「悪霊」創作ノート2

2011年4月

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04/01
4月になった。今日は孫の誕生日だ。思えば3年前、ドームで野球を見ている時に生まれたという電話があった。スペインに3人娘がいるのだが、日本にいる孫は初めてで、しかも男の子だったので、感慨があった。それにしてもあのころはのんびり野球を見たりしていたのだ。今年はプロ野球どころの状態ではないし、ドーム球場は当分使えないのではないか。今年も4分の3が終わったわけだが、『道鏡』の完成、『実存から構造へ』も半分くらいのところに来ているので、執筆のペースはほぼ予定どおり。『新釈悪霊』の準備も前進している。児童文学がアイデアが出ずに渋滞しているが、これは『実存』が終われば気持に余裕が出てくるから何とかなるだろう。今月は『実存』の完成を目指す。並行して『悪霊』のプランを練る。さて、本日はM大に行く。学科会議。今年から英文科が独立した学部になったので、学科会議はすなわち文学部の会議でもある。これまでは客員だったのでこの種の会議には出ていなかったのだが、今年からコマが増えたので出ることになった。早稲田にいた頃も文芸専修の会議には出ていたので、慣れてはいるのだが、この大学のシステムがまだよくわかっていないので、会議で話されていることの半分も理解できないのだが、まあ、本日は出席するだけでよしとする。この大学にはすでに2年通っているので、大学そのものにはなじみがある。教え子もいる。まあ、楽しくやっていきたい。

04/02
土曜日。この週末は仕事場で静養するつもりだったが、妻が急に実家に行くことになって、独身に戻っている。地震の直後にも独身になったのだが、その頃はコンビニに行っても弁当もパンもなかった。いまはそういう状況ではなくなったので、妻がいなくても支障はない。北沢川緑道を散歩。上野や九段ではお花見自粛を呼びかけているというのに、アンコ屋公園では花見客が盛り上がっていた。『悪霊』のことを考えながら散歩しているうちにアイデアがひらめいた。ニコライの少年時代のエピソード。こういうささやかなアイデアの積み重ねが作品を築いていくことになる。ダーシャという女性の輪郭を深めていきたい。
テレビのBSで、カルロス・クライバーを放送していた。1986年の昭和女子大での演奏だ。わたしはこれを会場で聴いていた。いま住んでいる三宿に引っ越した翌月だった。それまでは八王子に住んでいて都心に出るには1時間くらい電車に乗らなければならなかった。切符をとったのはもちろん引っ越しの前で、本当に引っ越しができるかどうかもよくわからなかったが、とにかく2万円くらいする切符を1枚だけ購入した。コンサートはたいてい妻と行くのだが、クライバーに関しては妻は興味をもっていないのでネコに小判だ。で、一人で出かけていった。三宿から昭和女子大は、バスで次の停留所だ。徒歩でも5分もあれば行ける。その日、会場で、わたしは神が降臨するような現場を目撃した。わたしだけでなく、満員の会場のすべての観客が、クライバーを神のごとく崇拝していたから、必然的にそういう雰囲気になってしまう。ベートーヴェンの4番と7番。そういえば一昨日の映画でも7番の2楽章が流れた。改めてクライバーの演奏を聴くと、とんでもなく速い。その速さを受け入れたわたしは若かったのだと思う。数えてみると37歳だった。いまのわたしはテレビを見ながら、速すぎると感じる。ただしクライバーの父親の演奏はもっと速かったという印象がある。もちろんレコードを聴いただけだが。学生の頃、まちがえて父親のレコードを買ってしまったことがある。確か7番と8番がレコードの裏表になっていた。8番はともかく、7番が当時のLPレコードの片面に入るというのは異様な速さだ。その速さに神が宿ったのかもしれない。アンコールは「こうもり序曲」と「雷鳴と電光」だった。それも超スピードの演奏だった。その速さが頭の中で余韻のような鳴り響き、会場から自宅まで駆け足で帰ったような気がする。37歳の自分の記憶がよみがえった。いまは62歳だ。25年、四半世紀の年月が流れたことになる。そういえば最近はシンフォニーを聴くこともなくなった。自分の仕事が忙しくなったからだが。仕方がない。まだやり残した仕事がある。あと5年くらいはフル稼働で仕事をしたいと思っている。というのは結局のところ、「カラマゾフの兄弟」まで到達したいということなのだが。まずは「悪霊」だ。今年中に完成させたいという希望をもっている。

