著書、学術論文等の名称

単著、共著の別

発行又は 発表の年月

発行所,発表雑誌等又

は発表学会等の名称

 

概       要

(著書)

 

 

 

 

 

 

 

1. 『知の教科書 デリダ』

 

 

 

 

 

共著

平成15年1月

講談社(新書メチエ259

戦後フランスの思想家ジャック・デリダについての解説・研究書。P102-158, 178-230

(担当部分)「キーワード」(代補、反復可能性、アポリアの経験、亡霊学)「知のみなもとへ」(10作品の解説)「3次元で読むデリダ」(歓待、反人権論とデリダ、デリダと現象学、テクノロジーと機械、宗教の回帰とメシア的なもの、赦しの世紀、の項)「ブックガイド」「知の練習問題」

(共著者)他章、他項目分担執筆:林好雄

2. 哲学を使いこなす

 

共著

平成16年6月

知泉書館

東洋大学哲学科編「東洋大学哲学講座」2。分担した章では、ミシェル・フーコーの権力論を「近代の<精神>の系譜学として論じ、「テクノロジーによって媒介された行為」を主題化することによって、権力の諸関係における身体性や主体化の問題との関係を探っている。P134-158.

(担当部分)「行為する身体の系譜学フーコーの権力論」について分担執筆。

(共著者)他章分担執筆:納富信留、長島隆、山田友幸、中里巧、中島隆博、山口一郎)

3. 現象学と二十一世紀の知

共著

平成16年12月

ナカニシヤ出版

デリダの「現前の形而上学批判」とドゥルーズの強度の思想を踏まえ、メルロ=ポンティの肉の思想に「象徴的制度の系譜学」の可能性を探る。P138-161

(担当部分)「デリダ、ドゥルーズ、そしてメルロ=ポンティ──現象学と現代思想」について分担執筆。

(共著者)編者:長滝祥司。他章分担執筆:長滝祥司、佐藤英明、小林睦、中村雅之、小嶋秀樹、有坂陽子、廣瀬覚、ダン・アイディ

 

 

 

 

(会議発表査読付き論文)

 

 

 

 

1. L'institution de l'œuvre

chez Merleau-Ponty

 

 

 

 

単著

平成5年9月

Recherches sur la

philosophie et le

langage 15, Grenoble

モーリス・メルロ=ポンティの芸術論における現象学的な身体論と構造主義的な記号論との相互関係を分析し、彼の記号概念における二重性を明らかにすることによって、「象徴的制度」の時間性や神話的な時間の探求との関係を論じ、彼の「制度化の哲学」の全貌を検討する。問題はたんに叡智的なものと感性的なものの両義性を説くことではなく、両者の構造的な絡み合いにおける出来事の発生を捉えることである。P153-167

2. まなざしの到来と自然のシンボリズム──制度の現象学と肉の存在論

単著

平成710

『メルロ=ポンティ研究』創刊号(日本メルロ=ポンティサークル)

本稿では、メルロ=ポンティの未刊の講義ノートの研究の成果を利用し、フォン・ユクスキュルの環境理論やコンラート・ローレンツの動物行動学の成果を、科学哲学や現象学にいかに利用できるかを検討した。メルロ=ポンティは、本能と学習の対立とは無縁に、動物が環境との関係をみずから打ち立て、それを持続的に維持していく過程を、「間動物性」の次元として主題化し、その存在論的意味をさぐることで、現象学的な方法と環境についての考え方を刷新した。P48-67

3. Les phénomènes

d'institution -- Le point

nodal de la philosophie de Merleau-Ponty

単著

平成8年

5月

Etudes de langue et

littérature françaises,

no 68

美術史家エルヴィン・パノフスキーは、ルネサンス期の線遠近法の成立を論じた古典的研究において、視覚空間におけるシンボル化の働きを歴史的に解明した。モーリス・メルロ=ポンティはこの研究を継承しながら、その観念論的な側面を批判し、現象学的な歴史観を練り上げた。両者の比較によって、さまざまな象徴体系を横断的につらぬく歴史のダイナミズムが明らかにすることができる。

