人麻呂02

2019年5月

4月に戻る 6月に進む 月末
05/01/水
今日も雨。令和元年ということだが、西暦に2を足せばいいのか。ということは平成の時と同じということになる。30年という切りのいいところで譲位されたのはよかった。ぼくは歴史小説を書いているので、天皇はとても親しい人たちだ。いま書いている『人麻呂』には天武天皇、持統女帝が出てくる。歴史以前の時代はともかく、天武と持統は、独裁者として君臨した天皇だ。天皇が独裁した例は、天武の前の天智と、少しあとの桓武天皇、子息の嵯峨天皇、それからずっとあとの白河天皇……そこまでだろう。

05/02/木
連休も半分を過ぎたようだ。とくに何をするということもなく、雨の降る仕事場で仕事をしていた。昨日は曇天だったが、志都呂イオンまで行った。浜松で一番大きなショッピングモール。妻が買い物をしている間、ひたすら歩いていたら7000歩。それだけの1日。本日は何年か前に花博が開かれた跡地に行く。広大な敷地に花が咲いている。アトラクションのようなものは何もない。展望台と、川を走る船があるだけ。適度に散歩ができた。

05/03/金
本日はどこにも出かけず庭の手入れ。斜面の砂が雨で流れて配水管が露出したところがあったので、砂が流れないように煉瓦でバリケードを作ってから黒土を入れた。妻がその上に草を植えた。それから反対側の斜面に植わっている柑橘類の収穫。いちばんおいしいのは鳥が食べてしまっていたが、皮の固そうな果実は残っていた。けっこう疲れた。

05/04/土
せっかく浜松にいるので、中田島砂丘の凧揚げを見にいく。浜松市の地区ごとに組織が出来ていて、競って凧を揚げる。町会のシンボルマークの凧だが、子どもの名前が書いてある凧がある。その子どもを中心にパレードをしている。進軍喇叭で行進するのがおもしろい。浜松の子どもは全員が進軍喇叭が吹ける。ふだんの五月より暑い。真夏のような風が吹いている。

05/05/日
五月五日は子どもの日。しかし二人の息子が社会人になってから20年ほどになるので、このところずっと妻と2人だけの生活を続けている。息子たちも四十代のおじさんになっているのだが、孫はまだ子どもだ。スペインにいる長男から写真が送られてきた。スペインの空に鯉のぼりがひるがえっている。長男のところは女の子3人だったのだが、ラストチャンスにトライして男児を授かった。われわれはすぐに鯉のぼりを送った。隣近所のスペイン人には、これは何だ、と怪異に思うかもしれないが、とにかくスペインの五月の空に鯉のぼりがひるがえっているのはいいものだ。

05/06/月
今日までが10連休ということだが、浜松の市街地を走ると、車の数が減って、すいすい走れる。昨日までは浜松祭だったのだから、本日は浜松市民にとって、休養日ということだろう。浜松西インターのそばのスシローに行ってみたが、回転寿司は混雑していた。お祭だと人を招いてごちそうしたりして主婦が疲れる。それで本日は寿司屋、という家族が多いのではないか。20分ほど待って席につく。魚は好きではないのだが、スシローが「肉フェス」というのをやっていて、つられて来てしまった。ほぼ肉ばかり注文したが、回ってくる寿司に目移りして、魚も少し食べた。本日はこれだけ。『漱石』は4章までが終わった。全体が10章の予定なので、40%のところまで来たということだ。順調に進んでいる。昨日の夜中はすごい豪雨だった。車が濡れているので、しっかりと拭き取った。これで洗車したような感じになった。と思っていたら、出かける時に見ると、フロントガラスに鳥の落とし物があった。仕方がない。鳥の多いところなのだ。毎日、ウグイスの声が聞こえる。

