天海01

2021年3月

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03/01/月
ノートのタイトルを改めた。新しい作品にとりかかる。「天海」ということにしたが、すぐに変更することになるかもしれない。「題未定の新作」というようなタイトルにしようかとも思ったが、とりあえず「天海」について考えるということで、作品の完成を前提とせずに、このノートを始めようと思う。前の作品『尼将軍』は7ヵ月かかった。これでデッドストックが3作になったが、それぞれ思い入れのある水準以上の作品になったとは思うのだが、ドストエフスキー4部作のころと比べるとパワーが落ちているのかもしれない。『人麻呂』はその前の作品『白村江』の流れを受けているし、かつて『炎の女帝』で扱った年代でもあるので予備知識があった。『紫式部』は小説を書くのは初めてだが、集英社新書『源氏物語を反体制文学として読んでみる』で熟考した時代で資料も読み込んでいた。『尼将軍』もかつて『夢将軍頼朝』で書いた時代で、さらに『親鸞』に登場させた後鳥羽院や慈円、定家の時代だから、時代の雰囲気はわかっていた。つまりある程度の予備知識があって始めた仕事だ。今回『天海』をやるとなると、自分にとってはまったく未知の領域で、大河ドラマでごく最近、「明智光秀」を見たというだけの知識しかない。司馬遼太郎の『国盗り物語』は読んだ。このあたりの時代は何度もドラマ化、映画化されているので、イメージはあるのだが、天海が出てきたことはない。天海については何も知らない。ではなぜ、天海に興味をもっているかというと、平和の実現というコンセプトが、天海によって完成されたのではないかと考えるからだ。徳川家康はあくまでも武将にすぎない。武将として天下を取る、取ったからには権力を持続させるという、私利私欲はあっただろうが、応仁の乱から始まる戦国時代の果てに、2世紀半にわたる戦争のない時代を実現したのは、徳川家康だけの功績ではないだろう。天海と崇伝。二人は同時期に駿府に移っている。それから明智光秀と天海は、比叡山焼き討ちの前後ですれちがっているはずだ。時間の前後関係をたどると、どこかで出会いがあり、天海は焼き討ちのあと天台座主とともに武田信玄のもとに赴き、それから完成した坂本城に光秀を訪ねるということになるのだが、その坂本城を物語のファーストシーンにするということだけがいまぼくの頭の中にある。あとは何も考えていない。たぶん完成までに1年はかかると思う。『人麻呂』も構想を練り始めてから1年以上はかかった気がする。さて本日は深川ギャザリアで昼食と買い物。仕事はあえてせず。もう少しイメージを練ってからファーストシーンを書くことにする。坂本城での天海と明智光秀の会話。ここでは巷説の天海と光秀が同一人物という設定ではないことを読者に示し、天海の立ち位置を示してから話を始めることにする。

03/02/火
マッサージで新宿へ。都営地下鉄。けっこう混んでいた。疫病流行前の同じくらいの状況になっている。まだ東京は非常事態宣言続行中のはずだが、人々の気分は平常に戻っているようだ。

03/03/水
神田の会議室で代島治彦監督との対談。代島監督の作品『きみが死んだあとで』がいよいよ公開される。その宣伝を兼ねての対談で、3時間20分という大作についての感想を述べるとともに、50年前の時代を振り返り、さまざまなことを話し合った。代島さんはぼくより10歳ほど若い。『僕って何』をリアルタイムで大学1年の時に読んだそうで、そのころから学生運動に興味をもっていたそうだ。ドキュメンタリー作家となり、山ア博昭プロジェクトの記録撮影を頼まれたのが縁で、ついにすごい映画を作ることになった。ぼくには『高校時代』という文庫だけで出した作品があるが、その登場人物のほぼ全員の50年後の姿が映像で記録されている。ぼく個人にとってもすごい作品だが、そういうことを抜きにしても、高校時代にピュアな理念をもった若者がその後の50年をどのように生きたかをたどるドキュメントとして秀逸な映像作品になっている。70歳を過ぎた老人が交替でただ語っている作品なのだが、見ているとその背後から青春の息吹が伝わっている。そう感じるのはぼくが出演者の一人だからだろうか。昨年は東大全共闘と三島由紀夫の討論のドキュメントが話題になったが、そういうジャーナリスティックなアプローチではなく、ひたすら生きた人間が語るさまをとらえただけの映像作品が、ある独特の効果をあげる不思議な作品になっている。そんな話ができたので、充実した時間だった。

