みずからの足元をたえず切り崩していく思想の系譜
サルトル、ボーヴォワール、メルロ=ポンティ
1)サルトル 『存在と無』『壁』『嘔吐』1905-80
「私は自由に運命付けられている=私は自由の刑を受けている」:選択、投企、アンガジュマン、偶然性、知識人の政治参加
現実を「無化」
脱自的:「意識はそれがあるところのものではなく、あらぬところのものである」
まなざし:自他の相剋
評価:捕虜体験の重要性、存在と無の二元論、共産党との関係のあいまいさ
ボーヴォワール『第二の性』(文化的次元における女性の疎外)
2)メルロ=ポンティ(1908-61)『知覚の現象学』『眼と精神』『見えるものと見えないもの』
・存在と無の間の次元を「両義性」として追求
身体性の問題。身体を通じて世界に「根付いている」主体を記述
知覚世界は身体によって受動的に構造化されている
意味の発生状態をとらえること。差異として現れてくる「語る言葉」(ソシュールの受容)
評価:存在の厚み、深さ、それにはまりこんでいる身体の不透明さ
それを通した「表現」
構造主義の受容とサルトルとの訣別
芸術論
狭義の構造主義
ロラン・バルト『モードの大系』(1967)、クロード・レヴィ=ストロース『野生の構造』、アルチュセール
ソシュールの言語学を引き継いだ記号論
主体の優位を否定
無意識の構造の沈殿
1)ミシェル・フーコー 『言葉と物』『狂気の歴史』『監獄の誕生』『性の歴史』
人間の死
2)ジル・ドゥルーズ
・リゾーム
3)ジャック・デリダ
・ロゴス中心主義の批判
・差延
・歓待