「アトムへの不思議な旅」創作ノート3

2008年11月

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11/01
土曜日。あと1カ月、「アトム」の創作ノートとする。並行して「罪と罰」についても考えないといけないのだが、とりあえずは「アトム」の完成だ。並行してやっている仕事がほかにもあるので、「罪と罰」について考えるのは来月になってからだろう。木曜日に外出した他は仕事場で集中して仕事をしている。ひたすら「アトム」のことだけを考えていた。が、ちょうどキリのいいところに来たので、本日は著作権センターの機関誌の仕事。原稿を20枚ほど書かないといけない。ところが早慶戦第1試合。衛星の4チャンネルで放送していて、斎藤くんの好投で早稲田の優勝が決まったのだが、リリーフで2イニングを投げた大石という投手がすごい。ほどんど球にバットが当たらないくらい速い。すぐにでも巨人にほしいくらいだ。学生アルバイトという制度はないのだろうか。その巨人のまったく打てずに完敗。

11/02
日曜日。しばらく実家に帰っていた妻がようやく帰ってきた。ここ数日、仕事ははかどったが、冷蔵庫の中の残り物とコンビニ弁当の日々だった。東京タワーを見ながら中華料理というのが一回あったのでよかった。本日はわたしが理事長をしている文芸著作権センターの機関誌の原稿と、世田谷文学館の文学賞の選評を書きながら、天皇賞も見たし、ゴルフも見た。それから日本シリーズ。ラミレスのサヨナラホームラン。もっと早く打て、と言いたい。巨人はリリーフ陣が安定している。そして夜中、すごい中継を見た。F1の最終戦、ハミルトンとマッサの差が7ポイント。マッサが一位でハミルトンが6位だと同点だが、優勝回数の差でマッサが年間チャンピオンになる。で、ハミルトンは5位が絶対条件。それでマッサはずっと1位で、ハミルトンは4位くらいで、これでハミルトンの勝ちと思われた終盤に雨が降った。トヨタのブロック以外はレインタイヤにかえて、その時点でハミルトンは5位だったが、その後、新鋭のベッテルに抜かれて6位で、そのまま最終周に入って、これで誰もがマッサのチャンピオンと思った時に、タイヤをかえていないトヨタ車が急速にペースダウンして、ゴールの直前でハミルトンが5位になった。そのことに気づかないマッサのフェラーリ陣営は歓喜の声をあげたが、ほとんど同時にハミルトンのマクラーレン陣営が歓喜の声をあげた。これは天皇賞の牝馬同士の鼻の上の産毛の差のような僅差よりも、もっとすごい逆転劇だ。わたしはイギリス人だがブラックピープルのハミルトンを何となく応援していた。去年も1ポイント差でチャンピオンを逃したハミルトンが6位のままで最終周に入った時、そういう不幸な星の下に生まれたのかと運命的なものを感じていたのだが、最後までドライタイヤでねばっていたトヨタ車が耐えきれずにペースダウンしたのは、要するに豪雨で路面に水がたまったせいだが、あと一周というところまで踏んばっていたので、どうしてがんばれなかったのかと、フェラーリはトヨタを恨んでいるだろう。そんなことより、雑文二件が終わったので、またアトムに戻る。いよいよ湯川秀樹のパイオン発見の話になる。この本は原子が主人公なのだが、その原子の中でも陽子が主人公であり、さらにその陽子を引き立てる名脇役としてのパイ中間子がカギを握っているので、パイ中間子が主人公だといってもいい。いよいよこの本もゴール直前に迫ってきた。

11/03
月曜日だが祝日。昨日の日曜日はゴルフ、天皇賞、早慶戦、日本シリーズ、F1最終戦とスポーツが盛り沢山であったが、本命の米フットボールは月曜でないと結果がわからない。わたしはいつも正午ごろに起床するので、ただちにネットで確認すると、各地の試合の途中経過が表示されている。今日は甥が来たのでネットを見るのが遅れた。つないだ時はすべての試合が終わっていてNYジャイアンツは勝っていた。当面のライバルのカウボーイズに勝ったのは大きいが、相手はQBが故障中なので勝って当然。イーライ・マニングは快調。兄のペイトン・マニングもペイトリオッツに勝って4勝4敗になった。まだチャンスはある。「アトム」はゴールが見えているが、現代に近づくにつれて説明が難しくなってくる。イメージとしてはとらえられない領域になってくるし、数式だとわけがわからなくなるので、ここはテンポよく語りきるということで先に進みたい。

