「カラマーゾフ」創作ノート02

2013年2月

1月に戻る 3月に進む 月末
02/01/金
2月のスタート。本日は休みだが、妻と出かける。引っ越し先のマンションの内覧会。夫婦2人、老後をすごす部屋である。いま住んでいる大邸宅の3分の1以下のスペースに移動する。本はほとんどもっていけない。必要な本は大学の研究室に運び込んである。身一つで新居に移動する。そのコンパクトな住居を見に行く。うーん、狭いな、と思うが、寝るところと、食事するところ、テレビを見るところ、自分が仕事をする場所があればいい。実は大邸宅に住んでいる現在、食事もテレビも仕事もダイニングのテーブルに向かっている。つまりダイニングと寝室さえあればいいということだ。いまの自宅には2人の息子が住んでいた。彼らとの生活の想い出がある。大切な想い出だ。できればいつまでも、その想い出の場所で、想い出にひたりながら暮らしていたいのだが、この大きな家を維持することが困難になった。ほとんどが物置となった廃墟のような場所にいつまでもいるわけにはいかない。生活に区切りをつけて再出発をすることにした。というわけだが、まだイメージがわかない。マンションに住むのは、学生時代から芥川賞をもらってプロの作家になるまでの短い期間以来だから、マンションでの生活というものを忘れてしまっている。とにかく移ってしまえば何とかなるだろうが、引っ越しの準備のことを考えると気持がひるんでしまう。
さて、新しい月になった。『早稲田の想い出』をまとめないといけない。本日からピッチを上げたい。カラマーゾフのことも考える。並行して『宇宙論』についても考えるぞ。

02/02/土
土曜日。マッサージに行く。去年の7月、左膝が痛んだ。あとで考えると孫5人が来ていてストレスがたまったのではないかと思うのだが、単に年のせいかもしれない。スペイン娘たちを成田に送っていった日が最悪で、まったく歩行困難に陥った。それで近所の医者でレントゲンをとったのだがまったく問題ないとのことで、女優をやっている姉の紹介で、妻も通っているマッサージの療院に行くことになった。それから半年、ほぼ快復してはいるのだが、肩こりなどもほぐしてくれるので月に1回は行く。もんでもらっている時は気持がいいのだが、仕事をするとまた肩が凝る。まあ、久しぶりののんびりとした週末だ。大学の入試シーズンで週末ごとに試験監督の仕事がある。まだ何回かあるのではないか。とにかく今日は休みだ。明日の日曜も休みで、月曜はスーパーボウルだ。今年はハーボウルだといわれている。レイブンズのジョン・ハーボー監督と49ナーズのジム・ハーボー監督が1歳違いの兄弟で、監督同士が兄弟というのは前代未聞のことだ。わたしは今シーズンは最初から49ナーズを応援していた(第1志望はジャイアンツだったが)。途中でQBのスミスが脳しんとうで戦線離脱するハプニングはあったが、代役のQBケイパーニックがとんでもない大活躍をしてスーパーボウルに進出した。今年は49ナーズを応援したい。まだ2日前だがドキドキしている。仕事どころではない。

02/03/日
週末にのんびり休めるのは久しぶりだ。先週のいまごろは静岡で入試監督をしていた。疲れて帰宅して、翌日は1限の授業があったのだから、疲れがあとをひいていた。大学の授業はほぼ終わっていて、明日は夕方の学科会に出るだけでいい。文集の編集作業があるので午後には研究室に行くつもりだが、午前中はスーパーボウルに集中する。去年はジャイアンツがペイトリオッツに逆転勝ちしたが、時間を残してタッチダウンしてしまう、中途半端な逆転で、何となくカタルシスが得られなかった。今年はすかっと49ナーズに勝ってほしい。