03/04/木
散歩してたら水道橋の近くで知人の岳真也さんと会った。神保町のあたりで知人に会うことはあるが、水道橋で知人に会うのは珍しい。さて、本日は『天海』というタイトルの作品の出だしだけ書いてみた。いくらでも書けそうだが、出だしの次の場面ですごいものを見せないといけない。そのすごいものについて何の準備もない。まあ、出だしがあれば、いつかは先に進むだろう。

03/05/金
本日は湯島天神まで。ほぼユーターンして戻ってきた。昨日水道橋で岳真也に会ったことがトラウマになっているわけではない。昨日書いた出だしの部分を少し修正。まだ五里霧中の状態。

03/06/土
妻が次男のところに行ったので本日から数日は独身となる。少しほっとする感じがある。一人でいると物を片づける必要がない。放っておくとゴミ屋敷になりそうだが、数日だけのことだ。いま住んでいる集合住宅は寝室と妻の部屋が独立しているだけで、あとはやや広いリビングがあるだけ。そのリビングの一郭が戸で仕切れるようになっていて、その部分をぼくの仕事スペースにしている。そのスペースに関してはぼくのやりたいようにしているのでしだいにゴミ屋敷に近くなっていくのだが、妻は我慢している。仕切りの戸は閉めたことがないので、リビングにいてもそのゴミの一部が見えている状態だが、まあ、仕方がない。テレビで有名な文化人のインタビューが紹介された時、背後にゴミの山が見えることがある。ほら、うちの方がましだ、などど妻と語り合う。妻がいないと、リビングのダイニングテーブルにゴミが滞留していく。テレビがあり、食事もそこでするのだが、いまの資料を読み込む作業を続けているので、その資料がたまっていく。まあ、妻が帰るまでに片づければいい。さて、本日は『天海』の出だしのシーンを書き足した。少しずつ状況が明らかになっていく。このファーストシーンをしっかり描いたあとで、いきなり過去に戻ってもいい。天海の若い頃から始まって、比叡山での修行などを描いていく。やや退屈だと思う。天海はすごい人物だが、どこがすごいのか、書いている本人がまだよくわかっていない。大河ドラマの明智光秀をずっと見ていたので、時代背景は同じだ。冒頭のシーンは建設中の坂本城の木組みの上で光秀と天海が語り合うところから始まる。このテレビドラマでは、斎藤道三が若き光秀に、大きな国を造るというビジョンを伝える。武力による侵略を続けていって大きな国を造れば平和が訪れるという単純明解な理念だ。しかし武力による侵略で大きな国を造っても、武力によって支配を続けることは難しいだろう。支配の体制を築かないといけない。平安時代でいえば律令制度と国司が地方国を支配するというシステムだ。江戸幕府でいえば幕府が地方の大名を支配する幕藩体制がこれにあたる。検地を実施したのは豊臣秀吉だが、これを拡張して藩ごとの収入に応じて江戸城の建設や各地の堤防の建設など、普請の費用を出させて、地方国が反乱の準備ができないようにする。さらに参勤交代で大名に多大の消費を促す。反乱を起こしそうな大名ほど遠隔地に配置してあるので、江戸までの往復で多大の出費がある。それと鎖国によって宗教の自由を制限して菩提寺と人別帳によって人民を管理する。これだけのことを徳川家康は実現した。そこに参謀としての天海、実務家としての崇伝がいる。他にも本願寺の顕如、教如なども関わってくるだろう。家康を神として崇めるというのは、秀吉という先駆者がいる。秀吉の政権の時代に天海はどこで何をしていたのか。利休を始めとする堺の商人がどのように関わるか。そういったことも考えないといけない。えらいたいへんなことを始めたもので、もう小説など書かずに静かに余生を過ごしてもいいようなものだが、手仕事がないと退屈してしまうだろう。つねにライフワークを求めて小説を書き続けるというスタンスであと数年は生きていきたいと思っている。で、本日、急にこの『天海』という作品が、書けそうな気がしてきた。根拠はない。気分の問題だ。前述の政治システムと鎖国のメカニズムが見えてきたので、ここに天海がいかに関わったかを考えていけばいいということになる。まあ、根拠のない気分だけの空元気ではあるが、少し前向きに進んでいけそうな気がしてきたので、いい傾向だと思う。

