新しい年創作ノート08

2016年8月

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08/01/月
8月になった。今年の1月から「新しい年」というタイトルでノートを始めたのだが、『親鸞』のゲラ、新書の執筆などでいたずらに時が流れてしまった。いま「新しい年」として将来構想を確立するというコンセプトで始めたのだが、とりあえず次の仕事としては、河出書房に計画書を出して編集部の判断を求めているところだ。しかしそれは当面の仕事であって将来構想ではない。年の初めのころは、現代小説を書くということも念頭にあったのだが、とくに現代を舞台として構想がここまでうかんでこなかった。実験小説みたいなものは、死ぬ間際に何か書けばいいだろうと思っている。ということで、歴史小説を書き続けたいという思いが強くなった。わたしは幕末と戦国時代は意識的に避けてきた。源平合戦は何冊も本を出しているし、今度『親鸞』を書くにあたっても、時代が重なっているので、頼朝や後白河院など、自分にとってはおなじみの人物を出すことができた。その延長として、源実朝を書きたいということは以前から考えていた。『親鸞』『日蓮』はすでに鎌倉時代に入っている。南北朝や応仁の乱といったものには、いまのところ興味がないが、勉強はしている。それよりも古代をもっと書きたいという気持が強くなっている。聖徳太子以後の世界をイメージとして確立したいという思いがある。あとは紫式部かな。ということでいまは気の赴くままに自由に本を読んでいる。書いたばかりの新書はまだタイトルが決まらないが、なかなかいい本になったと思っている。「私の死」について考察するというもので、2ヵ月ほどこの本に関わってきたので、もう死んだような気分になっている。来年の仕事として、梶井基次郎論を書く。その準備としていまメモを書いている。ある程度、各論を書いておいてから、全体の構成を考えたい。いまは将来のための資料を読みながら、梶井について考えるという日々を送っている。さて、本日は月曜日。学科会がある日なので大学に行く。入試課の人と打ち合わせ。9月の大学院入試、まだ締切は過ぎていないが、受験者があるようなので、当日は有明キャンパスに行かないといけない。学会でもそのことを報告する。さて、これで当面の大学での仕事が、学部長会議だけになった。学部長としての仕事はまだ少し残っているのだが、これはデスクワークだけなので集中してやれば何とかなる。四日市の孫たちが帰ったので、本日は静か。スペインの孫は日本語のテレビ番組をおとなしく見ている。明日はピューロランドへ行くらしい。わたしは行かない。

08/02/火
妻と孫は早朝からピョーロランドに出かけた。こちらは一人でのんびりと仕事。当面の急ぎの仕事はないので、来年の仕事だが梶井基次郎について考える。夕方、スーパーに酒とビールを買いに行く。外出はそれだけ。かなり遅くなって妻と孫が帰ってきた。孫はかなり日本語が話せるようになった。

08/03/水
大学。学部長会議。少し早めに研究室に入って、大学のパソコンに入っているセキュリティーソフトの入れ替えを試みる。大学からソフトを変更する旨の通知が来たので、やらないわけにはいかない。まず既設のソフトをアンインストールしてから、ソフトを入れる。入ったようだがパスワードを入れろとか、ややこしいことをきいてきた。手順書を読むと、さらにややこしい操作が必要だとわかった。最初から手順書をプリントしておけばよかった。あわててプリントして、最初からやり直そうかと思ったが、手順書なしでも大部分はうまくいっていることがわかった。最後のところだけを手順書に従って操作すると、うまく動き始めた。やれやれ。こういうちょっとしたところでも高齢者はつまずいてしまう。

08/04/木
大学。有明キャンパスでFD研修。全員集合の研修なのでもっと人が集まっているかと思ったが、閑散としていた。妻と孫はバスで富士山の方へ行ったようだ。どこがよかったかと行くと、氷のところ、という答。氷穴に行ったのだね。

08/05/金
朝からテレビでサッカーを見る。4対5の惨敗。1点差だから惜敗というべきかもしれないが、2対5になってドン引きになった相手に2点返しただけで、勝負は早い段階で決していた。個人技のあるアフリカ勢に対して、組織的な守りが機能していなかった。4点とったというのは、相手が弱かっただけで、弱い相手に5点もとられたということを反省すべきだが、どう反省すべきはわからない。次は南米勢、その次はスカンジナビア勢、ということで、やぶれかぶれでやるしかないようだ。午後、妻は孫をつれて美容院へ。孫を自慢しにいったようだ。本人も自分は可愛いと思っている、いやな孫だ。どんな大人になるのだろう。