04/03
日曜日。このところ公用がほとんどないし、妻もいないので、曜日の感覚がない。どうやら日曜らしい。散歩に出るとアンコ屋公園でジャズをやっている。ここには一本だけフライングして早咲きする桜の若木がある。この木だけが満開で、その周囲だけ盛り上がっている。震災から3週間経過したわけだが、直後にコンビニから食べ物が消えた以外には、実感がない。東京も揺れたはずだが、永田町駅のエスカレーターの故障だと思い、次に自分が脳梗塞になったかと思い、表に出てから地震だとわかったが、建物の中にいなかったので、揺れるという実感がなかった。それから文藝家協会で総務省の調査員と重要な話をしていたので、余震の揺れも気にならなかった。それから自宅まで2時間かけて歩いて帰ったのだが、仕事場に行くと1時間半くらい歩くのはふつうなので、どうということはない。それから『道鏡』のゲラを仕上げ、いまは『実存』を書きながら『悪霊』の構想を練っている。ソフトバンクの社長が100億寄付したとか、芸能人が炊き出しに行ったとかの話題も、自分とは無縁だ。金も体力もないから何もできない。野球やサッカーの選手が、自分はこれしかできないから、といってチャリティーの試合をするのも、何だかなあ、と思って眺めている。これしかできないというのは、自慢げに語ることではない。これしかできないということは、ほとんど何もできないということなのだから。わたしは何もできない。それだけのことだ。そういえば避難所の子どもに読み聞かせをするために図書館が絵本をネットで送りたいという申し出に、書協と文藝家協会にメールを送って、話がまとまったようだが、自分で発案したわけでも動いたわけでもない。簡単な手術のための入院の時期でもあったので、社会からは隔離された状態だった。ただこの間、『悪霊』のことを持続的に考えながら、無政府主義とか革命とかいったことをいま考えている自分とは何かといったことも考えた。今回の震災は、敗戦に匹敵する大きなエポックだろうが、敗戦直後の労働運動、学生運動の暴走といった事態は、もはや起こらないだろう。すると人々の希望を何が支えていくのか。まさか民族主義とか全体主義とかいったものではないだろうとは思うのだが、ほしがりません勝つまでは、みたいな風潮が広がりつつある気もする。まあ、一過性のものだろうが。いまは原発が話題になっているが、津波の被害はじわじわと効いてくるはずだ。原発はせいぜい半径30キロ圏が立ち入り禁止になって終息するといったことだろうが、津波の被害は広範囲で、簡単には立ち直れない。瓦礫を片づけて同じ場所に町を再建するわけにもいかないだろう。半径30キロどころではない、広大なデッドゾーンができるのではないだろうか。

04/04
月曜日。今週は公用はない。年度の変わり目でこういうヒマな時もある。大学も震災のために1週間スタートが遅れる。W大学は1ヶ月遅れるらしいが、W大学とは昨シーズンで縁を切った。ということでひたすら仕事。『実存』3章が終わる。全体は5章なので6割のところ。半分を超えているのは喜ばしい。今週末までにゴール直前くらいまで行きたい。わたしが得た情報によると、本日は北風で福島の放射性物質は東京湾の外側をまっすぐに南下し、明日からの東風で明後日あたりに近畿地方に到達するらしい。関西にいる妻にメールでマスクをするように指示する。もともと花粉症対策で必ずマスクをしているから大丈夫だろう。わたしも花粉症だから必ずマスクをする。水やホウレンソウが問題になっているが、食べ物は排出されるので問題はない。危ないのは肺に吸い込むこと。喫煙者はとくに危険だが、わたしは20歳でタバコをやめたので問題ない。マスクをするのは気安めみたいなものだが、まあ、花粉を防ぐためには必要だ。

04/05
公用もないし大学も始まっていないので曜日の感覚がない。散歩に出るだけであとはひたすら仕事。『実存』3章までが終わって少し気分が楽になった。1章を50枚として、わずか150枚で実存主義と構造主義および関連の文学作品について述べるというのは至難の技。何とか乗り越えたと思う。本書の狙いは同時代文学の大江健三郎と中上健次の文学を、実存と構造という視点で読み解くことで、副題を「大江健三郎と中上健次」として、そのことは編集者にも伝えあるのだが、概説が長びいて大江、中上について述べるスペースが少なくなったのと、他の作家についても言及しているので、少し大風呂敷になるが「20世紀文学を読み解く」というような副題にしてはどうかと思う。妻から今夜帰るというメールが届く。おいおい、聞いてなかったぞ。集中力が出ているのに……。とりあえず部屋の片づけをしないといけない。