02/04/月
スーパーボウル。ある程度は予想できた49ナーズの立ち上がりの悪さだが、これほど悪いとは想定外。ミスと反則で一方的に攻め立て射られた。後半開始のキックオフ・リターン・タッチダウンはまるで悪夢のようだった。大量にリードされてもうダメだと思ったら、そこから奇蹟の反撃が始まった。まだ5点差で負けてはいたが、あと2分というところでゴール直前5ヤードに攻め込んで、これで4回のトライでタッチダウンを決めれば奇蹟の逆転が実現するはずだったが、この4回がすべて失敗して、奇蹟は起こらなかった。ハーボー兄弟の対決は兄の勝利。まあ、よかったとは思うものの、何となくがっかりした。今日は仕事はできそうもない。
夜中にやっている日本テレビのスーパーボウルのダイジェストを見ながら、酒(ヤケ酒)を飲んでいるうちに、とにかく仕事をしないといけないという気分になってきて、亀山さんの『「カラマーゾフの兄弟」の続編を空想する』を読んでいるうちに気づいたことがある。亀山さんが考察しているのは、ドストエフスキーがどのような続篇をイメージしていたかということなのだが、自分がこれから書こうとしているのは、ドストエフスキーが考えていた続篇ではないということだ。うまく説明できないのだが、わたしが書きたいのは、「小説によるドストエフスキー論」であり、ドストエフスキーを論じる過程で、ドストエフスキーは何を書きたかったのか、ということだと思う。いや、これでは同じことだ。とにかくわたしが言いたいのは、わたしが書きたいのは、わたしの続篇であり、要するに、勝手に書かせてもらうということなのだが、それでは乱暴すぎる。コンセプトとしては、『罪と罰』という作品の本当の主人公はスヴィドリガイロフであり、そのスヴィドリガイロフを発展させた人物が『白痴』の創作ノートに記された「書かれざる白痴」の主人公なのだ。わたしはスヴィドリガイロフを主人公とした『新釈白痴』を書き、創作ノートに書かれたもう1人の白痴を描いた『新釈白痴』を書いた。原典の前篇を書くことを意図した『新釈悪霊』では、主人公ニコライがまさしくスヴィドリガイロフの末裔であることを示した。このようにプロセスをたどれば、わたしが書きたいものが明らかになってくるだろう。わたしはコンセプトは、スヴィドリガイロフの後継者を描くということなのだ。アリョーシャはまさしくスヴィドリガイロフの後継者であり、天使の姿をしたスヴィドリガイロフだといってもいい。ここまでコンセプトがはっきりしてくれば、もう書き始めてもいいようなものだが、まあ、あせることはない。ただ頭の中では、イメージを重ねていきたい。ただ問題もある。40歳くらいのころに、「カラマーゾフ」の続篇のことを考えていた時期があるのだが、結局それは、「悪魔的なキリスト」を書くことになるのだと思った。それでわたしは「カラマーゾフ」の続篇ではなく、悪魔的なキリストそのものを書くことにして、『地に火を放つ者/トマスによる第五の福音』という作品を書いたのだった。実はこの作品こそは、わたしがドストエフスキーから学んだことの集大成なのだ。今回の試みは、この作品でわたしが到達したものを、少し元に戻して、ドストエフスキーに近づけて語り直すということになるのだろう。少しずつモチベーションが高まってきた気がする。

02/05/火
もう授業はないのだが大学に行く。イーブックスの担当者と打ち合わせ。わたしのホームページのサテライトをイーブックスのサイト内に設置したいと思っている。そこでゼミ教室の学生の作品を、無償で読めるようにしたい。作品が公開されるということは、学生にとっても励みとなる。指導のためのわたしのコメントも掲載するので、小説家志望の若者たちにとってはヒントとなるサイトになるはずだ。作品のセレクトとコメントを書くのが手間のかかる作業になるが、文集を作るために作品のファイルは集めてあるので、何とか4月の開設に間に合わせたいと思う。担当者はW大学のころの教え子なので、今度は打ち合わせは三宿でやって飲みに行こうという話になった。その後、学生の成績を入力。これは間違えるといけないので根気のいる仕事だ。帰ってから来期のシラバスの入力。これで大学関係の作業はすべて終わった。明日から自分の仕事に集中できる。