P182-195

4. 自然と制度

単著

平成10年9月

『メルロ=ポンティ研究』(日本メルロ=ポンティサークル)第4号

本稿では、メルロ=ポンティの自然の概念についての講義の読解を通して、晩年の存在論のアクチュアリティを論じる。初期の著作『行動の構造』における行動概念やゲシュタルト心理学の利用は、中期以降は、より構造論・システム論的に捉え直され、意味の生まれる場である「自然」の建築物の記述へと向かっていく。晩年の存在論は、自然における秩序の到来を記述する生物学の哲学的基礎付けなのである。P35-48

5.後期メルロ=ポンティと精神分析

単著

平成14年9月

『フランス哲学思想研究』(日仏哲学会)第七号

本稿では、メルロ=ポンティの精神分析と現象学の関係を検討するため、彼が「存在論的精神分析」と呼ぶものの構造論的側面を強調する。そのためにまず感覚の不可分性と呼ばれているもののうちに「分節化」の契機を取り出し、それが無意識そのものと関係していることを示す。次に、身体の反転可能性における「回転軸」こそが、同と他が相互にメタモルフォーズする場であること、そしてそれが体内化と投影が分節化し、根源的なシンボリズムの場として捉えられていることを示す。P40-58

 

 

 

 

 

 

 

(大学紀要論文)

 

 

 

 

1. 制度・出来事・構造 ── メルロ=ポンティ制度化概念の射程

単著

平成6年3月

『教養学科紀要』(東京大学教養学部教養学科)第26

本稿では、メルロ=ポンティが、フッサール「幾何学の起源」とソシュールの『一般言語学講義』を統合的に理解することによって、出来事と構造との内的な連結関係を、意味の発生の場として主題化したことを明らかにした。これによって言語と世界、伝統と創造、差異と同一性といったさまざまな二項対立の乗り越えが可能になるばかりではなく、自然と文化が相互にからみあう場も明るみにだされる。メルロ=ポンティの晩年の思想は、この野生の世界を出発点として、科学的真理の発生をさぐっている。P59-80

2. 個体化の多数性と存在の統一性のかなたに(情報・エネルギー・システム)──ジルベール・シモンドン思想の射程(1)

単著

平成7年3月

『外国語科研究紀要』(東京大学教養学部) 第42巻第2号

フランスの科学技術についての哲学者ジルベール・シモンドンは、情報理論やシステム論の成果を利用することによって、機械システムにおける個体化の作用、すなわち内的な生成のプロセスを明るみに出し、新たな意味の理論を提唱することによって、科学技術をモデルとした包括的な人間学の構築をめざした。しかしその自然哲学の存在論的な素朴さは、メルロ=ポンティの制度化の哲学によって補填されるべきである。P79-94

3. 技術的対象の現象学──ジルベール・シモンドン思想の射程(2)

単著

平成8年3月

『外国語科研究紀要』(東京大学教養学部), 第43巻第2号

ジルベール・シモンドンは、その技術哲学において「機械学」を提唱し、文化と技術の対立を乗り越えようとした。彼は技術を「労働」概念と区別し、機械の進歩の過程や、おのれをとりまく環境や人間との関係を分析し、そこにおける生成や創発のダイナミズムを明らかにしたのである。この発想は独自の技術社会論を含んでいるばかりではなく、古典的な哲学の概念装置を根底から刷新すべきものであると思われる。P25-54

4. ヘテロトピアのまなざしと制度の身体

単著

平成9年1月

『言語文化論集』(筑波大学現代語・現代文化学系)44

本稿では、ミシェル・フーコーの空間論、都市論とメルロ=ポンティの現象学的他者論をつきあわせることによって、人間の相互主観的関係や共同性を織りなすメカニズムを探る。フーコーが、他者のまなざしが現れる「別の空間」として歴史的に研究したものは、自己と他者の持続的関係の成立の根拠としてとらえなおされ、現象学的な象徴制度論として展開されることによって、科学的知の成立過程に新たな光を与えてくれる。P127-140

5. 舟なき航跡としての生──メルロ=ポンティにおける生命科学

単著

平成9年7月

『言語文化論集』(筑波大学現代語・現代文化学系)45

メルロ=ポンティの晩年の思索は、神秘的な自然哲学への回帰ではなく、現代科学の前提を問い直すことによって、生命の現象を主題化しようとする試みである。本稿では、彼の講義における、ドリーシュの新生気論やコグヒルの発生学の批判的読解に注目し、生命という媒介的な現象を、精神によって中心化されたモデルや、階層的な構造のモデル、ヘーゲル的な弁証法のモデルなどから解放し、新たな存在論の可能性を素描する。P1-18

