定年カウントダウン05

2019年3月

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03/01/金
3月に入った。いよいよカウントダウンも最終局面に入った。週末の入試には出なくてよくなったので、入試は来週の大学院入試だけだ。研究室の片づけもほぼ終わり、荷物を運び込む部屋も確保した。荷物の搬送など厄介なことがまだ残っているが、時間に沿って手続きをとっていけば解決するだろう。まだやらなければならない手続きがいくつもある。こういうものが1つでもあると何となく落ち着かない。時間の経過を待つしかない。本日は9時半に大学に到着。短い会議のあと、午後1時から教授会。それまで本の箱詰め作業。ゴミも少し出たが、大部分も新たな書庫に運ぶ箱に詰める。新たな書庫は6畳くらいの部屋なので、箱は20個までと決めている。数えてみたら18個になった。本棚に残っているのは自著ばかりだが、すでに自著もかなり箱に詰めた。残ったものは入れ忘れたものだが、捨ててしまってもいい。捨てるにしても箱には詰めないといけないが、時間が来たので研究室を出る。今日は夜に宴会がある。送別会ということで、定年で退職する先生が自分の他に2人。教養部のフランス語の先生と図書館長だが、文学部で授業をもっていただいた。この3人の他に、学科長の宮川健郎先生もお辞めになる。宮川さんは児童文学者なので、早めに退職して自分の仕事に専念される。ということで4人の送別会ということになる。一人だけ辞めるわけではないので気が楽。自分は客員の2年間を含めても10年だけの勤務だが、他の先生はもっと長く勤務されているので、いろいろと想い出話が聞けて楽しかった。楽しい会なのでハイボールを呑むピッチが早かったようで、どうやって自宅に帰ったか記憶がぼやけている。とにかく楽しい飲み会だった。

03/02/土
この週末は休み。日曜日に入試待機があるはずだったが、お休みをいただいた。そういえばこの前の入試待機の時に、待機している学部長の人数が半分くらいだった。交替でお休みをもらうというこにしたのだろう。で、今回はこちらがお休みとなったようだ。ということで2連休となる。今日はひたすらパソコンの前に座っていた。人麻呂が持統女帝と初めて会う場面。いい感じに仕上がった。いまはこの作品に集中している。他には『文芸思潮』から声をかけてもらったので、高校時代の話を書こうかと思っている。それから児童文学の短篇の注文も受けている。新書の企画を担当者に届けてある。まあ、そんな現状だが、急ぎの仕事はないので、どこまで行けるかわからないが、人麻呂を書き続けようと思っている。

03/03/日
東京マラソンの日だ。自宅から見えている淡路町の交差点を群衆が横断していく。先頭ははるか先に進んでいるのに、まだまだ人の波が続いている。走るということは、ぼくは苦手だ。というか、まったく興味がない。それでも電車やバスが来ていると、瞬間的に走ることはある。七十歳にしてはよく走れる方だと自分では思っているが、それは緊急の場合で、用もないのに走るということに意味を感じない。まあ、人が苦しむのを見るのは楽しいので、スポーツ中継をよく見るのだが。パソコンに向かって仕事。とにかく文章を書いていれば、何ごとかをなしているような気分になる。本日の入試待機が休みになったので、大学に行くのは水曜の学部長会議ということになる。学部長会議に出るのもそれが最終回か。木曜日にも判定会があるので大学に出向く。その日に荷物を送り出すことができるか。大学には行かないが、明日はSARTRASの理事会。明後日も文藝家協会で会合がある。大学が定年退職となっても、毎日が日曜日というわけではない。まあ、行くべき場所があるというのは、ありがたいことだ。

03/04/月
今週は毎日何か行事がある。それでも1日1件なので、まあ楽なスケジュールだ。1日に2件、異なる場所で用があったり、1日フルの仕事があったのすると、その日は自分の仕事ができなくなるのだが、1日に1件だけなら、自分の仕事もできる。本日は午前中に書庫にする部屋に出向いて、鍵の交換に立ち合う。本棚を置くために壁の長さを測る。そういった作業で時間をとられた。妻と喫茶店で昼食。それから表参道のSARTRASの理事会に出かけた。本日は雨。喫茶店は地下鉄の入口のすぐ近くなので、とりあえず千代田線に乗った。会場は日本複製権センター。表参道のオリンピックの上にある。以前、三宿に住んでいたころは、田園都市線の池尻大橋駅から半蔵門線にそのまま乗り入れていたので、表参道で下りていたのだが、前回の理事会の時に建物から出た時にふと反対側を見たら、すぐ近くに地下鉄の入口のMマークが見えた。銀座線の外苑前駅だ。半蔵門線は渋谷から青山一丁目まで、銀座線と並行しているのだが、外苑前駅はない。前回は外苑前から銀座線に乗り換え、赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えたのだが、本日は千代田線に乗ってしまったので、表参道で外に出ずに銀座線で一駅乗って外苑前で下りた。帰りもその逆のコースで帰った。雨の日は千代田線で帰ると畳んだ傘を出さなくていい。会議の間もメモを少しとった。20人ほどの会議なのだが、副理事長なので必要な発言はした。明日は文藝家協会で研究会がある。これは自分が委員長をしているので出ないわけにはいかないが、ゲストの対談を聞くだけでいいので、まあ、その場にいればいいというだけの仕事だ。