08/06/土
午前中に雑用原稿1本仕上げる。午後は妻が姉の芝居を見に行ったので、孫の相手。まず「ツー・エート」というトランプのゲームを教える。スペイン語だと「ドス・オチォ」だ。「オチョ」というのは、花札でカブをやる時の「おいちょ」の語源。ついオイチョと言ってしまう。このゲームはわたしが中学生の時に、仲間とつねにやり続けていたもので、孫もすぐに覚えた。ウノというカードゲームに似ているのだが、もっとおもしろい。ただ8を出した時にスートを切り替えられるのだが、種類をスペイン語で言わないといけない。孫にスペルを書いてもらって暗記した。スペードはパラ、クラブはトレボル、ダイヤはロンボ、ハートはコラソン。そういえば自分が中学の頃、「メロンの心」というポップスが流行った。「コラソン・デ・メロン」というので、その語を覚えた。それから録画してあったアニメを見せ、それから近所を散歩。猛暑だが夕方になって少しはましになった。御茶ノ水には楽器店の通りがある。長女はピアノとフルート、三女はバイオリン、本人はチェロをやっているので、楽器店がずらっと並んでいるところを見せると喜んだ。コンビニに寄って飲み物を買い、住んでいる集合住宅の前の広場に休憩。建物の中のものを売っている店を回ってからレジデンスの入口の方に行くと、妻と出会った。やれやれ、これで役目が終わった。トランプをやっているうちに会話がはずんで、こちらもスペイン語を少し覚えた。

08/07/日
オープンキャンパス。学部の説明会のあと、模擬授業、間を置かずに2回目の説明会。ああ、疲れた。老人なのでこまめに水を飲んでいる。猛暑だ。妻と孫は本日から大阪。静かに深く安らぎたい。

08/08/月
本日もオープンキャンパス。昨日と同じスケジュールのあと、学科会。疲れた。自宅に帰っても誰もいない。急ぎの仕事もない。オリンピックのサッカーは引き分けか。イチローは3000本安打。高校野球も始まっているみたいだがどうでもいい。いつもより多めに酒を呑んでのんびりしたい。

08/09/火
本日から自分にとっての夏休み。妻と孫はだ大阪。一人きりで、テレビでオリンピックの結果や、高校野球を見ている。体操と柔道男子で金メダル。金メダルはいいね。でも、柔道の場合、銅メダルも、一度負けてから立て直すということで、金や銀よりも貴重なメダルだと思う。高校野球はこれまで見たところでは、履正社と横浜が強い。東邦はエースを出してないのでまだ実力がわからない。外は猛暑らしい。わたしの住居は南西に面して日当たりが良すぎるので、午後はカーテンを全閉にしている。真夜中のようだが、仕事をするにはその方がいい。テレビがあるから時間はわかる。一歩も外に出ず、冷蔵庫の残りものだけで生き延びている。
8月9日といえば、長崎に原爆が落ちた日だ。この日になるといつも考えることがある。一口に原爆といっても、広島のはウラン、長崎のはプルトニウム。これはまったく違い爆弾だと考えた方がいい。ウランは天然のウランの中に0.7%しかないウラン235という同位元素を濃縮することで作る。ウラン235は宇宙線の中にある中性子が衝突すると、バリウムとクリプトン、ヨウ素とストロンチウムなどに分裂してエネルギーを発散するのだが、その時、高速の中性子が2個、飛び出してくる。1個の中性子から2個の中性子が出るので、ねずみ算式に分裂が進むことになる。ただし濃縮されていない天然ウランの場合は、分裂によって生じた2個の中性子が、別のウラン235に当たる確率は低く、何事もなく空中に飛び出してします。一定以上に濃縮したものをある体積集めると、連鎖反応が起きる。ただし同じ体積でも、平たい形状だと中性子が空中に抜ける確率が高くなる。爆弾に適した形状は球体だ。そこでウラン爆弾は、球体にすれば爆発するだけの高濃縮のウランの球体を、半分に割った形状のものを2個用意し、これをくっつけて爆発する。くっつけるだけで爆発するので、テロリストが自分の手でくっつけてもいい。ボウリングの球くらいの大きさでも爆発する。しかしウランの濃縮には途方もないほどの手間がかかる。日本軍もドイツからウラン爆弾の原理を伝え聞いていたはずだが、ウラン爆弾1個ぶんの濃縮ウランを作るのに100年はかかるということで、断念した。同じ時期のアメリカ軍も、同じことを考えたのだが、断念しなかった。1つの設備で100年かかるのなら、その装置を100個作れば1年で完了すると考えたのだ。実際に1年かけてウラン爆弾を1個作った。これに対して、プルトニウム爆弾は、小さなプルトニウムの破片を四方八方から圧縮しないと爆発しない(爆縮という)ので技術的には高度なものだが、原子炉を1基作れば、プルトニウムは無限に増産できる。さて、1945年当時、アメリカ軍はウラン爆弾1個、プルトニウム爆弾2個を保有していた。当時のトルーマン大統領は、核兵器の知識はまったくなかった。ただ戦争の早期終結という目的のために、核兵器の使用を認めた。しかし被害のあまりの大きさに動揺して、広島、長崎に落とした段階で、使用を差し止めた。もう1つのプルトニウム爆弾は使用されなかった。
さて、ここからがわたしの考えるところなのだが、戦争を終結させるためなら、広島にウラン爆弾を落とすだけで充分だったはずだ。それなのになぜ3日後の長崎に落としたのか。米軍はプルトニウム爆弾の実験をしたかったのだ。米軍は対戦終了後に、ロシアとの長期戦が続くことを予想していた(事実、朝鮮戦争やその後の冷戦が続いた)。長期戦のためには、材料が無限にあるプルトニウム爆弾の性能を確認しておく必要があったのだ。従って「戦争を終結させるため」という目的なら、広島だけで充分で、長崎の場合は軍事目的の実験にすぎない。ひれは許しがたい非道である。
こういう考え方がある一方で、わたしはまた別のことを考える。広島のウラン爆弾だけで、果たして日本は無条件降伏をしたかということだ。日本軍は、ウラン爆弾は1個しか造れないということを知っていたのではないか。だから広島に原爆が落ちても、原爆はこれだけだと考えていたのではないか。長崎に2個目が落ち、その爆発の規模から小さなプルトニウム爆弾だとわかった時、米軍がすでに小規模な原子炉をつくり、今後もプルトニウム爆弾を増産できることを知って、無条件降伏に応じたのではないか。
果たしてどちらが正しいのか、誰か教えてほしい。そもそもこんなことを考えて悩んでいるのはわたしだけなのだろうか。