04/06
病院。先月の「簡単な手術」の結果を聞きに行く。問題はないのでこれで完治したと判断できるとのことで、これで病院とは縁が切れた。が、毎年、検査はした方がいいとのこと。こちらも老人だから、定期点検はしなければならないと考えている。老人とはそういうものだ。昨年末の人間ドックから始まった病院とのつきあいがこれで終結した。まずはめでたいが、こういう定期検査を死ぬまで続けていくのかと思うと、めでたさも中くらい。昨夜、妻が帰ってきたので、ゴミ出しの日とか、そういうことを考えなくて済む。『実存』は大江健三郎論、半分くらい進んだ。明日はまとまるのではないか。あとは中上健次論だけだが、短い終章をつけようと思う。そうでないと終わった感じがしない。『悪霊』のことも考えている。原典に書かれているエピソードを年代順に並べると、どう考えてもつじつまが合わない。ドストエフスキーのいいかげんなところが、百数十年後のわたしに跳ね返ってくる。結論、年代を特定するのは危険だ。ただし農奴解放の年は特定されているし、バクーニンがジュネーブにいた時期もわかっているから、このあたりは動かせないのだが、それでもはっきりとした年号を書かないようにしないといけない。厳密に何年かを特定すると、ストーリーがうまく運ばない。ダーシャのキャラクターが明確になりつつある。女性の主要登場人物は、ワルワーラ夫人を別にすれば、ニコライの妻のマリア、恋人のリーザ、女中のような存在のダーシャ、それにシャートフの妻といったところだろう。ダーシャのキャラクターが原典でもうまく描かれていない。ぶれているのだけれども、魅力的な揺らぎと受け止めることもできる。ダーシャに対してニコライは残酷な仕打ちをする。マリアに対して以上に冷酷だ。許し難い人物だと思う。しかしこの人物が本篇の主人公なのだ。イメージはできているのだが、具体的に書いていくと必ずぶれる。原典ではドストエフスキーは主人公のキャラクターを、短い断片を少しずつ小出しにして、謎めいた感じを持続させている。そしてすべてを解き明かす前に作品は急に終わってしまう。すべてが解明されていないので、謎めいた魅力が残る。わたしはすべてを解明するつもりだ。すると作品の魅力は失われる。それで解明しなければならない。それがわたしのコンセプトだからだ。魅力的な謎を楽しみたければ原典を読めばいいわけで、謎の深さを楽しみながらなおかつ謎が解けていく過程の楽しさを味わいたいという読者に向けて、わたしはこのシリーズを書いている。

04/07
何事もなし。妻と北沢川に花見に行く。いつもの散歩コース。妻といっしょだとペースがややゆっくりになったり、帰りにスーパーに寄ったりする。信濃屋というやや上等のものを置いている店で輸入チーズを買ったりする。日本では牛乳を捨てている地域もあるが、すでに広範囲に飛散している放射性物質は30年くらいの半減期のものが多いから、死ぬまでチーズは輸入物ということになりそうだ。テレビに出てくる学者は、ホウレンソウを毎日食べ続けても大丈夫などといっているが、それはホウレンソウ以外のものがすべて正常だった場合のことで、水、空気が汚染されている状態で、なおかつ汚染したものを食べるというのは危険である。ただしチェルノブイリで支障があったのは子どもだけであることは承知している。10年後くらいに甲状腺ガンになったり、当時の子どもが成人して子どもを生んだら異常があったりということで、わたしは将来、子どもを生む予定はないか、何を食べても大丈夫だとは思っているが、原発の冷却には数年が必要だとされているし、その過程で炉心爆発などの可能性はゼロではないし、アンコウやサンマも食べたい。だからチーズくらいは輸入物を食べてもいいだろう。ていうか、輸入チーズは美味だということだね。夜中、地震。かなり長時間揺れていた。いつまでも揺れている気がする。いつまで続くのか。

04/08
本日は歯医者。麻酔を多めにかけてもらう。切れたら痛みますよと女医に言われた。本当に痛みだした。どうなっているのだ。夜中、ようなく痛みが収まった。痛みに耐えながら、仕事は進めた。大江健三郎の章、まだ終わらない。少しずつしか書けない。『悪霊』の資料も読んでいるからだ。この『悪霊』の舞台はどこに想定されているのか。最後にステパン氏が船着場のある村に行くシーンがある。湖を船で渡るということなのだが、それはどこの湖なのか。モスクワの西にバクーニンの故郷がある。湖はないがドナウ河の近くだ。ここだという説が有力だが、それはバクーニンをモデルにしたことからの連想だろうし、ドストエフスキー自身、ニコライのイメージにバクーニンを重ねていることは間違いない。ドストエフスキーはバクーニンにジュネーブで会っている。しかし『罪と罰』のラスコーリニコフのザライスクは捨てがたい。ドストエフスキーの父親の領地が近くにあって、土地勘があると思われるからだ。ただしこの町には鉄道は通っていない。リャザン県の県庁所在地のリャザンもまだ鉄道が通っていない。グーグルの地図を見ながらあれこれ考えている。『新釈罪と罰』を書いていた頃、グーグルの地図の地名は原語で書いてあった。ようやくロシア文字が読めるようになったわたしにとっては、地図で地名を読むのが楽しみでもあったのだが、いつの間にか、ロシアもスペインも、カタカナ表記になってしまった。便利だが、寂しい。