03/05/火
夕方、文藝家協会で本の未来研究会。『新潮』と『文學界』の編集長の対談ということで、暗い話になるかと思ったら、お二人とも元気だった。確かにここは又吉直樹さんの「火花」と「劇場」でヒットを飛ばした文芸誌だから、まだ余裕がある。ということは、文学の未来はそれほど悲観的ではないということだろう。本の発行部数は昔に比べれば減っているが、新人賞の応募者が減っていないということも、未来につながると思っている。三田のゼミの学生たちも、まったくもって元気だった。本の好きな若者はたくさんいる。ただ本の好きの子の多くはアニメもゲームも好きだということで、就職してヒマがなくなると、本から離れていくということもあるかもしれない。自分自身、大学卒業後、4年ほど働いていたけれども、その間に本を読むヒマなどはなかった。いまの出版不況は、本好きだった団塊世代が図書館でしか本を読まなくなったせいだろう。本日は花粉が舞っているということだったが、ガード付きのサングラスとマスクで警戒していたので、いまのところは大丈夫だ。

03/06/水
大学。学部長会議。早めに行って、最後の箱詰め。事務室に出向いて研究費に関する報告書を出し、引っ越し荷物の伝票を貰う。箱が20。運送業者に電話し、明日の午前中に取りにきてもらう。この時期、引っ越し業者に頼むのはたいへんだが、大学指定の宅配業者だと、大学支払いの伝票を支給してくれるので、こちらは負担はない。これで手筈は整ったが、明日、時間どおりに業者が来てくれるか。まあ、大手業者だから大丈夫だろう。

03/07/木
朝9時からの判定会。少し早めに自宅を出て御茶ノ水駅のホームに下りていくと、次の高尾方面の快速は東京駅で車輌点検しているという放送。総武線の三鷹行きが来たので三鷹まで行って、バスに乗った。このところ武蔵境からひばりヶ丘行きのバスに乗っているので、三鷹からバスに乗るのは久し振り。まあ、昔はこの経路のバスに乗っていたのでどうということはないのだが、大学前の歩道橋を渡るのがめんどうだ。朝から雨が降っている。判定会は20分で終わる。研究室に入って、まずは20個の箱にラベルを貼る。昨日は研究室にノリがなかったので貼れなかった。自宅からノリを持参。これでOK。昨日電話で業者に10時〜12時に取りに来るように頼んだ。11時ごろ電話がかかってきて少し遅れて1時になると言ってきたのでOKと答えた。それでも結果的には12時くらいに取りに来た。カートに10個ずつ積んで2回で完了。プロはすごいね。自分が廃棄物の箱を造って廊下に持っていく時は、カートに2個積むのがせいいっぱいだった。部屋の中にあった20個の箱がすっかりなくなったのでスッキリした。キャビネットの中に生原稿が残っているのを発見。武蔵野文学館行きの箱をもう1つ作ることにして、棚に残っていた自著も詰め込んだ。これで箱詰めの作業は完了。きれいに何もなくなった。本日はやることがたくさんある。次回の学部長会議の欠席届をプリント。あと気になっていたのがスケジュール表。いつも一太郎の中に入っているカレンダーをプリントしたものにスケジュールを記入して使っていた。数年前にまとめてプリントしたものがあったのだが、先日確認すると2022年までしかない。昔一太郎を使っていたことがあって、時々新しいバージョンを購入している。ふだんは一太郎のATOKで漢字変換をしながらワードで文章を打っている。一太郎を開くことはまったくない。研究室の新しいパソコンは2年前くらいに入れ換えがあって、その時、一太郎はインストールしてあったのだが、一度も開かなかった。初めて開いてみると、見たこともないような画面になっている。昔、カレンダーをプリントした時、どんな操作をしたかの記憶もない。いろいろ試みたのだが、どうにもカレンダーに到達できない。ヘルプを開けて「カレンダー」を検索すると、「カレンダーを作る」という項目があった。しかしそこからの操作はたいへんに複雑であった。もう一太郎でカレンダーをプリントする人はいないのかもしれない。まあ、スマホの中にカレンダーは入っている。しかしこちらは紙の上にメモすることに慣れているから、カレンダーは必要なのだ。まず画面を古いレイアウトにしてから、テンプレートの古いところを探っていくと、ようやくカレンダーというところに到達。1年ぶんずつしかプリントできないので、そのややこしい手続きを繰り返して、2038年までプリントしたら、その先はもう数字が出てこなくなった。考えてみると、2038年には自分は90歳になっている。スケジュールが必要な仕事はもうしていないだろう。とにかくあと20年ぶんのカレンダーができた。さて、研究室の中ががらんとした。もはや簡単な文房具と老眼鏡が残っているだけだ。再来週の月曜日に教授会がある。その日に部屋の鍵を返却することになっている。大学に来るのは来週の卒業式と、教授会、さらに非常勤の先生方との懇親会があって、月末近くに何やら退職者の人の集まりがあるらしいが、その日に身分証明書などを返却する。とにかく本日の作業で、パソコンの中の必要なファイルを取り出し、もうこのパソコンに触ることはないだろうと思ってスイッチを切った。大学のメールは自宅からでも操作できるので、まだ学部長としての仕事は続くのだが、研究室のプリンターで文書をプリントするのも本日が最後だろう。がらんとした部屋を見ると、急に、寂しさみたいなものを感じた。孫が帰ってしまった時の寂しさみたいなものだ。8年間、この大学で専任を務めてきたのだが、最初の1年間は別の場所に研究室があったので、この研究室を使ったのは7年間ということになる。学部長としての仕事はずっとここでやってきた。これでようやくこの激務からも解放されるのだなと思ったり、ここでずいぶん多くの仕事をしたなと考える。まあ、部屋の片づけが意外に早く終わってほっとしている。

