「ビッグバン」創作ノート

2001年8月〜

8月


08/01
本日、『頼朝』の草稿チェックの入力を終え、この作品は完全に手が離れた。
頭の中をフォーマットして、『ビッグバンと生命の謎』を始める。ちょうど月の始めからとりかかれるが、並行して「新アスカ伝説」のプランも練る。従って、「新アスカ伝説」の創作ノートもここから始まることになる。交錯すると話がややこしくなるが、とりあえず『ビッグバン』から始めたい。
正確なタイトルはまだ決めていないが、とりあえず『ビッグバンと生命の謎』としてスタートする。これまで文春ネスコからは『聖書の謎を解く』『般若心経の謎を解く』『アインシュタインの謎を解く』の3冊の「謎を解く」シリーズを書いてきた。今回も同じようなスタイルの作品だが、タイトルがマンネリ化してきたのと、今回のテーマに関しては謎を解くというよりは、こういう謎があるという問題提起になるだろうと思われるので、「謎を解く」ではなく、「謎」にとどめたい。タイトルが長くなりすぎるという配慮もある。「ビッグバンの謎を解く」ではなく、「ビッグバンと生命」というところがポイントで、この二つの概念を結びつけて論じた本は、これまでなかったのではないかと思う。
宇宙の誕生から、生命の発生、さらには「私」とは何か、という問題まで、一気にこの一冊で語りきってしまう。考えてみればものかごい本だ。本当にそんなことができるかどうかわからないが、それだけの問題を提出するので、「謎を解く」のではなく、「謎について語る」本だと考えていただきたい。
とりあえず導入部があって、あとはターレスから、主に科学史を語ることになる。『アインシュタインの謎を解く』が物理学の歴史から始まったとすれば、今回は化学の歴史をたどることになる。存在論である。化学をつきつめていくと、原子物理学にたどりつくので、そこから宇宙論に移行していく。後半は生物学について語ることになる。有機物、タンパク質、DNAといったものについて語ることになるだろう。結論としては、私とは何かという哲学の書になるはずだが、そういった問題を、軽い雑談をきくうな感じで読者に伝えることができればと考えている。
なぜこの本を書くかといえば、自分が面白いと思っていることを読者に伝えて、面白いと思ってほしいということに尽きる。これまでの3冊や、『三田誠広の法華経入門』は、多くの読者に面白いといってもらえた。でも、わたしのごく近くにいる人々、妻とか、編集者とかには、少し難しかったかもしれない。というか、こういうことにまったく興味のない人には、1ページも読みたくないという気持ちになるから、実際に1ページも読めないということになるのだろう。
とはいえ、このシリーズはわたしの本の中ではよく売れる方なので、それだけこうしたテーマに興味をもっている読者がいるということだ。だから、安心して、語りかけることができる。この本を読めば、宇宙について、素粒子について、DNAについて、すべてが明解になり、自分とは何かということが、すっきりとわかるようになる。そういう本にしたい。
突然だが、話題を「新アスカ伝説」にきりかえる。これは9月からスタートするファンタジーのシリーズである。かなり速いペースで、雑誌に連載するような感じで単行本を次々に出していきたい。もちろん売れないと困る。いまは出版不況なので、売れない本を出し続けてくれるような出版社はない。とりあえず3冊書いて様子を見ることにする。
ファンタジーではあるが、いちおう歴史をふまえる。アスカという土地にまつわる伝説をもとに、自分の創造の世界を広げていく。アスカとは奈良県南部にある、明日香とか飛鳥、時には安宿などと書かれる土地である。これまでにも、『碧玉の女帝/推古天皇』『炎の女帝/持統天皇』はアスカを舞台にしていた。そのアスカと考えていただいていい。
今回は地名、人名はすべてカタカナで書く。『碧玉の女帝』の冒頭に出てきた狂える王、武烈天皇よりも前の時代、太古から武烈天皇に至る過程を物語として展開したいのだが、長大な作品になってしまうので、どこかで区切らないといけない。そこで、日本の神話の最初から、神武天皇を経て、崇神天皇の直前までを神話の時代と考える。その最後の方は、すでにアスカが舞台になっている。ここまでを「旧いアスカ伝説」と考え、崇神天皇から「新アスカ伝説」をスタートさせる。シリーズのタイトルの意味はそのようなものだ。
崇神天皇、垂仁天皇、それから次の景行天皇ではなく息子の日本武尊。この3人を主人公として3冊のシリーズを書く。ヤマトタケルが一つの山になるだろう。女帝三部作、『清盛』『頼朝』『後白河』の源平三部作に続く、新しい三部作だが、このシリーズはできればさらに長く続けたい。武烈天皇までたどりつけば、次の推古天皇につながることになる。女帝三部作の次には、桓武天皇と薬子の乱を書けば、9月に出る『天神/菅原道真』につながる。その次に道長のあたりを書けば、その次は『清盛』につながる。生きている間に、これくらいのことはやっておきたい。もっとも、気かかわって現代小説を書くということもあるだろうが。
ということで、とりあえず、「古事記」「日本書紀」および古墳に関する研究書などを読み返して、資料とする。これを今月の仕事とする。まあ、ひたすら手を動かして、『ビッグバン』を書かないといけないのだが。