03/07/日
日曜だが池田健さんとの対談。話がどちらに向かっていくのかまだ定まっていないが、とにかく2時間ほど集中して話が出来た。終わってから散歩に出た。まず千代田線の駅でスイカにチャージ。コンビニでの買い物には交通カードを使っているので時々チャージをする。会議のほとんどがZOOMになったので電車に乗る機会が大幅に減ってしまったが、チャージした金額は減っていく。妻が不在の間は毎日コンビニに行くことになる。自宅の集合住宅からソラシティーという駅前ビルの地下街の先に千代田線の駅がある。さらにその時に行くと別の商業ビルがあるのだが、その先の焼き肉屋だったところが閉店していたのだが、本日は電気がついているので行ってみると、ローソンになっていた。住んでいる集合住宅の建物の中にセブンイレブンがありソラシティーにはファミマがある。5分ほど歩けばローソンはあるのだが、かなり近くなったしここなら傘をささずに行ける。入ってみると弁当がたくさんあったので思わず買ってしまった。荷物を持ってしまったので散歩は中止。それだけの一日。

03/08/月
朝から冷たい雨。傘なしで行ける最短のコンビニに出向いただけ。冒頭部分の手直し。あとは資料を読んでいる。徳川家康という人について、ぼくはよく知らない。いま放送している大河ドラマは幕末の話なのに狂言回しで北大路欣也の徳川家康が出てくる。昔、かなり大昔といっていいのだが、山岡荘八の大長篇がベストセラーになっていた時に民放で連続ドラマが放送された。その時の家康は市川歌右衛門で、その出だしの部分で息子の北大路欣也が若き日の家康を演じた。真田幸村が出てくるようなドラマでは家康は老獪な敵役だ。しかし幕藩体制を築いたのは家康なので、老獪であるだけでなく、頭もよかったのだろうと思う。その家康のかたわらにいた天海はどのようなアドバイスをしたのか。まあ、作品を書きつつ考えていけばいいが、家康が何をしたかはいちおう詳細に押さえておかないといけない。家康が主人公の話ではないので家康にとらわれすぎてもいけないのだが。

03/09/火
文藝家協会の評議員会、常務理事会、理事会。3つも会議がある。文藝家協会もようやくネット併用となったが、ぼくは副理事長なのでリアル会議に出席しないといけない。SARTRASという補償金を受け取る組織の副理事長もつとめているので、報告することになる。3つの会議でほぼ同じ説明をする。ああ、疲れた。終わって4月から事務局長を務めていただくことになっている方と少し話し合い。出版社の著作権担当の人で業界のことに詳しい人だが、これまでは書協側の人だったので何となく敵の回し者と話をしているような感じもするのだが、出版社とはこれからも円満につきあっていく必要があるので、よい人に来ていただけたと思っている。かなりの期間、事務局長不在で何とか乗り切った。

03/10/水
秋葉原まで散歩。ヨドバシでプリンターのインクを買う。いつのころからか、この店では通路の近くのよく目につく場所にはプリンターメーカーの純正品ではなく、リサイクル品を置くようになった。純正品にはプリンターの機種ごとに、リコーダーとかクマノミとかサッカーボールとかの写真がついている。リサイクル品はこの写真ではなく、「リコーダー」とカタカナで表示されている。これをプリンターにセットすると「これは純正品ではありません」という表示が出るのだが、確認のボタンを押すと正常に作動するのだが、一手間増えるので、一瞬、あれ、作動しない、という気がすることがある。さて、本日は3月10日。東京大空襲の日だ。先日、アメリカのコロナ死者が50万人を超え、これは第一次、第二次、朝鮮戦争、ベトナム戦争の死者の合計を超えたという報道があった。その時感じたのは、そんなものか、ということだ。第二次大戦で日本人は数百万人亡くなったはずで、考えてみればアメリカという国はパールハーバーで空襲を受けただけで、民間人が亡くなることがほとんどなかった国で、だから外国で戦争することに抵抗がないのだろうと思う。1945年の3月10日、東京では一晩で10万人が殺された。これは明日話題になるだろう10年前の津波の被害の5倍を超える。このことを忘れてはならないと思う。そう言いながら、ぼくは地元の大阪の空襲がいつだったか、何人死んだか知らない。ただ当時は姫路に疎開していた母が翌日電車で大阪に行き、西区にあった父の町工場が全焼したのを確認した時の話を聞かされたことがある。電車が大阪に着いて街に出ると、一晩中火事の煙に追われた疲弊した難民の群が街路を埋めていたといった話で、その難民の群を掻き分けて町工場を見に行った母の行動力にも感心するし、その空襲を予想して、町工場の少ない東成区に予備の事務所を開設していたという母の先見の明にも驚かされる。そういう行動力が自分には伝わっていないかなと思う。