03/08/金
ホテルオークラで旺文社のコンクール授賞式。科学から各文芸部門にわたる大規模なコンクールで、受賞者の数も選考委員の数も多く、やたらと時間がかかる。こちらは詩部門の表彰状を渡す。そのあと宴会。子どもが多いのでデザートが豊富。以前はアルコールの所在がわからないようになっていたのだが、不満が出たのか、今回はワインと水割りもずらっと並んでいた。水割り3杯ほど飲み、受賞者の両親と写真をとったりして、自分の務めを果たした。大部分は椅子に座っているだけが仕事みたいなものだったが、とにかく終わってほっとしている。

03/09/土
本日は休み。パソコンに向かって、『遠き春の日々』を書いている。『人麻呂しのびうた』はプリントした第二章までを、明日、じっくり読み返してみたいと思っている。明日はカウントダウンの最後の入試。有明キャンパスで大学院入試だ。採点と面接があるので時間はとられるのだが、それでも待機している時間はあるので、そこでプリントを読み返したい。明日が終わると、残りは卒業式とパーティー、教授会。そこで研究室の鍵を返す。最終週に教員懇親会がある。それで学部長としての仕事はすべて終わる。あとは最後に教員証と健康保険証を返却するなど事務手続きがあるだけだ。4月になれば、ついに自由な作家となる。児童文学の短篇と、『文芸潮流』の連載など、とりあえず書くべき仕事も決まっているし、『人麻呂』も担当編集者に連絡を取りながら、完成を目指したいと思っている。未来のことに目が向いたので、本日は自動車教習所に電話をかけて、2時間講習の予約を入れた。70歳になると講習を受けないと免許の更新ができないらしい。すでに妻は講習を済ませている。まあ、講義を受けてから、教習所内を回ることになるようだが、こちらはペーパードライバーなので、5月の連休中に浜松の仕事場に行った時に、少し練習したいと思っている。午後、妻と書庫として借りた部屋に行く。自宅から徒歩5分。何カ所が見に行ったがいちばんいいところに決まってよかった。妻が作ったカーテンをつける。カーテンが入ると部屋らしくなった。帰りに自宅と同じ敷地にあるスーパーに寄る。ウィスキーとチーズなどを買う。毎日酒を飲むのですぐになくなってしまう。

03/10/日
有明キャンパスで大学院の入試。文学研究科は定員を少し切ったくらいで推移していたが、今年のV期はどういうわけか10人も志願者があった。定員7人で、すでにT期とU期で3人の合格者があったので、残りの枠は4人。何だか狭き門になった。人数が多いので、2つの班に分けて面接。終わってから担当者4人で協議。選考に苦労するかと思ったが、割とすんなりと決まった。先生方には先に帰っていただき、一人で残って判定会を待つ。待つまでもなくすぐに判定会となり、定員きっちりということを報告する。一人ずつ当落の理由を説明して入試課の諒承を得た。これですべての入試が終わった。定年カウントダウンは主にこの入試待機をカウントしていたのだが、これでゼロだ。あとは学部の卒業式と、翌週の教授会。そこで研究室の鍵を返却し、最終週の非常勤の先生方との懇親会で挨拶をすればそれで務めはすべて終わる。先が見えてきた。さて、本日は『人麻呂しのびうた』のプリントをもっていった。ずっと読んでいたのだが、ペーパーテストの採点や面接をしていたので、待機の時間はごくわずか。1章の半分くらいしか見られなかった。けっこう赤字が入ったが、テンポはよくリーダブルだと思う。いい感じで書けている。間を置かずに2章の終わりまで読んでしまいたい。

