のオリエン テーリングと遊び?!にいなくなってしまう中で、彼は今まで何の委員もやっていない感じ であったのだが、すっかり「影の委員長」と呼ばれる存在になっていった。ゴミの回収計画、 本部詰めの配置、など実務を着実にすすめていく彼は「こんなに学校にいたことははじめて だ」と言っていた。  物をつくる仕事であるステージ、アーチなどはメンバーの姿勢次第で毎年のできはかわる。 今年の場合はアーチの責任者のモウギが合宿に「近くだから行くわ」と参加して以来、一貫 して全体の運営を支える存在になってきた。後日彼は「中一の時から久しぶりにやってみよ うか、ということで一生懸命やったなぁ」「やっぱり、今年は最後だし、クラスで担任と衝 突するよりも実行委員の方がよかったからなぁ」と話している。しかし、もう一つの難物は 総務委員会のつくった巨大迷路であった。ゴウが言い出して作ることになったのだが、彼は 前年までは実行委員だったので終日準備期間になると総務委員には運営上の仕事があるとい うことが頭になかったようだ。20人で作業できるどころか、良くてもかかわれるのが数人 しかいない。遅々として進まず、暗くなって人が集まってくると、もう下校時間である。し かも、まだ人手があった10日あたりは「迷路の途中でクイズとペットボトル・ロケットを 使ったゲームを入れたい・・」と言って、ちょっと仕事をするとペットボトルを飛ばすのに 夢中になっている。11日が終わった段階では、「これはだめかな」という感じであった。 ゴウには、冗談めかして「ううむ、完成しなかったら、この木材セットをそっくりお買いあ げいただこうか。料金着払いで送るわ」等と言いつつ、どうしたものかと考えていた。完成 しなくても運営できないという物ではない。さて、しかしどうしものか・・。翌日の12日 になってもあまり仕事は進んでいない。ゴウもさすがに参っていた様である。アーチも注文 した木材の寸法が違っていたために半日ほど作業が遅れている。そして、明日は準備の最終 日〜他の団体も残っているとなると、「こんなに生徒を遅くまでやらせるのか」「全体を帰 らせろ」「だいたい学園祭なんかあるから行けない」うんぬん・・・という話しもでてくる だろう。ううむ・・・。  その日、夕方からアーチが組み立てた骨組みをとりつける作業をはじめた。これにベニヤ を打ちつける所までははじめると終えない限りは放置できない仕事である。あたりを見ると ほとんど教員は残っていない。教頭に「後は実行委員会関係だけですから・・」と言ってし ばらく様子を見ると、ほどなく誰もいなくなった。ゴウには7時までにあがれ・・・と言っ ておいて、様子をみて、これは今日はとことんやらせてやろう・・・と腹をくくった。明日 は当日の運営を考えさせねばならないのだから、今日がベストだ。  実行委員会を担当するカオル先生は家で用事があると言うことなので、差し入れを買って きてもらって帰ってもらった。「おおい、肉体労働者諸君!!差し入れだ、まぁ、とことん 今日はやろうや」と声をかけて配ってまわった。・・・アーチの作業にめどがついて、迷路 も暗闇の中で懐中電灯をともしての作業を続け、片づけて学校を出たのは10時すぎであっ た。しかし、この数時間の結果、アーチも巨大迷路もなんとか翌日の夕方までには完成にこ ぎつけた。  運営部門で問題を多くかかえたのは「屋台・娯楽」である。この担当の総務委員のサバ ちゃんは、夏休みに外国にホームステイに行くというので、「全体でまとめて頼んだ方がよ い」と言っておいて用具のレンタルなどをクラスにまかせてしまった。案の定、予算がはっ きりとしてこない。前年に担当したハラちゃんは自分で屋台の責任者をやったことがあった のだが、サバちゃんの場合は金魚すくいの責任者しかやったことはない。価格をどうつけた ら良いのか、等がどうしてもまとめきれない。さらには屋台・娯楽の責任者会議を招集する のだが告示をはるだけなので、来ないクラスもある。9月末の段階で私が直接にはいって、 一緒に価格と準備金の計画を決めた。  