「新釈白痴」創作ノート3

2010年3月

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03/01
ペンクラブ言論表現委員会。グーグル問題など。今日は人がたくさん集まってそれなりに充実した議論になった。温かいのかと思ったら急に寒くなった。担当編集者からメール。「仏教って何」3刷決定。発売1ヵ月しか経過していない。ペンクラブに行く途中に寄った水天宮の本屋でも平積みになっていた。

03/02
文藝家協会。公益法人化委員会、常務理事会、理事評議員会と3つの会議が続く。やや疲れる。終わって評議員の岳真也氏と軽く飲んで帰る。「星の王子さま」9刷決定とのこと。昨日も増刷の通知が届いた。両方とも講談社だ。「青い目の王子」にも期待をしたい。

03/03
医者に行って薬を貰う。自宅にて新聞記者のインタビュー。これは『阿修羅の西行』について。あまりに多忙なので著作権関係の取材は断っているのだが、文学の話ならいくらでもする。「白痴」、一昨日、一昨日と、会議のあいまにポメラで打ち込んだ部分の修正が終わらない。ポメラで打ち込んだ量が多すぎるのだ。ポメラはまさに魔法の小箱のようなもので、キーボードを開いてセットすればいくらでも打ち込める。会議のあいまという時間なので他にすることがないし、ポメラは専用ワープロなのでネットにもつながらず、ゲームもできない。だから打ち込みに集中できる。それと、描写などはあとで書くことにして、セリフだけを打ち込むことが多いので、しゃべるスピードで打ち込めるということもある。来週は旅行に出るのでポメラが活躍することになる。

03/04
渋谷まで散歩。何事もなし。

03/05
ホテルオークラで旺文社の作文等コンクールの授与式。部門が多く、賞状を渡す人がすべて異なる。賞状を渡すだけの儀式に1時間以上かかる。ものすごいセレモニーだ。わたしは今回が初めての参加。臨席の阿刀田さんは前から担当しているそうで、だから阿刀田さんのそばにいて同じことをやればいい。といっても1時間じいっと座っているのは大変な苦痛だ。これができる作家は阿刀田さんとわたしくらいのものではないか。その後、パーティー。小学生もいるので酒が出るか不安であったし、見たところジュースとウーロン茶しかなかったのだが、よく探すと酒が置いてあるポイントがあった。やれやれ。ワインを飲んでいると、わたしのファンだという子どもと母親が次々と現れた。「いちご同盟」は現在も学校などで読まれているようだ。ありがたいこと。さて、明日は旅行に出るのでこのまま徹夜で仕事をする。

03/06
土曜日。地下鉄で箱崎へ。バスで成田。問題はパリ・ド・ゴールでの乗り換えだったが、事前にネットで地図を入手してあったので問題はなかった。全日空からエアフランスに乗り継ぐので、ターミナル1から2への移動。もうパリ市内に着くかと思われるほど長時間、バスで揺られることになる。これで疲れた。マドリッドのホテルで一泊。飛行機の中でポメラでかなりの量の原稿を書いたし、たっぷり寝られたので時差ボケはない。

03/07
日曜日。アベ(スペインの新幹線)でサラゴサへ。バスでウエスカへ。孫3人娘が出迎えてくれる。中華料理のブュフェで昼食。平日7ユーロだが今日は日曜なので9ユーロ。これで食べ放題ではあるが、日本で考える中華料理とは少し違う。無知なスペイン人向けのチープな料理ばかりだが、まあ、面白い。さて、ウエスカの郊外にある息子の家へ着く。喧騒。子どものいない夫婦二人の生活を送っているわれわれにとっては骨身にこたえる。正月などに次男と生活すると孫一人がいるのだが、男の子が一人というのは静かだ。3人娘はまさに姦しい。疲れた。早く三宿に帰りたいと一瞬思うが、それはスペインに来る度に思うこと。持参のウイスキーを飲んで寝る。