03/11/月
新しく書庫として借りた部屋に出向く。木曜日に大学から発想した20個の箱が届く。2時から4時と指定したのだが、2時半ごろに届いた。このあたりは密集地帯なので運送会社は中継地点をもっている。そこに3泊したのだろう。トラックではなく中継地点から3回に分けて手押し車で運ばれてきた。木曜日に大学の研究室にあった箱が、今日は自分の書庫にある。まだ本棚などは設置されていないので、がらんとした部屋に箱だけがある。自分がいなくなったら処分されてしまうはずの本だから、しばらくは箱詰めのままにしておいてもいい。そのまま箱ごと捨ててしまうことになるのかもしれない。ただ歴史小説を書く上で必要な資料もあるので、少しひまになったら本棚を調達して、とりあえずにはならべておきたい。新たに買って使用済みとなった本もここに置くことになるだろう。執筆の作業は自宅でするので、ここを書斎として使うわけではない。一つの作品が終わったら、自宅にある資料をここに運び込み、次の仕事の資料を探すことになる。ここになければ本屋で買うしかないのだが、駿河台下まで2分くらいで行ける。神保町までも5分くらいだろう。自宅から散歩に出て買った本も、とりあえずここに置いておけばいい。そういう意味では、ここで本を読むということもあるだろう。机は必要ないが、椅子くらいはほしいかなと思う。浜松の仕事に折りたたみ式のディレクターズチェアがあった気がする。ショッピングセンターで買ったまま一度も使っていない。5月の連休には浜松に行こうと思っている。夕方、テレビを見ていて、ああ、今日は3・11なのだと思った。あれから8年か。ぼくが大学の専任になったのも8年前だった。その日は、ぼくと入れ違いに退任される教授の送別会があるとのことで、ぼくも招かれていた。ぼくはその2年前から客員として大学の授業は受け持っていたので、専任になる挨拶をするためにそこに出向くことにしていた。その日は3時から文藝家協会で何省だったか忘れたが役人の人が来て、図書館と著作権というテーマで話し合いというか、聞き取り調査みたいなものに応じる約束をしていた。地下鉄永田町駅の長い昇りエスカレーターの途中で異音が響き横揺れを感じたので、エスカレーターの故障だろうと思い、慌てて駆け上がって外に出てみると、目の前の高速道路の街灯が振り子のように揺れていた。多くの人が地面の上にしゃがみこんでいた。こちらはそうした光景をただ立ち尽くしたまま眺めていた。文藝家協会に着いて約束した役人と一時間ほど話をした。途中、2度ほど余震が来たのだがそのまま話し続けていたので、事務の人に、三田さんは地震が怖くないらしいと言われていたようだ。自分はたぶん現実というものにあまり現実感をもっておらず、危機意識が欠如しているのだろうと思う。その時点でも、6時から吉祥寺の中華料理屋で送別会がある、ということが頭から去らず、行く気になっていたのだが、テレビで津波のようすを眺め、東京もすべての交通機関がストップしていることを知った。当時は三宿に住んでいたので、麹町から三宿まで徒歩で帰った。途中、渋谷の街が大群衆で埋まっていた眺めは悪夢のような記憶になって残っている。あれから8年、それ8年を自分は専任教員として過ごし、今日は定年退職で研究室の荷物を新たに開設した自分の書庫に運び込んだ。まあ、荷物を受け取っただけなのだが。

03/12/火
文藝家協会の評議員会、常務理事会、理事会。評議員会があるとけっこう長い時間拘束される。何事もなし。終わってから加賀乙彦さんらと軽く飲む。加賀先生がワイン3杯飲んだところで解散する。加賀さんは、戦後派の伝統を受け継ぐ最後の作家という感じがあって、いつもご一緒すると緊張感を覚える。今週は明日、明後日と、著作権関係の仕事がある。その次の大学の卒業式。今週は毎日スケジュールがある。大学の授業が終わって一ヵ月以上になるのだが、あまり楽になったという感じがしない。それでも来週の水曜日が終わるといよいよ何もないという感じになる。まあ、それまで、最後の力を振り絞ってスケジュールをこなしていきたい。

03/13/水
本日は中野坂上の著作権情報センターの理事会。それだけ。淡路町から中野坂上まで地下鉄一本で行けるのだが、駅の数がたくさんある。40分くらいかかる気がする。中野坂上には大江戸線も来ているので、新宿乗り換えで小川町という経路もあるが乗り換えがめんどうだ。先日、武蔵野館で試写会があった時は、丸ノ内線で四谷乗り換え、中央快速で帰った。これがいちばんいいようだ。本日も帰途、四谷で下りようかと思ったが、座席に座っているので移動がめんどうな感じがした。まあ、5分くらい早く帰ってもどうということはない。明日も1件だけ仕事がある。

03/14/木
表参道の青山学園のアイビーホールで教育フォーラム。3回目で最終回。1度だけ発言する。本日の仕事はこれだけ。自宅に帰って執筆。本日は大学院の修了式なのだが、教育フォーラムとかぶったので、次期学部長に終了証書の手渡しをお願いした。明日は学部の卒業式。これは自分の卒業式でもある。この卒業式と卒業パーティーで、ぼくのカウントダウンもほぼ終わりだ。まだ来週の教授会と、その翌週の非常勤の先生方との懇親会があるが、それはゆるやかな着地へのステップで、卒業式で大きな山を越える。体調を調えて臨みたい。