08/03
『ビッグバンと生命の謎』というタイトルは、まあ、宇宙の始まりだけでは一冊の本にならないので、生命についても考えたい、ということでとっさに考えたのだが、DNA発見の歴史を振り返ってみると、やっぱりジョージ・ガモフが関わっている。ガモフというのは、ビッグバンによって物質が発生したということを、初めて論理的に考察した人で、ビッグバン仮説の産みの親といわれている。その前のルメートルというベルギー人が「宇宙の卵」というアイデアが出しているのだが、ルメートルはルーベン大学の天文学教授だったとはいえ、牧師でもあったので、「光あれ」と神が唱えて光が発生したという旧約聖書の冒頭の記述が念頭にあったことは明らかだ。
ガモフはその宇宙の始まりのエネルギーの中から、物質が発生したことを数式によって論証し、宇宙背景放射を予言したことで知られている。その宇宙背景放射が観測によって存在が証明されたために、一挙にビッグバン仮説は人気を獲得することになったわけだが、そのガモフが、DNAの四つの核酸塩基は暗号になっていて、核酸塩基3つで1つのアミノ酸に対応しているという仮説を提出しているだった。これはDNAの機能の核心ともいうべき仮説で、改めて、ガモフというのはすごい人だと思った。
ガモフはアシモフ、ファインマンと並んで、一般読者向けの物理学入門書や、物理学者のエピソード集の人気作家だった。わたしの青春時代の愛読書でもある。でも、物理学者として、ちゃんと業績を残しているところがすごい。ということで、今回のわたしの本も、ガモフが主役になることは間違いないが、アインシュタインほどの個性的なキャラクターではないので、あまり個人的なエピソードには立ち入らない方がいいだろう。ガモフがディラックに『罪と罰』を読ませた話とか、ガモフの奥さんが編み物をしているのを見たディラックが、まったく違うやり方で同じ編み物ができることを「発見」する話とか(本人は偉大な発見をしたつもりだったのだが、それは編み物をする女性なら誰でも知っている「裏編み」というものにすきなかった)、そういう話は面白いのだが、これはディラックのエピソードであって、ガモフ自身は、あまり面白いエピソードは残していない。
というようなことで、いまは資料を読み込んでいる段階である。すべて昔読んだ本で、高校時代に読んだ本などは、紙が黄ばんでいたりする。高校の時に引きこもりになって膨大な本を読んだことが、いまになって役だっている。さらっと目を通すだけで、内容を思い出すことができる。まあ、このままでもどんどん書いていけそうだが、とりあえず30冊くらいはパラパラと目を通そうと思う。

08/05
序章30枚、完了。どんどん書いていけそうな感触。序章でいきなり「ビッグバン」と「DNA」について説明するのはいささかハードすぎるかもしれないが、こんな感じの本になるということを示しておく必要がある。第一章からは、歴史を語りながら、ソフトに語っていこうと思う。