03/08
3人娘の上2人とともに小学校へ。郊外に住んでいるので車で出かけないといけないのだが、徒歩通学の子も必ず親が送っていく。帰りも同様。孫娘たちは給食を選択しているが、家の近い子は昼食を家で食べる。これも親の送り迎えが必要。スペインでは子どもを野放しにしない。子どもだけで通学している日本の姿が異様だといえるのだろう。さて、息子がどこかへ行ってしまったので、ウエスカの市内でわれわれは野放しにされる。散歩。千年ほど前に20年間ほどアラゴン国の首都だった旧都であるが、人口数万の小さな町だ。お昼に子どもたちを迎えに行く。ふだんは給食なのにわれわれが来たのでこの期間だけ自宅で食べる選択に変えたとのこと。やれやれ。息子の家で昼食。その後、息子のルーターに線をつながせてもらってメールのチェック。メールは読めるのだが、なぜかこちらから送信できない。だから返事が出せない。プロバイダーのホームページからメールを送信できるので、どうしても返事が必要な場合はメールが送れるのだが、手間がかかる。試しに一つ送ってみた。どうやら届いたようだ。

03/09
本日はわれわれだけで子どもたちを昼食に連れていくというプランだったのだが、長女の体調が万全ではないということで、学校をお休みすることになった。いつもは子どもを学校に送ってから仕事に出かける長男が、今日は単独でサラゴサに向かう。高速で1時間ほどの通勤ドライブである。週3日勤務だし無料の高速はすいているので問題はない。嫁さんが外のテラスに椅子を用意してくれた。快晴。日ざしの中でパソコンを使おうとしたら明るすぎて画面が見えない。ポメラは逆に画面がクリアに見える。こういう点でもポメラは便利だ。息子の住む住宅地はグアラ山というこの地方の名山のすそのの南傾斜の坂に造られた別荘地のようなところで、息子の家は住宅地の南端にあり、目の前のドングリができる木の向こうはゴルフ場。遮るものが何もないので空が広い。嫁さんも仕事に出かけて娘3人がわれわれの管理でゆだねられた。といっても世話をするのはわが妻で、わたしはのんびりと仕事をしている。「白痴」いい感じで進んでいる。ポメラでどんどんセリフだけ書いていき、パソコンにつないだ時に描写を加えていく。公用も雑文もないのでのんびりしているのにかなり前進している。

03/10
本日は子どもたちとともにヌエノ(長男の自宅)を出発。まず三女を同じ住宅地にある保育園に預けて、それからウェスカの小学校へ。長女と次女を預け、長男はサラゴサの職場に出勤。わたしと妻はウェスカの街に放り出される。人口数万とはいえ県庁所在地なのでりっぱな街だ。まずパン屋で朝食。ポメラで仕事をしていると店の人が興味をもってそれは何かと聞いてくる。わたしはスペイン語ができないので妻が説明する。こういうものは日本独自のものだろう。それからホアンさんの家に向かう。嫁さんの実家。嫁さんの父のホアンさんは奥さんを亡くして一人暮らしだが、近くの大学に通っている。留守宅に勝手に入ってポメラで仕事。頃合いを見て小学校に子どもたちを迎えに行く。近くのホテルのカフェテリアで昼食。それからまた小学校に子どもたちを送っていく。またウェスカの街をさまよう。カフェでビールを飲んでいると長男から電話。勤めが終わって小学校の前に車をとめて街を歩いているとのこと。合流してまたカフェ。またビールを飲む。昼食の時も飲んだから今日はビールばかり飲んでいる。子どもたちを迎えてヌエノに帰る。長い一日。休む度にポメラで打ち込んだのでかなりの量の入力ができた。いまはポメラを開くと言葉があふれだしてくるという感じになっている。いくらでも書ける。ポメラでは描写を省略してセリフだけ打ち込んでいるので、しゃべるスピードで書ける感じがする。帰ってメールをチェック。著作権問題ではやや複雑な動きがあるようだが、こちらはスペインだから対岸の火事のようなもの。それよりもこちらの3人娘の騒々しさの方が重大問題だ。マドリッドから乗った新幹線ではオーディオのサービスがあったイヤホンをくれた。それがポケットの中にあることを思い出してパソコンに差し込んで、音楽を聞きながら仕事をする。わたしはあまり音楽を聞かないのでパソコンの中にはあまり入っていないのだが、メンデルスゾーンの「無言歌」とアバのヒットメドレーが入っている。