02/06/水
本日は休み。近くの医者に行った以外は外出せずひたすら仕事。医者は定期検診。血圧の薬とアレルギーの薬をもらっている。いよいよ花粉の季節だ。すでに目がしょぼしょぼしているので目薬をもらう。保険が利くから必要な薬は医者の処方箋で薬局で買った方が安上がりだ。大雪という天気予報は当たらず。『早稲田の想い出』と呼んでいる作品は、とりあえず『早稲田1968』という仮題をつけているのだが、最近は本が出る直前になって営業部の意向でタイトルが変わることもあるので、とにかく仮題のままで書き進むしかない。売れない作家なので版元に強いことは言えない。本が出るだけでよしとしなければならない。大学からメールが来て早く成績を出せと言ってきたので、昨日入力して作業途中の設定のままにしていたデータを登録した。シラバスの原稿もできているのだが、明日、研究室でプリントして最終のチェックをする。明日は早めに大学に行って、文集の残っている原稿を印刷屋に渡すことになる。すでに文集のボリュームをオーバーする原稿を先週、入稿している。その後も講師の先生方からの推薦があって、満杯状態なのだが、あとから届く原稿があったりして、そういうものを明日、作業をして入稿できる状態にする。それから教授会があって、その後、印刷屋が来るので、目次と後書きをまとめて入稿したい。それですべての作業が終わる。予定よりも分厚い文集になる。予算が限られているので、増ページは難しいのではとも考えられるのだが、印刷屋さんに、ごめんなさいと言って、増ページにしたいと思っている。それくらいの対応ができない印刷屋さんは、大学とはつきあえない。今回はすべての原稿のデータを揃えたので、印刷屋さんは楽をしたはずだ。こちらは電子書籍の本屋さんとも交渉して、ネット上に学生の作品を公表する準備も進めているので、紙の文集にこだわる必要はないのだ。文集の編集をやっていると、編集者をしていたころのことを思い出す。『早稲田文学』でも編集委員をつとめていたのだが、編集作業をしたわけではない。作家になる前のサラリーマンの時代に4年間、編集の仕事をしていた。それは本当の編集の仕事で、シビアなものだったが、大学の先生がやる編集の作業は、もっとダルいものだ。半分以上、業者任せにしているみたいで、それでいいのだ。何か仕事に熱中して、スーパーボウルの惜敗の記憶を抹殺しようとしているみたいだが、徐々に癒されるだろうと思う。数年前、カージナルス対スティーラーズのスーパーボウルで、最初はスティーラーズを応援していたのに、カージナルズが奇蹟の逆転をしそうになって、思わずカージナルズを応援したことがあった。本当に、奇跡的な逆転が実現したのだが、まず時間がわずかに残っていて、スティーラーズが再逆転してしまった。あの時は、本当にガックリしてしまったが、今年もそれに匹敵するくらいに落ち込んでいる。わたしは特定のチームを応援しているわけではない。すごいドラマを見たいと思っているだけだ。49ナーズはあと一歩というところで、歴史に残る奇蹟の逆転を達成しそうになっていたのに、最後の詰めが甘く、感動的なドラマを演出することができなかった。そのことを、1人のファンとして、惜しんでいるだけのことだ。
先週の金曜日に引っ越し先のマンションを見に行って、具体的に居住するスペースを確認した。とても狭い。現在は大邸宅に住んでいて、無駄な部屋がいっぱいあるし、離れの書庫もある。しかし実際には、ダイニングのテーブルで仕事もしているので、本当に必要な場所は、台所とダイニング、あとは寝室だけだということになる。引っ越し先のマンションは、とりあえず、寝室とわたしの書斎と妻の家事の場所が確保されているので、必要最小限の生活スペースがある。しかし、ものを収納するスペースが不足している。そのために大量のものを捨てなければならない。これまでは、引っ越す度に広い家に移住してきたので、物置には不必要なものがぎっしりとたまっているのだが、これを捨てればいいだけのことだ。すでに必要な本は去年の段階で大学の研究室に運び込んであるので、あとは自宅に残って、現在進行中の作業に必要な本をまとめればいいだけなのだが、ぎりぎりになれば、捨てられない本が出てくると思うので、早めにまとめて研究室にもっていくことも考えている。研究室の本棚はすでに満杯なのだが、とりあえずダンボールで積み上げておいてもいい。大学内に武蔵野文学館という博物館のようなものを作る計画もあるので、そこに本を寄付してもいい。マンションに引っ越すのは、老後ということを考えているからだ。作家には定年はないので、これからも仕事を続けていくのだが、大邸宅を維持管理するのは大変で、妻にも負担をかけるし、将来的に息子たちに負担をかけたくないので、自分の判断で生活規模を縮小して、あとは大学に寄付したり、不必要なものは捨てたりして、身一つで生きていきたいと思っている。