屋台・娯楽について、本校では昨年から指定枠の数だけクラスでできる事にした。その際、 各クラスは屋台で一人千円、娯楽で一人五百円を「準備金」という名目で出し、準備金の一 切は生徒会が出して、決算の後に採算がとれた場合はそのまま返金するが、赤字の場合はそ の分を差し引いて返すことにしている。しかし、クラスによってはなかなかこの「準備金」 を集められない。終日準備の直前になっても持ってこないクラスがある、直接に言おう か・・・とサバちゃんがあわてているので、「大事な事は何だ」とつめた。「えっ?!」 「別に金が必要なんではない。大事なことはクラスが準備金を集めるという行動を通じて、 どこに取り組みの上での問題や課題があるかを見つけることだろう。金を持ってこない奴に 説得すること、ちゃんと集めること・・事を通じてクラスの中での問題をみつけ当日もちゃ んとできる様になっていくことが大切なんだ。君があわてる必要はない。担当者として、そ のクラスに対して、こまりますちゃんとできるんですか、と話してつめて問題に取り組む様 にさせることが大切なんだ。」と話した。その後もサバちゃんはしばしばパニックに陥って、 中3のリョウコちゃんに「先輩、だめなんだから」とやられていた。その後も何度か「落ち つけ」と叱り、つめる事があった。しばしば「もうやるもんか」と言っていたらしいが、最 後はこちらが気がつかなかった準備金の不交付を見つけ出して、きちんと説明してこうして くれ・・と言うようになった。そして、学園祭が終わったら「あたし成長したかしら」と言 い、「来年も総務委員を頑張るんだ」と決心していた。サバちゃんのこうした変化の中で、 屋台・娯楽の責任者達も低価格におさえた中でどうやって赤字を防ぐか、クラスでどうやっ てきちんと取り組むか、に頭を痛めた。「屋台ってもっと簡単で楽しいと思っていた。い やぁ大変だった。」という責任者の感想があちこちから聞かれたこと、後でサバちゃんに 「先輩かがんばっている姿をみてがんばれました」と手紙が届いたらしいこと等が貴重な成 果を示している。  しかし、生徒だけを相手にしているならば教員もこんなに楽しいことはない。ある日、門 の前で「学園祭実行委員の服装がひどい」と言われて、「作業着は認めていますが、点呼の 時、全体の前に立つ時はきちんとする様に指導しています」と言うと、「いや、注意しても 言うことを聞かない」と言う。・・・朝・帰りの点呼の時にステージの前に立つ者には「幹 部として人前に立つという事は、君個人が立つのではないという事だ」と話してきた。生徒 自身がやがて自分たちで言うようになって、きちんとしているのに、それを会場に入らずに 見てもいないのだ。怒鳴ることが指導ではない。誇りを持たせることがこの場合の最も重要 な指導である。開会式の時にステージに立った幹部と総務達は、ゲンちゃんの音頭で学生服 のホックまで止めていたのも、中など見たくないのだろうか、知らない様だ。点呼後に機材 の調整のために音を出すと、「点呼後まで流すのか」など、さっそくの苦情である。およそ、 学校とはこんな社会なのだと割り切るしかないのだろう。  全体として学園祭への準備はなんとか進んでいった。進行上の最後の問題は後夜祭の フォークダンスだ。しかし、これは実行委員がほとんど中学生、高校2年生が男子が多くて 乗り気にならないなど、厳しそうだった。学年ごとの練習、中学生のクラスごとの練習はな んとか幹部の協力でやってきたが、クラス委員の協力がほとんどみられない。案の定、責任 者のヒルタも一応やればよい・・と言う認識しかないようで、これはほとんどの学年が踊れ ずに終わった。中3が「ええ、もう終わるの・・・」と文句を言い、「来年は踊りたい」と 言っていたのが唯一の救いではあるが・・・。  その他の実行委員会の各分野は次のような具合であった。  (1)ステージ企画 コックン、ケンジロウが中心だが去年のスタッフが全員集まっているの で企画内容はともかく、運営はスムースである。青空ステージで一日、がんばっている。音 がうるさいと文句をいわれつつだが。  (2)チャリティバザー 3/4は経験者。寄贈品と施設の委託販売品を扱っている。気に入 ると毎年実行委員になる人が多い。今年も例年なみに大変だ。  (3)ジュース・アイス 売り屋さんである。中3が責任者なのだが、シンヤさんがんばって いる。今年は教員の見張りはいらない・・というのではずした。垂れ幕も作ったが、これに は放火されるという事件も起きた。彼女は次年度の総務委員となった。  (4)装飾 中3の女子が責任者である。先輩にも物を頼むというので緊張してやっていたが、 夏休みから着々とすすめていた。  (5)オリエンテーリング キクチが担当である。しかし中1が多くて、係長が先を考えてい ないとなかなか準備としては進まないようだ。  (6)ドーナツ バリラの妹で中3が担当だ。これが連絡がきちんとしていなかったために、 数日前に「ドーナツを持ってきてくれない」という事でだめになる。学校パンを扱っている 業者が持ってきてくれる事になったが・・・・。  (7)会計 総務のマリが担当である。今年はレジを二つの場所にした。人手が足らずに地獄 の様な状態であった。  (8)プロ  中3が責任者で中1だけの委員という事で、何もわからずに大変であった。 訂正版の訂正版をつくったりするはめにもなった。しかし、その責任者は幹部としては充実 したらしく、後期は合唱コンクール実行委員長(中学)、そして次年度の総務委員になって いる。    そして、片づけの日。例年は昼過ぎには完了する。しかし・・・そうあの巨大迷路の解体 が待っていたのだ。明日からコートの工事をするので、何がなんでも撤去しなくてはならな い、と事務所からは今日になって言われた。しかも、ベニヤ、ビスをすべて回収するという 途方もない事をゴウたちは言っている。朝の段階では、「夕方5時に反省会をやろう」とぶ ちあげたが、案の定、他の片づけが終わっても完了のめどはたたない。ついに準備の時はつ かわなかった夜間照明をつけての一大作業がはじまった。7時過ぎ、何人かが用事があって 帰る。反省会のための差し入れが臭う中、でも「これは最後までやった人でみんなで食べる のだ」と非情にも言う。やがて総務のコイちゃんたちが「総動員令ですよ」とぶっそうな事 を言い、本部にいた者をみなかき集める。総務も実行委員会幹部もこうなっては区別はない。 夜8時半、バレーコートに掃除機までかけて解体・清掃作業・ビスなどの仕わけ・木材の収納、 本部の片づけが終わった。本部に集まって反省会・・・各自の感想のスピーチと拍手、最後 は記念撮影にポスターの残りへの寄せ書き・・・と疲れもあってテンション高く続いていっ た。片づけで異様にもりあがった学園祭は、今年が初めてのように思う。そう考えると、 「とことん学祭」のテーマに、この巨大迷路は合致していたのかな、とも思う。この時、確 かに彼らには「自分たちでとことんやった」と言えるものがあったのだろう。  スピーチの番が来て「今年の学園祭はどうなることか、と正直思った。しかし、今年はみ んなでがんばったという年だった。片づけのこの時間にこんなにも多くで反省会をする・・ という事は今まで知っている中ではなかった。また一年間、がんばって来年はより盛大にし てほしい」と言うような事を話した。  後期が始まって、面談・説明会と会議が開けない日々がしばらく続いた。しかし、総括が 問題である。体育祭実行委員会を指導したモッチャンには、総括こそが次への財産だという 事で幹部会への指導をすすめてもらった。そこでいくつかの総括がでてきたが、これを学園 祭実行委員会の幹部にも見せた。彼らに話したのは「君たちは、勝手に学園祭をやったので はない。方針を提案して、みんなで決めてやったのだ。だから、どうだったのかをみんなに 総括して示さねばならない。また来年、同じ事を失敗しないためにもそれが必要だろう」と いう事だった。  どの程度できるのか・・・と考えていたが、今は心配は「こんなにたくさんあって、どう やってこれを印刷・製本しようか」ということにかわった。幹部会での議論で、実行委員選 出のあり方、運営上の問題なども掘り起こして行くことができた。いくつかの係長が総括を 出していないこと、そしてあまりに膨大な総括集をどうやって出版しようか・・・これが目 下の頭の痛いところである。