05/07/火
世の中の10連休は終わったが、こちらは毎日が日曜日だからまだ浜松の仕事場にいる。今日はどこにも出かけず部屋の片づけなど。先日の車検の時にドライレコーダーをつけたので、どんなもんかとパソコンで画像を確認。なかなかに鮮明が画像だ。それから車を自分で運転してみる。車は妻が運転するので自分ではもう何年も運転していないのだが、免許更新の時期で、70歳を過ぎると教習所で教習を受けないといけない。妻の方が先に更新になるので、すでに教習を受けている。縁石に乗り上げる実習があるとのことだが、とにかく少しハンドルを回してみる。ブレーキの感覚がまったくない。踏みすぎてガクンと止まってしまう。5分ほど乗っていると慣れてきた。ハンドルの感覚はまったく衰えていない。まあ、車によっても違うだろう。浜松の仕事場は、駐車場からすぐ車を出すことができる。御茶ノ水の高層住宅では簡単には車を動かせない。カートの上に載っているので出すだけで大変だ。都心の道は車を運転する気になれない。浜松はいい。道がしっかりしているのに交通量は少ない。とくに仕事場のあるところは別荘地なので、道が広くほとんど車が走っていない。練習には最適の場所だ。さて、2週間近く浜松の仕事に滞在していたが、いよいよ明日は御茶ノ水に戻ることになる。忘れ物をしないようにしたい。

05/08/水
3月までは大学の先生をしていたので、浜松に行くのは連休と正月くらいだった。いつも渋滞に巻き込まれた。本日は車が少なくすいすいと走って、午後2時半には御茶ノ水に戻ってきた。まずはパソコンを設定する。そりから無線ルーターが作動しているかをiPadで確認。これでOK。御茶ノ水での日常が戻ってきた。明日は文藝家協会の総会がある。そのために本日、東京に戻ってきた。去年までは大学の授業を終えてから総会に駆けつける感じだったが、今年は夕方に会場に行けばいい。らくだなあと思う。仕事場では2時くらいに寝て8時くらいに起きていた。御茶ノ水では10時くらいまで寝ている。今日は夜更かししても大丈夫だ。

05/09/木
文藝家協会総会。総会はなぜか毎年木曜日に開かれる。去年までは大学の教員で、木曜日には授業があったので、大学からぎりぎりで駆けつけるということになっていたのだが、今年はただ総会の会場に行けばいいだけなのでとても楽。市谷なので地下鉄新宿線で3つ目。常務理事会、総会、懇親会というスケジュールを無事に果たした。懇親会では次々に知人に挨拶し、知らない人から挨拶されるということが続くのだが、毎年のことだから慣れている。それでも終わるとほっとする。1年でいちばん疲れる会だ。今年も終わった。

05/10/金
本日は休み。週末にかげて3連休、定年退職して毎日が日曜日のはずだが、来週はきっちりスケジュールが入っているので、この3連休は貴重だ。だが用はいろいろある。まず御茶ノ水駅に行って、来週の週末に講演のために出向く塩尻への切符をゲット。それからスーパーに行って買い物。荷物を部屋に運び込んでから再び外出。郵便局に行って振替を送る。それから秋葉原を散歩。お昼の秋葉原は人も少ない。あとはパソコンでメールを出したりして、『漱石』の作業。けっこう忙しい1日だ。

05/11/土
自宅は御茶ノ水の高層住宅にある。その建物の1階には淡路町2丁目の町内会が入っていて、神田祭のお神輿が鎮座している。明日が宮入だがもうあちこちで太鼓と祭り囃子が聞こえる。妻と神田明神まで散歩。もうすごい人出で疲れて帰ってきた。

05/12/日
神田明神の氏子は大手町から日本橋、茅場町のあたりまで広がっているので、四方八方からお神輿が集まってくる。自宅からも見下ろすことができる。今日は見下ろすだけにとどめる。