02/07/木
大学。教授会。文集の入稿の第2弾。これで完了だが、ページが増えすぎた。何かを落とさないといけないのか。まあ、なるようになる。入稿が終わったのでしばらくは学校での用はない。自分の仕事に集中する。

02/08/金
本日は自宅で仕事。久しぶりに北沢川緑道を散歩。三宿に27年住んだ。愛犬リュウノスケとともに歩んだ散歩道とは、やがてお別れである。人生の大半をここで暮らした。ここを終の棲家としたいと思っていたのだが、そういうわけにもいかなくなった。老後のことを考えると、一戸建ての邸宅を維持するのは難しい。ひたすら『早稲田の想い出』を書く。

02/09/土
四日市の次男が、上の孫をつれてきた。4月に引っ越しをするので、ほとんどのものを捨ててしまう。次男の想い出の品などもあるので、必要なものと捨てていいものを仕分けするために来たのだ。孫2人を分離すると、少しは静かになる。こちらはひたすら仕事。カラマーゾフについても考えている。徐々にイントロの部分が見えてきた。これは実際に書いて試してみないといけない。

02/10/日
次男が片づけをしているので、じゃまになる孫(日本男児1号)をつれて散歩に出る。三軒茶屋まで緑道を歩く。キャロットタワーの最上階に昇り、世田谷線が走っているのを見る。それから世田谷線に乗り、山下で小田急に乗り換え、経堂まで行く。電車をいろいろ見る。青いロマンスカーが来たり、ドラエモンの電車が来たりした。それからバスで自宅に戻る。大旅行だ。3時間くらいもたせた。疲れたが自分の仕事を進める。高校時代の想い出などを書いている。高校時代のことは『高校時代』という小説もあるし、『17歳で考えたこと』というエッセーもあるが、何を書いたかは忘れた。極端な嘘は書いていないと思う。還暦を過ぎて書いているのでまた趣の違うものになるだろう。

02/11/月
祝日。すでに大学は休暇に入っているのでこの祝日は意味がない。しかしいつも月曜にある学科会が休みなのはありがたい。次男、および次男の長男を、東京駅に送っていく。やれやれ、やっと静かになった。疲れがドッと出て仕事は休み。予定の作業が遅れている。明日からがんばる。

02/12/火
自宅で仕事。北沢川を散歩。カラマーゾフについて、すごいアイデアを思いついたが、ここには書かない。主人公というか、狂言回し的な人物の設定。アリョーシャでもコーリャでもなく、傍観者的な人物を主役に据える。このアイデアは、これまで迷っていたこと、直面していた困難などを一挙に解決するものだ。たぶんこれですべてがうまく行くだろう。この作品だけでなく、4部作が1つにまとまるような仕掛けがこの人物によって成立することになる。

02/13/水
静嘉堂文庫美術館へ行く。曜変天目などの茶器をみる。世田谷区に住んで27年になる。世田谷区にこの美術館があることは知っていたが、いつでも行けるという思いがあって行かなかった。引っ越すことになってので、いまを逃すともう行くことはないと思って行ってみたのだが、行ってよかった。いいところだった。曜変天目もよかったが、文庫や美術館のある丘の上の別天地のような風情がよかった。こういうところが二子玉川のすぐ近くにあるというのは奇蹟のようなことだ。