9.修正案が通った・・・  後期にはいって、1月の合唱コンクール実行委員会が組織されることになった。この行事 は中学・高校が分離している唯一の行事である。生徒会指導委員会では、この特徴をいかし て、実行委員会も完全に分離して原案決定のための中学・高校独自の総会を開催する、中学 3年生の役割を追求する・・という指導方針を10月の教員会議で示した。ゲンちゃんにそ の話しを提起すると、彼も賛同してくれた。しかし、中学3年の総務委員がいま一つ、活発 でないのが気がかりだった。  11月の研修旅行で中3、高2いない期間をはさんで、中学・高校共に原案づくりが進ん でいった。原案の特徴は次のような事であった。  中学 初めて学年別の一位制度、課題曲・自由曲の二曲を歌うものとする、など教員側で は最大限の目標としていた内容が生徒たちの意見として出されて盛り込まれた。  高校 自分のクラスだけが勝てばよいのではない合唱という事で、みんなで楽しむ事ので きる合唱コンクールへ向けたいくつかの工夫が盛り込まれた。  12月の試験をはさんで、試験後の水曜日・6時間目にに中高別々の生徒総会を予定する ことができた。高校は平穏に終わるだろう。しかし、中学ではどうだろうか・・・。生徒た ちの話しでは、「課題曲と両方は大変だから嫌だ」という意見が出ているらしい。それも合 唱をよく知っている生徒ほど原案を理解し、そうでない生徒の方が「二つも大変だ」と言う らしい。  月曜日の放課後にクラス委員会が開かれた。クラスからの意見を順に報告させていったが、 中3Cのクラス委員から「課題曲はいらないのではないか」という意見が出たとの報告が出 された。さて、これをどうするか・・・である。その場で議論させたが、半々に別れていた。 クラスでこうした事を話し合った所はほとんどないのが現実である。 「事前にクラスで話し合っていないのだから、君たちだけで決めるわけにはいかないだろう。 そこでクラス委員会の中から総会に修正案を出して提案してくれる人を決めてもらったどう かな。そして、全体で議論して決めたらよいのではないかな。君たちだけで勝手に決めたと 言われたら嫌だろう・・・」  誰がなるか、もめた末に、M3CのKさんM3EのSさんが提案者となる事になった。対 する原案側の見解表明をオダがやり、擁護する発言者もM3AのEさん、そして決定は総会 の場で皆で決める・・という事に指導していった。  実はKさんは自分では「課題曲があったほうがよい」と考えていたらしい。しかし、クラ スでの意見を言わねばならない事から、総会での提案者になってしまった。さあ、大変であ る。両方に対して、どの様に修正案をつくるのか、どうやって原案を主張するのかを指導し ていった。KさんとSさんは、いよいよ必死で原稿をつくり総会に望む準備をしていた。だ が、オダの方はあまり乗り気でない。彼はクラスや学年の前に出ても支持されない自分を感 じるだけの様である。そもそも学園祭後になると中3の総務委員の多くが「もうおしまいで はないか」と言う感じになってきたのだ。彼らに何をポイントとして語るべきかを示したが、 「原案がとおるに決まっている」と考えていたふしもあった。議長団には原稿をつくり、事 前に進め方を念入りに教えた。  中学生だけの10数年ぶりの総会は水曜の6時間目にはじまった。原案の説明の後に修正 案の提案、原案提案者の見解・・・と進んでいった。だが、弁論はKさんの圧勝であった。 「時間が無くてはよいものができない。二曲は無理だ」「決められた曲では歌う気持ちにな りにくい」等「寝ないで考えた」というだけの事はある。オダは、モソモソ・・・前日も打 ち合わせをしようと思ったらさっさと帰ってしまった。ううむ・・・これはアカン。頼みの Eさんは、・・・・発言すべき時になっても出てこなかった。