今年のお題

「あと一カ月で地球と人類が破滅してしまうとしたら、最後の野外活動としてどんな場所に行って、どんなことをしたいか」

顧問 熊野谿 寛

 我ながら、なんとも物騒なお題を思いついたものだ。しかし、こう災害ばかり続くとノアの箱舟とか、終末とかを思い出してしまう。自然もだが、社会の方も「改ざん」「忖度」「水増し」等々、「こんなの終わっている」という話ばかりじゃないか。それに、この一年、忙しく、さらにいろいろあって、さっぱり山にも行けなかった。そこから「最後に行くとしたら…」という想像がむらむらと湧いてきた、という事になりそうだ。

 もっとも、「あと一か月」とかと分かっていたら難しくない。実際には、いつ死ぬのかは誰もわからないし、明日という日が自分に来るかどうだって本当の所は不確定。「死はあらゆる瞬間に可能的である」とハイデガーみたいに考えるのは、我々凡人にはなかなかできることではない。

 さて、そこで「あと一か月」と区切ってみたのだが、問題はその季節だ。私にとっての最悪は、この一カ月が「夏」で終わってしまうことだ。ともかく暑いのは嫌だ。夏だったら、きっと南半球に行くか、雪線より上に行く事でしか最後の活動は楽しめないだろう。なんとかヨーロッパアルプスに行って、ビッツ・ベルニナをめざし、ヘルマン・ブールをして「アルプスで最も勇壮で美しい」と言わせたビオンカグアータの雪稜から登るのが、自分の力量を考えたら良いだろうなぁ。

 その一カ月が冬だったら、きっと私は八ヶ岳山麓にこもる。残された毎日、氷や雪稜を登りたい。何度か登ったルートでもよい、ただ毎日に充実した日々が送れるに違いない。そして、春なら北アルプスにきっと向かうだろう。残雪の山ほど素晴らしい世界はそうはない。そうだ、奥志賀高原の山には山スキーで一度はいっておこう。秋だったらなかなか悩ましい。そうだな、奥秩父の沢を歩いてビバーク地で焚火でもしてきたいなぁ。後は晩秋の奥多摩で星でもながめるか。

 人は、いつかは死ぬものだ。それがいつかになるかはわからない。今、やりたいことをしないと、人生を後悔して終わることになりそうだ。自分のしたいことに貪欲に生きたい。私はそう考える「我儘おやじ」である。