02/14/木
自宅で日経新聞のインタビュー。恩師の言葉、みたいなテーマだったので、18歳の時に埴谷雄高を訪ねた時のエピソードを語る。当時、神のごとく尊敬していた埴谷雄高と、じかに会って、5時間くらい話をすることができた。これはわたしの生涯の最大のイベントだといっていい。あわてて訂正するが、妻と最初に言葉を交わして喫茶店で何時間か話した日が、たぶん最大のイベントで、埴谷さんを訪問したのはその次くらいかもしれない。まあ、コラムの記事に必要なコメントは出せたと思う。記者が帰ったあと、大学に行く。文集のゲラが出ている。研究室の扉の前に袋を貼り付けてあって、そこにドカッと入っていた。わたしの担当でないゲラも入っていたので、担当の先生の部屋に行ったが不在だったので、扉に貼り付けておいた。すぐにやらなければならない作業があって、2時間くらい研究室に滞在した。あとはゲラをもって自宅に帰る。文集の全体を校正しなければならないのだが、学生からデータを貰って入稿したので、誤字脱字があれば本人の責任だ。とはいうものの、全体の体裁を統一したので、自分で見なければならない部分がある。月曜日は教授会があるので、そこまでに校正作業を終えたい。週末をあてるということだが、今週は明日は文藝家協会で協議会、土曜は河出書房関係の会合があり、日曜はコーラスで、時間がない。どこまでできるか、やってみないとわからないが、本日の深夜は自分の仕事をする。今月末に草稿完成という目標でやってきたが、まだ半分だ。ここからピッチが上がるか。上げないといけないが、こればかりは予定が立たない。ヨシトマケの作業ではない。書くという作業は、温泉を掘り当てるようなもので、掘っても掘っても温泉が出てこなければ、すべては徒労なのだ。とにかく半分までは掘り当てているので、これからさらに深く掘り下げたい。

02/15/金
文藝家協会でマイブック変換協議会。あとは文集のゲラを見る。すべての原稿がデータで入っているので、レイアウトを確認するだけ。データを一度、統一したフォーマットに移し換えて入稿したので、まったく問題はない。タイトルのところが指定どおりになっていないところがある。俳句の追加挿入もあるので、再校は必要だが、ほとんど直しはない。一編だけ、原稿はあるのにゲラが行方不明だ。研究室に落としてきたか。とりあえず印刷屋にメールを送って、控えをもってくるように指示。あとは目次のページだけだ。この作業でページが入ったので、ほぼ作業は終了したようなものだが、学生のデータには誤字脱字があるはずなので、明日、もう一度、丹念に読んでみたいのだが、まあ、これは本人の責任だから、とにかくデータどおりに文字が入っていればよしとすべきか。自分の仕事も少し。いまちょうど半分くらいのところで、学生運動の話などもしているが、もっと面白い話題はいっぱいあるので、このあたりで話の方向を変えてみたい。

02/16/土
名物編集者として業界では知らぬ者のない寺田博さんと飯田貴司さんを偲ぶ会。河出書房の編集者が多かったが、自分が作家としてスタートした時期の各文芸誌の編集長が揃っていて、懐かしいというよりも、緊張感を覚えた。文芸文化の全盛期であり、文壇というものが機能していた時期に作家になれはことを幸運に思う。いまは時代が変わってしまった。それでもまだ文学は生き残っている。神田のランチョンという場所も懐かしかった。自分は火事で焼ける前のランチョンを知っている最後の世代だろうと思う。4月に神田に引っ越すので、この店は徒歩圏だ。いつか1人でこの店に入って、吉田健一(火事になった時1人で最後まで飲んでいたという伝説がある)のように1人でビールを飲んでみたい。