アリャァ・・・。発言者はな し。最後に修正案・原案側のコメントを一言ずつ・・・しかし、オダが言うとブーイングが 起こった。  採決は・・・言うまでもなく8割以上の賛成で修正案が可決されてしまった。大きな歓声 かあがった。この後、オダの落ち込み様は大変なものであった。  総会では続いて「学年での順位を何位まで発表するか」について、総会での採決での選択 を行った。これは意外な事に、「学年5位まで」(びりまで)が圧倒的な支持を集めた。最 後に原案全体の採決・・・しかし、この事の意味がわからない生徒が多い様だ。私がマイク を持って説明する。・・・こうして波乱含みの総会が終わった。  原案の持つ意味を主張できる発言が出なかったことが、一つの到達点を示している。学年 の前で語れる総務委員、中学生をどう総務として鍛えるか・・・などの課題も明確になった。 だが、教員側として指導したい内容が通らなかったとしても、原案を修正できる事を教えた 事は意味があったのかも知れない。
10.新総務委員選挙と生徒会合宿  11月から新総務委員選挙をいつにするかが、大きた課題となっていた。新高2の中では 現職全員とユネスコ委員会の男子一人が出ると言う。しかし、彼と残りのメンバーはなかな か一緒に話せない関係である。「あいつがやるなら嫌だ」とも言われている。ゲンちゃんは 気になって、研修旅行先からFAXで手紙を送って来て、「よく話し合って、仲良くやるこ とだ」と気遣っている。やがて彼らの中で一定の合意が生まれた。  他の学年の方がもっと大変だった。中1、3名中1名のみ、中2 4名中2名のみ、中3、 4名中1名のみ・・・。中学生が全滅に近いのだ。今年の運営では実行委員会にも結集する 高校生が増えたが、しかし逆に言うと中学生総務委員の役割はいっそうあいまいになったの かも知れない。学年会にも検討をお願いし、中1ではユネスコ委員会の二人、中2は現職の 友達1人、中3では学園祭実行委員会幹部2人と他一人が立候補してきた。こうして、12 月の試験後に選挙が行われ、全員が信任された。  そんな11月にゲンちゃんが「冬休みに引き継ぎの合宿をしたい」と言ってきた。「今年 をふりかえって新しい一年への課題や方針を考えたい・・」というのである。「ウウ ム・・・。年末かぁ・・・つらいなぁ・・・」と思いつつ、「コイちゃんと話してみなよ」 (コイちゃんが委員長候補だったのだ)と話した。すると彼もやりたいと言う。・・ウウム、 これは腹をくくるしかないな・・・。場所は、足柄ふれあいの村、12月25日・26日と 決まった。  選挙が遅かったことなどもあり、参加者は高2が4名、高1が2名、中2が1名、中1が 2名で総計9名とやや小さい合宿となった。内容をどうするか・・・そんな話しをしたい数 日間、私も風邪で休んだりした。しかし、ゲンちゃんが今年の年間方針と今年を振り返って の文を用意してきており、合宿はそれをベースに進んでいった。 ・・・・  「このままではダメだと思うんだ。もっと、根本から変えなくては。なんか、みんなでや るという事に対して無関心な奴が増えていると思うんだ。もっと中学生の時に、みんなで作 り上げることの楽しさを知らなくては。クラスで取り組むことができ、学年で協力すること が出来、そして全校で力をあわせることができるんじゃないかな。これを生徒会としてどう すすめていくのか、それが大切だと思うんだ」 ・・・・  ゲンちゃんはこう話し、そして年間活動の全般について、全校の各学年の状況について、 意見を出し合った。夜は肝だめしをしたり、あれこれと語り、翌日も会議は続いた。行事を どうしたいかだけではなく、全校生徒集団の状況を考え議論する総務委員会へと、ようやく 視野が広がってきた。私は、「それは実は昨年からもあった問題だったのだろう。けれども、 行事の運営にあくせくだけしていた時には見えなかった問題なのではないか。問題を発見し たということの中にも、今年一年間の進歩があるのではないかな」と話した。  ゲンちゃんたちの任期もあと僅かである。しかし、彼にとってこの学校が「自分の学校」 であり、「自分たちの生徒会」であることは確かな様だ。長いが早い一年間だった。