03/15/金
卒業式。少し前までは有明コロシアムでやっていたので1回きりだったのだが、オリンピック前の改修で使えなくなったので、武蔵野キャンパスの体育館。ここだと午前と午後の2部制になる。学部長は両方出席して舞台の上に並んでいなくてはならない。ただ座っているだけの仕事。昼休みに奨学金の授与式があり、午後の部に突入する。今年は文学部が答辞の当番になっていて、どういうわけか三田ゼミの学生が選ばれた。驚くべき残虐な小説を書く女子だったので心配したが、前向きの爽やかな答辞で、しかも儀礼的なものではなく、文学部らしい内容があった。小説を書ける子は頭が良く気配りもできるということがよくわかった。三田ゼミは全員がきっちり卒業。レベルの高い作品を創作集に掲載することができた。終わって研究室に戻る。本がすっかりなくなってしまったので自分の部屋だという感じがしない。本がないので時間つぶしもできない。とにかく時間が来るまで研究室にいて、部屋をあとにする。来週の月曜日に鍵を返却するので、こんなふうに研究室で時間をつぶすのも最後だろう。原宿の東郷記念館。そこに東郷神社があることは知っていたが、中に入るのは初めて。竹下通りに踏み込む勇気がなくて反対側から入ったらやっぱり遠回りだった。何か自分のゼミの学生がほとんどいないと思ったのだが、女子が全員美人になっていたので見違えたのだった。こういう卒業パーティーに出るのも最後の機会となった。答辞も三田ゼミだったが、パーティーの委員長も司会も三田ゼミだった。当ゼミにはすごいキャラクターがいたのだと改めて思った。2次会もやるとのことで渋谷に移動。8人集まった。深夜になったのでタクシーで帰った。四日市の次男が大学の仲間と飲み会だということだが、こちらが帰った時にはもう風呂から上がってくつろいでいた。次男の次男を連れてきたとのことだが、もう寝ているので会えず。とにかく卒業式が終わってほっとしている。学生さんの相手をするのも本日が最後で、あとは教授会と非常勤の先生方との懇親会があるだけ。定年カウントダウンもいよいよ大詰めとなった。

03/16/土
この週末は休み。すでに入試に関する行事はすべて完了している。月曜日に教授会があり、年度末なので審議事項がたくさんあるが、それが終われば学部長としての業務はほぼ終わりだ。昨日の卒業式で学生相手の仕事は完全に終わった。さて、本日は妻に車を出してもらって大学に向かった。本は箱に入れて宅急便という方法で移動は終わっているのだが、箱に入らないものや、自宅に持ち帰りたいものが少し残っている。大物は小型の掃除機。これは昔、三宿の大邸宅に住んでいたころ、自分の書斎だけ自分で掃除するために買ったもの。邸宅を引き払った時に車で研究室に運び込んだのだが、掃除は定期的に大学がやってくれるので、ほとんど使わなかった。それでもゴミが少したまっていたので何回かは使ったようだ。三宿にいたころは、時々妻に車で送ってもらった。いまの淡路町から行くのは初めてで、けっこう距離がある。研究室のある7号館は空調設備の改修で大工事をしている。昨日は使えていた自分の研究室でも作業が始まっていた。荷物は作ってあったので袋3つぶんを手にもって、車に積み込む。帰りに書庫に寄って掃除機を運び込む。他にはレインコート、予備のワイシャツ、夏の上着など。着古したものはすでに捨ててしまっている。とにかくこれで研究室の中のものはすべて運び出した。月曜日には鍵を総務課に戻すことになる。これで一つの区切りがつく。昨日から四日市の次男と、その次男が泊まりにきている。昨夜は卒業パーティーの二次会で遅く帰ったので孫とは会えなかったが、朝、ベッドにいると孫の声が聞こえたので、そのまま起きて孫の顔を見に行く。次男と孫はお台場のレゴランドに行ったようだ。夕食は孫といっしょ。孫とは正月の前後を浜松の仕事場で過ごしたが、それ以来だ。

03/17/日
日曜日だ。四日市の孫がまだいる。近所のヨドバシカメラに行ってレゴを買う。それから東池袋の水族館に行く。歩き回ったのでけっこう疲れた。レストラン街が混んでいたので御茶ノ水に戻って食事。パスタを食べる。住んでいる住居の隣のビルの地下広場にあるレストランは、オフィス街なので週末は空いている。これから孫たちを東京駅に送っていく。

