ピエール・クラストル『暴力の考古学』(現代企画室)

クラストル(1934-77)『国家に抗する社会』(水声社)政治人類学

ドゥルーズ・ガタリ『千のプラトー』(河出書房新社)第12章

「戦争機械は国家装置の外部に存在する」「ひとはどうして隷属を欲望したのか」「戦争機械は遊牧民の発明である」


『暴力の考古学』

未開社会は「戦争へ向かう存在」である。

ホッブス「万人の万人に対する戦い」:自然状態→契約。

政府なき社会、国家なき社会は社会ではない、という前提。

 

先行仮説の吟味

1)  自然主義的言説(ルロワ=グーラン)社会有機体論

・暴力は自然的存在としての人間に内在している

・それは生存の手段を保証→未開社会の経済は攻撃性にもとづく狩猟。戦争は人間をめざした狩猟。食人習慣の一般化

→ 社会学的なものを生物学的なものに解消して、社会は有機体になってしまう。未開社会の戦争は、ひとつの文化である。

2)  経済主義的言説。(マルクス主義)

未開社会=貧困、稀少性→生存のための闘争。

「生産力の発展」という前提→「生産力ゼロ」の状態を仮定せざるをえない。

→未開社会の物質的充足に矛盾。暴力は貧困と無関係。

3)  交換主義的言説(レヴィ=ストロース)

「交換は平和的に解決された戦争であり、戦争は不幸にして失敗した商取引の結果である」

交換という社会システムの問題に戦争や暴力の問題を解消。戦争は社会の本質的なありかたには属さない偶有的なもの。

→戦争の「普遍性」「制度性」を考慮しない。ホッブズは交換を取り逃がし、レヴィ=ストロースは戦争を取り逃がす。


未開社会の細分化

稀少性→戦争→孤立 という図式。

デュルケムの分業論

未開社会は分化していない。階層秩序なく、服従せず、所有に関心がなく、命令も道徳もない社会=それは社会以前の状態ではない。未開社会は不平等、搾取、分化が不可能であるようにする政治を備えている。

 

「細分化の結果が戦争なのではなく、戦争の結果が細分化なのである。細分化が戦争の目的」:分裂を求める意志が社会の本質的なありかた。その意味で戦争は政治的な目的のための手段。

ローカルなグループとして領土を支配する、というあり方。資源の自給、共同体の権利が排他的に行使。

未開の共同体は「全体性であると同時に単一性である」
全体性:完成、自立、完全な社会
単一性:分化や不平等や疎外を禁じる社会。分化がないというのは政治的な選択。

なんらかの「一者」が社会体から分離して代表するような考えを許さない。命令者と服従者の分化を許さない。

首長は社会の名においてかたる。誰が決めたというわけではない「法」の言葉を語る。

「ばらばらの共同体が数多く存在しており、その各々はみずからの領土が侵犯されないように気を配っている。その各々は他の共同体に対峙して、みずからの差異を主張。

未開社会は「静態的」ではなく、たえず運動しながら、他のモナドにたいして開かれている=戦争は未開社会の存在の条件。

未開社会の論理は差異の論理(交換はそれを同一化してしまう)。「われわれ」と「他者」の区別がなければ、未開社会そのものが崩壊。

しかし「万人の万人にたいする闘争」でもない。それは勝者と敗者というかたちで、支配関係(主人と臣下)をうちたててしまうから。節操のない同盟関係。

→ 「自治独立主義」と「分化の拒否」を同時に実現。


戦争の「政治的な」次元があきらかに。「われわれ」と「他者」の永続的な分離。

分化していない存在としての未開社会。首長は命令しないためにそこにいる。

「分化していない」と同時に「独立している」

──ローカル・グループの分散化、細分化、微粒子化。未開社会の戦争は、遠心力の論理による働きである。

こうして未開社会は「一者」の論理に抵抗。外的な法に「服従」させる論理を拒否し、みずからに固有の法の支配にとどまろうと欲する。(国家の拒否)服従の拒否は、社会の構造そのもののなかに刻み込まれている。

・外的には細分化しているが、内的には分化していない。