99.参加と自治をめざした一年を振り返って  この一年間、特に春に夏の大会の基調報告の構想をうかがう機会があってから、「参加と 自治」というテーマを常に念頭において実践をすすめてきました。  ここで言う「参加」とは、様々な意味合いでの「参加」を示しています。それはまず、全 校生徒にかかわる内容の「決定」を全校生徒が参加して決めるという意味です。この点では、 単に形式的に全校で決定を行っても、討議・決定になれていない集団は、「どうせ決まって いる」ととらえてしまうか、「決められているのは嫌だ」と機械的に反発するかのどちらか になりやすいのではないでしょうか。だから、あえて今年の実践の中では「イエス」OR 「ノー」だけではなく、「あれか、これか」を全校が直接に選ぶ機会をつくりだそうとしま した。そのために中間代議機関を「意見を集約する」と共に「全校での論点を作り出すため の土台」としたいと考えました。到達点はまだ、いわば「衆愚政治」にとどまっているのか もしれません。だが、それでも少数の「賢人」が決めてしまうよりはその方がましではない でしょうか。大人達もまた、政治に参加できないいらだちをかかえながら、都知事選での 「青島」現象とその後の知事の変貌に「参加」としての選挙の虚しさを感じているのが現実 なのですから。  二番目の「参加」は、学校への生徒代表の参加と意見表明です。エレキ問題での企画委員 会との協議会をめざした取り組みが今年の場合はこれにあたります。生徒が学校に対して意 見を表明する自由を持つことで、生徒会に生徒が参加する意味を見いだす様にしよう、とい う事です。途中で挫折した形で終わってしまいましてが、来年への動きもまた地下から徐々 に広がって行く展望が最近少しだけ見えてきています。  三番目の「参加」は、生徒会活動への生徒の参加です。この点では、まず実行委員会とし ての活動を単なる「実施役」から「共に企画し全校に提案し、実施・運営する」ものにしよ うとしています。そして、さらに「有志」としての生徒の参加です。エレキ委員会に集まっ た生徒の多くはそれまで生徒会活動、委員会などに参加したことがない生徒たちでした。生 徒たちが校内で何かをしたい時に、それができる土台をつくる役割を生徒会が持つようにし たいと考えました。実行委員会については幹部中心にとどまったかも知れませんが、確実に 結集する生徒の層は広がりました。ただ、中学生が参加できる活動をどう保障していくのか、 という事がもう一つの大きな課題として残っています。中学・高校一貫教育の「負の側面」 がそこに明確に現れている、という事でもありましょう。  四番目の「参加」は生徒たちの社会とグローバルな課題への参加です。ユネスコ委員会の 活動がこれにあたります。人類的な課題に生徒たちが参加していく場面としての生徒会の活 動をなんとか足場だけでもつくることができました。そして、それを担う意志を持つ生徒た ちが総務委員となったことで、次年度への継続の展望も見えてきました。  だが、いま振り返ってみて、いくつもの新しい課題につきあたっている事を実感せざるを 得なません。ゲンちゃんが合宿で語ったように、生徒が参加するクラスづくり、生徒が中心 となってつくれる学年づくり〜そうした中でこそ全校の参加と自治を真に担う事の出来る生 徒集団が生まれてくるのではないか、という事がその第一点です。そうした事を下からの運 動としていかにすすめ広げるか、という事は私たち自身の課題でしょう。さらに、生徒会活 動の指導の問題としては、有志の活動と執行部の関係、生徒会顧問と有志グループとの関係 などが考えるべき現実的なテーマとして残っています。  生徒が議論しあうことのできる生徒会、生徒と教師、そして親がとことん議論しながら豊 かな生活を創造できる学校、生徒たちがグローバルな視点で自ら考え行動できる様になる学 校〜そんな学校への道はまだまだ先が長いようです。