好きな映画のことを考えていると、時間を忘れてしまいます。





好きな映画、自分が心から
気に入っている作品につい
て、感想を書とめておこう。
ここにあげた映画は、これ
からも何度となく、折りあ
るごとに見返すことになる
はずである。
 
*とりあえずの掲載で、順も体裁も統一性がないですが、そのうち整理します。
表中の興味のある映画をクリックすると、その説明箇所にジャンプできます。
   
静かなる男
我が道を往く
ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ
わが心のボルチモア
グレン・ミラー物語
隣の八重ちゃん
ママの想いで
運命の饗宴
人生模様
第七天国
友情ある説得
奇跡の人
雨に唄えば
真夏の夜のジャズ
花嫁の父
刑事ジョン・ブック 目撃者
サウンド・オブ・ミュージック
周遊する蒸気船
・「静かなる男」(ジョン・フォード、1952) 物語の背景となっているアイルランドでロケされたのでしょうか、カラーが本当に美 しい。どこまでも、こよなく美しい田園風景が展開されて、それを見ているだけでも 幸福な気分に浸れます。ビクター・ヤングの音楽も、ゆったりと流れる感じで、その 美しさにぴったり寄り添っていて好ましい。 映画の冒頭、ジョン・ウエィンが汽車から降り立ち、イニスフリーへの道を聞くとこ ろでの乗務員や村の者とのやりとりからして、とても楽しく、嬉しくなります。「我 が道を往く」で老神父をやっていたバリー・フィッツジェラルド、この映画でもいい 味を出していますね。何かというと「のどがカラカラで」とかなんとか言いながら酒 を所望するところ、おかしいです。 それから、この映画のモーリン・オハラは、とてもきれいですね。彼女は、どちらか いうと骨太な、気丈夫な印象を(私には)与えることが多い役者です。この映画でも 元気な役柄なのですが、相手がウェインということもあり、所々、なまめかしささえ 感じさせます。(モ表に戻る) ・『我が道を往く』 ビング・クロスビーは、当時へんなコメディばかり出ていたようで、神父役はイメー ジチェンジを狙ったものかもしれません。よく似合いますし、いい味を出していたと 思います(シナトラの神父は想像しがたい)。老神父役のバリー・フィッツジェラル ドも良かったですね。ラストで彼がお母さんに久しぶりに会うシーン、泣けます。 子どもたちとクロスビーが歌う「星にスイング」は、彼の代表的なヒット曲ですが、 通常聴けるシングル盤よりも、この映画の中の歌のほうが楽しい出来あがりです。 いい歌だし、とても上手に歌っています。アンディも好きだが、クロスビーも好きな のであります。クロスビーなんてのは、アメリカ人の若い奴らには、三波春夫的イメ ージのようですが、好きなんだから仕方がない。ほっといて。 結婚に承諾を与えていない二人に父親が会いに来るシーンで、若者が戦争に行くこと を服を着替える事で示すシーンがあったと思います。それを目にした父親が、急に二 人に好意的な態度をとるのですが、これは当時の状況からして、戦意高揚的意味もあ ったのかもしれません。(モ表に戻る) ・「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」 息も尽かせぬ2時間とはこのことか。じつに素晴らしい。私のミュージカル・ ベストファイブに入る傑作です。 なにより、キャグニーの軽やかな、そして力のこもったダンスに圧倒されます。 彼はこれでアカデミー主演男優賞を取っているはずです。 音楽もいい。妻の名前を題材にした「メリー」(本当にきれいな曲)、キャグ ニー扮する、ジョージ・マイケル・コハン作曲の"Over there"という軍歌。ど れもこれも、素晴らしい。 ストリーも文句なし。家族愛、夫婦愛、国家愛が濃厚に示され、感涙ものです。 