05/13/月
久し振りに中央線に乗って武蔵境。3月までは大学への通勤に使っていた駅だ。本日は徒歩で武蔵境自動車教習所に向かう。70歳を過ぎると免許更新の前に2時間の講習が必要とのこと。無事に講習が終わった。ぼくはふだんまったく運転しない。妻に任せている。連休で浜松三ヶ日にいた時に、少しハンドルを握ってみた。ブレーキの踏み方が難しい。強く踏むとガクンと止まってしまう。少し慣れておいてよかった。教習所の中を走るのは免許をとった20代半ばの教習以来だ。当時は吉祥寺に住んでいて、東小金井教習所というところで練習した。路上に出るとよく武蔵野大学の前の五日市街道を走った。武蔵野大学で教えるようになってから、何かデジャビューのようなものを感じたが、教習車で前を走っていたのだ。武蔵境の教習所の車もよく大学の前を走っている。ここで練習している学生も多い。学生の車離れは進んでいるようだが、就職するとどこの勤務になるかわからないので免許はもっていた方がいい。本日の仕事はこれだけ。毎日が日曜日だと思っていたが、今週は月曜から日曜までスケジュールがつまっている。その初日が終わった。

05/14/火
久し振りに大学の有明キャンパス。名誉教授の称号授与式というものがあって、退職した7人の先生方と再会。学院長、学長、学部長の先生方と上等の弁当を食べる。本日の仕事はこれだけ。豪雨という予報だったが、雨の止み間に有明に着いたので傘は使わず。地下鉄に乗ってしまえば、新御茶ノ水から自宅までは傘なしで移動できる。『漱石』は最後の「こゝろ」に入っている。一気にゴールまで行きたいところだが、今月末シメの20枚の原稿があるので、そちらに取りかからないといけない。

05/15/水
歴史時代作家協会総会。ぼくは顧問だが、顔を出さないわけにはいかないので、総会と懇親会に出席。けっこう楽しく歓談できたので、ハイボールを飲み過ぎた。で、仕事はほとんど進まず。

05/16/木
今週は月曜から次の日曜まで所用がある。これで大学の授業があるとどういうことになるのか。まあ、1日1回くらい行くところがあるというのが、健康のためにはいいのかもしれない。さて、本日は表参道でSARTRASの理事会。午後1時からの会なのだが、パソコンで仕事をしていてふと気づいたら12時10分になっていた。あわてて着替えて千代田線に乗る。帰りは銀座線で神田から徒歩。ほんとは赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えるつもりだったのだが座席に座って考えごとをしていたらそのまま新橋の方に行ってしまった。神田からは須田町までの長い地下道があり、そこから須田町の交差点を渡ると目の前に自分の住んでいる集合住宅が見える。気分的にはすぐ近くという感じがするのだが、銀座線はやや遠回りしている感じがする。駅の数が2個ほど多いようだ。

05/17/金
本日は文藝家協会でオーファン委員会。3年間、文化庁の実証事業を続けてきたが、今年も続ける予定なので、実証事業の準備会ということになる。必要な話し合いはできた。本日の公用はそれだけ。

05/18/土
これまでの成果をプリント。明日に備える。めじろ台男声合唱団の練習。この2年間、あまりの多忙さに休んでいたのだが、復帰した。自分を含めて5人だけの参加だったが旧交を温めた。気持よく飲み会にも参加して自宅に帰りついた。明日は塩尻だ。まあ、大丈夫だろう。

05/19/日
昨日は控え目に飲んだつもりだがやや宿酔。それで10時発の「あずさ9号」に乗る。あとは列車に身を任せていればいい。『漱石』の90ページ分のプリントをもっているので、2時間半の間、ひたすら読んで赤字を入れる。直しはあるがいい感じで進行している。大丈夫だ。塩尻の図書館での講演。元『文芸』編集長の長田洋一さんのプロデュース。長田さんと久し振りに再会。『いちご同盟』の担当者でもある。講演はまあ、その場の即興で対応する。一回きりの講演だが、とくにこれだけを話さなければならないというものはないので、その場のパフォーマンスで乗り切ったのだが、結果的にいい話ができたという感じがした。気持よく帰りの列車に乗る。いつも大学からの帰りに乗車していた武蔵境を通過する時は気分がよかった。

