序文第2節−3節


臨床的経験の可能性=「科学的構造を伴った言説を個人に対しておこなうこと」。「合理性の言語へと、具体的な個人が開かれること」(西欧の歴史で初めて。人間のみずからとの関係、言語の事物との関係における大きな出来事)→ これが、ヤスパース流の了解の現象学によって、概念以前の次元へと引き下ろされてしまう。


序文第3節:

◎現代の受け取り方=医学的ヒューマニズムの帰結?

◎「理解=了解の現象学」。

cf. 自然科学の「説明」と精神科学の「理解」(生の連関の理解)。→ ハイデガーの解釈学。

ヤスパース。「了解可能性」。「患者の体験する精神状態をありのままに記述」(記述的現象学)

→ 初期のフーコーはヤスパースをどのように受容したか? 『「夢と実存」への序論』『思考集成1』95頁。


◎ いわゆる「リベラルな医学」:臨床医学を、人間間のひそかな「契約」ととらえる。