前回の講義では、劇団「態変」の公演の一部を鑑賞し、
・「身体」を媒介にして、「健常者」と「障害者」の区別がどのようにゆらいでいくのか
・それは「個性」重視の論理とどう違うのか
・「でこぼことした球」という比喩の意味はどのようなものか
・重力、皮膚、「気」などの感覚
などについて考えてみた。これはひるがえって、パフォーマンス一般、私たちの身体のあり方、「共生」のありかたにどのような問題を投げかける。
他に、宮沢賢治における「意識変容」と、それを支える「友愛」(みんなきょうだい)の論理について考えてみた。
→ 「間身体性」(メルロ=ポンティ)
1学期のまとめ
1 フーコーの権力論
1) 権力についての古典的な考え方との違い
2) どこに「断絶」があるのか
3) 「規律=訓練の権力」とはどのようなものか。どこで、どのように働いているのか
4) パノプティコンの「監視」はどのようなものか
5) 「生の権力」とはどのようなものか
2 フーコー以後の理論
1) ドゥルーズの「コントロール社会論」。情報社会における「規律」。
2) ドゥルーズ/ガタリの「リゾーム」(「ツリー」と対立)。多を作り出すこと、異質なものの接続(つながり)だけがあって、終りも始まりもない。
3 「規律権力」以降の文化と芸術
1) マネの絵画。
2) マネと現代芸術。マグリット。
3) シャルコーのヒステリー研究。精神分析。
4) 「テクノロジー」との関係。写真、映画、スペクタクル
5) 「生まれながらの犯罪者」
6) 注意と散漫のせめぎあい
7) 宮沢賢治における意識変容。風景に溶け込み屈折すること、自己と他者のうつろい。影のリアリティ→「間身体性」(メルロ=ポンティ)
8) 谷川俊太郎「なんでもないものの尊厳」
9) 「書記バートルビー」(メルヴィル):I would prefer not to…
10) 劇団「態変」の意義
ポイント
・フーコーの考え方において、どこに普通の考え方に対する逆転があるのかを押さえること
・「キーワード」ごとに問題を整理すること。(「権力」「規律=訓練」・・・)
・その現代的な意義を自分なりに考えておくこと(結論や立場表明を急がず、問題の難しさをていねいに記述する)。ただし他の授業で習ったことをそのまま聞き書き的に書いても点にはならない。
・レジュメより、配布プリントを熟読し、自分なりに頭を整理するのがよい。
過去レジュメは、ホームページ(「廣瀬浩司」「フランス思想と現象学」で検索)にあるが、試験の基礎資料は授業で配布したレジュメおよび資料です。