11/04
羽沢ガーデンを守る会の理事会。いつのまにか理事になっていた。夜は姉が来たので軽くビールを飲んだ。隣室のテレビを音を出さずにつけて時々見ていたのだが、5対0で勝っていたのが気がついたら5対4になっていた。しかしまあ、何とか勝ってよかった。明日からは壮絶な撃ち合いになるのではないか。

11/05
文藝家協会理事会。評議員の岳真也が来ていたので声をかけたら、今日が誕生日だというので、近くの居酒屋で祝杯をあげた。わたしより一歳上になった。ほぼ同世代で、子息が2人という点でも同じなのだが、まだ親がかりなので稼がないといけない。作家は一種のフリーターだから、家族を養うのは大変だ。わたしのところは2人もちゃんと働いているのでありがたい。岳さんはわたしと別れた後、新宿あたりに出かけたようだが、わたしは自宅に帰って仕事。「アトム」もうすぐ草稿のゴールだ。

11/06
今週は木曜から公用がないので仕事に集中できる。が、点字図書館関係のエッセーの選考を頼まれているので読んでみる。胸を打たれた。すごい。わたしは刑務所に入っている人の創作・エッセーも読んでいるが、そして、それも胸を打たれるのだが、刑務所に入っている人は、やむにやまれぬ事情があるにしろ、自分で犯罪を犯すという主体的な「因果」の末に「応報」というかたちで刑務所に入っている。ところが失明者の場合は先天的なものにしろ中途失明にしろ、「因果」はなく、突然に、不条理に視覚を奪われる。そこから点字によって、わずかな光明を見えてくるという感動的なストーリーが語られる。読んでいる間、テレビのボリュームを小さくして(妻のじゃまにならないようにという配慮もある)野球中継をかけていたのだが、読みながら、もう巨人は負けてもいいという気分になっていた。実際に負けそうだったのだが、エッセーを読み終えて深呼吸をしたら、途端に逆転勝ちした。今日はいい日だった。

11/07
金曜日。雑文一件。ただちに送る。届いたという担当者の返事。ネット時代になるとテンポが速い。「アトム」は最終章に入っている。クォークの説明。難しい。書いているわたしがよくわかっていないから、読む人はもっとわからないだろう。

11/08
土曜日。散歩には毎日行く。野球は負け。西武の方が強い。監督の采配も見事だ。ニュースキャスターの筑紫哲也さんが亡くなった。テレビに出ている人の場合、テレビに出ているから知っている人なのか、面識のある人なのか、すぐには思い出せない。筑紫哲也さんとは、雑誌で対談したことがあるような気がする。そういえば、紳助竜助の竜助さんとは、麻雀をしたことがある。よくしゃべる人だった。漫才の時はただうなずいているだけなのだが、それは紳助の方がしゃべりすぎるからなのだと思った。

11/09
日曜日。野球は負け。西武の方が強い。監督の采配も見事だ。昨日と同じことを書いている。野球のシーズンが終わった。今年はスーパーボウルでイーライ・マニングの奇跡的な逆転があったので、わたしの勝負運はそれで尽きている気がしている。よいことは続かない。プロ野球はシーズンの始めから、もうダメだと思っていたので、まあ、日本シリーズが楽しめただけでもラッキーだったと思う。さて、それどころではない。「アトム」のエンディングだ。書くべき項目はわかっているが、気持の盛り上げが必要なので、最初から読み返すことにした。図を入れるべきところなどもチェックしたい。それで気持の流れを作ってから最後の文章を書くことにする。あと数日で完成するだろう。

11/10
またウィークデーが始まった。著作権の講義。今週は小室哲哉と森進一という話題があった。「アトム」は最初から読み返している。まだ結論の部分は書いていないのだが、最初からの流れを見ないと結末へ向かう流れがつかめない。登場する人物に生年と没年を加える作業と図版やイラストを入れる部分のチェックもしないといけない。細かいことにこだわっていると流れがつかめず、流れを見ていくことチェックがおろそかになる。しかし2度読むのはめんどうなので、何とかこのまま最後まで行きたい。