08/10
浜名湖の仕事場に来ている。6日に来て、7日から仕事を始めたのだが、まずまずのペースで進んでいる。とくに今日は、終日、パソコンのキーを打ち続けている感じだった。少しずつ頭が整理されてきて、何を書くべきかがわかってきた。出だしは化学の歴史になっている。前著『アインシュタインの謎を解く』で書かなかった分野なので、書くべきことが多い。これだけで本一冊になってしまいそうだが、なるべくコンパクトに書いて、原子物理学に話を進めないといけない。
学研の担当者に電話した。仕事場に移動したことを言ってなかった。『天神』のゲラが出て、校正者の直しが届いたところとのこと。定省親王の年齢がおかしいとのこと。任せる、と答えた。こちらに日本史の資料はまったくもってきていない。頭の中もビッグバンで埋まっている。河出の担当者からは電話が妻にあったそうで、『ウェスカの結婚式』の見本をこちらに送ってくれることになった。今月中には本屋に出るのだろう。しかし、頭の中はビッグバンでいっぱいだ。
本というものは、書いてから実際に本ができるまでに、かなりのタイムラグがある。『ウェスカ』を書き終えたのは5月の頭。ゲラが出たのが6月の頭。少なくとも本屋に出るまでに3カ月半はかかる。『天神』の場合は出版社のトラブルがあって版元を変えたので、もっと時間がかかっている。正直のところ、何を書いたかも忘れてしまったので、校正をやれといわれても困る。
今年は大学の先生も辞めたので、次々と仕事をこなさないといけない。『ビッグバン』は一カ月で仕上げる。次は「新アスカ伝説」だ。これが今年の山となるだろう。ついこの間まで『頼朝』を書いていたのが嘘みたいだ。『頼朝』の校正は年末になるだろう。入稿の前にもう一度読み返すかどうか。仕事の状況によるだろう。時間をおくと何を書いたか忘れてしまうので、手直しのしようがなくなる。やはり仕事は一気に決めないといけない。昔、花登筺が、一時間のドラマは一時間で書く、と言っていたが、名言だ。
話を『ビッグバン』に戻す。化学の歴史を振り返ると、巨人がいっぱいいることがわかる。アボガドロもすごいしメンデレーエフもすごい。人間が生きてものを考えるというのはすごいことだということを痛感する。だから、暑さにめげず、こちらもがんばって考えないといけない。今年の夏は何と暑いのだろう。こちらに来てから三日ほど涼しかったが、突然、すごい暑さになった。ここは景色がいいので、少しは気分がもっている。近くに著名な作家がいて、毎日仕事をしているらしいのも励みになる。

08/12
一昨日(10日)は1日で第2章40枚を丸ごと書いていた。1日40枚というのは、自分の限界に近い。昔、『やがて笛がなり僕らの青春が終わる』をホテルに缶詰になって書いた時は70枚というのが記録だったが、それはほとんど寝ずに書いた。一昨日は夕方には仕事を終えてちゃんと寝た。この仕事場では朝方になる。朝の6時前に犬が起こしてくれる。それから散歩、朝食のあと、ひたすらワープロを打つ。右のものを左に写しているだけのようなところもあるが、打つだけでもたいへんだ。
昨日は反動で15枚しか書けなかったが、今日は25枚書いて、第3章が終わった。2日で1章というのが、適度なペースだろう。ここまでは化学の歴史をたどってきただけなので、ここから先が未知の領域だ。ビッグバンをどのように展開するかが問題だが、原子物理学の説明はなるべく簡略化しないと、DNAに進めない。脳内物質や分子言語については少し述べないといけない。
頭の中が化学記号で埋まっている。とても「新アスカ伝説」の構想を練ってはいられない。『天神』の校正は進んでいるのだろうか。担当者から電話がないのは問題がないということだろう。それともお盆で休んでいるのか。『ウェスカの結婚式』の見本が届いた。嬉しい。シンプルな装丁で上品な感じだ。これを書くのに2カ月かかったが、自分の人生の一断面を記録に残しておくのは有意義だろう。