03/18/月
大学。教授会。本日の教授会をもって学部長としての仕事に終止符。まだメールで決裁などの依頼があるだろうが、ハンコを押すように事務室に返信すればいいだけの作業だ。研究室に入り、ゴミが残っていないかどうかの確認。少しゴミが残っていたので捨てる。鍵を総合事務課に返却。併せて学部長用のケータイも返す。結局、6年間、1度も使わなかった。シャットダウンした状態だと電力を使わないので、年に1度くらい充電しただけだ。ワンセグでテレビも見える機種だったが、なくすと困るので自宅に置きっ放しだった。研究室を閉めた時、もう感慨のようなものはなかった。荷物を運び出した時がピークだった。それでも帰りの電車に乗った時に、もうこの電車に乗ることもないか、などと考えた。高校生の作品募集には名前を残してあるので、表彰式に行くことになるかもしれない。講演に呼ばれることもあるだろうし、三鷹サテライトでは後期に何かやろうと思っている。だが、大学教員としての日常が今日で終わるのかなという感慨はあった。自宅に帰って、この創作ノートと並行して書いている「業務日誌」を更新した。業務日誌は予定を先にアップして、新たな仕事があれば追加するということにしている。予定になかった来週金曜の、大学退職者の行事を追加し、4月のぶんも入れておこうと予定表を見たら、文藝家協会とSARTRASの理事会があるだけで、それ以外は完全な空白だった。まあそれがふつうの作家の日常なのかもしれない。この数年があまりにも忙しすぎた。空白期間があると作家としての仕事が捗るかというと、もはや体力が残っていないので、のんびりして何もしないかもしれない。それでは頭がボケるので、何とか仕事を続けたいと思っている。

03/19/火
日本点字図書館理事会。ここではいつも議長をやらされる。ぼくの声がいいからだろうと思っているが、去年の夏に風邪をごしらせて声がハスキーになってしまった。午前中、歌を歌って発声練習をしていったので何とか声が出た。明日は大学の判定会議が予定されていたのだが、ネットでの稟議書の回覧でOKということになって、回ってきた稟議書を承認した。明日はオーファン委員会の実証事業の報告会のシンポジウムがある。学部長会議には欠席届を出してある。判定会議がネットで片付いたので明日は直接、シンポジウムの会場に行けばいい。次の公用は来週月曜日のSARTRAS理事会と大学での懇親会。それまで連休となる。4月になったら毎日が日曜日状態になるのだが、3月はぎっしりスケジュールがつまっていたので、この連休はありがたい。ただし明日は最初の挨拶とシンポジウムで、また声を出さないといけない。朝起きたら発声練習をしておきたい。

03/20/水
JASRACのけやきホールで、オーファン実証事業委員会のシンポジウム。朝、薬師丸ひろ子の『Woman』を歌って声の調子を調える。これはすごい名曲だと改めて思う。つねに転調しているような不思議な曲だ。この曲はユーミン作曲だが、薬師丸ひろ子にしか歌えない曲だろう。ギターでコードを奏でながら薬師丸ヒロ子になりきって歌う。いい声が出るようになったので自信をもって会場に向かう。代々木上原なので千代田線1本で行ける。花粉の季節なのでサングラスにマスク。怪しまれるので会場の手前で素顔を見せる。三田は委員長なので開会の挨拶。それからシンポジウムも最初にスピーチをする。他のパネリストはパワーポイントを準備されているのだが、こちらはただ口先でしゃべるだけ。あとは席に座って、指名されたら即興で何か言う。定刻になったので終了。今週はこれで公用は終わりなのでほっとする。終わって懇親会があったので、ウイスキーを何倍も呑んだ。いい店で、ウイスキーの銘柄が揃っていた。こちらはジャックダニエルばかり。ぼくの学生時代にはジャックダニエルは1万円していた。さて、明日から連休。天気がわるそうなので自宅でじっとしていたい。

03/21/木
天気予報では悪天候ということだったが、風が強いものの快晴。ぼくの住居は日当たりが良すぎて、快晴の日をカーテンを閉めないといけない。ということで、妻と散歩に出ることにした。千代田線で1駅乗って大手町。大手門から東御苑に入って、代官町の方に抜けた。それから武道館前を通って九段の坂を下り、喫茶店で休んでから自宅まで帰った。8500歩。