03/11
本日は長男が休みなので、こちらは午前中はヌエノにいる。いったん戻ってきた長男とともに昼食前に小学校に迎えに行き、ホアンさんと、それから嫁さんの甥にあたるホアンホと合流。ホアンホは親はサラゴサなのだが、ウェスカの大学に通っている。彼は何年か前に日本に来たことがあるので、大勢いる甥の中ではとくになじみぶかい人物。で、ホアン家の近くのレストランで昼食。スペインは日本よりも物価が安い。1000円くらいでフルコースの昼食。酒税がないのでビールはジュースより安い。水のボトルが一番高い。だからバールやカフェではビールを飲むのが安上がり。子どもを学校に戻してヌエノへ。長男はまた学校に迎えに行き、こちらは三女を保育園に迎えにいく。ふだん子どもたちは小学校で給食を食べるのだが、朝と夕方の送迎は必要で、共働きの夫婦がローテーションしながらこなしているようだ。長男はサラゴサまでの通勤に時間がかかるが、週3日の出勤だし、嫁さんは地元のウェスカで、こちらはかなり多忙なのだが、空き時間があるので何とかローテーションが組めるようだ。「白痴」も進んでいる。いい感じでどんどう前進。

03/12
いつもは保育所に行く三女もつれて学校へ。長女と次女を放り込んだあと、息子と嫁さんは病院へ。少し前に体調を崩していた長男の検査結果がわかるらしい。結果としては何も悪いところはないとのこと。ストレスだろうということだが、長男の生活を見ているとけっこうストレスが多いのではと思われる。まあスペインののんびりしたムードの中のストレスだから大したことはないのだが。で、二人が病院に行っている間、わたしと妻だけになったかと思ったら、何と二歳の三女が残っているのではないか。この子をつれてウェスカの街をさまよう。この子が自己主張の強い人物で老人二人が振り回される。チョコレートの店などに寄る。長女、次女を学校に迎えにいき、病院から戻ってきた夫婦と合流。本日は長男は午後出勤。嫁さんは休みだとのことで、全員でサラゴサに行く。怪しげな日本料理店で昼食。寿司が開店しているのだが、経営者も従業員も全員中国人なので中華料理もあるしなぜか鉄板焼きもある。ビュフェなので回転寿司の皿の数を数えることはない。食べ放題。周囲のスペイン人たちのものすごい食欲に驚く。寿司はヘルシーだと勘違いしたおばさんが皿を山のように積み上げている。こんなに食べたら寿司もヘルシーではなくなる。その後、長男は出勤。嫁さんの先導で買い物をしながら、嫁さんのお姉さんの家に子どもを預けて妻と嫁さんはデパートへ。わたしはお姉さんの家に残って仕事をしようと思ったら、来客があったり、ご主人が帰って来たりで、スペイン語の洪水の中に沈没する。通訳の長男、カタコトを話す妻がいない。たよりは八歳の長女だけ。この家の医学部に通う長男が英語を話すので何とか受け答えをする。が、この長男もガールフレンドとデートに出かけた。今日は週末の金曜日だ。ふだんから宵っ張りのスペイン人だが、週末ともなれば果てがない。ようやく妻と嫁さんが帰ってきて、長男も仕事から帰ってきたが、まだスペイン語の洪水は続く。時々スキを見てポメラで仕事をする。深夜、ヌエノに帰る。

03/13
土曜日。終日ヌエノで過ごす。穏やかな休日。息子たちはサラゴサでアイスショーがあるとかで出かけていった。妻と二人、山に囲まれた何もない住宅地で天国のような時間をすごす。

03/14
日曜日。ホアンさんの招待でウェスカで昼食。それ以外はのんびりする。

03/15
ウィークデーが始まった。ウェスカに来たのが先週の日曜日だったので、一週間のサイクルを一周したことになる。本日は長男が休みなので、わたしたちの負担はない。終日ヌエノの息子の家にいて、ひたすら仕事。