08/14
4章完成。順調に2日で1章のペースを守っている。全体を8章と考えているので半分というところか。次の5章が山場になる。つまりビッグバンについて書くことになる。ここまでは例によって歴史を書いてきただけだ。歴史を書くというのは、事実としてある歴史をなぞるだけだから、右のものを左に写すだけで、むろん取捨選択、解釈、説明といったものは必要だが、それはとっさの運動神経みたいなもので、大脳よりは小脳を使っているのではないかと思う。50歳をすぎた年輩の書き手にとっては、身に染みついた技というものがあるので、何も考えずにいくらでも書けるということになる。問題はこの5章と、それから後半の6〜8章で、DNAについて述べてから話をまとめるまでの道筋だ。これも小脳を使って一気にまとめるということになるだろうが。
本日は快晴。ようやく、浜名湖の夏という感じがしてきた。熱風が吹き付ける。空が澄んで、対岸の館山寺の景色が美しい。カンザン寺のカンはほんとは「館」ではないのだが、とっさに感じが出ない。いまやっと探した「舘」だ。違ったかな。浜松の近くの人、ごめんなさい。
「ビッグバン」が完成するまで東京には帰らないつもりで来ている。芥川賞のパーティーに出るつもりで出席のはがきを出したので、これが目標だが、ダメかもしれない。受賞者とはこのあいだNHKで会ったので、わざわざ行くこともないのだが、不義理をしている編集者に頭を下げる機会があるかもしれないと思って、やっぱり行くべきかとも考えているが、まあ、当面の仕事を優先しよう。
他の資料をまったくもってきていないので、「新アスカ伝説」のプランを練ることができない。「日本書記」の上巻の文庫本をもってくるつもりだったのだが、どういうわけか行方不明だ。芥川賞に出かけるなら少し早めに出て神保町で買おう。さて、明日はビッグバンに挑む。ビッグバンとは何か、わたしもわかっていない。わからないことを書くというのが、書くことの醍醐味の一つだ。

08/15
5章の後半まで進んだ。ここでビッグバンについてすべてを語るつもりだったが、まだ核心部分に到達していない。あるいは次の章に少しずれこむかもしれないが、この章だけ長くしてもかまわないと思う。山場なのだから仕方がない。ここまで、ペースとしては順調に進んでいる。毎日規則正しく、早朝の犬の散歩、メールをチェックしてから、朝食、それからひたすら仕事。夕方、犬の散歩をしてから、軽くビールを飲むという、ワンパターンの生活をくりかえしている。
三宿の生活と違うのは、文化庁や文芸家協会に出かけないこと。電話がかかってこないこと。書斎にテレビがないので集中できること。電話がテレホーダイではないのでメールにしかインターネットを使わないこと。要するに、仕事を阻害するものが何もない。一年のすべてをこういうふうにやれば、もっと仕事の量は増えるだろうが、それでは人生が寂しすぎる。
この仕事場でも、子供が小さかった頃は、プールにつれていったりしていた。いまも散歩で、プールの横を通る。時折、過去を振り返ることもあるが、子供は育ってしまったのだからしようがない。時間が経過して状況が変化していくから、人生というものは面白いのだ。長男はスペインから頻繁にメールを送ってくれる。ウェスカのお祭りがあったり、隣の村のお祭りにいったり、実に楽しそうだ。昨日はウェスカで闘牛があり、初めて本物の闘牛を見たとのこと。
長男のメールは、何というか、文学的だ。こういう友人がいて、便りを送ってきてくれることが嬉しい。もっともわたしにだけでなく次男にも同じ文面が送られているようだ。その次男からはまったくメールが来ない。音信不通である。勤務している研究所はお盆も一斉休業ではない。研究は個人的な作業だから、好きなときに年間の休暇を消費していくというシステムらしい。去年はそれで長男の結婚式に参加できたのだが。
昔は犬も泳いだ。プールではない。猪鼻湖という浜名湖につながった小さな湖が散歩コースにあって、そこの人のいない渚で犬を泳がせた。綱をはずすと元気よく水の中に入っていき、はるかな沖まで泳いでいく。犬の黒い後頭部が豆粒のようになって、少し不安になるのだが、不意にその黒い豆粒は白くなる。犬が顔をこちらに向けたのだ。そして、その顔がしだいに大きくなる。その時の、安堵感が、何ともいえば幸福な感じがした。遠い昔だ。十四歳になった犬は歩くのも難儀そうだが、疲れるのは後半で、散歩の前半は、子犬の頃のように飛び跳ねる。
さて、この仕事場にいるのもあと一週間くらいだろう。草稿を完了させてから三宿に戻りたい。9月になれば「新アスカ伝説」が始まる。作家としての大きな仕事としたい。三番バッターのヤマトタケルまでは助走期間だが、トップバッターが出塁しないと次に続かない。その意味では、背水の陣で臨まなければならないと考えている。いまは勢いがあるので、このまま前進したい。