03/11/木
妻は川崎に出かけてiPadを買ってきて四日市の次男に発送していた。次男の長男が名古屋の学校に入ったので一家で名古屋に引っ越したのだが、通勤がたいへんなので次男だけが四日市に戻っている。単身赴任だ。パソコンやiPadの類は嫁さんや子どもが使うので次男は会社支給のノートパソコンしかもっていないということで、妻がiPadをプレゼントするのだという。なぜ川崎に行ったかは謎。川崎はiPadの産地なのか。こちらはテレビのニュースで「三陸弁当」というのを紹介していたので、日本橋タカシマヤまで散歩。長蛇の列ができているうえ、おじさんが回ってきて材料が切れて一時間以上、列が動かないと言われた。列をなしている老人たちは頑固でそれでも並び続けていたのだが、海産物に執念のないぼくはすぐに列から離れ、帰途、三越の地下で「知床弁当」をゲット。似たようなものだろう。1026円。崎陽軒の松花堂弁当より安い。三越でよいものがなければ神田駅の崎陽軒に行くつもりだった。久し振りに8000歩を超えた。三越までは近いのだが、タカシマヤは日本橋の向こう岸なのでかなり遠い感じがする。『天海』はファーストシーン完了。オープニングは短い方がいい。次に秀吉などが出てくるとわかりやすくてつまらないので、次は塩山恵林寺の快川紹喜との対話とする。やってみないとわからないが。

03/12/金
昨日は震災の10年目ということでテレビ番組でも津波の映像が流れていた。あの震災は東京でもかなり揺れて九段会館の天井が落ちたり、湾岸では液状化の被害も出たが、ぼくが当時住んでいた世田谷区の自宅ではまったく被害はなかった。マンションの4階、5階くらいで、本棚の本が大量に落下したとかいった話は聞いたし、ぼくが勤めていた大学でも本の落下はあったようだが、当時のぼくの自宅は地盤のしっかりした丘の上に建っていたのでまったく問題はなかった。ぼくは文藝家協会に行く途中で地下鉄から地上に出るエスカレータの途中だった。エスカレータが異常な騒音を発したので装置が故障したと思い、急いで上まで駆け上がったのだが、地上の道路に出るとまだ揺れが続いていて、人々が地面にしゃがみこんでいたので地震だとわかった。総務省の人と何かの問題で話し合う約束をしていたのでとりあえず文藝家協会に行き、約束どおり相手が来たので一時間くらい話をしたのだが、その間にも何度か余震があった。その間、テレビなども見ていなかったので、話が終わってからようやく津波の被害を知った。それどころか首都圏の交通機関がすべて止まっていると知って、被害がわが身にふりかかったことを認識した。結局、永田町から三宿まで歩いて帰ったのだが、渋谷までは散歩の範囲内なので、渋谷まで歩けばもう自宅からの徒歩圏だと思っていたのだが、渋谷は街全体が大群衆で埋まっていて、そこを脱け出すのに苦労をした。まあ、それだけのことだったが、翌日から妻が義父母を旅行に連れていく計画を立てていて、西向きの新幹線は問題無く動いていたので、自分一人が自宅に取り残された。ふだんなら妻が不在でもコンビニ弁当で生きていけるのだが、震災の直後はコンビニから食べ物が消え失せてしまったので難民状態になった。それでも停電などもなかったので、自宅にあったカップ麺などで生きながらえたのだと思う。テレビで震災後10年の復興のようすを見ながら、被災地はたいへんだなとは思ったが、当時ぼくが書いていたのはドストエフスキーの書き換え四部作と歴史小説だったので、自分の書くものに影響はなかった。現代小説を書いている人はそういうわけにはいかなかったと思う。週刊誌に映画監督何人かへのインタビューが出ていた。登場人物にマスクをさせるかというテーマだ。疫病の流行が始まってまだ一年だから、それ以前に時代を設定すれば問題はないのだが、この疫病があと数年続くのだとすると、マスクのない人物が登場するとリアリティーを欠くことになる。時代小説はまったく問題はない。明智光秀がマスクをしていたらパロディーになってしまう。三越のライオンは大きなマスクをつけているけれどもあれはギャグだ。スペイン風邪が流行った時代に、小学校の二宮金次郎はマスクをつけていたのだろうか。