舞台終了時にキャグニーがコハン一家(4人)を代表して言う台詞、 my father thanks you, my mother thanks you, my sister thanks you, and I thank you. 死の床に伏している父にむかって、キャグニーがこれを言うシーンは、極めて 印象的です。 この映画、見方によっては戦意高揚ということで、毛嫌いする人があるかと思い ます。しかし、誰がなんと言おうと、傑作である事実を否定することは不可能で す。これは断言できます。(モ表に戻る) ・「わが心のボルチモア」(1990年、バリー・レビンソン作品) この監督で一番有名なのは「レインマン」でしょうが、わたしは「わが心のボルチ モア」のほうが好きです。スローモーション的な画像を多用した前半の画面づくりが ノスタルジックな雰囲気をうまく演出していて、楽しめます。撮影はアレン・ダビュ ー(知りません)。 東欧系(ロシア系?)アメリカ人の家族模様、兄弟関係、生活の変遷などを印象的 な数々のエピソードとともに静かに物語っていきます。自分がこの家族の一員だとし たら、わずらわしく息苦しい毎日かと思うのですが、映画としてみる限り、人間生活 の平凡で退屈な面が巧みに描かれており、郷愁をそそられます。親子の諍いを見てい て面白いと受け取れるのは、そこに日常生活の普遍的なものがうまく表現されている からでしょう。とにかく、挿入されるエピソードのひとつひとつが面白いです。 (モ表に戻る) ・「グレン・ミラー物語」 出だしは質屋のシーンで、カラーがとてもきれいです。撮影はウィリアム・ダニエル ズとなっています。店の後ろに、坂道を走る路面電車が写っており、サンフランシス コかと一瞬思うのですが、テロップはロサンゼルスと出ます。 主人公グレン(ジェームズ・スチュアート)とへレン(ジューン・アリスン、最高で す)の故郷はコロラドで、デンバーやボールダー、コロラド大学が登場します。私の ワイフもデンバー出身で、二人でボールダーにあるコロラド大を訪れたことがあり、 じつに懐かしい。コロラド大学のキャンパスは本当にきれいで、森のような雰囲気で、 中でリスが何匹も走っています。 へレンのうなじ。素敵なことがあるとそこの毛が逆立つように感じるという、途中で 何回か登場する設定が面白いですね。たとえば、グレンと二人でコロラド大のグリー クラブの「茶色の小瓶」を聞いているとき。2年ぶりぐらいでグレンから突然の電話が あり、ニューヨーク(?)で結婚しようと強引にプロポーズされた後。クリスマスの夜 にラジオから流れる、亡きグレン編曲による「茶色の小瓶」を聞くところ。他にもあっ たと思うのですが、自分の喜びを、言葉ではなく、このような幾分かわった仕掛けで示 すところが好ましいです。 この映画でもっとも感動するのは、へレンの人柄です。自分の楽団を持ち、自分の サウンドを作るんだと意気込んでいたグレンが途中からその夢を捨てそうになる。習 っていた編曲も、費用がかかりすぎるという合理的な理屈をつけて自分を納得させ、 とりあえずは食っていける現在のルーティーンワークで満足しようと努める。へレン はそんな彼の姿勢に(やさしく)異をとなえ、しぼみつつあった夢に再び向かわせま す。そして、楽団をスタートさせるに足る費用も、倹約して秘密に積み立てている。 エライ奥さんですね。本当にエライ。こんな人と結婚できたグレンは幸せです。将来 彼が成功したからではなく(たとえ成功できなくても)、夫の夢、それを温かくそば で見てくれ、現実的なサポートをさりげなく与える妻、そういう人と精神生活をとも にできること、それが幸せでなくてなんでしょう。 グレンは友人にも恵まれましたね。チャックと言ったか、ピアノひきの友人。いい 人ですね。冒頭で自分がオーデションに合格した後、編曲の楽譜を見てもらえずにし ょんぼり会場を去るグレンを救う彼の機転。楽団を解散するときには、自分の大事に していた車を売って金を作ろうとします。「そんなことまでしなくても」というグレ ンに「おれも解散手当ぐらいほしいからね」と照れ隠しに言って支援するのです。