■リコーダー研究会30年間のあゆみ]
1970.2《リコーダー研究会誕生》リコ研が誕生したのは、メンバーが田
園調布高校の1年の時。素朴な笛になんとなくひかれて集まった6人であった。
そしてほとんど毎日、放課後集ま⊃て笛を吹いていた。この頃から名前が良くな
い。グルーブ名がほしいという声があったが、良い名が見つからず、いまだに「
リコ研」である
1971《ぽろにあ祭と編曲プーム》当時、リコーダー・アンサンブルの楽譜
は、国内版はほとんど無く輸入版にたよっていた。そこで、バッハのオルガン曲
をリコーダーで吹こうと、フーガの編曲を次々におこない高校の文化祭「ぽろに
あ祭」でも演秦した。
1972.3《卒業そして…》高校生活の中で生まれ、育った「リコ研」ゆえ
に、高校卒業というのは解散か存続かという岐路であった。ここで、我々は続け
ることを決め、リコ研を暖かく見てくれていた人たちとのコミュ二ケーションの
手段として「リコ研会報」を発行。まだワープロのない時代にガリ版で5年間に
300頁。よく作ったものである。
1974.《チェンバロ登場》リコーダーは、15〜18世紀のものであるか
ら、これに合う当時の鍵盤楽器はビアノでなくチェンバロである。このチェンバ
ロに挑戦しようと福岳が先生を探し、テェンバロを制作してくれる人を見つけた
。
1976〜《社会人となって》メンバーも就職・結婚と各方面で忙しくなり、
リコーダーに注ぎ込める時問は少なくなった。でも、ときどき集まって笛を吹き
そして酒を飲むというのは、憩のひとときであリ、年に2〜3回のペースではあ
ったが途切れることなく続いた。
1980.3《10周年記念演秦会》もともと自分たちがアンサンブルをする
のが楽しくてやっていたものであリ、「個人練習なし」が暗黙の了解となってい
る「リコ研」であったが、10周年という節目にあらたまった会場でコンサート
をやろうということになった。その会場は、「イギリス館」であった。
1990.5《20周年記念演秦会》10周年を終えた時は、リコ研の活動も これで最後かなという気持ちであったが、その後も10年間なんとか活動を継続
し、世田谷区深沢区民センターで20周年記念演奏会を開催。
1995.5《25周年記念演奏会》夫婦なら銀婚式にあたる25周年の年が
近づくにつれて話が盛り上がり、10周年と同じイギリス館で25周年コンサー
トを開催。
2000.10《30周年記念演奏会》東京オペラシティー内にある近江楽堂にて開催しました。今までのコンサートの中で一番すばらしい音響のホールでした。
■会員のプロフィール
河田正:リコ研随一のテクニックと音感を誇り、本番にも強い。ゴマ力シのワ
ザも芸術的である。子供好きだが、なぜか会員中唯一人の独身者。
塩谷真:創立以来会長としての重責を負う。その練習量の豊富さだけは会員の
範である。最近は子供に笛を仕込むことを趣味とし、親子で三重奏を楽しむ。
首藤満:早くから独自の芸風を確立したが、その後の伸ひが見られないのは練
習不足のせいか。練習量と出来映えが正比例する男。
富永一雄:現在帯広市在住、恵まれた自然環境の中でサバーバ ンライフを楽しんでいる。そのあまりリコーダーの方がおろそかになりがちなの
か。
樋口正樹:弁理士としての激務に迫われながらも、サッ力ーにリコーダーにと
励んでいる。けれん味のないアルト演秦には早くから定評がある。
福岳英一:リコ研発展の影の立役者。近年仕事に迫われてか、かってのような
エネルギッシュな活動はおとろえてきたが、なくてわならぬ存在感は変わってい
ない。