03/13/土
今週はネット会議がまったくなく火曜日の文藝家協会のリアル会議が終わると公用が一つもない状態になった。ネット会議というのは自宅にiPadを用意するだけなので楽ではあるのだが、毎日会議があると精神的に抑圧される。パソコンに向かうにしろ資料を読み込むにしろ時間を気にしながらの作業になる。リアル会議は外出しなければならないけれども、電車に乗っている時、歩いている時にふと思いつくこともあって、スケジュールに余裕があれば苦にならない。むしろネット会議が普及して会議そのものは増えた感じがする。さて本日は朝から雨。ロビーの郵便受けに行っただけ。『天海』は禅僧と会う前に武田信玄を登場させることにした。有名人を出した方がイメージがつかみやすい。

03/14/日
快晴。小石川後楽園まで散歩。明日は午後にネット会議が3つ連続しているので散歩に行く時間がない。武田信玄のあと、恵林寺の快川紹喜を出そうかと思っている。顕如も出した方がいいだろう。その次は黒田官兵衛かな。有名人を次々に出しながら、本能寺の変までを一気に語り、それから時間を遡って主人公が出家をして、いかに修行をしたかというプロセスを描いていきたい。彼がいかに世界を認識したか、政治の世界になぜ興味をもったかということは、これから考えることになる。たぶん出だしはまじめでひたむきな人物だったのだろうと思う。そこから「怪僧」というイメージにどのように変貌していくのか。まだ何も考えていないのだが、いまはまだ書き始めたばかりだから、徐々にアイデアが広がっていくだろうと期待している。今年の大河ドラマは、いまはまだ幕末だからおもしろそうだが、明治になってからどうなるか。昔、菅原文太が主演したドラマがあった。「獅子の時代」だったか。あれぱかなりおもしろかったという印象がある。反体制運動の話だったような気もするのだが。スペインにいる長男からLINEのテレビ電話がかかってきた。孫4人が揃っていて元気そうだった。長男はピアニストだが音楽院の教員をしているので予防注射の順番が回ってきたそうだ。頭痛などの後遺症があったとのことだがいまは元気。隣の州の大学の医学部に入った長女は対面授業が始まったのでこれから出かけると話していた。地球の裏側に血のつながった子や孫がいるというのは不思議な感じだ。

03/15/月
午後2時からたてつづけにネット会議3件。1日に2件あることはよくあるのだが、3件はめったにない。記憶にあるのは去年の秋に浜名湖の仕事場にいた時に1日3件というスケジュールがあった。運の悪いことにちょうどその時期に仕事場の固定電話の契約を解除した。仕事場の回線をADSLから光ケーブルに替えた時に固定電話も光回線になってモデムにつながっていたのだが、この回線を切断する時に設定が初期化される可能性があると聞かされていた。それが心配なので仕事場に赴いて確認したのだがちゃんとネットにつながったので安心していたのだが、その翌日の朝、パソコンでメールをとろうとしたらつながらなくなっていた。パソコンから設定はできてパソコンはネットにつながったのだが、電波を飛ばすルーターがつながらない。ルーターの設定ができなくなってしまった。ぼくのパソコンは古いものでカメラもついていないので、ネット会議にはiPadを使っていた。仕方がないので鷲津という町まで行ってルーターを買って設定を試みたのだが、これにも手間取った。すでに最初の会議が始まっていたのでとりあえずiPhoneの4Gで会議に出席だけして、さらにルーターの設定を試みたのだがうまく行かなかったが、妻がiPhoneで設定を試みたのがなぜか奇蹟的にうまくいって、ルーターは機能するようになった。すると今度はパソコンがつながらなくなったのだが、これはパソコンの光ファイバーをモデムからでなくルーターから引いたら難なくつながった。そんなドタバタの日が想い起こされた。今回はそのようなドタバタはなく、無事に3件の会議が終わったのだが、さすがに疲れた。

03/16/火
アストラゼネカのワクチンで血栓が生じるとかでヨーロッパでは軒並み停止になっている。先週、わが長男はそのワクチンを受けたのだった。スペインでは接種の前に頭痛を予防するために風邪薬が処方されていたそうだが、わが息子はこの注意をよく読まなかったので、接種後に頭痛がして事後に薬を飲んだとのことだった。どうやら危ないワクチンのようだ。とにかく息子は元気に生きているのでよかった。

03/17/水
日本点字図書館理事会。いまどき珍しいリアル会議。いつもここでは議長を担当する。発言者が多くやや疲れた。春のような陽気。アンダーシャツを着ずに薄い上着で出かけてちょうどよい感じだったが、終わったのが午後6時で、風が冷たかった。主人公の快川和尚の対話。ここは緊張感のあるいい会話になっている。動きのないただの会話で理屈っぽい展開ではあるがそれなりに読者に何かをうったえる展開になっているのではないか。少し話がおもしろくなってきた。