03/22/金
本日は休み。4連休の2日目。妻がマッサージに出かけた。こちらは秋葉原を散歩。来週月曜に講師の先生方との懇親会がある。料理は経費で出るのだが、酒は専任教員を持ち寄ることになっている。最近はお歳暮などで酒が来ることもなくなったので、近くの業務スーパーでワインを買っていたのだが、先日孫を連れてヨドバシに行った時に、酒を売っているという表示が出ていた。渋谷のビックカメラで酒を売っているのは知っていたのだが、ヨドバシで酒を扱っているのは知らなかった。ということで今日はヨドバシに行ってみたら、品揃えが豊富だった。もう自宅でワインを飲むことはなくなった。浜松の仕事場では気持がのんびりするのでワインを飲むこともあり、貰ったワインは浜松に運び込んでいる。昔、長男のいるスペインによく行っていた時期がある。スペインで外食する時は必ずワインを飲んでいた。スペインの食堂では、テーブルを用意している間、附属のバーでビールを飲むことはあっても、テーブルにビールが出てくることはない。つねにワイン。昼食の定食にも必ずワインがつく。4人で食事すると赤ワインが2本付いてくる。長男は車を運転するし、嫁さんは飲まない。ぼくの奥さんも飲まない。それでぼくが2本飲むことが多かった。いまはそういう元気はない。とにかく本日は赤と白とワインを購入して、月曜に持っていく鞄に入れた。大学に行く前にSARTRASの理事会がある。研究室の鍵を返したので早めに持っていって置いておくことができなかった。まあ、それほど重いものではない。秋葉原から電車で水道橋に移動して本屋に寄り、久し振りに女坂の階段を昇った。駿河台の上の台地と、神保町から水道橋にかけての通りとの間にはすごい段差がある。水道橋側から女坂、男坂、丘の上ホテルの横のスロープと、3通りの経路がある。男坂を登るつもりだったのに間違えて女坂に行ってしまった。女坂という名前だがこちらの方が傾斜がきつい気がする。男坂は一気に登る階段だが、女坂は途中で2箇所、折れている。そのぶん歩く距離が長い気がするのだ。

03/23/土
今日は寒いとの天気予報。妻は友人に会うとかで外出したが、こちらは一歩も出ず。パソコンに向かったり、資料を読んだり、のんびりと時を過ごす。明日も休みだ。

03/24/日
本日も休み。週末に試験の待機に出かけた日々が遠い過去のような気がする。定年カウントダウンもついに最後の週を迎える。月曜に講師の先生方との懇親会がある。そこで挨拶するのが学部長としての最後の仕事になる。懇親会に先立って、在校生の新2年生から4年生までのガイダンスがあるのだが、それはもう参加しなくていい。飲み会に出るだけの仕事だ。それで大学の教員としての仕事は完全に終わる。金曜日に退職者のための儀式めいたものがあるようなので、少し早めに大学に行って、教員証とメールボックスの鍵を返却する。週末に急病になるかもしれないので、健康保険証は郵送することになる。本日は妻の運転でドライブ。車検が迫っているのだが、妻の従弟が利用している自動車工場がいいというので、販売店ではなくそこに頼むことにしたのだが、場所がわかりにくいので確認のために近くまで行ってみた。やや狭い路地の先にあるようだが、とにかく曲がり角だけは確認。道の細さが気になるところだが、従弟の車はでかい外車なので、われわれの国産車は入れるはずだ。従弟は外資系の企業を早期退職して悠然と暮らしている。ディーラーに任せればいいところを、そのディーラーが下請けをさせている修理屋に直接頼んで、少しでも安くするということらしい。合理主義に徹しているのだ。こちらも定年なので、見習わなければならない。

03/25/月
SARTRASの理事会。終わってから大学。講師の先生方の懇親会。冒頭に学部長の挨拶。これが学部長としての最後の務め。後任の川西蘭さんにも、この大学の雰囲気が伝えられたと思う。郵便を確認しようと思ったらすでにメールボックスは閉鎖されていた。教員証とメールボックスの鍵を返還。これですべての手続きが終わった。健康保険証は郵便で返却する。やれやれ。すべての作業が終わった。

03/26/火
午前中に小雨。今日から3日間は休み。4月からは毎日が日曜日になるとはいえ、続けて休めるのはありがたい。これからは自分の仕事だけに集中できる。いまはいくつかの仕事を並行して先に進めている。去年の夏ごろから構想を練っている『人麻呂しのびうた』という作品は、2章までができている。1章が30ページ90枚。全体は5章450枚と考えている。その2章までのプリントを読み返して赤字が入っている。とりあえずこの赤字を入力することにした。1章が終わった。明日には2章までが終わる。その先はメモもないので直接入力していくことになる。他に児童文学者協会から頼まれた短い作品と、『文藝思潮』の連載の仕事がある。締切はまだ先だが、4月になったら具体的にメモをとっていきたい。

03/27/水
天気がいいので妻と花見に出かける。妻は高齢者で都営の地下鉄やバスが無料になる。で、都営地下鉄で白山まで行き、小石川植物園。ほぼ満開の桜のもとで、コンビニで勝ったおにぎりを食べる。9000歩。少し疲れた。