08/10/水
昨日ほどではないが猛暑。本日は妻と孫が帰ってくる。同じ敷地にあるスーパーに自分の酒を買いにいったついでに牛乳とパンも買っておく。夏休みに入ってから酒の量が少し増えたか。例年、この時期は人間ドックが控えていて、節制をするのだが、今年は予約が入らなかったので、いまはとくに節制する必要はない。主治医のところで先日、血液の検査はしてあって、とくによくない数字もなかった。夜中に、オリンピックの柔道の予選を見ながら、のんびり酒を飲むのは、いいものだ。夜、妻と孫が帰ってくる。妻の妹のところに泊まったので、ご主人にはご迷惑をかけたが、孫と遊んでくださったそうだ。関西の大学の教授で、いまは夏休みだが、研究でお忙しい時期だろうと思う。申し訳ない。こちらも何やかやと雑用の原稿があって、のんびりするわけにもいかない。

08/11/木
最近、夜中に頭痛や歯痛で目がさめることがある。明け方、目が覚めてしまったので、テレビをつけたら、ちょうど柔道の決勝をやっていた。よかった。男女ともに金だ。体操の個人は金をとるものと思って見なかったのだが、あとで0.099差の大逆転だったとわかった。リアルタイムで見ていなくてよかった。心臓によくない。 08/12/金
新書の再校ゲラが来たので見ている。初校でチェックしたはずだが、読み返すと気づくことがあって、何カ所か手を入れた。直した箇所を文書に書いてメールで担当者に送る。ゲラそのものもゆうパックで送る。次男一家は羽田に長男を迎えに行く。孫を迎えに行った時と同じ便だ。妻は夕食の準備。こちらはゲラを見ていたので、羽田には行かなかった。やがて全員が到着。長男は去年も来たので一年ぶりの再開。長男と次男が揃うと、昔の家族が揃った感じがして感慨がある。2人とも四十過ぎのおじさんになっているのだが、彼らが小学生だったころのことが、つい昨日のように思い出される。

08/13/土
長男がユニクロに行きたいというので、近くのマンスリーマンションに泊まっている次男一家と合流して、御徒町に出かけ、昼食も吉池食堂とのこと。こちらはのんびりとしている。夜は神田明神の縁日に行くというのでこちらも合流。孫3人とともに、縁日のヤキトリなどでビールを飲む。スペインの孫は日本の縁日を楽しんだようだ。