03/18/木
SARTRAS理事会。こちらはネット。少し発言した。快川和尚との会話が終わった。次は石山本願寺の顕如だ。以前、親鸞を描いたことがあるが、顕如を書くことになるとは思わなかった。

03/19/金
近所の医院に行く。本日は血を採られた。定期的な健康診断。あとはパソコンに向かう。主人公は石山本願寺で顕如と対話。石山本願寺の跡地に造られたのが大阪城で、ぼくは追手門学院小学部、中学部、府立大手前高校と、12年間にわたって大阪城に隣接した学校に通っていた。従って石山本願寺は地元だといっていい。ただし戦国時代は大和川が堺の方ではなく、石山本願寺の東を流れていて、淀川に合流していた。大阪の街もまだ運河が整備されず自然の川と湿地が交錯していたはずで、水の上に浮かんだ丘の上に城砦があるという感じだったと思う。いずれにしろぼくはその城砦の縁のあたりに12年間通学していたのだ。あ、高校で一年間登校拒否をしていたので、在学期間を計算すれば13年間ということになる。これはぼくの人生にとってもかなり長い期間だ。ここで顕如と対話することになるのだが、顕如の方が年下だということに昨日気づいた。顕如30歳、息子の過激派の教如はまだ15歳だ。それにしても父と子の年齢差が15歳というのはどういうことだ。顕如は12歳で本願寺の宗主となっている。これもすごいことだ。さらに昨日初めて気づいたことがある。前関白の近衛前久がこの時期は石山本願寺にいるのだ。これはすごいことで、前久と会えば上杉謙信についてのコメントが得られるはずだ。さらに前久が何を考えて関白でありながら戦場に赴いたのかということも議論されるだろう。いきなり議論が作品の核心に迫っていく。この作品は前半の方が面白くなりそうだ。家康が天下をとってからは話が安定してしまうので、枚数も天下をとるまでに重点を置きたい。

03/20/土
床屋に行く。夕方から歴時協の読書会。もちろんネット。読書会の最中に地震。参加者の中で地震を感知するのにタイムラグがあるのがおもしろかった。わが集合住宅はタワーなので揺れ始めるのが遅いのだが揺れ始めると長時間揺れ続けるのが特徴。つくりつけのキッチンの棚がギシギシと鳴り続けた。名古屋の参加者もいて、何のこと、という感じだったのがおかしい。現在14ページまで来ているのでここまでをプリントする。タテガキにして読んでみると欠点が目立つ。かなり赤字が入った。顕如が出てくるところ、もう少し重みがほしい。

03/21/日
朝から暴風雨。とくにこの集合住宅は風音が強い。いつもは目の前に見えている大手町のビル群が消えてしまうほどの雨。

03/22/月
オーファン委員会。その後、SARTRAS関係者だけが残って打ち合わせ。問題山積。だが今年度もあと数日で終わる。4月からは本格的に組織としての活動が始まることになる。大丈夫か。

03/23/火
『天海』は顕如が出てきたところでやや停滞していたがようやく近衛前久が出てきた。この人物はNHKの大河ドラマに出てきたのでイメージが頭の中に入ってしまっているが、演じていた本郷くんよりも明るい感じの人物として描きたい。後半はやや暗くなるというイメージの変遷があってもいいだろう。さて、この場面では前久は一人で酒を呑んでいる。天海は酒を呑むのか。呑まないはずはないが、積極的に酒好きということにはしたくない。天台の修行者なのでベジタリアンだと思う。

03/24/水
浜松の仕事場に移動。厚木のあたりまで渋滞していて、6時間くらい休んだ。いつもは足柄で最初に休むのだが渋滞で時間がかかったので海老名で休みここで給油したので足柄はパスして沼津で休憩。帰りは沼津で休むことが多いのだが下りのサービスエリアに入るのは初めてかもしれない。正月と2月に来ているのだがとても寒かった。本日は快適な温度で夕方まで窓を開け放していた。風が通る感じがいい。御茶ノ水の集合住宅のリビングははめごろしの窓なので風が通らない。仕事場に定期的に通ってくるのもこの風を味わいたいからだ。