02/17/日
日曜日。文集のケラのチェック。学生のデータを事前にチェックして入稿しているので問題はないが、作品によってチェックが入るものと、まったく入らないものがある。まあ、これでいいのではないかというところまできた。レイアウトなどで再校のチェックが必要なものもあるが、担当者の会って話せれば細かい指示が出せるので、責了にしてもいいところまで来ている。予定していた目次、一箇所だけ作品の順番を変えたところがある。基本的に作品は右ページ起こしにしているのだが、奇数ページで終わる作品もあり、白紙のページを作りたくないので、左ページ起こしのものがある。奇数の作品の次に奇数の作品をつけて、偶数ページの作品を並べれば、ほとんどの作品を右ページ起こしで掲載できるのだが、担当の先生の順に並べてあるので、その原則どおりに行かないものもある。パズルの組み合わせみたいなもので、じっくり考えているうちに、1つの作品を移動させるだけで、最良の状態にできることがわかった。目次のゲラがまだ出ていないので少し心配だが、ゲラで修正が入れられれば、それで作業は完了する。

02/18/月
教授会と学科会。途中で抜け出して印刷屋に文集のゲラを渡す。口頭で説明できたのですべてを責了にする。これで手が離れた。

02/19/火
本日はひたすら自宅で仕事。少し調子が出てきた。

02/20/水
大学。印刷屋が再校をもってきた。早い。懸念していたことはすべて指示通りになっていたのでまったく問題はない。と思っていたら、一箇所だけ、気にかかるところを発見。わたしのミスです。本来なら初校の段階でチェックすべきだった。これはメールで送る。学生1名、退学願いのハンコ。本人の自由だから仕方がない。この大学はおおむね「いい子」が多く、問題は少ない。むしろ意欲的な学生が、別の可能性を求めて進路を変更するケースが多いので、肯定的に見るべきだろう。自分の仕事も順調に進んでいる。

02/21/木
イーブックジャパンのYくん来訪。4月からスタートするわたしのホームページのサテライトで、学生の作品などを公開するプランについて、具体的なレイアウトなどについて検討する。その後、三宿のゼストで軽く飲む。三宿に27年住んだ。三宿ゼストはわたしが引っ越した直後にオープンしたので、同じ年月をわたしと三宿は三宿の地ですごしてきたことになる。ここはランチタイムから明け方まで店を開けているので、午後の早い時間から軽くビールを飲み始める、といった場合に最適の店だ。4月に三宿から引っ越してしまうのは、まことに残念だが、あと何回、ゼストで飲めるかなと考えてみるが、もしかしたらこれが最後かもしれない。

02/22/金
新居の内覧会の2回目。前回、ダメだしした箇所が補修されているかのチェック。わたしがダメ出ししたわけではない。しかるべき人にお願いしてダメ出しを代行していただいた。従ってチェックもその人に任せていればいいので、こちらは窓から外を眺めていた。見晴らしはとくによいというわけではないが、ニコライ堂と東京ドームが見える。あと何やかやと見えるものがあるので嬉しい。ここでたぶん死ぬまで仕事をすることになるのだろうなと思う。まあ、いいのではないだろうか。神田の銀行に行って手続きをしたあと、自宅に戻り、妻の運転で仕事場に向かう。自宅で仕事用に使っていた籐椅子と、大量のワインなどを仕事場に運ぶ。仕事場では酒を飲んでいいことにしている。新居では基本的に自宅では飲まないことにしているし、同じ建物内にワインショップがオープンするので、飲みたくなれば買いに行けばいい。本屋も近くあるので必要なものは買えばいい。ということで、なるべく荷物をもたない生活をしたいと思う。それはわたしがいなくなったあとで息子に迷惑をかけないためであり、三宿の家を引き払うのはそのためのステップだ。ということで仕事場に到着。寒い。エアコンとストーブをフル稼働させる。今回は荷物を運ぶのが目的なのですぐに三宿に戻る。

02/23/土
仕事場での穏やかな1日。湖岸に散歩に出る。ここではのんびりしたい。仕事も少し進んだ。

02/24/日
今月は10日が旧正月だったから、本日は十五夜か。湖に月の光が反射して、うるわしい眺めになっている。『早稲田1968』(仮題)は山場を超えた。全共闘運動とは、そういうややこしい話が通り過ぎたので、あとは適当に当時の話題を書いていけばいい。仕事場にいるとのんびりする。ずっとここにいると仕事がはかどるのではないかと思う。