04/09
土曜日。だが大学では新入生ガイダンスがあるというので出かけていく。自宅に戻って昼食。悪霊の資料を読みつつ、『実存』も進める。4章終わる。次は5章の中上論。そのあと終章を入れたいので、少し短めにまとめた。順調に進んでいるが、来週はスケジュールがつまっているので、どれだけ進むか。大学が始まるのでペース配分を考えないといけない。

04/10
日曜日。ドイツ気象局がネットで公開している放射性物質飛散予報によると、本日、首都圏は放射能のチリで包まれることになっている。日本の気象庁の予報図は線でしか示されていないので、最も確立の高い方向だけしか示されていない。しかし強い風が一方向に吹いていない状況、つまり風が弱かったり風が舞っていたりすると、四方八方に広範囲に飛散する。ドイツの表示はその様子を色分けで面として表示しているのでわかりやすい。ドイツ気象局も日本からデータを得ているはずなのに、これほど表示が違うのは、日本の気象庁がわざと危険がわかりにくくなるように表示しているとしか考えられない。リアルタイムのこのページを見ている人はいないだろうが、「ドイツ気象局」で検索すれば出てくるのでチェックをしていただきたい。なお、明日になればすべての放射能は太平洋の方向に飛散するので大丈夫だ。
ついでに水や食べ物のことも書いておこう。わたしは老人なので、飛散物質の他のことは気にかけていない。食べ物は排出されるからだ。肺に吸い込んだものは排出できない。幸いわたしはタバコを吸わないので、粉塵の類は咳き込んだりして排出できるはずだが(喫煙者は気の毒だがアウト)、それでも微少な粒子は吸い込んでしまう。食べ物に関しては、乳幼児は放射性ヨウ素が甲状腺に滞留するので注意しないといけないし、若い女性は将来の妊娠にまで影響が出ることがチェルノブイリで確認されているので注意をしなければならない。要するに、危険なのは乳幼児と若い女性だ。老人がスーパーに並んでミネラルウォーターを買い占めるというのが無駄だしばかげているとわたしは考える。老人に水を売ってはならないという条令をただちに作るべきだと思う。わたしは水も食べ物も気にかけないようにしている。ただ空気だけはまずい。もともと花粉症だからマスクに帽子は欠かせないが、本日は自宅にこもる。都知事選挙は「自粛」する。花見の自粛を呼びかけた現都知事がまた当選するだろうが、政府に対して批判できる野党が都知事になるのはバランスがとれていいのではと考えている。
さて、テレビで『交渉人』などを見てしまったので選挙結果については知らないがどうせ現都知事が勝ったのだろう。ドイツ気象局のページを見ると、明日、明後日は風向きがいい。ここでわたしが「いい」と言っているのは、とりあえずわたしの住んでいる東京はセーフということで、他の地域の人はドイツ気象局のページを見ていただきたい。

04/11
月曜日。年度末の休みが終わって本日から公用(創作活動以外の仕事)が始まった。まずはM大学科会議。このM大には一昨年から客員教授として加わっているのだが、W大にケリをつけて本年度からM大にやや深入りすることとなった。で、今シーズンからこの学科会というものに出席することになったが、なーんか、えらい長い会議だ。研究室ももらったのでパソコンの具合を確かめていると地震。この建物、当大学の建物の中でもかなり古びている。大丈夫か、と思いながら長い揺れを忍んでいた。まあ、全然大丈夫。それよりも会議中の雷の方が、何ごとかと思った。本日からまた妻が不在なので自宅に帰って残り物を食べる。何だか今日は疲れたなあ。とにかく夜中は少し自分の仕事をする。

04/12
火曜日。本日は歯医者だけ。歯科衛生士の日で1時間、いじめられた。どっと疲れた。こんな苦難に絶えてまでこの人生に生きる意味があるのかという気がするほどだ。先日の手術入院は下手すると命に関わるものであったが、歯の方が切実で怖い。このところ8時すぎに起きている。M大学が週2日になって、しかも午前中のコマが入っているので、生活が朝型になっている。朝起きてパソコンを起動して最初に見るのはドイツ気象局。何でドイツに頼らなくてはいけないのかと思うが、日本の気象庁が出していない、噴火の煙が風でたなびくような動画をつねに掲示している。一昨日まではこれがトップに掲示されていたのだが、さすがに昨日くらいからわきに寄せられてしまった。サムネイルの日本地図をクリックしても大きくならないのであせったが、グーグルの翻訳機能を使うと、右下に「続きを読む」という表示があり、そこをクリックすれば大きな動画が出てくる。本日も安心。煙は太平洋に向かって流れている。というか、現在飛散している放射性物質は、最初の水蒸気爆発の時のもので、あとは危険な水が太平洋に流れているだけだ。これはいずれアメリカ西海岸に流れ着くだろうが、アメリカは昔は太平洋で核実験していたのだし、福島原発の1号機はGE製だか自業自得みたいなものだ。そろそろ世の中が動き出したようでいくつかのプロジェクトから日程調整のメールが届くようになった。今シーズンは月曜と木曜が基本的につぶれるので調整が難しい。まあ、昼間は公用にあてることにしている。アイデアというのは授業中でも会議中でもひらめく。そのひらめきで作業を進めるの夜中の数時間があれば充分だ。