05/20/月
先週は月曜から日曜まで行事があった。4月は毎日が日曜日の状態だったが、5月になると何やら忙しくなった。今週は明日と金曜日に行事があるだけ。だが児童文学の締切が迫っているので取りかからないといけない。本日はしばらく車を動かしていないので豊洲のホームセンターに行ってきた。浜松の仕事場にいる時はよく車でスーパーやホームセンターに行くのだが、東京ではどこにホームセンターがあるかわからない。幸いスーパーは住んでいるところの地下にあるので歩いていけばいいが、ホームセンターに売っているようなものは浜松で入手することにしていた。しかし先日、バスでお台場方面に行った時、妻が豊洲の近くにホームセンターがあることを発見した。豊洲というのは車では行きにくいところだが、とりあえず外堀通りで有楽町に出て、鬨橋を渡ってから左折して豊洲に向かった。まあ、これが最短ではないかと思う。確かにホームセンターがあって車もすぐに入れられた。レストラン街がありスーパーも併設されていた。ホームセンターはただ見ただけで必要なものがあるわけではない。とにかくホームセンターがあることは確認できた。わりと近い感じがした。帰りは永代橋から日本橋の方に来た。これも近かった。往路も復路も最短だったと思う。駐車場に車を入れる都合で、このコースをとるのが最善だと思う。

05/21/火
深夜から振り始めて朝は豪雨。昼にはあがるという予報もあったのだが豪雨のまま。風も強い。午後2時から中野坂上の著作権情報センターの理事会。淡路町から丸ノ内線で行けるのだが、淡路町までは傘が必要。なので傘の要らない千代田線に乗って国会議事堂前で乗り換え。地下鉄の駅からはとりあえず近くのビルの地下広場に出る。地下なのだが天井がないので豪雨。人の通る通路は店の前に短い軒があるだけ。風が強いので軒は役に立たないが、短い距離なのでつっきる。目的のビルは山手通りの向こうで地下通路がつながっているのだが、入口のシャッターが下りている。風が強いため閉めてあるのだろう。人の通行のために細い隙間があいているので、向こうから来る人と交互に隙間をすりぬける。これで傘をさすことなく目的地に到達した。会議そのものは40分ほどで終わる。その40分の間に児童文学のメモがかなり書けた。帰りは小ぶりになっていたので、四谷で下りて中央線快速。これだと1駅なので、地下鉄よりはるかに速い。どこでもドアみたいな感じ。児童文学がかなり進んだので嬉しい。締切は月末なので余裕がある。

05/22/水
去年の11月くらいだったか、三田和代さんの芝居を観に行って自宅に帰ってきたらガラスにひびが入っていた。蜘蛛の巣状態のひび。管理人に報せて応急的にテープを貼ってもらった。はめごろしのガラスなのでこれはビルの外壁の一部ということで、無償でガラスはとりかえてくれることになっていたが、発注してから時間がかかるとのことで、何と半年もかかった、本日、ガラスの取り換え工事。朝の9時から午後の1時半までかかった。窓の外にゴンドラが来て、両側からガラスを支えているゴムみたいなものを取り除き、そうっとはずす。10人以上の人員が細心の注意で作業をしている。こちらは『漱石』のプリントで、塩尻への往復で読み切れなかったところを読んでいた。これで書き終えたところはすべて読んで、あと30枚で完成する。『こゝろ』の先生がなぜ死んだのかがわからない。明治末期の社会状況と関係しているのだろう。日本史年表の5分冊が大学の本棚にあった。箱につめて書斎に届いているはずなので、書斎に向かう。ついでに浜名湖の仕事場にあったディレクターズチェアをもっていく。椅子くらいあった方がいいだろう。その椅子は数年前に買った。仕事場には景色のよい庭があるので、庭に椅子を出してビールでも飲みたいと思ったのだが、真冬か真夏にしかいかないので買ったまま組み立てもしなかった。そのまま車に荷室に入れていたのをもっていく。組立は簡単で座ると快適だった。年表もすぐに見つかった。5分冊のうちの1冊をもって帰る。その書斎のあるビルには郵便受けがある。ゴミがたまっていた。結局、ゴミをとりにいったようなものだ。