08/18
6章が終わり7章に入った。8章で終わり。8章が少し短くなるようなら終章ということでいい。枚数としてもそれでちょうどいい。むろん書くことがあるなら伸ばしてもいいが、だらだらと伸ばすよりもコンパクトに盛り上げて、そのまま一気に終われればそれでいい。何かの解説書ではなく、一種の哲学的な読み物なので、ストーリーがあって読者が乗れればいい。論理的な完璧さは要らない。またビッグバンという、物理学者でもよくわからないテーマだから、完璧に論証することはもともとできない。この本を読んでいる間で一瞬、わかった気になって読者が本を閉じることができればいい。
昨日は妻が不在で、犬と二人きりだった。戸締まりの確認に、下の部屋に下りていった。下の部屋というのは説明しないとわからないだろうが、わたしの仕事場は斜面に建っていて、坂の上に平地がある。その平地に面したところが一階で、書斎は二階にある。玄関は一階にあるから、入口まで階段で昇る。しかし斜面の下の方から見れば、建物は三階建てに見える。一階の下にも部屋があるからだ。一階から階段で下りるので地下みたいだが、地下室ではない。下の道路から見ればかなり高いところにある部屋で、光も入るし風も通る。子供たちが来ると、その下の部屋を使っていた。妻は掃除にいったりするが、わたしはめったに下には行かない。
で、戸締まりの確認で下の部屋に下りて、床の上に座って、しばらくぼんやりしていた。考えていたことは、子供たちはこの部屋で寝ていたのだな、といった当たり前のことだ。自分にとっては慣れ親しんだ仕事場だが、この下の部屋に下りることはめったにないので、知らない場所のような気がした。で、子供たちはこんなところに寝ていたのか、といったことを考えたわけだ。で、その子供たちは、小学校の低学年くらいから、夏休みにはここへ来ていた。大学生になっても正月は来ていた。子供だった子供たちがここに寝ていた、ということと、二人とも大学生になってまだ二人並んでここに寝ていたのかと思うと、何だかおかしい。長男はスペインに移住したので、もうこの部屋に来ることもないだろう。そんなことを考えた。私小説を書くとすれば、こういう場所はけっこう重要なのだが、わたしは私小説は書かないので、べつにどうということはない。

08/20
いろいろなことがある。午前11時くらいから1時間、アインシュタインの宇宙項について、すごい勢いで文章を書いた。ふだんはキーボードの手が止まったら上書き保存する習慣があるのだが、この1時間はまったく手が止まることがなかった。で、7章が終わって、いよいよ終章に突入、ということで改ページをクリックしたら、突然エラー表示が出て、結局、再起動するしかなくなった。これまでもワードの途中ではりついて再起動したことはあるのだが、その場合は必ず、前回正式に終了しなかったという表示が出て、バックアップの画面が出てきたのだが、今回は何事もなかったような感じで、え、どうすればいいの、とパニックになってしまった。ワードを開けると、この1時間に打った10枚ぶんくらいがきれいに消えている。一太郎だとバックアップファイルは、ファイルを開いた同じフォルダにあるのだが、ワードではどうだったか、しばらくワードを使ってなかったので忘れていた。というか前に使っていたパソコンはほとんどはりつくことがなかったので、たぶんワードでこういう状態になったのは初めてだと思う。
一時は諦めて、記憶を頼りに復元しようかとも思ったのだが、それも悔しいので、ヘルプの犬にきいてみることにした。するとまあ、バックアップ・ファイルが迷路の奥みたいな場所に保存されていることがわかり、ちゃんと復元することができた。めでたしめでたし。で、ヘルプの犬が初めて役に立った。このヘルプの犬というのは、このワードのマスコットみたいなものらしい。前のワードにはなかった。いま使っているパソコンは去年買ったものでウィンドウズMeが入っている。それについていたワードだから、まあ、新しいものだろう。最初はイルカが出てきた。
全画面表示にすると文章が書いてあるところにイルカがいるので邪魔でしようがなかったが、ワードの書体が気に入らないので、横幅を狭めて表示すると画面に表示できる文字数も増えて快適なので、右には使わないゾーンができた。そこにイルカをおいてあった。この使わないゾーンにはデスクトップの一部が見えているので百科事典や国語辞典のアイコンもおいてあって便利だ。
で、この仕事場に来てヘルプをいじった時に、オプションという部分をクリックしたら、イルカの他にはいつくかキャラクターがあることがわかり、数日前から犬にかえたのだ。イルカはあまり芸をしなかったが、犬は動きがあった面白い。しかしあんまりかわいくない犬だが、眠ったり、穴をほったり、脚で首をかく動作はリアリティーがある。壁紙というのか、デスクトップの背景には、6月の旅行の時にオステンドという港に行ったときの、ドーバー海峡の海が表示してある。中央に小さなわたしの姿もあるのだが、岸壁の手すりの手前には赤っぽい敷石があって、ちょうど犬はその上にいるので、イラストの犬がそこにいるような感じがする。この話は、それでおしまい。明後日、三宿に帰る予定なので、明日、どうしても草稿を完成しないといけない。