04/13
文藝家協会合同委員会。電子書籍の出版契約について議論。難しい論点がいくつかあって簡単な結論は出ない。将来に向けての展望と、現実の問題点とも、重ならない部分が多い。それでも出席者は智恵をしぼっている。とりあえず叩き台となる試案を作って出版社側と交渉することとした。年度の変わり目でもあり、しばらく公用がなかった。文藝家協会に行くのも1ヶ月ぶりで、前回はあの震災の日だった。永田町駅のエスカレーターの上で揺れが始まり、エスカレーターが壊れたのかと思ってあわてて駆け上がったら、外の街路も揺れていた。高速道路の街路灯が揺れていたのと、頭上にクレーンがあった気がしていたのだが、クレーンははるかかなたのサントリー美術館のあたりの建設中のビルのものだった。クレーンはかなり揺れていて頭の上に落ちてきそうな気がしていたのだが、誇大な幻想であった。あれから1ヶ月、簡単な手術による入院もあり、大学の会議などもあって、自分の身のまわりのことだけで日々が過ぎた気がする。『実存』はゴールが見えている。中上健次論の半分くらいは終わった。最後にまとめが必要なのでまだもう少し時間は必要だが、並行して『悪霊』の資料も読み込んでいきたい。

04/14
M大学。今シーズンから午前中の授業も担当することになった。本日、初出勤。朝8時に起きて9時に自宅を出る。通常の勤め人に比べればゆったりとした出勤だし、井の頭線を吉祥寺方面に向かうので電車はすいている。吉祥寺からのバスもすいていて、授業の30分前には大学に着いていた。事務から電話がかかってきたり、いろいろと人の出入りがあったりして、何だか、ふつうの職場にいるような感じ。W大学で専任扱いだったころも、研究室があったのだが、新築の棟で、他の先生方との交流はなかった。今回は他の先生方と同じ並びなので、廊下で会うし、インチメートな感じがする。午前中の授業は講義の時間で受講者も多い。創作の指導と違ってただしゃべるだけでいいので楽だ。昼休みにパソコンの調整をする。自宅のパソコンを買い換える時も同じだが、パソコンはすぐに使えるようにはならない。変換はエイトックでワープロはワードを使うという変則的なことをやっているし、キーボードはスペースキーの右横にカタカナキーがあったワープロ専用機に近づけるようにキーの配置を換えているので、そのための調整が必要。キーの配置は何とか使えるようになったが、ワードの画面表示が思うようにならない。自宅で使っているものとバージョンが違うのでどのように調整すればいいかわからない。いろいろといじっているうちに何とか使えるようになった。試しに出だしを書きかけている『新釈悪霊』を出して少し打ってみたら、どんどん書ける。これでよし。大学では空き時間があるので、ここで仕事が出来るのはありがたい。事務局から呼び出されたので諸手続をする。初めてのことが多いので煩雑ではあるが、これもキーボードの調整と同じで、最初に手間をかけておけばあとはうまく動くようになる。世の中の人々の中には、1つの会社で一生を終える人と、転職を重ねる人がいるのだが、転職にはこういう事務手続きの煩雑さがつきまとう。若い頃はわたしも何度か転職した。その度に手続きをしたのだろうが、忘れてしまった。その頃は子どもがまだ幼稚園には入らない幼児であったから、とくに面倒なこともなかったように思う。W大学にいた頃、次男が就職して扶養家族でなくなったので届けを出しに行ったことがある。その点ではいまは夫婦2人きりの生活だから面倒はない。本日は大学で少しパソコンに触っただけで『悪霊』がどんどん書けそうな感じがした。だが、まだ『実存』が終わっていない。あせらずに資料なども読み込みながらじっくりと進めたい。

04/15
ペンクラブおよび文藝家協会のダブル理事会。文藝家協会は公益社団法人になったので、委任状は認められず、実際に過半数の理事が出席しないと理事会が成立しない。ペンクラブの理事会の出席者を見ると、文藝家協会の理事会とカブッている人がわたしも含めて4人いる。しかし定刻になっても何やら紛糾していて終わりそうにない。わたしは副理事長なので遅刻するのはまずい。1人だけ脱出して文藝家協会に向かう。わたしが到着したのでぴったり過半数をクリアして議事がスタート。少し遅れてペンクラブの残り3人が到着。公益化の第1回理事会はめでたく成立した。それにしても、理事会のダブルヘッダーは疲れた。とくに長く発言したわけではないが……。