03/16
テニスコートのクラブハウスで昼食、のはずだったが、レストランがお休みだったので近くのレストランに移動。その前にテニスコートやプールの周囲で子どもたちがローラースケートをして遊ぶのを見ていた。その間、ポメラが活躍した。陽射しの中のベンチに座り、ポメラのキーボードを叩きながら、時おり孫の姿を眺める。のんびりとしたいい時間だ。明日は三省合同の重要な会議がある。テレビ局が会議のあとに取材させてくれと言ってきたが、残念でした。とにかくメールがあるのでこういう対応もできる。仕事は順調に進んでいる。影の白痴の父親が登場。第一章の伏線としてチラッと登場させたのだが、ここで本格的に登場して、長々と過去を語る。この作品のテーマは「神と人間」だが、同時に「恋愛」というものが重要なカギになる。その一つの典型として、この人物の過去は重要なエピソードとなる。ただしこの恋愛は過去のもので、意図的にツルゲーネフ的な要素を採り入れている。ドストエフスキーは『悪霊』の中にツルゲーネフを登場させているが、それ以前にも意識しているはずで、ロシアの文学史の中でもツルゲーネフは重要な意味をもっている。作者(三田)にとっても、日本文学史にとってもツルゲーネフは重要。

03/17
終日ヌエノ。嫁さんが自分の料理の腕を振るいたいとのことで、ヌエノで昼食。ホアンさんも来る。気軽にホアンさんが来るのも娘の家だからで、息子しかいないわれわれとしては、寂しい気もするのだが、こうしてわれわれも息子の家に滞在しているのだし、四日市の次男の嫁さんともちゃんとつきあっているので、とにかく嫁さんと仲よくつきあうことは大切だと思う。仕事はものすごく順調。もはやすべてのキャラクターがわたしの分身のようになって、いくらでも語り続ける。日本を舞台にした作品だとこうはいかない。ロシア人独特の長広舌というのがあって、キャラクターを設定すれば、あとは登場人物がいくらでも語り続けるという状態になる。作者としては、あまり作品が長くならないという配慮のもとに、長い話をどこで打ち切るかということだけを考えていればいい。

03/18
終日ヌエノ。本日も自宅で昼食。ただし今日はスーパーで仕入れた簡単な料理。溶かせばいいだけのスープと、塩漬けの肉を焼いただけ。しかしこういうシンプルな料理が意外にいい。レストランのこってりした料理に胃がもたれていたので、このところの家庭料理はありがたい。今日はヌエノの最後の日だ。一人でヌエノ村まで散歩する。息子が住んでいるのは「グエラ山公園住宅地」といった感じの別荘地のようなところ。住所はヌエノというのだが、ヌエノ村からは少し離れている。住宅地の領域を出てアーモンドの花が満開の横の地道を歩いていくと、ドングリの森や、何もない荒れ地を経て、ヌエノ村にたどりつく。それでもかなり大きな教会と、小さなレストランが一軒。くるっと村を一周して引き返す。ついでに住宅地の外をぐるっと一周。これで下北沢へ行ったくらいの散歩のコースになる。歩きながら、自分の人生について考えた。自分ではひたすら何かを書き続けてきた人生だと考えていたのだが、こうしてスペインに孫が3人いるという思いがけない事態になっている。そして、ヌエノ村という、スペインでも住民以外は知る人のない村を散歩している。これが人生だ。何が起こるかわからない。それでもまあ、満開のアーモンドの花(桜とそっくりだが下で宴会する人はいない)を眺めながらのんびり散歩するのも、なかなか楽しい。さて、明日はヌエノに別れを告げる日。寂しいような、ほっとするような。

03/19
朝10時のバスでバルセロナへ。途中、バルバストル、モンソン、ビネファルというところに停まる。それなりの古びた町の感じがあって、こういうところにも人間が住んでいるんだなあといったことを考える。バルセロナは何度も来たことがあるので土地勘がある。東京、生まれ故郷の大阪、仕事場のある浜松の次くらいに土地勘のある都市だ。長男が4年間留学しているブリュッセルも町歩きをしたところで同じくらいに親しい街だが、バルセロナの方が街の規模がずっと大きい。以前に入ったことのある中国人が経営しているレストランで昼食。それから地下鉄でショッピングモールに行く。浜松のイオン志都呂店と同じくらいだが物価が少し安い感じがする。しかしスーパーに入ってみると、同じものがウェスカよりかなり高い。同じ国でもこんなに違うのかというくらいに違う。昼食(4時ごろ)が重かったのでスーパーで買ったワインとチーズだけで寝てしまう。