自 分の一番大事にしているものを犠牲にする、その行為は、やはり感動を誘います。 「グレン・ミラー物語」は愛情と友情がつまった、素敵な音楽の聞ける、不朽の家族 団欒映画と言えます。(モ表に戻る) ・「隣りの八重ちゃん」(島津保次郎監督、1934年) 助監督が四人いるのですが、その中の二人は、豊田四郎と吉村公三郎です。古い映画 なので画像が所々見苦しく、音(この時代ながらトーキー!)もいくぶん不鮮明です が、内容的には楽しめます。平凡な市民生活を、ユーモアを織り込みながらつづった 作品といったところです。ただ、断片的なエピソードの積み重ねながら、いちおう筋 らしきものもあるので、出もどりの姉が家出したまま物語が終わるところは、尻切れ とんぼの感じがしました。まあしかし、筋はどうでもよいような映画ではあります。 知っている役者は、八重ちゃんの母親役の飯田蝶子と、家出をした姉役の岡田嘉子ぐ らいです。飯田さんは昔から同じ顔をしてますね。岡田さんは配役名を見るまでわか りませんでした。気に入ったのは、大学生の役をやる大日方傳(なんと読むのか?) です。他の映画の解説なんかで名前を目にしたことがあるので、わりと有名な方なん でしょう。彼はこの映画では、ほとんど主役といってよく、ユーモラスな味を出して ました。映画の中で、八重ちゃんの友達の女性が大日方傳のことを、「フレデリック・ マーチに似ている!」という場面があります。こういうの、当時の人気俳優がわかっ ておもしろいです。マーチは「我等の生涯の最良の年」(ワイラー監督、1946年) ぐらいしか知らないのですが、若いときは二枚目でならしたということでしょうか。 (モ表に戻る) ・「ママの想い出」(1948年、ジョージ・スチーブンス監督、アイリーン・ダン、 バーバラ・ベル・ゲデス他出演) 『西洋映画大系・ぼくの採点表4(1940年、50年代)』(双葉十三郎著、トパーズ プレス発行、1990年)で最高の評価を受けている作品。双葉さんは私の好みと合う ところがあり、その評論を参考にしております。 さて、「ママの想い出」ですが、心温まるという表現がぴったりの、後味の良い作品 です。こういう映画がいいのですね、私は。家族愛とおもいやり。それが、これみよ がしでなく、やや押さえ気味に提示され、幸福な気分にさせられました。 最初のシーンがよいです。貧しい一家が食卓に集い、父親の週給で向こう一週間が無 事に過ごせるか、頭を悩ませているのです。計算が一段落して安心しているところに 、長男が高校進学の希望をほのめかしたため、急な出費が必要となります。さてどう するか。まず、父親がタバコをやめるといい、つぎに姉妹の一人が、子守(=ベビー ・シッティング)で稼いでサポートすると提案します。こういう犠牲の精神は美しい です。 全体的には、家族の様々なエピソードをつなげたような構成ですが、母親の愛の深さ を表しているところとして、中耳炎の娘を病院に見舞うシーンが忘れがたいです。急 性中耳炎で手術をした娘に母が会いに行こうとすると、医者が24時間面会禁止だと引 き留めます。会いに行くと約束したし、娘が寂しがっているに違いないからと、なん としても病室を訪れようと、家に帰った母親の頭にあるのはそのことだけです。そし てあるアイデアを実行し成功するのですが、子へのおもいの温かさと真剣さに心を打 たれました。良いシーンです。 長女役の女の子をどこかで見た顔だと思っていたら、「五つの銅貨」でダニー・ケイ の妻を演じている人ですね。彼女はヒッチコックの「めまい」でも、ジェームズ・ス チュアートに片思いする女性役で出演しています。こんな昔から役者だったんですね。 (モ表に戻る) ・「運命の饗宴」(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1942) デュヴィヴィエお得意のオムニバスで(といっても、他には「舞踏会の手帖」しか知 らないのですが)、俳優も豪華です。