04/16
土曜日。今週は疲れた。何が疲れたかというと、やはり授業だ。とくに講義だけの「現代文学研究」というコマが疲れた。講義だけのコマは1回ずつが講演みたいなもので、1回きりのパフォーマンスだと考えている。他のコマは、まあ、授業だと思ってのんびりやっているのだが、この講義のあとにまだ2コマあるというのは、体力的にも精神的にもきつい。W大学では1日に2コマ(ただし2日連続)ということをやっていた。2日連続はきついので、月曜と木曜というふうに間をあけてもらったので、まあ何とか乗り切れるだろう。
テレビのニュースで総理大臣がキュウリをかじっているのを見た。これは無知をさらけ出したようなものだ。総理大臣のような老人が汚染された野菜を食べても問題はない。ガンが発生する頃には寿命が尽きているからだ。害が出るのは乳幼児と、これから妊娠の可能性のある若い女性だ。チェルブノイリでは1年後に子どもの甲状腺ガンが大量に発生し、障害のある子どもも生まれている。この事実を総理大臣は知らないのだろうか。知っていれば、自分がキュウリを食べることに何の意味もないことがわかるはずだ。

04/17
日曜日。ドイツ気象局の動画情報によれば、今日、明日と、東京から名古屋方面に放射性物質が飛散している。こちらは老人だから平気で散歩に出かける。いちおう気になるのでドイツ気象局のページを毎日見ているのだが、それはこのページの画像の美しさによる。日本の気象庁の情報は何のことだかわからない。ひどいものだ。『実存から構造へ……20世紀文学を読み解く(仮題)』の草稿完了。ただちに最初から読み返したいところだが、少し疲れたので明日からにしよう。『悪霊』の資料を読まないといけない。すでに冒頭の部分は書き始めている。これでいいのかという疑問もあるが、もう少しねばって書いてみる。オープニングはこれが第2稿。最初のはネヴァ河の眺めなのだが美しすぎてこの作品にはふさわしくない。おそらくは1000枚を超す作品だが、百里の道も一歩からだ。

04/18
月曜日。M大学の出講日。2年生の創作の時間。必要なことを話す。1年生のリレー式の授業も担当している。これは若い先生とコンビなのですべて任せて椅子に座って見ていただけ。それから教授会と学科会。教授会というのは文学部の会議だが、今年度から英文科が独立してグローバルコミュニケーション学部(何だそれは!)になったので、文学部は日本文学だけになった。つまり学部と学科は同一のはずなのだが、学部の教授会と学科会とは別のものなしい。どうやら記録に残すのが教授会で、むだなおしゃべりが学科会ということらしいが、この学科会がやたらと長い。それはともなく、パソコンに百科事典を入れた。この百科事典は10年前くらいに買ったもので、ウィンドウズXPではインストールできない。現在、自宅で使っているパソコンの時もインストールできなかった。その時は旧いパソコンとコードでつないでファイルをコピーしたのだが、今回はUSBメモリにコピーしてもっていった。ちゃんと入ったが、試しに辞書を起動させようとしたら、クイックタイムがないという表示。ネットでダウンロードしたら動くようになった。百科事典はほとんど使わないが、辞書はよく使う。ネットでもただで利用できる辞書もあるが、この百科事典におまけでついている辞書はネットに使わなくても使えるので便利。朝から晩まで大学にいて疲れた。こういう生活がずっと続くのかという気がするが、まあ、慣れるだろう。

04/19
三宿病院に書類をとりにいく。保険の手続きのためだろう。保険というものが何なのかよくわかっていないが、入院するとお金がもらえるらしい。入院というのは人生で初めて(大学生の時に鼻炎で入院したが)なので、保険金を貰うのも初めてのことだ。『実存から構造へ』を最初から読み返している。ほとんど直しはない。縦中横の処理をするくらいのもの。数字をアラビア数字で表記し、2ケタの数字はそのまま縦位置で横に並べる。ワープロでその処理をしても印刷ではうまくいかないことが多いのだが、とりあえず編集者にはこちらの意図が伝わるだろう。

04/20
今週は公用がない。前年度末にぎっしりあったさまざまなプロジェクトがしばらくお休みしているせいだろう。とはいえ週に2日の大学出講日があるので、自分の仕事に集中しなければならない。『実存』、3章までのチェックを終える。ここまでいい感じで仕上がっている。あとは具体的な作家論(大江・中上)なので、問題はないだろう。構造主義の説明のところ、読者は少し戸惑うかもしれないが、これほどわかりやすく「構造」というものが理解できる本は他にはないので、読んでよかったと感じてもらえるものになるはずだ。

