問題の整理
・ベケットの『フィルム』は、物語性を最小限に抑え、ほとんどカメラの視線と主人公の関係だけに絞って映像を展開し、映画とは何か、映像とは何かという問題を提起している。哲学者ジル・ドゥルーズは「最も偉大なアイルランド映画」という論文においてこの作品を分析し、それを
・行動イメージ
・知覚イメージ
・情動イメージに分類している。
・知覚イメージにおいて注目したいのは、<見るー見られる>という関係についての問いかけである。主人公は部屋の中のあらゆる視線(鏡、目に類したものすべて、写真)を排除しようとひたすら努力する。見られるはずのモノが見始める、見る者が見られる・・・ ここにあるのは、「知覚の二重化」というべき事態であり、そこから主人公はなかなか逃れることはできない。
・最後に主人公が遭遇するのは、カメラの視線との遭遇である。そして同時に、それは、「自己自身」との遭遇でもあるかのようだ。
それは主人公に「死」(揺り椅子の停止)をもたらすかのように思われる。
・しかしドゥルーズはここに、個体の死とは異なった、別の次元の「生命」を見ているかのようだ。→「人間以前の世界」への回帰、宇宙的で霊的なるざわめきに達すること。ここにおいて、どのような新しいイメージが誕生するのだろうか。主人公の行動を伝えるのでもなく、その主観的イメージを見せるのでもないような、情動イメージの生成。
関連映像
・「大人はわかってくれない」(トリュフォー)末尾のクローズアップ
・「裁かるるジャンヌ」(ドライヤー)の顔のクローズアップ
映画におけるクローズアップ
・「映画美学が属している時代、それは旧来のロングショットのパースペクティヴがクローズアップのそれによって置き換えられる時代なのです。ロングショットにおいて、何らかのやり方で絶対的なものを描くことが意図されているとすれば、クローズアップによって光線が当てられるのは、個別的なもの、断片的なものによって意味されているかもしれない何か、これです」(クラカウアー)
・「情動イメージ、それはクロースアップであり、クロースアップ、それは顔である」
「情動イメージは、人物や事物の人格や個別性を消し去ってしまうが、空虚になってしまうわけではなく、顔に一種の流動性を与える。顔は情動の純然たる素材になるのだ」(ドゥルーズ『シネマ1』、184-185頁。
問題
・自分のイメージを見るとはどういうことか。
・顔を見るということはどういうことか
・自画像を、肖像をイメージ化するということはどのようなことか。
議論1 ラカンの鏡像段階理論
ジャック・ラカン 1901-81
フランスの構造主義的な精神分析家。主著『エクリ』(弘文堂)
・ 「鏡像段階」(ジャック・ラカン)
「主体」は見える=見られる関係(「想像界」)で作られる。
・ 「主体」は見えるものと見られるものとの相互作用から作られる。
・ 6ヶ月めの終わりから18ヶ月の赤ちゃんが鏡の前で自分の姿を「自分」だと認める体験。
まだ神経系が未発達で、「寸断された」身体を生きている。感覚は、呼吸、触覚、排泄など。
主体が鏡の像を自分のものとして引き受けることによって主体となる
他者の像によって自分を自分として体験する。
母との視線のやりとり。他者とまなざしを交換し合う。
・ しかしこの先取りはけっして完結しない。「主体の生成には漸近線的にしか合一しない」。メルロ=ポンティの言葉を借りるなら、全体像の先取りはつねに「切迫する (imminent)」にすぎないのだ。その結果身体の現実はつねに知覚の解体にさらされてしまい、それは分身 (double) や身体の解体のファンタスムとして現れることになる。
Cf. ヒエロニムス・ボス(15世紀)の絵画における「寸断された身体」ゴヤ(1746-1828)「子供を食らうサテュルヌス」
・自己への攻撃性。同年齢の子供とのシンクロ関係(ぶった子がぶたれたと言う。ぶたれた子につられて泣き出す)シンクロと攻撃性の両価性。
ー 鏡像への同一化が自己を形成
ー 解体のおそれ──分身の幻想
ー 攻撃性(ライバル)
2 ラカンの視線の分析
・物のまなざし
・ホルバイン<大使たち>(1533)
見る者の芽
主体を構成しながら否定するまなざし
アナモルフォーズ
ファルスのファントム:欲望の対象を不在において具現(フロイトの父親殺しのテーマ「トーテムとタブー」)
欠如の象徴
この亡霊の罠にかかるようにして、ひとは視覚世界に入っていく。
ラカンの功績
「自己」が成立する際にイメージ(「想像界」)が重要、
「見られること」が主体が主体となるのに重要であること
ラカン理論の限界:
感覚そのものに内在する論理を取り出していない。
感覚を「象徴界」に従属させてしまう
。
参考文献
ジャック・ラカン『エクリ』(弘文堂)
ジャック・ラカン『精神分析の4つの基本概念』
ジル・ドゥルーズ『シネマ』(全2巻)(法政大学出版局)
ジル・ドゥルーズ『批評と臨床』
十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』(講談社メチエ)
宇野邦一『映像身体論』(みすず書房)
そのほかは
廣瀬浩司ホームページ→筑波大学講義→参考文献集を参照