11/11
読み返しの作業。登場人物の生没年を入れる作業は百科事典を開きっぱなしにしてコピペすればそれほど手間はかからない。図解を入れる部分もチェックしているが、量が多いので実際に図解を入れる作業は大変だ。自分で簡単なイラストを描いてあとは編集者に任せることになるが、元となる資料がすぐに見つかるか。この作業に2日かかる。編集者には来週の火曜に会う約束をしている。文字情報だけは今週中に届けたい。となると木曜の夜中が勝負だが、サッカーやアメリカンフットボールもあるので集中力が持続するか。

11/12
矯正協会の座談会。矯正中の人々の創作と随筆の選考。これはわたし一人で最終選考をするシステムなのだが、最終のセレクトをしてくださった担当者と座談会をして、全体の感想を述べるということになっている。この催し、いつからやっているのかもう記憶がない。昔からやっているような気がする。矯正中の人々はいわば拘束状態にあるわけで、そのこと自体で困難をかかえているわけだが、そういう状態になるまでにはさまざまな人生の困難があったことと推察される。そういう人の書くものは重い。学生の宿題の創作などよりはるからインパクトがある。そういう作品について語ることは楽しい。必要な座談会のあとは食事が出て懇談になる。この懇談もまあ、楽しい。いま仕事はゴール直前で頭の中は物理学でいっぱいなのだが、とりあえず役目は果たした。

11/13
著作権情報センターの理事会と臨時総会。2時から理事会で3時半から臨時総会ということなので、それから1時間くらいはかかるかと思っていたら、総会は10分で終わってしまった。文化庁の下請けの仕事が今年から入札になったので予算に組み込めなかったとのことだ。そういえば昨日の矯正協会の仕事も来年から入札になるという話だった。すべてを入札にするというのは進歩なのか。余計な手間をかけて結果は同じということになるのだったら、無駄が増えるということではないか。この10分の総会というのもまったくの無駄だ。わたしは定例の理事会に出ていたのでいいが、総会だけのために来た人もたくさんいた。
明け方、というよりも朝になってゴールイン。まだ図解の整理が必要だが、とりあえず文字情報だけ編集者に送った。締切を守れた。

11/14
図解の整理。疲れが一気に出て仕事に集中できない。ほんの数点仕上げただけ。火曜日に編集者がとりにくる。まだ時間はあるが、土曜は大阪に行くので、日曜、月曜で仕上げないといけない。集中力が出なかったのは、ドストエフスキーのことを考えていたから。『罪と罰』出だしの部分が書いてみた。わりといい感じになっている。このまま一気に書き続けたい気がするが、とにかく図解だ。

11/15
土曜日。妻に東京駅まで送ってもらう。大阪駅のホテルに入る。すぐ近くの会場で五時から大手門学院の同窓会。小学校、中学校、高校までの合同の同窓会。わたしは小、中のみ。高校の人は知らない。小だけの人、中だけの人もいる。数人とは高校時代もつきあっていたが、ほとんどは中学以来なので45年ぶりで会う。子どもだった人々が、ちゃんと大人になり、老人になっているところが面白い。会うとさまざまなことが思い起こされて会話がはずむ。私立の学校なので、親は医者とか商人とか、独立して仕事をしていた人が多い。だから親の仕事を引き継ぐことになる。医者の息子が皆ちゃんと医者になったさまは壮観である。

11/16
日曜日。やや宿酔。ホテルで目覚める。このホテルは大阪駅の上にある。バルセロナでよく泊まるホテル・サンツを思い出す。そこもサンツ駅の上にある。人間の多さでは比べものにもならないが、警察犬をつれた警官が見はっている点はサンツ駅の方がスリリングだ。大阪は人は多いが、身の危険を感じることはない。新大阪のホームに上って、雨が降っていることに気づいた。自宅に帰って、ひたすら図解の整理。とにかく半分以上は仕上げて、明日に持ち越し。何とか間に合うだろう。これが終わればいよいよ『罪と罰』だ。この作品についてはいろいろ考えていることがあるのだが、ここに書くと煩雑なので、12月のノートの方に書くことにする。