05/23/木
本日も休み。書斎に寄ってから神保町を散歩。帰りにスーパーで酒とつまみを調達。真夏のような陽射しだが空気が乾燥していて、日陰に入ると爽やかだ。ただし自宅は日当たりがよすぎて灼熱の状態になっている。昨日も今日もエアコンをつけている。陽が沈めばエアコンの必要はなくなる。そこが真夏とは違うところだが、とにかくこれからはエアコンがないとやっていけなくなるだろう。陽射しが強い時間帯は散歩に出て、喫茶店で仕事をしてもいいと思っている。児童文学の20枚はほぼ出来ているので、いまは『漱石』のエンディングに取り組んでいる。盛り上がったところで終わりにしたい。

05/24/金
日本児童文学者協会の表彰式及び懇親会。その前の研修会に講師として招かれて著作権の講座。難しいことを言っても仕方がないので、おもしろい話ばかりしたので、まあ、ウケたと思う。著作権にまつわっておもしろい話はいろいろあるので、そういうもので話をつないでいった。文藝家協会の著作権部長の長尾さんも来ていたので、あとの難しい質問は長尾さんに任せた。懇親会でも挨拶をといわれたので、元気よくともに闘おうという話をした。何を闘うのかはわからないのだが、まあ、景気づけになったと思う。会場は中野サンプラザ。昔、法務省の仕事で刑務所に入っている人の作文コンクールの選者をやっていた。サンプラザで選考をやってあとは飲み会になる。当時は三宿に住んでいたので中野から永福町行きのバスに乗ったら車庫まで行ってしまったことがあった。大昔の話だ。本日はいちだんと猛暑だということだが、クールビズの服装で行ったので問題なし。帰るころには涼しくなっていた。わずかな時間に『漱石』のあとがきを書いた。これで草稿は完了した。

05/25/土
今日はいちだんと猛暑。自宅にたまった本をリュックにつめて書斎に向かう。必要な本を探したのだがすぐに見つからなかった。まだ本棚を入れていないので、箱の中から探さないといけない。ついに見つからず。まあ、緊急ではない。地下の倉庫にあるかもしれない。住んでいる集合住宅の地下にも、本棚が二つ入っている。主に自著が入っているのだが、そこにたぶん一冊くらいあるだろう。重いものを運んだので少し腰が痛い。それと起きた時から首が痛い。昨日は懇親会で多くの人に会った。人に会うのは緊張する。これもリタイアしたせいで、少し体がなまっていたのかもしれない。今日はドッと疲れが出た感じだ。来週は火曜にマッサージの予約が入っている。そこで何とかしてもらえるだろう。水曜から金曜までも毎日行事が入っている。今月末締切の児童文学20枚は、ほぼ完成したので安心だ。

05/26/日
本日はさらに猛暑。岩本町でバザールをやっているので夕方出かける。ブルーライト防止の老眼鏡を買う。いまも使っているので、予備を一つ買った。いま使っているのもバザールで買った。それまではブルーライト防止のジンズのメガネに、老眼鏡をかぶせていたのだが不便だった。このバザール以外にこの種の老眼鏡を見たことがない。帰りは秋葉原に寄ろうと思っていたのだが、あまりの暑さにまっすぐ帰ってきた。『漱石』は全体の章のわりふりや、小見出しの均等化などの整理もすんだ。赤字を入れたプリントを見ながら入力作業に入っている。6月末の約束なので、しばらくは入力したままの状態にしておき、最後にもう一度、チェックを入れたい。

05/27/月
とりあえず児童文学を送付。『漱石』の赤字入力も完了。これで完成としてもいいのだが、締切は来月なのでもう1回くらい目を通しておきたい。ひまな時にプリントするとして、次は7月締切の『遠き春の日々』。出だしはできている。読み返してみると、オープニングはいいのだが、その先がよくない。そこから修正して先に進みたい。夕方、秋葉原を散歩。この暑いのにすごい人出だ。夕方の散歩はよくないか。明日からは外出の用がある。散歩は涼しくなってからにしたい。

