フーコーがマネに見てとろうとしたものは何か。

→ 仮説。そもそも感覚が感覚として与えられるための条件はなにか。それ自体は感覚できないが、感覚(形、ヴォリューム、質感、色彩・・・)に場を与えるような「感覚できないもの」

 

ヴェラスケス「侍女たち」の場合であれば、それは「王の場所」と呼ばれるものであった。それが、表象の合理的なシステム(幾何学的な光線による空間の構成)を可能にしていたのである。この「王の場所」に、有限な人間(風景に巻き込まれているような主体)が登場したとき、どのような空間が開けるか。

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キャンバスの物質的な特性の表面化。キャンバスそのものというよりは、「キャンバスのうえの二次元の絵画による三次元の空間表象」という前提そのもののゆらぎ。cf. Fontana (1899-1968)の作品Conzetto spatiale(空間概念)。

 

・フリーズ効果。cf. 遠近法の歴史においても、「浮き彫り」が重要な役割を演じたことに注意(パノフスキー『象徴形式としての遠近法』(48ページ、17図)

・キャンバスの「反復」という主題(10)、「量感(ヴォリューム)」が鑑賞者に投げ出される。

・壁紙効果のアイロニー的な使用。タピストリー効果。「タブロー自身のうちで表象されているのが、キャンバスの物質的な特性」→ 「タブローの二重化」(12)

→ 古典的な表象体系が、自分自身のうちに折り重なるとき、その表彰体系を可能にしていた前提が表面化してくるとフーコーは言いたいのではないだろうか。

・階段効果(12)

 

・「知覚に与えられない距離」→ 「西洋における絵画的知覚の根本原則の解体」(14)

ただしその表象体系の歪みが示す「強度」は強調されない。

 

以上のような解体によって、どのような空間が解放されるのか

・・モンドリアンの<木>

・<温室にて>:

ー空間の閉鎖

ー運動性

ー空間を削り、消去し、圧縮し、水平線と垂直線を強調。

ー「裏と表の作用」:

可視性と不可視性の関係に注意。「絵の人物が見ているものの不可視性をもたらす」(22)

 キャンバスの周りをまわるという運動をうながすような絵画。

 

 問題点:

 1)フーコーの「フォーマリズム」

 ・伝統を継承しつつ、そのなかに内在的な矛盾を見出す。そのため、空間の形式化そのもののなかに問題を見出す。

 ・したがってメルロ=ポンティのように、身体の厚みを強調することもなければ、ドゥルーズのように「器官なき身体」の「強度」をうちだすこともない。また、「感覚しえないようなもの」の「無」を強調することもない(「なにもみていない無のまなざし」(228)

 ・「アイロニー」を強調。同様のことをフーコーはボードレールの「ダンディズム」の「生の形式(ライフスタイル)」に見出している。

 

 2)フーコー論の特徴

 ・強度や情動、身体性などが強調されないかわりに、「人間」に関するさまざまな科学、技術などとの関係が分析しやすい。

 例)『臨床医学の誕生』19世紀以来の「臨床医学」の「まなざし」が、たんに実証的な科学の進歩の結果ではないこと。むしろある種のまなざしが、医学的な身体空間や、医学の「言説」を作り出したこと。