11/17
月曜日。いつもの講義。あとはひたすら『アトム』のための図解の整理。疲れたが必要なものを揃えた時は達成感があった。

11/18
『アトムへの不思議な旅』の担当編集者と自宅で打ち合わせ。原稿は先週の金曜日にメールで送ったのだが、最後まで読んでくれていて、内容はオーケーとのこと。図解については、イラストを多用したいとのことで、こちらも同意。その後、ご近所で軽く飲む。いい仕事をしたという実感があるので祝杯をあげる。夜中は『罪と罰』に取り組む。いい感じで前進している。出だしから主人公のキャラクターが鮮明になっている。原作を踏襲して話を進めているのだが、不必要なところは大幅にカットしている。しばらくの間は、最初から何度も読み返して、これでよいのか確認しながら先に進みたい。

11/19
今日はひたすら仕事。雑文一件。あとはひたすらドストエフスキー。冒頭のシーンは地区警察署である。ラスコーリニコフの犯行の翌日からわたしの小説は始まる。だが詳しいことは来月のノートに記入することにする。とにかく『アトム』が終わったので、ドストエフスキーに集中できる。ただし、すべての作業がまだ並行状態だ。児童文学『海の王子』はまだ手元にゲラがある。いずれ校正者の赤字が入ったものが届くはずで、突き合わせの作業が必要だ。昨日手が離れた『アトムへの不思議な旅』はイラストと付き合わせる作業が必要だ。他にも『堺屋太一伝』は最終インタビューのテープ起こしを待っている状態。そういえば『マルクスの謎』というのもあった。あれはどうなっているのだろう。この四つはペンディング状態でまだ作業が残っている。しかし、とにかくドストエフスキーだ。

ところでスペインにいるわが長男は、わたしと妻のためにブログを書いている。今日はグアダラハラでのピアノコンサートの話が書いてあった。長男はピアニストで、サラゴサの音楽院所属の伴奏ピアニストを務めるかたわら時々自分のコンサートをしたり、アンサンブルに参加したりしている。グアダラハラは首都マドリッドとサラゴサの中間くらいの街だ。スペインは民族音楽は盛んだが、クラシックの伝統はヨーロッパの中では弱く、長男はコンサートの時には自分で解説しながら演奏するようにしている。もちろんスペイン語だ。長男の文章を引用すると、「アンコールでは、ファリャの火祭りの踊りを弾きました。高校生の時に初めてこれを弾いたときは、まさか将来スペインで、スペイン語で説明しながら弾くとは夢にも思わなかったものですが。」この文章に何だか涙ぐむような思いをした。
ドストエフスキー論は歴史小説を書くような感じで書き進めている。ドストエフスキーのリアルな作品を一つの歴史ととらえ、それを別の角度から読み解くために小説仕立てにするというのが今回のコンセプトだ。客観的な歴史をとらえるようにドストエフスキーの小説を分析して、新たな小説を書いていくわけだが、もとになるテキストがあるので調子が出ればいくらでも書ける。サッカー中継を耳に聞きながらどんどん先に進んでいく。サッカーも一度も勝ったことのないカタールを相手に3−0の快勝。とにかくいまは書けるだけ書いていきたい。

11/20
山の東急ストアの上にある複写権センターで会議。ここに来るのは数年ぶりだ。必要な会議を終えて自宅に戻る。担当者と飲みに行く予定だったが風邪でダウンとのこと。ドストエフスキー論が快調に動いているので、まあ、ひたすら仕事。『罪と罰』の本編は文庫本で3冊だが、ドストエフスキー論の方は1冊に収めないといけない。

11/21
国会図書館。この会議は何だか面白い。ふざけているわけではないが何となくのんびりしている。利害が絡んでいないからだろう。夜はネットワーク流通と著作権制度協議会。似たような組織がもう1つあるのだが、それは敵。今日のは味方。ややこしい。「著作権を骨抜きにする会」と「著作権をとことん守る会」という名称にしたらどうだろうか。帰ってテレビをつけると吉岡くん扮する三丁目の茶川さんが、芥川賞を狙うと宣言して小説を書き始めた。がんばってね。何十年か前、わたしにもそういうことがあったような気がするが。しかしあえて素朴なことを言うが、芥川賞をもらっても結局、貧しいフリーターになるだけなのだが。