03/20
土曜日。バルセロナには何度も来ているが、ピカソ美術館には行ったことがなかった。マドリッドのプラド美術館の別館でゲルニカなどを見ているので、あまり興味がもてなかったのだが、行ってみると面白かった。初期の作品からピカソ的な作風が確立されるまで経緯がよくわかるように展示されていた。それからグエル公園へ。わたしは10年前、息子の結婚式の帰りに、妻が参列者の女性たち買い物をしている間、一人で行ったことがある。外国での結婚式という初めての体験でひどく疲れていて、公園の見晴台みたいなところで大ジョッキのビールを何杯も飲んでふらふらになった記憶がある。妻がまだ行ったことがないというで行ったのだが、渋谷のスクランブル交差点のような混雑に、すぐに退出した。たにかくある極彩色のトカゲのようなものは確認できた。それから家具の店、チョコレート店、デパートの地下などで、必要なものを買った。次男のところの孫へのお土産が大半。自分ように鞄を買った。会議に出る時に書類やポメラを入れる鞄。ポケットがものすごくたくさんあるので書類や備品の分類ができる。手持ち、肩掛け、リュックと3通りに仕える。これだけの機能があって60ユーロ。次男へのお土産のカバ3本セット6ユーロ。ちなみに長男のところで出してもらった紙パック入りの赤ワインは60セントとのこと。一本80円。ヌエノではこれと、持参したアーリータイムスの2リットルのブラスチックボトルを飲んでいた。ワインをたくさん飲んだのでウイスキーがあまりそうなので、最後の日に全部飲もうとしたら息子にボトルを取り上げられた。妻がサラ(日本ではザラと言っている)に入っている間に、大通りのベンチでノートにメモ。今日はひまがないだろうと思ってポメラをもっていかなかった。ものすごく書けたので、ホテルに帰って入力しなければならない。やっぱりポメラは必需品だ。

03/21
日曜日。スペインでは日曜日にはほぼすべての商店が休む。が、バルセロナは観光地なので観光客向けのお土産品店などは開いている。しかしろくな買い物はできないので、予定では電車の近郊のフィゲラスかヘローナへ行くつもりだった。しかし昨日、息子のネットで調べてもらったら日帰りはかなり厳しいことになるという。われわれは小田原へ行くつもりの感じで、駅にふらっと出かけて来た電車に乗ればいいと思っていたのだが。以前、ブリュッセルから日帰りでブリュージュやアントワープ、ナミュールなどに出かけたし、ケルンまで日帰りで行ったこともある。スペインでもマドリッドからセゴビアへ日帰りで行った。しかしバルセロナからヘローナは早朝と夕方にしか列車がないのだという。スペイン人はあまり移動をしないらしい。で、市内観光の2階建てバスに乗る。2系統あって両方乗れるので時間つぶしになった。まだ行ったこともない領域を走ったので面白かったし、スペイン村というテーマパークで降りて食事もできた。これでスペインでのスケジュールはすべて終わった。明日は空港に出かけてチェックインするだけでいい。パリでの乗り換えという関門は残っているのだが。

03/22
バルセロナの空港からパリ経由で成田に向かう。飛行機の中でポメラ及び紙のノートに大量のメモ。この作品の最大の盛り上がりの場面、白痴が癲癇の発作を最初に起こす場面が書けた。

03/23
いつも疑問に思うこと。日本からスペインには1日で行けるのに、その逆は2日かかる。地球の回転と逆行するせいか。昨日の朝バルセロナのホテルを出た。自宅に帰りついたのは本日の夜。長い一日。郵便物の整理だけで疲れ果てる。