08/14/日
長男は友人と会う。孫は次男一家とソラマチの水族館。以前に妻と行ったのだが、その時に割引の回数券みたいなものを買ったようだ。水族館が好きなのだろう。夕食は全員自宅に集合。喧騒。たまにはこういうのもいいだろう。仕事が何もなくてよかった。

08/15/月
子供たちはどこに行ったのか。わたしは自宅で梶井について考えている。並行して次の小説の準備もしている。『親鸞』を書き終えて、次の作品を何にするか、迷いもあるのだが、読者のニーズということもあるので、まだペンディングの状態にしている。書きたいものはあるのだが、まだ準備不足だ。夕食は近くの和食の店へ。大人4人、子供4人だが、お盆なので店がすいている。少し飲み過ぎたかもしれない。

08/16/火
今日は長男と姉の芝居を観に行く。『頭痛、肩こり、樋口一葉』。姉が出演するこの芝居を観るのは3回目か。主役の樋口一葉はそのつど女優さんが変わる。姉の役は前回と同じ母親役。演出がそのつど少し変わって、しだいに完成度が高くなっているように思う。まだ公演が続くので、長男が姉と会えるのはこの機会しかない。終演後、楽屋を訪ねる。あわただしい会話だったが、長男と姉の会話は、聞いていてなかなかよかった。

08/17/水
妻が病院に行った。しかし、長男、次男、次男の嫁さんと、大人がたくさんいるので、こちらはずっとパソコンに向かっていた。この夏、けっこう仕事はできている。

08/18/木
梶井論は最終章に入った。いい感じで進んでいる。長男、次男と、小学校一年の頃にいっしょに学校に通っていた親友と会うというので、こちらも参加。渋谷の居酒屋で呑む。昔の想い出たくさん。彼の奥さんも途中から参加。わたしも次男も会ったことがあるが、長男は初対面なので、この機会に会えてよかった。けっこう呑んだので早めに寝る。

08/19/金
子どもたちはディズニーランド。静かな休日は妻と二人で過ごす。

08/20/土
毎日オリンピックは見ているが、男子リレーの銀メダルは感動的だった。あと、昨日のバドミントンのダブルスもよかった。孫たちは別々のところに行ったみたいで、どういうわけか、次男の嫁さんとそこの次男とスペインの孫が自宅で午後を過ごすことになった。その次男がひまそうなので、どうぶつしょうぎの相手をしてやった。本日からわれわれが住んでいる集合住宅のゲストルームを借りているので、そこで家族で宴会。子どもたちはやりたい放題みたいにはしゃいでいた。

08/21/日
ヨドバシの秋葉原本店の回転寿司で昼食。8人いるのでどうするのかと思ったが、わたしと妻、および次男が一つのテーブル、隣に長男、次男の嫁さん、孫3人という配置になった。端末に打ち込んで注文すると、高速のレーンで皿が運ばれてくる。皿が届く度に孫たちが歓声をあげる。あちらのテーブルでなくてよかった。われわれは黙々と寿司を食べた。ここの寿司は100円寿司ではなく、えらい値段がついているのだが、それでも混んでいるのは、それを評価する客がいるということだろう。ビール2杯飲んで、もう1杯と思ったら妻に差し止められた。全員と別れて1人で自宅に帰る。黙々と仕事をする。梶井論を最初から読み返している。次男の嫁さんの友だちが遊びに来たようで、本日は自宅でわれわれと長男、孫1名と食事。この孫がウナギが好きなので、ウナギ。夜、次男が来た。次男の休暇は今日まで。それでもいちおうはちゃんとした企業なので、日本としては長めの休みがあるのだが、それでもあっという間に休暇が終わってしまった。これから四日市まで帰る。スペインの長男は音楽院の先生だということもあって、とんでもなく長い休暇がある。わたしはといえば、今年はオープンキャンパスのスケジュールがくりあがったので、8月の半ばから後半にかけてはずっと休みになった。まあ、自分の仕事はしているのだが、スペインの孫とはずいぶんつきあった。ほぼ一ヵ月の滞在だが、明後日にはお別れだ。来た時はほとんど日本語が話せなかったのに、数日でぺらぺらになった。子どもの適応力はすごい。三姉妹の真ん中で、目立たない子だと思っていたのだが、つきあってみると一番個性的でプライドの高い人物だとわかった。それもまたいい体験だった。