11/22
土曜日。妻が実家に帰っているので一人。本日は三軒茶屋のツタヤ、世田谷郵便局、近所の小田急ストアの3地点を巡回する。ツタヤは会員証の切り替え。費用として300円とられるが、かわりに500円の割引券をくれる。しかし老人割引のものには使えないという。損をしたのか得をしたのかよくわからない。郵便局は不在票の荷物をとりにいった。妻宛に来たもので生もののようなので冷蔵庫に入れる。小田急ストアは最近できた新しい店。人通りのない場所なのだが、将来は中野の方まで抜ける道路に面している。しかしこの道路建設のために立ち退く人も出てくるし、一部が高架みたいな感じになるので反対闘争が続いている。わたしにとって直接の利害はないが、駅へ行く経路のどこかに新しい道路ができるわけで、信号で立ち止まる時間がロスになる。道路が貫通するのは将来のことで、いまのところ小田急ストアはすいている。総菜が豊富にあるので妻のいない独身男性にとってはありがたい店だ。『罪と罰』第一章が終わった。かなりのピッチで進行しているが、どこかで行き詰まるだろう。止まるところまではこのペースで進んでいきたい。

11/23
日曜日。いつもは土曜日にあるコーラスの練習が今月はなぜか日曜。誰もいないのではないかと思いつつ行ってみると、半分以上のメンバーがいた。めじろ台に戻って二次会。夕方、出かける前に仕事は進んだ。ラズーミヒン登場。

11/24
月曜は講義の日だが本日は祝日。ひたすら仕事。第2章も半分を越えた。全体は10章と考えていたのだが、それで収まるか。一冊の本に収めなければならないので、400字原稿用紙で500枚が限度だろう。できれば400枚にしたい。

11/25
火曜日。本日は教育NPOとの定期協議。もう4年くらい続けている会議で、なじみのメンバーなので楽しい会議だ。協議の始まりの段階では利害の対立があり、やや厳しい議論があったのだが、話し合いによって共通の目的に向かって活動を推進していけることがわかったので、それ以後は楽しい会議になっている。話し合いというものはすべからくこういう感じで進みたいものだ。すべてを競争原理に委ねて必要なら訴訟を起こすという、自由競争原理は、実は弁護士を儲けさせるだけのシステムだ。たぶん訴訟社会のアメリカも、これからそんなことはやっていられないだろう。アメリカは石油が少しでる農業国、ということになるので、アメリカの弁護士は80パーセントは失業するとわたしは見ている。その駄目なシステムの金融と訴訟を、日本がそっくり引き継ごうとしているのではないかとわたしは危惧している。日本は伝統的に社会主義的に人民を守ってきた。小泉政権が人気を集めたために、日本は穏やかな社会主義という理想システムを放棄してしまったのだが、いまからでも遅くない。談合(フェアな話し合いシステム)という最も効率的なシステムの重要性を再検討すべきではないか。

11/26
水曜日。メンデ協会サロン例会。ソプラノの土田聡子さんをお招きしてトークコンサート。楽しいお話ができて、参加者全員が貴重な体験をしたと思う。狭いサロンでの公演なので声がめいっぱい響いて迫力があった。土田さんという人はとても面白い人で、ただの歌手ではないと感じられた。さて、これで週末まで何も仕事がないのでドストエフスキーに没入できる。

11/27
久しぶりに北沢川緑道を散歩。桜の葉がすっかり色づいている。妻が帰ってきた。妻はやっぱりいた方がいいなと思った。

11/28
すでに3章に入っている。妻がいるので生活にリズムがある。

11/29
土曜日。ひたすら仕事。

11/30
日曜日。今月もおしまい。今年はすでに3000枚の原稿を書いている。例年は1800枚程度なので、ピッチが上がっている。その割に本が出ていないのは、現在進行中の本が4冊もあるからだ。半月前の書き始めたドストエフスキー論も100枚くらいは書いている。働いているのに収入がない。どういうことだ。


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