03/25/木
浜松の仕事場で朝を迎える。仕事場での初日。今回は2週間ほど滞在する。その間、リアルな会議がないので東京にいる必要がない。この仕事場は目の前に浜名湖の湖面が見えているのだが、湖岸に出るためにはかなり遠回りしないといけない。反対側に^鼻湖という小さな湖があって、こちらは走っていけば1分くらいのところにある。湖岸に自転車道があるのだが自転車と出会うことはめったにない。そこをのんびりと散歩する。曇天。パラパラと雨粒が落ちてきたりもしたが濡れるほどではない。1時間ほどの散歩。あとはパソコンに向かっていた。近衛前久との対話。この人物は重要なので理屈だけでなく人柄を描くために間をとりながら話を進めていきたい。本題に入るまでに数ページを要するだろう。ここでは前久という人物を紹介するとともに、関白として徳川家康を三河守に推挙したエピソードを語らせる。ここで家康に興味をもった主人公が浜松城の家康を訪ねると、おりしも三方原の闘いが始まろうとしている。伏線として山県昌景を出しておいていいかをこれから考える。あまり登場人物を増やしたくない。三方原といえばこの仕事場の近くだ。ファーマーズセンターという農産物の販売所があるし、アピタというスーパーもある。のちに姫街道と呼ばれることになる本坂道といまは国道になっている蓬莱寺道との交差点の近くだ。土地勘があるのでこの闘いのようすはしっかりと描いておきたい。出発前に東京の桜は満開になっていたが、歩いて行ける上野にも行かなかった。住んでいる集合住宅の前は公園になっていて桜が何本かある。浜松に来るまでの道路沿いにも桜はあったし山桜も見えたが、この仕事場の前に小山があり、大きな桜の樹がある。浜名湖の方からは見えない。この桜を見ているのはぼくだけだというような、わが庭のような場所に満開の桜があってありがたい。

03/26/金
朝から志都呂イオン。ショッピングモールだがすいていた。いい天気で浜松市民は桜でも見に行ったのだろう。食事のあと妻と別れてこちらは本屋に。とくにおもしろそうなものはないが、歴史関係の雑誌に資料として仕えそうなものがあったので購入。こういう雑誌は意外に役に立つ。あとはテラスに出てノートにメモ。近衛前久と随風の対話。随風というのは天海の若い頃の法名。どこで天海になるのか。家康が死んでからでもいいだろう。テラス席は風が吹き渡っているが上着なしでも寒くない。快適な季節になった。コーヒーでも飲みたいと思って飲み物を売っている店を探したら釜飯屋に生ビールの写真があった。飲み屋に行くことがなくなったので生ビールなど一年ほど飲んでいない。中生500円。紙コップではなくガラスのジョッキに入っている。これをテラスにもっていって、スッポンの養殖池の向こうを新幹線が走り抜けているのを眺めながら生ビールを飲む。こういう幸福な時間があることをすっかり忘れていた。突然、昔、バルセロナのグエル公園の高台で海やサグラダファミリアの遠景を眺めながら大ジョッキを飲んだことを思い出した。スペイン語圏でもないカタルーニャ語の地域だが、ムーチョグランデなどと言うと巨大サイズのジョッキに入った生ビールが出てきた。冷えた生ビールを明るい野外で飲む。陽射しと爽やかな風。ツマミも話し相手も不要だ。ただ風に吹かれているだけで幸福だと思える。いま近衛前久を書いている。何となく共感出来る人物だ。天海には苦悩がない。そういうふうに書いているので仕方がないことなのだが、苦悩がないとドラマとしてはスリルがない。この作品は近衛前久や徳川家康、明智光秀など脇役でもたせる作品だと思われる。そう割り切ってしまえば、天海が最初から横綱相撲をとっていても許されるだろう。

03/27/土
好天だが湖岸を散歩しただけ。もう一度、作品を最初から読み返している。ようやく文体が固まってきた。冒頭のシーンから対話があるだけで動きがないので、少し心配だが対話の内容は充実している。とりあえずこのまま先に進んでいきたい。明日は嵐が来るとの予報。御茶ノ水の集合住宅なら問題はないがここは築40年の老朽家屋なので心配だ。さて、このシーズンになるとアンドラでサキソフォンの国際コンクールが開催される。わが長男は数年前から伴奏ピアニストを担当していて、出稼ぎに行く。去年はコロナのために中止されたのだが、今年は伴奏者はマスクをつけて演奏するということで、妻がiPadで同時中継を見ているので、後ろからのぞくと、わが長男の姿勢のよい姿が見えた。サキソフォンは歴史の浅い楽器で、現代音楽が多く、伴奏は難しいものが多いのだが、今年の課題曲は古典的なもので、静かな伴奏音楽で安心して見ていられる。いまはLINEの画像つきの電話で話ができるので息子の顔はいつでも見られるのだが、公式のネット中継で息子の姿が見られるのはありがたい。