08/22/月
次男は四日市に帰って今日から出勤。われわれはまだ夏休みモード。台風が来たので自室に閉じこもる。孫たちは、パーティールームという少し広い部屋に移ったのでそちらで遊んでいる。こちらはパソコンに向かって仕事。梶井論を最初から読み返している。いい感じになっている。このまま最後まで読んで、短い最終章をつげればほぼ完成。来年の仕事なので、下調べのつもりで少し文章を書いてみたのだが、孫たちの喧騒から逃れてパソコンに向かっているうちにどんどん書けてしまった。夜は集合住宅の別館にある焼き肉屋へ。高そうな店だし老夫婦だけで肉を食べる気もないので、引っ越して3年半になるが1度も行かなかった。まだ7人いるので予約をとって行った。孫3人と次男の嫁さんを1つのテーブルにして、悪いけど孫の面倒をみてもらった。われわれ夫婦と長男とで焼き肉。いい店だった。孫たちはこんないい肉を食べるのは初めてだろう。どんどんと食べた。値段もかなりのものだったが、孫の幸福そうな姿を見るのはいいものだ。この夏休みも今日で終わる。明日は羽田に送りに行く。

08/23/火
ついにこの日がやってきた。長男と孫が帰る日。まず四日市の次男の嫁さんと孫2人を送り出し、自宅で少し休憩してから羽田に向けて出発。孫を出迎えた時はモノレールで行った。長男が着いた時は次男一家が迎えに行ってくれた。で、今回は荷物が多いので、妻の運転で出発。国際ターミナルに車で行くのは初めてだったが無事に到着。まずは座席の確認と搭乗券の発券。いまはすべて無人の機械でできるようだ。そういえばわれわれは長い間、飛行機に乗っていない。少し早く着いたので荷物をカートに載せたまま食事。それから荷物のチェック。重量オーバーだといわれたようで手荷物に少し移す。孫はチェロを背負っているので、これの確認。搭乗クルーに交渉してくれといわれたようで、デッキに出て少し発着する飛行機を見たあとで、搭乗クルーの集合場所へ。エールフランスだが日本人の搭乗員が対応してくれる。機内の荷物スペースを確保するため、優先的に搭乗させてくれることになった。少し早いが、手荷物が増えたことが気にかかるので、出発ゲートから中に入る。どうやら荷物のチェックをクリアーした。中に入ってしまえば他の客も買い物などして荷物が増えるので、まったく問題はない。チェックを終えたところで、手を振って別れる。長男は旅慣れているので問題はない。問題はわれわれの方だ。めったに車に乗らなくなったので妻の運転が心配だし、こちらは高速に乗る前の道案内が心配だったが、無事に自宅に帰り着いた。がらんとした部屋に入ると、わずかな寂しさと静かな安堵感に包まれる。妻が寝たあと、巨人のサヨナラ勝ちの試合の再放送(スカパー)を見ながら、いつもより少し多めに酒を飲む。

08/24/水
昨日、長男と孫を羽田に送り、この夏の行事はすべて終わった。老夫婦2人の日常に戻ったわけだが、まだ長男は空を飛んでいる。まず次男の嫁が無事に四日市に帰着していることを確認し、あとは妻のiPadで飛行機の航跡を見る。午後、パリ・ド・ゴールに到着、それからマドリッドに向かう。無事に到着し、荷物も出てきた(スペインでは荷物が出ないことも少なくない)。しかしそこから車での移動がある。しかも家族はサラゴサの自宅ではなく、まだ別荘(旧宅)のウエスカにいる。夜10時、ようやく到着。ほぼ24時間かかった。孫4人が揃った写真が届く。向こうはまだ午後の陽射しがきつい。長男が家族のもとに帰って、ようやくこの夏が終わった感じがする。さて、自分の仕事は、天智天皇と紫式部の資料を読み続けているが、まだ資料が必要なので、ネットで注文する。とにかく資料を読むしかない。

08/25/木
何事もなし。孫と過ごした一ヵ月が走馬燈のようによみがえる。昨日よりも今日の方が疲れている。妻も同じ感想。

08/26/金
文藝家協会でオーファン勉強会。実証実験の具体的な構想が固まった。久し振りの公用。日常性に引き戻された。

08/27/土
渋谷でシンポジウム。南北朝というテーマは、自分の仕事の範囲外だが、その直前、元寇のあたりは日蓮で書いたので、およそのことはわかる。まあ、必要なことは話せたと思う。会場の音響がわるく、発言者の声が反響して意味がわからず、シンポジウムという感じにはならなかったが、司会者の表情で、こちらにふられたなと察知して、適当に言いたいことを言うということで、場をつないだ。学術的なシンポジウムではなく、お祭みたいな会なので、それでよかったと思う。

