人文・文化学群コアカリキュラム「学際研究を学ぶ」担当 廣瀬浩司 2009. 2. 10

方法:「現れないもの(=見えないもの、聞こえないもの・・・)の現象学」

現象学:エドムント・フッサール(1859-1938

「事象そのものへ」:あらゆる先入見を配して、事象そのものがみずから現れ出る仕方を分析

→ 生きられた世界(内側から生きられた時間や空間、身体意識や他者の経験など)を内在的に分析。(サルトル、メルロ=ポンティ、レヴィナス)

 

○二一世紀になって、現象学は「現れないもの」を主題にするようになる。

・「見えないもの」が「見える世界」をどのように織りなしているのか。

・言語化できない「感覚(物の質感や肌理)」や「情動」の分析、重力の感覚

cf. 「重力の内側」を感じ取りながら踊ること(勅使河原三郎):身体をひたしている重力を感じ取ることによって、身体の動きを作り直すこと。

このような身体の内側から気づかれるような感覚は、現代のリハビリテーションの方法としても応用が試みられている。(cf. 宮本省三『リハビリテーション・ルネサンス』(青土社)

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本授業の題材:クロード・ランズマン監督『ショア』の一部を見ることで、見えないものの記憶がどのように映像化されるのかを考えてみる。

 

『ショア』とは:一九八五年の作品。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺を主題にして、九時間三〇分にわたって、さまざまな証言のみから成る作品。ナチスの大量虐殺は、ユダヤ人を「かつてこの世に存在しなかったかのように」消し去ることを目指した未曾有の出来事であった。その虐殺の規模に比べれば、残された証言はごくわずかにすぎない。このような空白状態から出発して、ランズマンは、たとえば記録映像や再現フィルムを使って「再構成」するのではなく、このような出来事を語るための「新たな形式」を模索して、このような作品ができあがったのである。

 

「ショア」(ヘブライ語で「絶滅」「破局」)。cf. 「ジェノサイド」(民族絶滅政策)「ホロコースト」:神への献げ物。イスラエル国家が誕生するために、神への犠牲になった??

 

なぜこのような作品が必要なのか?

ナチスによる大量虐殺(1941−)の特殊性

・国家の政策として、法と官僚機構を利用し、ヨーロッパのユダヤ人全体を標的

・政治的領土的目的はなく、殺害それ自体を目的

・ゲットー、強制移送、殺害まで大量殺人システムを開発。死体を原料とみなし、歯の金を抜き取り、髪を織物の原料にし、灰を肥料にする。殺害自体の痕跡を消す。

・ある人間集団全体の殺害、その文化を根こそぎにすること。「ジプシー(ロマ)」、同性愛者、エホバの証人、フリーメーソン、精神障害者、障害者

→ある人間、民族を歴史の記憶から消し去ること。このような出来事を生み出してしまった二〇世紀以降の世界において、ひとはどのように「証言」することができるのか。

 

問題

(1)証言の困難さ。

『ショア』の登場人物

・「生き残り」の人々(ヘウムノ収容所三名、トレブリンカ、ソビブル数十名)。記憶は断片的、麻痺状態

思い出したくない、語りたくない記憶。

・加害者(ナチSSなど)

・ポーランドの人々:傍観者を余儀なくさせられる。外部からの証言も断片的。彼らが見ないで見ていたものは何か。

「私はこの歴史を物語ることの不可能性からことを始めました。」「無から出発して映画を作らなければならなかったのです」。

(2)物語(history, story)を拒否するような出来事

一般に歴史は、過去の出来事を想起し、それを内面化し、現代の視点から意味付けることによって語られる。しかし「ショア」という出来事は、こうした歴史化=物語化を拒むような出来事である(『シンドラーのリスト』への反発。出来事を悲惨な物語にしたり、一部の人物を英雄化することの拒否)。→「イスラエル」との関係。

3)芸術と証言

『ショア』は一見ドキュメンタリ風だが、監督はあくまで「フィクション」であるという。すなわちこの映画の主題は、出来事の再構成ではなく、目にも見えず、証言できないような出来事や、死者たちを見えるようにすることにある。

Cf. 「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮だ」(アドルノ)

「この映画はドキュメンタリーではない」(死体の不在)

「歴史映画ではない」(ストーリーの不在。出来事を一般化することの拒否)

「回想映画ではない」(個人の思い出のレベルにはとどまらない)

「生き残りの映画ではなく、死についての、死へ導いていくメカニズムについての映画だ」

「死者は映画には現れない」「生き残った人々は、死んだ人々のことを語る」

 

映画の分析

(1)シモン・スレブニク。ヘウムノ収容所の四〇万人の収容者のうち、三人(映画では二人)の生き残りの一人。当初は支離滅裂な話しかできなかったという。当時一三歳、「労務用ユダヤ人」として収容所で下働きをしていた。歌いながら川を行き来した(遺体の骨をすりつぶしたものを捨てるため)ため、ポーランド人を含めた多くの人に知られていた。四五年、処刑されるが、一命を取り留める。

・スレブニクの「歌」:「記憶の身体」。歌によって、死者たちに表情やメロディーの生命を(束の間)与えるーー芸術と歴史の架け橋としての歌(ショシャナ・フェルマン)

「言葉にするわけにはいかない、誰にも想像できない、無理です、理解不可能です、今考えたってわからないのですから」

何もない風景の中を歩き回ること:死者たちの「移動」の「身体感覚」(感覚なき身体感覚)の再現

cf. 輸送の汽車の再現。「それはいつまでも走り続ける汽車である。ホロコーストは終わらないと言うために」(ランズマン)→「イスラエル国家」の誕生によってホロコーストを贖ってしまうことの拒否。

(2)モルデハイ・ポトフレブニク(もう一人の生還者)

「すべてが死に絶えました」「話題にして欲しくありません」「話すのはよくない」「生きている以上、微笑むほうがましです」

(3)スレブニク(その2)

「何も感じませんでした」「世の中はこうしたものにちがいない」

(4)ボンバ(次回)