映画館から出て

用語

催眠術。ブロイアー、フロイト

換喩(メトニミー)とメタファー(隠喩)cf. ロマーン・ヤーコブソン「言語の二つの面と失語症の二つのタイプ」『一般言語学』(みすず書房)

ゲシュタルト

真実らしさ

フェティシズム。身体の部分の過大評価。

騙し餌(ルアー)としてのイメージ。

想像界(イマジネール)

ナルシシズム。

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○ 問題

映画館に入って出る、という行為のあいだに動員される身体感覚。

<映像に魅惑されること>とそこから<距離を取ること>

現在の映像体験において、映画館のような機能を果たしているものは何か。

バルトが語る映画館のような存在は、社会生活においてどのような機能を果たしているだろうか。「他の場所」はどこにあるか。

ヴァーチャル・リアリティのような、一見身体性を欠いたものは何を意味しているのか。

映像に関係なく、バルト的な感性はどう応用できるか。

幼児からの「場」の経験から考える。

 

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○ 個別発表の注意

1)基本的にはレジュメでよい。

2)重要であると思われるところ、難解なところはそのまま引用するが、引用であることがわかるようにする。

3)最後に簡単にコメントを付ける。

4)わからない用語などはなるべく調べる。お手上げなら聞いて下さい。

 

○ 小レポートの注意

はじめて自分なりの問題を立てる。そして最後でなんらかの解答を与える。

引用の仕方は二通り

1)短い引用。()バルトは「他の場所にいることも必要」(TS, 104)であるという。

2)長め(4,5行以上)。引用のあとでかならず「受け」を付ける。

(例)

 なぜひとは映像に魅惑されるのだろうか。映像は身体にどのような効果を及ぼしているのだろうか。

(・・・・・)

 ロラン・バルトはエッセー「映画館から出ること」において、映画館に入って出る、という単純な行為における身体感覚を分析している。このエッセーでは、精神分析的な用語が多用され、イメージが持つエロティシズムが強調されている。しかしそれだけではない。バルトはイメージが持つ魅惑(それを彼はラカンの用語を使って「騙し餌」と呼ぶ)だけでなく、そこから離脱し、距離を取ることをも教えてくれるのだ。彼はエッセーの末尾近くで次のように言う。

 

しかし、映画館に行く別の方法もある(中略)。映像によって、そして、それを取り巻く物によって、二度、魅惑されるのだ。映像によって、そして、それを取り巻くものによって。あたかも私は、同時に、二つの身体を持っているかのようだ[1]

 

ここでバルトが強調しているのは、映画体験における二重の感覚である。すなわち・・・・・。

 しかしバルトは次のようなことを見逃してはいないだろうか。・・・

 

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予定(案)

12月15日:「映画館から出て」解説

12月22日:解説つづき。バルト小レポート。

1月11日:「他者の場所」イントロ

1月18日:「他者の場所」第一回(2名):田代・安部・野上・桃井

1月25日・「他者の場所」第二回(2名):沢田・伊藤・松浦・川俣

2月1日:「顔の現象学」第一回(4名)

2月8日:「顔の現象学」第二回(4名)

2月15日:金曜の授業

2月22日:「顔の現象学」第三回(4名)

 






[1] ロラン・バルト「映画館から出て」沢崎浩平訳『第三の意味』みすず書房、1984年、p. 106.