04/21
大学。研究室のパソコンにワープロの辞書を入れる。この辞書の入れ替えはパソコンを換える度にやるものだが、その度にやり方を忘れてしまう。最近だと、いま自宅で使っているパソコンのスタート時にやったはずだ。W大学の専任を辞めて貸与されていたノートパソコンを変換するので、データを移し替えた。4年前のことだ。4年前のことなんて、忘れてしまう。今回、研究室に備え付けのパソコンはデスクトップで、XPなのはありがたいが、ワープロはマイクロソフトの2007で、自宅では03を使っているので、勝手が少し違う。まあ、そのうち慣れるだろう。漢字変換はATOKで、これは自分でインストールしたので慣れたものが使える。木曜日はアキ時間が1コマある。昼休みから連続しているので、2時間半あるので仕事ができる。『悪霊』を少し書き進む。まだこれで行くと決めたわけではないが、オープニングの第2案がいい感じで進んでいる。まだ主人公は出てこない。このまま行くと早い段階で出てきそうだが、まだ心の準備が整っていない。担当編集者との打ち合わせをしていないので、まだ見切り発車みたいなところがあるのだが、いずれにしろ半年かかる作業なので、準備はしておきたい。『実存』は草稿ができていて、いま推敲している。縦中横のチェックが主。データを渡すだけだから横書きでもいいのだが、いちおう編集者がプリントして読むことを想定して縦書きの設定で書いている。アラビア数字2ケタが出てくると縦中横の処理をする。これがけっこうめんどうだが、やり始めたに途中でやめるわけにはいかない。

04/22
歯医者のみ。今週は大学の他には公用がないのでのんびりしている。「簡単な手術」をしてから1ヵ月になった。体調はいい。この1ヵ月、まったく酒を飲んでいない。このままずっと飲まずにいてもいいと思っている。つきあいがあるから外で飲むことはあるだろうが、寝酒を飲まなくても寝られることがわかった。ただ、よく働いた時のご褒美、みたいな感じでビールを飲むのは楽しいが、べつに酒でなくてもいい。ソーダ水でもいいのではないか。『実存から構造へ/20世紀文学を読み解く』完成。

04/23
土曜日。『実存から構造へ』が終わったのでのんびりできるはずだが、すでに『悪霊』がスタートしている。スタートしているといっても、まだ試行の段階だが、少し書いてみて、また最初からやり直すかもしれないし、いま書いている出だしでそのまま先に進むかもしれない。出だしは軽くしないといけない。いま考えているのは、主人公をどのあたりで登場させるかということ。原典では主人公はなかなか登場しない。読者はずいぶん待たされるし、主人公が出てくるまではどういう話なのかもわからない。ドストエフスキーは大文豪で、連載で原稿を発表しているから、読者は読むしかないのだが、こちらはそういうわけにいかないので、なるべく早い段階で主人公を出したい。いきなり出すわけにはいかないので前振りが必要だ。そのあたりをどうするか。とりあえず書くしかない。ダメだったら何度でも書き直す。そういう感じで書いてみる。

04/24
日曜日。妻と散歩に出かける。気分転換に電車で二子玉川まで行く。人が多くて疲れる。しかしたまにはこういうところもいい。タカシマヤの屋上で生ビールを飲む。先月、「簡単な手術」をして以来、1ヶ月ぶりのビール。手術は成功で「完治」と言われているので、問題はない。1ヶ月経過したので、もう大酒を飲んでも大丈夫と思うが、アルコールは控え目にしようと思っている。そう思っていたら、偶然、ご近所のお宅に招かれてワインを勧められて、けっこう飲んでしまった。まあ、そういうこともあるだろう。

04/25
またウィークデーが始まった。本日は午前中の1コマだけ。学科会が休みなので、昼休みに学生と打ち合わせをしてから自宅に帰る。本日、ようやく健康保険証を貰ったので歯医者に届ける。保険証なしで治療をしてもらっていた。『悪霊』いよいよ本格的に書いていく。が、すぐにつまずく。ロシアの歴史が頭に入っていない。何十年か前に買った『世界全史』という分厚い本を開いて、農奴解放前後の歴史を頭にインプット。ロシアでは農奴解放だが、日本では黒船が来て明治維新、アメリカでは南北戦争で奴隷解放と、奇しくも3つの国で同じようなことが起こっている。そこには象徴的な意味があると思われるので、冒頭のシーンでぜひそのことを記しておきたい。バクーニンの話もここに入れたい。主人公ニコライはバクーニンがモデルだといわれているが、いずれバクーニン本人が登場することになる。