シャルル・ボワイエ、リタ・ヘイワース、ヘン リー・フォンダ、チャールズ・ロートン、トマス・ミッチェル、ポール・ロブソンと、 そうそうたるメンバー。 和田誠の本なんかでロートンの貧乏作曲家の挿話は知っていて、実際に観る前から随 分イメージを膨らませていたものの、充分に楽しめる内容です。ロートンの才能を認 める指揮者をやる俳優もなかなかよかった。映画の役名がベリーニとかいうのですが、 気性の激しさが、なんとなくアルトゥーロ・トスカニーニを感じさせました(トスカ ニーニ本人が気性の激しい人だったかどうか知りませんが、写真からはそんな印象を 受けます)。 二つ目の話に出てきたヘンリー・フォンダは、プレストン・スタージェスの「レイデ ィ・イヴ」の時のような優男としての登場でした。「12人の怒れる男」のフォンダな どと違い、若くて弱々しい感じです。 私が一番気に入ったのは、農民が働いている所に札束の入った燕尾服が空から落ちて くる話。見つけたのはポール・ロブソンで、この人は、「ショウ・ボート」でオール マン・リヴァーを歌っている人ですね。当時黒人歌手として有名だったんでしょう。 私は中学の音楽の時間に彼の黒人霊歌のレコードを鑑賞して以来、名前を記憶してお ります。映画に話を戻すと、彼が、拾った大金を(妻の助けもあり)ねこばばせずに、 牧師に持って行き、村中の者(全員、黒人?)で分け合うことになり、それぞれの祈 りに覚えていたことが実現するところがいい。最後の最後がもっといいのですが、こ こは言わないでおきましょう。(モ表に戻る) ・「人生模様」(1953年、白黒) オー・ヘンリーの短編を組み合わせたオムニバス映画で、つぎの五つ物語からできて います。 ・「警察官と賛美歌」  ヘンリー・コスター監督、チャールズ・ロートンほか ・「ラッパのひびき」  ヘンリー・ハサウェイ監督、リチャード・ウィドマークほか ・「最後の一葉」  ジー・ネグレスコ監督、アン・バクスターほか ・「インディアン酋長の身代金」  ハワード・ホークス監督、オスカー・レヴァントほか ・「賢者の贈り物」  ヘンリー・キング監督、ファーリー・グレンジャーほか  一番楽しめるのは「賢者の贈り物」で、ヘンリー・キングはこういった泣かせどこ ろのある映画が上手なんですね。けっしてくどくなっていません。ここで夫役を演じ るファーリー・グレンジャーは、ヒッチコックの「見知らぬ乗客」のテニス選手です ね。ジョージ・チャキリスをうすくした感じです。  「賢者〜」に次いでというか、それ以上に有名な「最後の一葉」。これも良くでき ておりました。あの肺炎になるほうの女性がアン・バクスターでしょう、かわいい、 人形みたいな顔立ちの。「イブの総て」とかヒッチコックの「私は告白する」にでて ますが、この「最後〜」の彼女がもっとも魅力的な気がします。この作品で画家をや っていた俳優が気に入ったのですが、名前とほかの出演作がわかりません。  「ラッパ〜」はウィドマークの独特の笑いと個性で見せる映画ですが、「バットマ ン」のジャック・ニコルソンのキャラクターは、この作品のウィドマークにたぶんに 影響されている気がしました。  「警官〜」はロートンの演技がクサイながらも楽しめます。話としては最後が変な 感じで、原作がどうなっているのか興味があります。  「インディアン〜」は、オスカー・レヴァント(「巴里のアメリカ人」のピアノを 弾いて妄想に浸る作曲家)がでているし、監督がホークスなので期待したのですが、 話がいっこうに盛り上がらず、途中から早回しにしてざっとながめただけです。以前 に見たときも同じようなことをした記憶があります。これ、おもしろいのでしょうか。 (モ表に戻る) ・「第七天国」(1927年、フランク・ボザージ監督、チャールズ・ファレル、ジャネッ ト・ゲイナー他出演) 素晴らしいサイレント映画。筋も俳優も音楽も見事な出来。申し分なしの傑作。