02/25/月
まだ仕事場にいる。今週は学科会がないので大学に行かなくていい。明日の4時に文藝家協会で打ち合わせがあるのでそれまでに東京に戻ればいい。昔、作家としての仕事しかなかったころは、仕事場に数ヵ月こもることも可能だった。そのころ、いい仕事ができたかというと、そういうわけでもない。わたしは引きこもりがちの性格なので、引きこもりすぎることに注意しなければならない。ということで、なるべく人とつきあうようにしている。そのうち、社会的な役職が増えすぎてしまって、いまは苦労しているのだが、その方が仕事がはかどる気がするので、少し忙しいくらいの状況に身を置いている。本日は三ヶ日の街へ行って、銀行の手続きとか、ガスの支払いとか、必要な処理を終えた。あとはひたすら仕事。110ページ(330枚)がとりあえずの目標だが、いまは80ページを超えている。このペースでゴールに近づいていけば、今月中の草稿アップも可能だろう。で、今月って何日まであるんだ。閏年ではないから、28日で終わりか。今日は25日。あと3日しかないのだが、まあ、何とかなりそうだといまは思っている。今月末草稿というのは、自分で決めた目標なので、編集者が督促に来るわけではない。来週の月曜日に大学に行くので、そこでレーザープリンターで草稿をプリントしたい。それがとりあえずの目標なので、そこまでに草稿が完成していればいい。
今朝、夢を見た。アリョーシャがある悟りの境地に到達するという夢だ。ドストエフスキーが憑依してくると、しばしばこういう夢を見る。いい感じになってきた。今回の『新釈カラマーゾフ』は、西洋のキリスト教(ギリシャ正教を含む)と東洋的な宗教観の結合というところに、焦点があるように思う。そのカギとなるアイデアも夢の中で思いついた。これで一歩前進した。見通しが急に開けた感じがする。

02/26/火
仕事場から三宿の自宅に移動。帰るとすぐに文藝家協会へ。打ち合わせ。自宅に戻って自分の仕事。仕事場では朝起きる生活をしていたが、三宿では少し夜型に変える。ただし、大学の先生をしているので、完全夜型にはならず、午前中には起きるようにしている。そうでないと1限の授業には対応できない。連合赤軍事件のことなどを書いている。自宅に資料があるはずだとあてにしていたのだが、発見できず。古い雑誌などを捨ててしまったか。研究室に運んだのかもしれないが、今回は軽いエッセーなので、資料を引用して何かを論じるというようなものではない。ネットなどでも概略はわかるので、このまま先に進むことにした。資料を探しているうちに、自分の卒論を掲載した古い『流動』を発見。それは芥川賞を受賞した直後に雑誌『流動』の企画で、有名人の卒論特集という臨時増刊が出された。当時のわたしは有名人だったので、目玉の論文として掲載された。わたしの卒論は大学に提出したままだったので、『流動』編集部が借りだして掲載した。その後、論文は大学の戻されたのか、わたしは知らない。とにかくわたしの手元には論文はない。この活字になったものが、貴重な文献になっている。この雑誌もなくなったかと思っていたのだが、あった。これは研究室に置いて、いずれ大学の武蔵野文学館に寄贈しようと思う。

02/27/水
郵便局と銀行、別の銀行と、金融機関を3軒回る。それだけで疲れた。『早稲田1968』はようやくゴールが見えてきたが、仕上げは週末ということになるだろう。月曜に大学に行くのでそこでプリントして、1週間ほどかけて修正して、完了、ということになる。夜中に『カラマーゾフの兄弟』の映画をやっている。何度も見た作品だが、もう1度見ておく。でも、深夜2時から3日連続で本日が3回目。眠い。

02/28/木
本日は戸外は温かくなって花粉が舞っている気配。家の中はまだ冷えきっている。ひたすら仕事。ゴールに向かって前進している感じはしているのだが、まだゴール地点は見えない。2月は短い。今日で終わりだ。草稿完成は実現しなかったが、何とかこの週末に仕上げたいと思う。


次のノート(3月)に進む 1月へ戻る

ホームページに戻る