04/26
火曜日は大学の出講日ではないが学科の歓送迎会とのことで吉祥寺のホテルに出かけていく。夕方の井の頭線に乗ることはめったにない。コーラスの練習に行く時くらいだ。混んでいるのでびっくり。ふだん大学に行く時はラッシュを過ぎた時間だし吉祥寺方面は通勤とは逆方向なのでいつもすいている。少し早く吉祥寺に着いたので昔住んでいたマンションを見に行った。大学生の時に吉祥寺に引っ越して、サラリーマンをしていた時代も吉祥寺から会社に通った(浅草橋と水道橋)。それからフリーになり、芥川賞を貰った時もまだ吉祥寺にいた。7年間、ここで暮らしていた。二人の息子が生まれたのもこの地だ。マンションは昔のままに建っていた。1階に入っている店は変わっていた。外壁も塗り直したようで見た感じが違っている。ここで子どもを育て、会社に通い、小説家になるためにもがいていた。懐かしいというか、胸の奥に重いものがあるような気分になった。息子たちが生まれた産院があるかと付近を歩いてみたが見当たらなかった。それから会場のホテルへ。この会は本来なら3月11日に開かれるはずだった。文藝家協会で総務省の調査の人と会う約束でメトロの永田町駅のエスカレーター上で揺れを感じた。総務省の人と話をしている間も余震があった。吉祥寺に行かなければならないので早口にしゃべり、ようやく話が終わって、さあ、吉祥寺に行こうと思って立ち上がったら、テレビで津波の映像を放送していた。そこで初めて大きな地震が発生し、首都圏の交通が完全にストップしたことを知った。永田町から自宅まで2時間かけて徒歩で帰った。そういうわけで吉祥寺には行けなかったが、当然、会は中止になり、本日に延期されたのだった。3月の時は退職される教授の送別会だったのだが、4月になったので交替で専任になったわたしの歓迎会も兼ねることになった。どこが違うかというとわたしの会費がタダになった。これはラッキー。すでに2年間、客員教授をつとめてきたので何人かの先生とは顔見知りだが、3月の時点では大半の先生はよく知らない人だった。しかし4月になって授業も始まったいまとなっては、ほぼすべての人々と顔見知りになっているので、この宴会が延期されたのは重ねてラッキーであった。二次会までつきあって心地よく酔って井の頭線に乗った。1ヶ月間、アルコールを断っていたので、酔うほどに飲んだのも久し振りだ。

04/27
文化庁小委員会。国会図書館のデータの公衆送信について。必要な発言はした。公衆送信についてはわたしが阻止をしてきたのだが、今回は限定的な条件で認めることにした。フェアユースと同様の現実的な対応である。全共闘運動ではないので命をかけて反対するということはない。『悪霊』、ピョートルが出てきた。次にニコライが出てくる。そのニコライが出てくるところ、会議中にひらめいたのでノートにメモした。このところポメラを使っていないので手書きのメモ帳である。大学のパソコンを自分用に改変できたので大学でポメラを使わなくなったので、それ以外の外出は手書きメモでもいいだろう。さて、本日は今年度初めての文化庁の会議(著作権分科会は欠席した)。ようやく今シーズンが動き出した。大学で週2日つぶれるので、他の公用をその間に埋め込んでいくのは綱渡りのような作業になる。

04/28
M大学。まだこの大学に慣れていないところがある。午前中の授業で教室が満杯になった。W大学ならよくあることで、放っておけばそのうち学生が減ってくる。しかしこのM大学の学生は出席率が高いので、このままでは学生に負担を強いることになる。で、教室の変更を要請しなければならないのだが、どうすればいいかわからない。廊下を歩いている教員とか助手の人に訊けばいいのだが、パズルを解くようなつもりで、パソコンの中に入っている校内ランのマニュアルを探るうちに、教室変更届けの用紙をゲット。パソコンには小さなプリンターが接続されているのだが、死んだように気配を絶っている。スイッチが入ってなかった。あれこれいじっているうちに突然動いて一瞬でプリントできた。オモチャみたいなプリンターと思っていたのだが優秀な性能だった。その用紙に記入して教務課にもっていくと、即座に空き教室を探して手配してくれた。とにかくこれでプリンターが動くことがわかったし、事務手続きのやり方もわかった。さらにこの過程で、校内ランのメール配信があることに気づき、メールがたくさん届いていることを知った。会議の案内とか、そんなものもあった。これまでは何となく気配を感じて会議に参加していたのだった。昼休みにピョートルのセリフを書く。こういうアキ時間が貴重だ。

04/29
妻が風でダウン。病院につれていったりして、睡眠時間が不足している。

04/30
土曜日だが大学で新入生のためのイベント。打ち上げまで参加。打ち上げの会場は田無。大学から歩いて行ける最短距離の繁華街ということだが、田無に行くのは生涯で初めて。歩いて行ってみたが少し遠回りしてしまった。


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