03/24
スペインにいる間は孫たちの相手と自分の仕事の両立、まあ、こちらの精神のチャンネルを切り換える作業に集中していたが、これかかなりのストレスだったようで、三宿に帰り着いた途端にどっと疲れが出た。何をする気もせず心寂しい状態で、しょぼんとしている。しかし帰国の翌日から公用がある。午前中の会議はキャンセルしたが、夕方の電子書籍出版協会のパーティーには参加した。マスコミの取材も入った立錐の余地もない人混み。挨拶回りをする気にもなればぼうっと立っていたが、必要な人は向こうから話しかけてくれたので、結果的にはスペインにいる間、中断していた作業の概要がすべてつかめた。パーティーというのはそういう点で効率的だ。わたしはふだんからヨーロッパ時間で生活しているので時差ボケはない。ただスペイン人は宵っ張りなのでいつも深夜に寝ていた。日本時間だと午前8時。わたしのふだん就寝時間より2時間ほど早い。そのため前夜(本日の朝だが)は少し酒を飲まないと寝られなかった。まあ、そのうちペースがつかめるだろう。

03/25
散髪のあと北沢川を散歩。半月ぶり。桜はまだチラホラだがアンコ屋公園(わたしと妻だけに通じる呼称/アンコ屋の跡地にある公園)のフライング桜(これはわたしの命名/一本だけ若木があって早く咲く/テレビのニュースに映ったこともある)だけは満開。ようやく仕事の調子が戻ってきた。いい感じだ。

03/26
本日は散歩だけ。昨日、「なりひら」の再校が届いた。ふりがなの付け方などのチェックだけ。それでも全部見ていかなければならないのでけっこう手間がかかる。セ・リーグ開幕戦。勝った。よかった。

03/27
立松和平さんを偲ぶ会。弔辞を読むように言われていたので少し早めに会場(青山葬儀所)に到着。隣が黒井千次さん。少しトーンが高まるような内容にした。何人かの人によかったと言ってもらえた。自宅に帰って着替え、八王子めじろ台へ。本日は先生が体調不良でコーラスの練習はないのだが、飲み会はしっかり実施。洋風居酒屋でワインを飲む。スペインでワインを飲み続けていたので水みたいな感じがする。後半は焼酎。焼酎はいい。葬儀のことを思い起こし、一人、お浄めのような気分で飲む。

03/28
日曜日。「なりひら」のフリガナのチェックは終わった、何かの拍子に、文章がおかしいところを見つけた。校正者のチェックの入ったところしか見ていないのに、ちらちらと指摘以外のところも気にかかった。ということで、もう一度、最初から読み返すことにした。「白痴」もいま山場にさしかかっているのだが、仕方がない。一日だけ、「なりひら」さんに集中することにしよう。

03/29
昨年亡くなって母の一周忌。といっても無宗教なので法事をするわけではない。姉を自宅に呼んで母の想い出を語ったり互いの近況を話しただけ。こうして子どもががんばって生きているということが母に対する法要になると考えている。わたしが自分の子どもたちに期待するのもそういうことだ。

03/30
日本点字図書館評議員会および理事会。会議および休憩の時にポメラで仕事。自宅に帰ってヒモでパソコンにつないで入力。スペインでは町歩きにポメラをもっていって、息子の家に帰るとパソコンにつないだ。それが毎日の作業だった。帰りの飛行機でもポメラを活用して、自宅に戻ってヒモでつないだ。それ以来のヒモ。何だか懐かしかった。

03/31
何事もなし。「白痴」は後半に入っている。ここが山場かという場面になっている。白痴と呼ばれる主人公が、自分の生い立ちについて知る場面。これが日本の話だとお涙頂戴になるところなのだが、ロシアの話なので神とは何かという哲学的な問題につながっていく。そこがこの作品の眼目なのだが。
3月もこれで終わりだ。今月の半分くらいはスペインに滞在していた。この期間は自分の仕事にとってはロスになるのではと懸念していたが、息子の自宅でも、ウェスカを彷徨している間も、飛行場や機内でも、パソコンやポメラや、紙のノートに、メモを書き続けた。自分でも驚くほどの仕事ができたと思う。自分がスペインにいるという恐怖から逃れるために、パソコンやポメラに逃避していたのかもしれない。しかしそれなりに、3人娘の孫たちとは交流ができた。これはとても大切なことだ。長男や嫁さんや嫁さんのお父さんとも交流できた。とにかく『白痴』は半分を少し超えている。この作品を誰が読んでくれるのかわからないが、自分にとっては最高の作品になるのではという予感がある。


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