序(p. 3-7)
(1)要約と引用
「マネが印象派をも越えて可能にしたのは、印象派以後のすべての絵画、二十世紀絵画のすべてであり、今もなお現代美術がその内部で発展し続けているような絵画だったのではないか」(4)
マネがもたらした断絶と変化
・クワトロチェント(quattrocento)イタリア1400年代の、ルネサンス最盛期の芸術。ブルネレスキの透視画法の発明。
・「タブロー自体の内部、それが表象するものの内部で、自分が絵を描いているまさにその空間の物質的な性質を用い、またいわば機能させることをあえて行った最初の画家」
○ ルネサンス以降マネまでの絵画における「かわし、隠匿、錯覚、言い落とし」(6)
1)「表象された空間が、画家の描いている空間自体を否定」(5)
まさにベラスケスの「侍女たち」は、このような「空間の物質性」を表象へと持ち込むことのけっしてなかった絵画である。「王の視点」
2)軸線の隠蔽
3)照明の隠蔽
4)鑑賞者の移動可能性の隠蔽。理想的な鑑賞位置の想定(透視画法の技術には、鑑賞者がある一定の距離から眺めることが組み込まれている)
○ マネの絵画ではこれらが再び現れる。→「オブジェとしてのタブロー」物質性としてのタブロー、色を塗られた「モノ」としてのタブロー
(2)フーコーの分析の特徴
・マネー印象派—後期印象派(セザンヌ、スーラ、ゴッホ、ゴーガン)—キュビスム、抽象画—現代アート という単線的な美術史におけるマネの位置づけではなく、より深い次元での断絶をマネにみること。そこにおける見えない動き
・表象の体系の動揺としての透視画法の揺らぎ。たんに技法や「物の見方」の変化ではなく、鑑賞者の位置そのものが揺らぐような出来事。見る者と見られる者の関係そのものを問いただすような、見えない出来事。
(3)問題点、不明点
・私たちはこのような揺らぎを、どのように「経験」しているのか。
・「オブジェ」という言葉の曖昧さ。
(3)この論から出発した展開
A)透視画法について。
パノフスキー『象徴形式としての遠近法』(ちくま学芸文庫)との比較。パノフスキーは、遠近法を、たんなる技術としてではなく、近代の数学的で合理的な空間認識そのものの成立と関係していると捉えていた。均質で等方向的で無限な空間の成立。主観的なものの客観化。
カントの批判主義の認識論。カントの「コペルニクス的な転回」認識主体が対象に従う→対象が認識主体に従う。人間の有限性の自覚。人間は、物が感性に与える雑多な表象を素材として、悟性がそれを自己の範疇に従い、統一するときに「対象」が成立。
パノフスキーの問題点。
・遠近法以前の絵画は、いわば近代の合理的空間の準備に過ぎない(進歩主義)
・学者の視点とアマチュアの視点の分離
・現代芸術は「秩序の解体」「個人への解体」になる
B)メルロ=ポンティ:「奥行き=深さ」。「見えるものが見える」ことを成立させてくれる見えないものを見えるようにするのが画家。:
・色彩のニュアンス、物の表情:色彩や物のテクスチャアが、空間そのものを切り開くこと
・もっと先を見ることを誘うような、経験の「エッジ」。意識そのものが変容してしまうような空間の狭間。
・位置の移動なき運動(ロダン)。視差のずれ:遠くにあるものが直に迫ってくるような構図。空間を作り出すような線。
・他者との共存の可能性
C)シュルレアリスムの「オブジェ」:愛するオブジェが、逆に主体に働きかけてくること(鈴木雅雄『痙攣する複数性』(人文書院))
D)ジョナサン・クレーリー『知覚の宙吊り』(平凡社)(とりわけ第二章)フーコーの知見を文化史や生理学の発達(注意)と関係付ける。
予定
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5/10 :
5/17 :
5/24 :
5/31 :
6/7 :
6/14 :
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