6. 分身の系譜学と権力のテクノロジー──フーコー『監獄の誕生』の哲学的意義」

単著

平成10年9月

『言語文化論集』(筑波大学現代語・現代文化学系)48

本稿では、ミシェル・フーコーの「権力」論を現象学的に読解し、その限界と可能性を検討する。フーコーは『監獄の誕生』において、近代精神の系譜学を遂行し、権力の政治的なテクノロジーの身体性、有機性、時間性などを暴き出した。それは制度がつねに逸脱を作り出しながら自己を維持する過程である。この分析はカントの近代性の再評価につながり、科学文化の成立の歴史的過程を明らかにするものと考えられる。P55-72

7. Merleau-Ponty et la structure charnelle de l'histoire -- une esquisse de l'ontologie indirecte de l'institution

単著

平成11年8月

『言語文化論集』(筑波大学現代語・現代文化学系)51

メルロ=ポンティの歴史論の要点は、社会制度がそれじたいのなかにはらむ「ずれ」を、歴史の意味の根源として捉え返そうとすることにある。このずれは、構造変動の要因となる出来事に関係するが、この出来事を核として組織されるさまざまな象徴体系を再現することによってこそ、歴史の隠れた構造とその意味のダイナズムが明らかになる。この新たな歴史観は、構造主義と現象学を統合しようとするものであり、近代の文化の存在根拠そのものに迫るものである。P1-18

8. Le Bunraku ou l'idiotie du corps

単著

平成11年

第3四半期

Ecritures France-Japon, études rassemblées et présentées par Y. Kawanabe, J.-P. Giusto, E. Nogacki, Presses Universitaires de Valenciennes

本稿では、文楽についての和辻哲郎、ロラン・バルト、ポール・クローデルの批評の技術哲学的な読解をおこなった。ロラン・バルトの記号論的分析は、芸術についての本質主義的な立場やクローデルの形而上学的側面の批判としては有効であったが、人形の運動性や語りの虚構性がはらむ他性の魅惑をじゅうぶんに主題化することはできなかった。バルトの立場は、身体についての非主観主義的な現象学や「芸」についての技術論的な哲学によって乗り越えられるべきである。P233-242

9. 身体の根源的な制度化──メルロ=ポンティの存在論的身体論

単著

平成12年3月

『言語文化論集』(筑波大学現代語・現代文化学系)53号

メルロ=ポンティの晩年の思想は、身体がシンボル活動の担い手であることを、その根源的な受動性の場にまで遡って明らかにしようとするものであり、知覚論や行為論に新たな視点を導入する可能性をはらんでいる。知覚しつつある身体は、世界との沈黙の関係を証言するものであり、この沈黙を表現にもたらすために、あらゆるレベルにおいて象徴的体系の潜在的プロセスを顕在化するものである。P1-16

10. 幻影の身体と道具の生成──メルロ=ポンティ幻影肢論の射程

単著

平成13年3月

筑波大学『言語文化論集』56

本稿では、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』の幻影肢の分析の意義を検討することによって、それがたんに実存主義的な身体の顕揚に終わるのではなく、道具の使用やテクノロジーの分析の可能性を開くような広大な射程を含むものであることを明らかにする。そのため筆者は、幻影肢論の歴史をたどったうえで、習慣的身体とは「非人称性」が到来し、身体のシステムを組み替える場として理解されなければならないことを示す。それは意味の生成の場として、道具性やテクノロジーに開かれているのである。P31-49

 

 

 

 

 

 

 

 

(学術誌等からの依頼論文)

 

 

 

 

1. 生成する機械の身体──シモンドンの機械学とその技術論的転回

単著

平成8年7月

『現代思想』(青土社)vol. 24-8

本稿では、ジルベール・シモンドンの科学技術と文化の関係にかんする哲学的思想の功績と限界を総括した。シモンドンによれば、機械は自己生成的に作動し、環境との関係を創設しながら、自然の潜在性を顕在化し、生物の器官にも類比的なものである。しかし彼が真に主題化していたのは、技術的な環境と地理的な環境の混合体であり、社会のキーポイントにおける新たな価値と複数性の創造であると思われる。P171-181

