フーコーの権力論(3)
前回のまとめ
○ パノプティコン
視覚の罠
・ 囚人が役者として組み込まれてしまうような視覚装置
・ 観察者と被観察者が要素として組み込まれる
→ 「振る舞い」を分類。
→ こうして「こころ」「個人」などは作り出された。
○ 権力論として
・ 「肯定的なもの」としての権力
・ 「こころ」を生み出すもの
・ テクノロジーや科学と結びついている。
・ 権力は「関係」である。
・ 従来の権力は逆転を拒否。新たな権力は逆転を織り込み済み。→「こころ」「人間性」「個人の尊厳」などを持ち出しても権力のシステムはかわらない。
・ 集中しているのではなく、散乱している
・ ・抵抗の可能性も散乱(排除可能な相手)
○ フーコーの応用
・ 私たちが自明なものと考えるものの「起源」を考えてみる。「人間」「こころ」「個人」→起源にある「装置」
・ 私たちをとりまく視覚的ないしは感覚的な「環境」の仕組みの分析
→触覚、臭覚、聴覚
・ 「善」と「悪」の分類そのものを疑問視
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→ それ以後はどうなっているのか
cf. 『性の歴史』1。における「生の権力」(bio-pouvoir)「死なせるか生きるままにしておくという古い権利に代わって、生きさせるか死の中へ廃棄するという権力が現れた、と言ってもよい」(第一巻、175)
・ 「一九世紀は性を抑圧してきた」という仮説の批判。
・ むしろ性はさまざまな語らせられるようになる。→ 「告白」「精神分析」
・ 性的なほのめかしをすべて数え上げる・・・「性についての言説を生産する仕組み」。
・ ヒステリー(シャルコー)、女性の身体、家族のコントロール
・ 「人口」(population)」の管理。社会の安寧、治安維持(Polizei)。
出生率、罹病率、寿命、健康管理、食事や住居の管理。豊かな国家
・ 生命についてのさまざまなテクノロジー
・ ナチズム。「生物学的危険」血の純粋さ
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生の権力
かつての権力:死なせるか、生きるままにしておく
新たな権力:生きさせるか、死の中へ廃棄するか