03/28/木
昨日の花見で疲れたのか妻が体調不良とのことで医者に行った。定年退職に伴う健康保険の切り替えの時期が迫っているので微妙だが、保険証は4月になってから郵送することになっているので、とりあえず今月はまだ私学共済の保険が使える。来月からは文芸美術国民健康保険というものになる。その切り替えで瞬間的に保険証がない状態になるのだが、まあ、何とかなるだろう。8年前、大学に就職した時に、妻が扶養家族になるかの審査で時間がかかって保険証が届くのが遅れたことがあった。まだ三宿に住んでいたころで、医者も薬屋も顔なじみだったので、保険証の提出を猶予してくれたのだが、何か不安な時期を過ごしたことが記憶に残っている。結局、少し遅れて妻の保険証は届いたのだが、妻がスペインに行っていて、自分で医者と薬屋に手続きをしにいった記憶がある。今回は事前に審査が済んでOKが出ているので、前の保険の離脱を証明する書類を届ければ即座に保険証が貰えると思う。さて、春休みなので、四日市の次男のところが、嫁さんと孫2人で東京に出てきた。むろん次男は仕事で来られないのだが。1週間ほど前に次男が孫1人つれて来たことはあったのだが、今回は孫2人だ。2人揃うと孫は突然うるさくなる。妻が不調なので近くの店で食事をしたのだが、孫とメシを食うのはかなり疲れる。去年の夏はスペインの長男一家がやってきて、孫6人と北海道へ行ったり、さまざまなところでメシを食った。悪夢のような想い出だ。大学の卒業パーティーで、宴会の余興でクイズがあり、各ゼミにちなむ問題が出て、ぼくのゼミの問題は「三田先生のお孫さんは何人?」というのだった。ぼくの研究室には孫6人と写した写真が貼ってあったので研究室に来た学生ならわかる問題。スペインの孫たちはいまは遠くにいるので大丈夫だが、四日市の孫2人は時々来るので耐えなければならない。さて、明日は大学で退職の儀式があるらしい。これは顔を出せばいいだけの仕事だ。

03/29/金
大学。退職者が集まって学院長室で退職金と記念品をいただく。退職金は計算書と源泉徴収票だけ。記念品は金一封。よかった。仏教関係の記念品ではないかと恐れていたのだ。その後、教員の同窓会の宴会に新人として参加する。今日は顔を出すだけだと思っていたのだが、一人ずつ挨拶が必要だった。最後に花束をもらって、これで大学に関する仕事はすべて終わった。この「定年カウントダウン」というノートは、主に早朝集合の入試待機の残り回数を数えていたのだが、やはり大変だったのは研究室の本の整理だ。いっしょに辞める児童文学評論家の宮川先生は40箱を自宅に送ったとのこと。一戸建ての自宅のある人はいい。こちらは集合住宅に住んでいるので、新たに部屋を借りて20箱にとどめた。これからの歴史小説を書きたいので、歴史関係の資料にとどめ、文学関係の本はすべて図書館に寄贈した。自分の著書や生原稿は大学内の武蔵野文学館で保存してもらう。余った自著やゴミみたいなものを棄てるにも箱に入れる必要があったので、とにかく箱詰めが大変だった。少しずつ自分でやってみたがまったく捗らなかった。かつての教え子の大門くんが来てくれて、1日でほぼ完了した。彼の活躍に感謝したい。今日から日本のプロ野球が始まったが興味はない。アメリカのFootballのトレード情報の方が気にかかる。来シーズンはチーフスのランニングバックのハントと、ジャイアンツのレシーバーのベッカムが移籍したクリーブランド・ブラウンズを応援したい。それとイーグルスのQBニック・フォールズが移籍したジャガーズも気にかかる。セインツ、チーフス、ラムズはほぼ同じ陣容でシーズンを迎えるようだ。明日はお花見の予定だったが、天気がよくないようだ。

03/30/土
本日はお花見。友人のご子息の企画で、船をレンタルして花見に出かけた。メンバーは、三田、友人の長男、長女、長女の夫、次女というメンバー。ごく親しい友人で昔はご近所だったので、お子さんとも古い付き合い。こちらの二人の息子の子どものころのこともよくご存じ。まず長男と浦安駅で待ち合わせをして、タクシーで船の出発点に向かう。他のメンバーとともに船に乗り込む。ディズニーランドの横から葛西臨海公園の前を通り、荒川を左折して夢の島の横、隅田川に出るとすぐに右折して大横川の桜を楽しむ。そこまではよかったのだが帰りはスピードを上げたのでとても寒かった。もともと花冷えの寒冷の日で、真冬の格好をして出かけたのだが、潮風が体にしみた。若い人たちも、もはや限界とつぶやいていたから、七〇歳の身には応えたが、まあ、楽しかった。孫たちはお台場のレゴランドに行っていたようだ。自宅で夕食。彼らは明日帰る。ようやく3月の行事がすべて終わる。ほっとすると同時に、どっと疲れが出るような気がする。

03/31/日
怒濤のようなカウントダウンがついに終わった。よくここまで来たと思う。金曜の退職の儀式ですべては終わっているのだが、昨日はお花見に出かけたので落ち着かなかった。本日はまだ四日市の孫がいる。夕方、東京駅まで送っていった。嫁が弁当を買っている間、荷物の番をしていた。新幹線の入口で別れた。すぐにラインで写真が届いた。3人がけの座席に座って幕の内弁当を開いていた。ぼくと妻も大丸の地下で弁当を買って自宅に戻った。ようやく2人きりになった。静かに、カウントダウンが終わったことを確認する。まあ、ほっとした。



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