2. 生の形式の発明としての自己主体化──ミシェル・フーコー講義録『主体の解釈学』を読む

単著

平成14年10

『情況』(情況出版)200210月号

本稿では、ミシェル・フーコーの晩年の講義録『主体の解釈学』を検討することによって、いわゆる権力論以後のフーコーが、晩年にどのような地平を開きつつあったのかを示す。この講義で押し出されている「自己への配慮」の主題は、プラトン主義やデカルト主義とは異なる「自己主体化」の運動を、キリスト教的な修練との緊張関係において明るみに出そうとするものであり、最終的にはハイデガーの「死へ向かう存在」という概念を無効にするような自己のテクノロジーを練り上げようとするものである。P138-157

3. 個体化の原理からアナーキーな超越論的原理へ──シモンドンとドゥルーズ

単著

平成15年3月

『情況』(情況出版)2003年3月号

本稿では、ジルベール・シモンドンの思想とジル・ドゥルーズの思想を比較対照することによって、後者が前者の個体化理論を継承しながら、それを可塑的でノマド的な原理へと練り上げていったことを示す。シモンドンの個体化理論では、質料形相論が批判され、情報理論に基づいた準安定的なシステムの境界が主題化されるが、ドゥルーズはこの境界における無秩序な特異性の現れに注目し、みずからの反復の思想へとつなげていく。現代の課題は、この反復の思想をもう一度シモンドン的な技術論へと投げ返していくことである。P209-224

(学位論文)

 

 

 

 

1. メルロ=ポンティ思想における哲学的言説の構造

単著

平成元年3月

東京大学(修士)

本修士論文では、モーリス・メルロ=ポンティの哲学的言説の構造を、初期から晩年に至る著作を踏破することによって明らかにした。メルロ=ポンティの思想においては、「前言語的な次元への回帰」とそれを表現する「反省的言語の立ち上げ」という矛盾した運動がひとつのものとして絡み合っていることに注目し、この緊張関係が彼の著作のなかでどのように変奏されているのかを追跡した。

2. Problématique de l'institution dans la dernière philosophie de Maurice Merleau-Ponty

単著

平成6年1月

パリ第一大学(フランス)(博士)

本学位論文では、モーリス・メルロ=ポンティの哲学の全体像を、中期に提唱された制度化という概念を導きの糸として統一的に理解することによって、生命、芸術、言語、歴史をつらぬく様々な構造のダイナミズムを明らかにしようとした。執筆にあたっては、コレージュ・ド・フランスにおけるメルロ=ポンティの講義の未刊の草稿の研究を利用した。それによって、従来形而上学的な思弁とされる晩年の思想が、象徴的体系における意味発生の記述をめざすものであることが明らかになった。なお本学位論文は、筑波大学『言語文化論集』紀要別冊第2号(平成15年3月)として公刊された。

 

(その他)

 

 

 

 

1. (学会活動報告)Merleau-Ponty aux limites de la modernité -- La situation actuelle des études sur Merleau-Ponty au Japon

単著

平成1110

Chiasmi international 1, Publication trilingue autour de la pensée de Merleau-Ponty

メルロ=ポンティ研究の国際組織の機関誌の求めに応じて、日本におけるメルロ=ポンティ研究の歴史・現状と将来への展望を記述したもの。メルロ=ポンティが日本において、実存主義者、現象学者としてどのように受容され、また人文科学に取り入れられていったかを明らかにする。P45-53.

2. (書評) 森脇善明著『メルロ=ポンティ哲学研究──知覚の現象学から肉の存在論へ』

単著

平成13年9月

『フランス哲学思想研究』第6号

森脇善明著『メルロ=ポンティ哲学研究──知覚の現象学から肉の存在論へ』(晃洋書房)の書評。P225-229

3.(事典項目)『事典 哲学の木』

共著

平成14年3月

講談社

「記号」概念について、ソシュールの記号概念の特徴を分節のシステムとして解説し、それが「システムに内在する時間性」の記述へと向かうべきこと、そして構造主義が唱えた象徴界やシニフィアンの優位を越えて、あらたな記号の哲学を開くべきことを主張する。P228-231

(担当部分)「記号」の項目を分担執筆。

(編者)永井均、中島義道、小林康夫、河本英夫、大澤真幸、山本ひろこ、中島隆博

4. (エッセー)「12人の思想家たち3──デリダ」74-77.

