前回のまとめ

前回の講義では、「線遠近法」の成立以後の絵画における「鏡」の主題を追うことで、近代以降の西欧のイメージのありかたを説明した。その際に重要なのは、(1)画家の視点(2)鑑賞者の視点(3)描かれた人物の視点の3つが組み合わさって、どのような空間が作り出されてきたかということである。ミシェル・フーコーが『言葉と物』で分析したベラスケス<侍女たち>は、まさにこの三つの要素の組み合わせを究極まで突き詰めることで、「表象関係の表象」を呈示していたのである。そこで鏡は重要な役割を演じていた。

補足 マグリット<不許複製>

幽体離脱的感覚、自分の身体の境界が流動的になる感覚

cf. 既視感(デジャヴュ)経験。記憶と親近感のずれ。

ここでは鏡は、ラカンと反対に、身体を流動的にする装置として働いている。

 残された問題は、ベラスケスによって完成されたようにみえる「表象関係の表象」が、近代においてどのように崩れていくのか、ということである。このことをマネを中心とした絵画にみていくことにしよう。

——————————————

テーマ:近代の視覚と技術

問い:19世紀後半の絵画はどのようにそれまでの表象システムを崩していったのか。

主要参考文献:ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』(月曜社)『知覚の宙吊り』(平凡社)

 

・技術に伴った知覚の変容

・知覚の「規範化=正常化」

・技術や社会とのかかわり、身体性との関係

===

・カメラ・オブスクラをモデルとする一点からの観察者が、近代においてどのような知覚者に変わったか?

(1)前近代

・カメラ・オブスクラ

・遠近法(一点透視画法):「合理的な」視覚・のため

(パノフスキー『象徴形式としての遠近法』

@うごかない目A視覚ピラミッドの切断を想定。

・デカルトによる空間の幾何学化。(延長)

 

(2)近代(19世紀後半以降)

・マネ、スーラ、セザンヌの「注意」の視点

・カメラ・オブスクラ、ステレオ・スコープ

・視覚に、運動、生理学的身体性、両眼の奥行き、無意識などが組み込まれていく。

・「視覚における無意識的なもの」(ベンヤミン『写真小史』ちくま学芸文庫)

・映画におけるスローモーションやクローズアップ

 

「注意」とは?;注意する主体はさまざまな規律的要請の内面化を無意識に引き受けている。

注意する主体となることが規範的な価値をもっている時代

・身体化された知覚の探求。

・「拘束すると同時に分解する」という矛盾した要請。注意と散漫が区別できなくなるような状態をどのように管理するか。

・浮遊した状態における緊張、「スペクタクルの時代」(ギー・ドボール)

・当時の科学と連動。光のエネルギーの測定、反応時間や動作時間。

・当時の技術とも連動。情報工学、電話。

・白昼夢、催眠、ヒステリー的身体。

・マネ

1 バルコニー

・相互にコミュニケーションのない三つの視点

・オスマンの都市計画

・ブラインド=シャッター。開き、とじるまぶた

2 温室にて

・無時間的なうねりのあいだをさまよう宙づりにされた瞬間

・知覚の固定:コルセット、ベルト、手袋、指輪

     表情の解体

     麻酔をかけられたような身体

     鎧としてのファッション。社会への開けと自己への撤退の緊張。

マイブリッジの連続写真。知覚の分解。知覚のユニットを作り出す。

 

スーラ

     網膜状で光の印象が持続

     生理光学

     色彩を構成すること

     内視現象(飛蚊症)

 

     孤立している個人の擬似的なまとまりを作り出すアトラクション

     中性的な人物

 

たえまない不安定のなかに突入していく注意

凝視すればするほど解体していく視線

目を作り替える技術

スピードへの反応

掴むと同時に掴まれ、包むと同時に世界に包まれる

距離感の不在