08/28/日
のんびりしている。一昨日、昨日と公用があって出かけたので、日常モードに戻った。いまは天智天皇の資料を読んでいる。台風が日本の南をうろうろしている。このところ立て続けに、南東から関東に接近し、そのまま北上して北海道に行くという台風があったのだが、台風10号だけは西に向かってうろうろしていた。と思ったら、急に引き返して、関東の南に戻るらしい。しかもそこから左折して、大阪から関東までのどこかに上陸するという、かなりいいかげんな予報だった。浜松の仕事場に行きたかったのだが、台風に直撃されそうで、行かないことにしていたのだが、本日の予報では、台風は予想よりももっと東側を進むらしいということになった。それなら浜松に行ける、ということで、明朝の予報を見て行くことにした。とくに準備することもない。読みたい資料を鞄に放り込むだけだ。

08/29/月
いつもより少し早起きして、パソコンと無線ルータをバッグ入れる。パソコンは有線でつないでいるし、仕事場には有線のルータはあるのだが、妻がiPadとiPhoneを使っているので自宅には無線ルータが入っている。これをそのまま仕事場にもっていって有線ルータにつなげば、いつもと同じ設定で使える。急に行くことになったのでいつもより荷物が少ない。今年は正月と五月の連休に仕事場に行った。それ以来だ。先週、羽田まで長男と孫を車で送ったので、車は快調。だが道路が渋滞していた。旧東名が由比のあたりで高波のために通行止めになっているということで、新東名が混んでそうだとは思ったのだが、その手前でかなりの事故渋滞。とにかく陽の沈む前に仕事場に到着。酒を飲んで早めに寝る。

08/30/火
いつもお世話になっている大工さんと、長篠設楽原PAに行くことにした。古戦場が整備されていると評判のPAだ。新東名で行ってもつまらないので、下の道で行く。車のカーナビは古いので新東名は表示しない。iPadで新城西高校の近くだということだけ確認して出発。大工さんは地元なので、高校までの道は知っている。そこから適当に進むと、新東名の下をくぐってしまった。Uターンして戻る。道路工事をしているおじさんにきくと、次の信号右折、その先のハウスをまた右折、と教えてくれた。「ハウスって何?」とわたしがつぶやくと、行けばわかると大工さんが答える。行ってみるとビニールハウスがあった。大工さんは農業もやっているので、すぐにわかるのだ。ハウスといえばビニールハウス。こちらはハウスというと犬小屋みたいなものしか思いつかなかった。とにかくPAに到達できた。最近のPAは外からも入れるのだ。レストランはすいていたし、古戦場の小高い丘は見晴らしがよかった。豊橋の先の海が見えた。いいところだ。本日はすいていたのでなおよかった。本日はそれだけ。3つほどのプランを書いて送っていた河出からメールが届いた。天智天皇のもっと詳しいプランを出せとのこと。感触はよくない。読者のニーズがないということだろう。こちらのモチベーションが強いということを協調したレジメを作らないといけない。本が売れない時代になっている。といって、戦国や幕末は、こちらのモチベーションがない。仕方がない。とにかく戦略を立てて、読者のニーズを開拓しつつ、こちらのモチベーションも持続させるようなプランを立てないと、本が出ないことになる。まあ、愉しみながらプランを立てたい。

08/31/水
今回は短い滞在。明日には東京に戻らないといけない。いつも世話になっている西気賀のレストランで昼食。本日は外出はそれだけだが、妻の要請で庭の整備。義父が作ったキーウィの棚があるのだが、ツルが伸びすぎてまわりの木に巻き付いている。棚を一周して、はみだしているツルを伐っていく。短い時間だったがハードワークだった。汗をかいた。さて、8月も終わった。孫と過ごした夏休みだった。スペインの次女。3人姉妹の真ん中の、おとなしい地味な子だと思っていたのだが、いちばん我が強くてわがままな娘だということがわかった。そこが可愛い。魅力的なキャラクターだ。そのまま大人になったら、ちょっと怖い女になりそうだ。スペインの血がいちばん強く出ている子だ。集合住宅の管理人に、AKBのセンターになれるとお世辞をいわれたらしい。そういえば次男の嫁さんが上野につれていった時も、何かのスカウトにつかまったそうだ。スペイン在住だから残念だが、少し惜しい気がする。



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