単著

平成15年6月

『ふらんす』(白水社)2003年6月号

現代フランスの思想家12人を取り上げた連載の一貫で執筆されたもの。ジャック・デリダの思想につき、その「痕跡」の思想のアポリア、現象学や構造主義との関係、晩年の政治思想などについて解説し、それら相互の連関を記述した。P74-77

5.(事典項目)「スーパーニッポニカ」百科事典

単著

平成16年2月

小学館

小学館百科事典「スーパーニッポニカ」2004年度版(DVD-ROM)の事典項目の執筆。(電子テクストにつき頁数なし)

(担当部分)「パレルゴン」「シモンドン」「パトチュカ」「ロゴス中心主義」「散種」「差延」「戦争機械」の項を執筆。

6.(学会活動報告)Merleau-Ponty et la théorie de l'autopoièse

単著

平成16年10月

Chiasmi international, publication trilingue autour de la pensée de Merleau-Ponty, nouvelle série 5, 2004

メルロ=ポンティ研究の国際組織の機関誌の求めに応じて、日本メルロ=ポンティサークル第10回大会の結果を報告したもの。P349-351

7.(書評)ジャック・デリダ『コーラ──プラトンの場』──場のおののきを聞く

単著

平成16年6月

『10+1』INAX出版) no. 35, 2004

守中高明訳・ジャック・デリダ『コーラ──プラトンの場』(未來社)についての書評。P44-46

8.(エッセー)追悼 ジャック・デリダ

単著

平成16年12月

『ふらんす』(白水社)2004年12月号

フランスの思想家ジャック・デリダの追悼文。 P47

9. (全集月報)正しく自己に帰らなければならない──フーコーとセネカ

単著

平成17年5月

『セネカ哲学全集』岩波書店、第5巻「月報1」

ミシェル・フーコーが晩年に追求した「自己への回帰」の主題について、フーコーがセネカからどのような課題を受け取ったのかを、視線の現象学の立場から明らかにする。P1-7

(翻訳書)

 

 

 

 

1.(翻訳および解説)クリスチャン・デカン『フランス現代哲学の最前線』

 

 

 

単著

 

平成6年7月

 

講談社 現代新書 1263

 

 

 

 

フランス現代哲学の最先端の状況についての書き下ろしの概説書の翻訳。「訳者あとがき」(p. 291-294)では、本書の今日的意義を解説した。

2.(翻訳および解説)ジャック・デリダ『歓待について──パリのゼミナールの記録』

単著

平成11年12月

産業図書

J. Derrida & A.-D. Mantelle, De l'hospitalité, Calmann-Lévy, 1997の翻訳。インターネットの時代における、移民、難民などの異邦人の歓待の可能性に関する哲学的考察。「訳者あとがき」では、デリダの他の著作との関係を分析した。

 

 

3. (共訳および解説)ミシェル・フーコー『主体の解釈学』

 

共著

平成16年2月

筑摩書房

Michel Foucault, L'herméneutique du sujet, Cours au Collège de France, 1981-1982, Paris, Seuil/Gallimard, 2001の翻訳及び解説。「訳者解説」では、フーコー思想全体での本書の位置と意義を明らかにした。P289-626.

(翻訳・解説担当部分)「1982年2月17日〜3月24日の講義」「講義要旨」「講義の位置づけ」の翻訳および「訳者解説」を執筆。

 

 

 

 

 

 

4. (共訳および解説)デリダ『死を与える』

 

共著

平成16年12月

筑摩書房

Jacques Derrida, Donner la mort, Galilée, 1999 の翻訳および解説。「訳者解説」では、贈与、死、宗教などの主題につき、本書の意義を明らかにした。P9-271, 367-388.

(翻訳・解説担当部分)「死を与える」の翻訳および「訳者解説」を執筆。

その他翻訳10編