05/28/火
今日はマッサージの日。都営新宿線で新宿三丁目。土曜日に首を寝違え、腰も傷めた。このところ『漱石』に取り組んでいた。新書の仕事は小説と違って、頭の中に完成している論理を言葉に変換するだけだから、量的にかなりピッチが早く、パソコンのキーを叩いている時間が長くなる。ということで肩がカチカチになっている。首や腰を傷めたのも、背中全体が固くなっているからだ。妻に肩に触ってもらったら素人でもわかるほど固くなっていた。自分でもわかった。プロにもんでもらったら、楽になった。

05/29/水
『遠き春の日々』。高校時代の思い出。妻が出てくるので書きづらい。『漱石』を書くためにしばらく放ってあった。最初から読み返しながら、修正。流れがよくなったようだが、もう一度、最初から読み返してみたい。締切は7月末なのであせる必要はない。だができれば100枚を3回ぶん仕上げてしまいたい。それは難しいか。6月半ばくらいには100枚ぶんはできていてほしい。夕方、JASRAC主催のシジャック世界大会のウェルカムパーティー。本来は理事長の出久根さんが出るところだが、夜の会には行けないとのことなので代理で出席。まあ、著作権の仕事はぼくが担当しているので問題はない。着席のパーティーで、たまたま映画監督とシナリオライターに挟まれたので映画の話などをした。飲みながらの雑談だがこれも仕事のうち。周囲の人々はワインを飲んでいたが、ひたすらウィスキーを飲み続けた。会場は白金台の八方園。来たことがあったかどうか記憶がない。一回くらい来たことがあるはずだが、思い出せない。とにかく本日も無事に終わった。

05/30/木
日本点字図書館理事会。いつもどおり議長を務める。無事に終わる。本日はそれだけ。『遠き日』最初から読み返している。出だしはいい。どこからよくないのか、じっくり検討している。かなり削って流れをよくしながら先に進みたい。

05/31/金
妻は四日市の孫の運動会を見るために早朝に出発。こちらはSARTRASの午前中の会議。いつも公用がない日は10時に起きるので、午前中の会議は少しつらい。それでも大学の先生をやっていたころは9時からの1限の授業や入試の待機があって、7時に起きて8時出発というのがふつうだった。午前中とはいえ10時からの会議は8時に起きればいいので楽なものだ。1時間くらいの会議だと思っていたらきっちり12時まで議論が続いた。それでも午後1時に帰宅。午後は自分の仕事に集中できる。『遠き日』。まだ最初から読み返している段階。半分完成している『人麻呂』のことが気にかかるのだが、とにかく締切があるので『遠き日』を100枚分は書かなくてはいけない。「文芸思潮」に100枚ずつ3回連載を考えているので、その3回の区切りをどうするか。恋愛の話、学生運動の話、文学の話、というふうに区切ることができれば、それぞれが独立した短篇になる。そのようにまとめると時間的には前後することになるのだが、連載の読者にはそれぞれにテーマがあって完結している感じになった方がいいだろう。まあ、100枚近くになってから、連載の終わり方を考えてみたい。
さて、今月も月末になった。5月の連休を浜松の仕事場で過ごし、『夏目漱石の青春小説』を書き始めた。6月末締切なのでまだ余裕はあるのだが、5月末の現在、草稿が出来ている。このまま渡してもいいくらいの仕上がりにはなっているのだが、ゲラで大きくいじりたくないので、ゲラを読むつもりでもう1度しっかり読み返したいと思っている。今月末締切の児童文学は数日で完成してすでに送ってある。できれば『遠き日』の100枚ぶんをしっかり仕上げてから、『漱石』を読み返し、早い段階で『人麻呂』に戻りたいと思っている。



次のノート(6月)に進む 4月へ戻る

ホームページに戻る