08/21
台風が近づいている。この浜名湖の仕事場は20年前に建てたものだが、一度だけ、台風に遭遇したことがある。その時は、台風の目が猪鼻湖の真上を通った。青空が見えて、気圧のうすさを耳に感じた。子供たちが小さかった記憶があるから、建てた直後だったように思う。いまは夕方の5時をすぎたところで、台風は紀伊半島の手前で停滞しているようだ。明日、東京に帰るのは難しいかもしれない。
ついさっき草稿が完成した。最後は苦しかった。落としどころがなかなか見つからなかった。いろんな終わり方があるだろうとは思ったが、あまりりきまずに自然な感じで終わりたかった。まあ、いい感じで追われたと思う。いま、全体を読み返したわけではないので、何を書いたか忘れてしまった部分もあるが、記憶を頼りに全体を振り返れば、前半は化学の歴史で、少し煩雑かもしれない。もっとテンポよく語れたかもしれないが、作家の書く本なので、いいかげんな感じがすると読者がついてこない。科学の歴史をしっかりと踏まえて書いていることを読者に伝えたかった。後半はスピードアップしたので流れはよくなったが、歴史からはなれて作者(わたし)が独断的に語っているところもある。ただし、大幅に間違ってはいないと思う。
宇宙の始まりについて、どんな語り方があるだろう、と書く前は考えていた。しかし書いてみると、これしかないという語り方になったと思う。特異点について、X粒子というものを出してうまく語ったと思うが、このX粒子というのは、少しつごうのよすぎる存在だし、実験で存在が確認されたものではないので、空想の領域の粒子かもしれない。しかしこういう考え方もあるということは読者に伝わると思うし、この粒子をテコにして、ありえないはずの宇宙の始まりがきれいに見えてくるということがある。宇宙の始まりなど誰にもわからないだろうと多くの人々は考えているだろうが、この本を読むと、一瞬だが、わかった気になるのではないか。というようなことを目指して書いたのだが、せいいっぱいに書いたので、この種の本の中ではユニークでインパクトのあるものになったと思う。
さて、次は「新アスカ伝説」だ。この仕事場には、ビッグバンに集中するために、他の資料は何ももってきていなかった。だから本来、明日、東京に帰るまでの時間は、ぼんやりしているしかなかったところだが、妻が大阪の実家に行ったので、「日本書紀」の上巻の文庫本を買ってくるように頼んだ。実家の近くの本屋にはなく、大阪駅の紀伊国屋まで行ってくれたようだが、いまこの上巻が手元にあるのはありがたい。今夜はこれを読みながら、登場人物の名前を考えたり、物語の舞台の地勢を考えることができる。
舞台は当然、アスカだ。これは奈良県の明日香でもあるが、架空の土地であってもいい。しかし地名はなるべく、実際に明日香にあるものを、カタカナ表記で使っていきたい。登場人物も、主人公のミマキ王子を始め、「日本書紀」の人物名をカタカナで書いていきたい。ただし天皇名は用いない。これは死んだあとから用いられた呼び名だからだ。第一巻の主人公は崇神天皇だが、この名称ではなく、ミマキ王子ということで話を進めていきたい。
台風が無事通過することを祈りたい。

08/27
軽井沢に二泊して帰ってきた。毎年行っている友人の別荘である。去年は長男の結婚式があって行けなかった。2年ぶりである。「ビッグバン」の草稿プリントをもっていった。半分くらい読み返したが、うまくいっている。ただし、やや強引な話の展開がある。まあ、物理学者の書く本ではないので、許してもらおう。軽井沢は涼しく、仕事がはかどった。

08/30
草稿チェック完了。かなり赤字を入れたので入力するのがたいへんだが。とにかく一ヶ月で本一冊書けたことを喜びたい。いよいよ「新アスカ伝説」を本格的にスタートさせる。この続きは「新アスカ伝説」の創作ノートで。


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