真珠の ような佳品とよぶのが相応しいかもしれません。 私が観たのは、IVCというところから出ているClassic Film Collection の1本なので すが、音楽が実に画面にピッタリで、主役二人のロマンスが高まるところなど、天国 的な響きすら感じさせます。『想い出の名画』(野口久光著、文藝春秋、1995年)の 「第七天国」(1927年、フランク・ボザーギ監督)の項に、この作品の付帯音楽につ いての記述があります。    この映画はもちろん無声映画としてつくられたものであるが、伴奏曲がエルノ・    ラベーの手で書かれ、上映に際して演奏された。主題歌「ディアンヌ」(ラベー    作曲、リウ・ボラック作詞)はアメリカを風靡したが、わが国ではオリジナル・    スコアの伴奏がほとんどつかわれなかったのであまり流行しなかった。この曲は    最近「サンセット大通り」のなかでノーマの部屋のくだりにムード・ミュージッ    クとして使われていたが、この曲に無声末期ごろへのノスタルジックな気持ちが    かけられていたのだと思う。(同書、p.152) 時空を超えた愛というテーマでは、「ジェニーの肖像」「ある日どこかで」などがすぐ に頭に浮かびますが、この「第七天国」は、それら以上の、愛の映画の極めつけと いってよいのではないでしょうか。この映画をひとことで表せば、「美しい愛」とい う表現が似つかわしいとおもいます。あくまで人間的次元の愛ではありますが。 『世界映画俳優全史・女優篇』(猪俣勝人・田山力哉、現代教養文庫、1977年)によ ると、主演のジャネット・ゲイナーは第1回アカデミー賞主演女優賞を受けています。 チャールズ・ファレルも魅力的な俳優です。この映画では、真面目さとユーモアを兼 ね備えた下水清掃人(後に道路清掃人)を演じています。ディアナ役のゲイナーから 「愛している、と言って」とせがまれて、シーコ役の彼が「そんなこと、バカらしく て言えるか」と逃げながら、「そんなにいうなら、こういうのはどうだ、 シーコ、 ディアナ、 天国 」 と何度も言うところの二人の表情がいいですし、自分は賢いんだといきがって随所で 使う「I am a remarkable man」のセリフも笑わせます。このセリフは、彼が弱音を 吐くシーンでゲイナーが彼を励ますためにも使うといったふうに、映画ではキーワー ド的に使用されています。(モ表に戻る) ・「友情ある説得」(1956年、ウイリアム・ワイラー監督、ゲーリー・クーパー他) 終わりがやや唐突な感じがした以外、全編楽しめました。 信条貫徹の難しさという真面目な主題が物語の背景にありますが、全体的なつくりそ のものは、非常にユーモラスです。冒頭の鵞鳥(この鵞鳥、なかなかの役者で、随所 に登場し、映画にいろどりを添えます)と男の子(かれも相当な演技力です、成長し てからも俳優を続けたのか興味があります)の駆け引きに始まって、ゲーリー・クー パーと馬の競走仲間との交流、祭りのシーン(ダンス、賭事など)、アンソニー・パ ーキンスが三人の田舎娘に翻弄されるところ、大声で歌を唄う元気な教会と、時々祈 りの言葉を発するだけの静かな教会の対比、オルガンの購入と納屋のエピソード等々、 それぞれが上手に物語に貢献し、えも言われぬユーモアを醸し出しています。実に好 ましい。 双葉十三郎によると「ワイラーがこんなにのびのびしたコメディ・タッチを示したこ とは珍しい。『ローマの休日』のコメディ・タッチとはまるでちがう。むしろ『西部 の男』に通ずるものがある。が、もっと小春日和的な楽しさにあふれている」(『外 国映画25年みてある記 ぼくの採点表アメリカ編』近代映画社、1978年、76ページ) とあります。(モ表に戻る) ・「奇跡の人」 劇場で見たとき、とても感動した作品です。最近「映画とともにいつまでも」(淀川 長治、新日本出版社、1992)でこの映画に触れた箇所を読んでいて、涙が次から次に 溢れてしまいました。 