03/28/日
日曜ごとに池田健さんと対談するスケジュールを組んでいたのだが都合で2回お休みだった。久し振りの対談。まあ、必要なことは話せたと思う。精神医学がテーマなのだが、鬱病や発達障害など、小説家にとっても身近な問題だ。作家は皆、どこか発達障害的なところがある。わが息子たちもどことなくふつうではなかった。たぶん誰もが、ちょっとヘン、という状態で生きているのではないかと思われる。反対に「ごくふつう」というのはおもしろくも何ともない人物だろう。個性的であることが人の評価のように受け止められている現代だが、個性的すぎると「病気」ということになってしまう。まあ、難しい問題でもあるが誰にとっても身近なテーマだと思う。午後から雨が降り出した。木造家屋だから雨の音がよく聞こえる。

03/29/月
SARTRASの分配WG。分配もかなり具体的なところに迫っていきたので細部を詰めるのが難しくなってきた。それでもこうして話し合いを続けていけば基礎的な叩き台ができるはずだ。それにしてもけっこう時間をとられてしまうが、放っておくと問題を残してしまうので議論に参加しないわけにはいかない。名古屋の孫2人が名鉄で豊橋、そこから東海道線で鷲津まで来るというので迎えにいく。2人揃って駅に現れたのでとりあえず安心。仕事場に戻って、浜名湖側の斜面に植わっている甘夏の果実の収穫。斜面なので足場がよくない。弟の腰にロープを巻き付けて斜面の下に配置し、兄が高枝切りで実を落とす。ぼくと妻だけでは途方に暮れていた果実が、わずかな時間ですべて収穫できた。孫2人がいると急に騒がしくなった。ずっと以前、自分の息子2人が同じくらいの年齢だったころを想い起こす。まあ、似たようなものだが、孫とは短期間の付き合いなので、息をつめるようにして時間をやりすごしていればいい。

03/30/火
庭にあるミカンの木が大きくなりすぎているので妻がネットで調べて剪定をすることにした。まだ孫2名がいるので脚立を出してこちらが支え、孫が登って下から妻が指示する枝をノコギリで落としていく。かなりすっきりした。孫の弟の方は庭の雑草を根元から掘り返して抜くことに興味を示して、庭を穴だらけにしたが、雑草は壊滅状態になった。それから人生ゲームなどをするうちに孫たちの母親が到着して、弟の方だけ連れて帰った。兄の方はネットで地質学の先生の講義を受けていた。岩石に興味があるらしい。兄の方は明日帰る。

03/31/水
朝から孫の宿題を見る。国語と英語。日本語の文法は難しい。文法で解析することが不可能に近い言語体系だからだ。「用言」って何? かえって話がややこしくなるので、孫にはこっそり、日本語の形容詞と形容動詞にはbe動詞が隠されている、という話をした。形容動詞の「だ」は「である」を簡略にしたものだから、be動詞だということはわかる。形容詞の「赤い」にはbe動詞の痕跡が消えてしまっている。しかし未然形に「ず」をつけると「赤からず」になる。これは「赤くあらず」が縮まったもので、ここから太古の終止形は「赤くある」だということはわかる。ここにもbe動詞が隠れている。だからどうだということはないが、これで英語の文法がわかりやすくなる。そこから英語の基本を少し教えた。孫を連れて^鼻湖の湖岸を散歩。孫は石を拾って、これは何だ、などとつぶやいている。ぼくは石に興味がなかったので、ただ石がある、と思っていた波打ち際だが、確かによく見ればいろいろな色の石がある。散歩のあと孫がクラリネットの練習を始めたので帰るのが遅くなった。孫の兄の方は中学生なので浜松か豊橋に送ってやれば帰れるのだが、遅くなったので車で送っていくことにした。仕事場は東名三ヶ日インターのすぐ近くで、孫の自宅は名古屋インターからすぐなので、浜松や豊橋へ車で行くのとそれほどの時間差はない。集合住宅の前で孫を下ろし、名古屋インターに戻る途中で和食の店に入って休憩。味噌煮込みうどんを食べる。アルデンテのうどんであった。浜松の仕事場に帰ると9時を過ぎていた。自分の仕事は近衛前久との対話が終わった。いようよ徳川家康が出てくる。三方原の戦いを描くと第1章が終わる。全体を5章と考えているのでもう5分の1のところまで来た。このペースで行けば半年で完成ということになる。


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