本の中で、サリバン先生のへレン・ケラーへの教育方法を例に、淀川さんが映画の作 り方のお国柄をつぎのように書いています。これも、なかなかおもしろいと思います。  「……アメリカはそういう国なんだ。画面を見ていて、こうしたらいいということ をはっきり見せる国なんだ。イタリアはそんなの見せないけど、感覚だ。そうか。フ ランスも感覚だ。ゲランの香水だ。アメリカは見せるの、はっきり言うの。だからア メリカ映画はおもしろいけどつまらない気もする。つまらないけれど立派だ。……」 (同書、112ページ) アメリカははっきりみせるからつまらないけど、立派だ、というところが言い得て妙 です。この映画は、まさにそのような作品ですね。(モ表に戻る) ・「雨に唄えば」 「映画の快楽」(角川文庫、平成2年)のミュージカル映画ベスト50(執筆・千葉文 夫)を読んでいると、「雨に唄えば」の説明におもしろいことが書いてありました。    可憐なデビー・レイノルズが意地悪なジーン・ヘイゲンの吹き替え役として苦    労するというお話だが、実際はレイノルズのテキサスなまりがひどく、ヘイゲ    ンが声音を使い分け、自分で吹き替えをやったというし、レイノルズの歌の一    部は吹き替えだという。まるで映画になりそうな話ではないか。                            (同書224-225ページ) 以上が本当かどうか調べようと手元の資料にあたってみて別のことを発見。どれにも 「巴里のアメリカ人」はあるのに「雨に唄えば」が出ていない。日本の評論家の評価 は「巴里のアメリカ人」のほうが上みたいですね。私は逆なんですが。(モ表に戻る) ・「真夏の夜のジャズ」 いい映画です。1958年のニューポート・ジャズフェスティバルの模様を軸に、アメリ カズ・カップのヨットの動きと町の様子が織り込まれ、至福の80分が味わえます。 出演は、セロニアス・モンク、ジェリー・マリガン、アニタ・オデイ、チコ・ハミル トン、ジョージ・シアリング・クインテット、などなど、豪華です。一番長く出てる のはルイ・アームストロングかな。真ん中あたりでチャック・ベリーの「ロールオー バー・ベートーヴェン」(?)も聞けます。締めくくりはマヘリア・ジャクソンの「 主の祈り」で、これが実に感動的です。それから、ファスティバルとは別に、ある部 屋で男性(一般人か?)がタバコをくゆらせながら、バッハの無伴奏チェロ組曲を奏 するシーンが挿入されるのですが、ここも映画全体の印象を高めるのに貢献しています。 ジャズに興味がなくても楽しめる映画でありましょう。(モ表に戻る) ・「花嫁の父」(1950年、ビンセント・ミネリ監督、スペンサー・トレーシー、ジョ ーン・ベネット、エリザベス・テイラー他) 良くできたホームドラマです。娘の結婚を前にした父親の気持ち(相手はどんなやつか、 娘を養うだけの収入があるのか、など)、結婚式や披露宴の準備の過程が細かくユーモ ラスに描かれています。大した事件はありませんが、捨てがたい味を持つ作品。脚色は 「素晴らしき哉、人生!」「略奪された七人の花嫁」「イースター・パレード」などを 担当したフランセス・グッドリッチとアルバート・ハケットのおしどりコンビ。この名 前は覚えておきましょう。 花婿役はドン・テイラーという人で、ニール・セダカに少し似た感じのやさ男。ほかに、 エリザベス・テーラーの末弟としてラス・タンブリン(「ウエスト・サイド物語」でジェ ット団の首領をやった男優)が出ているのですが、解説を見るまで気づきませんでした。 ジョーン・ベネットは「飾り窓の女」の怪しい役どころのほうが似合うようです。 (モ表に戻る) ・「刑事ジョン・ブック 目撃者」(ハリソン・フォード主演) 最初の公開時にワイフと劇場で鑑賞し、傑作であることを痛感いたしました。これは、 ハリソン・フォードがその魅力を十二分に発揮した一本といえるのではないでしょうか。 なによりも、全体にただよう抑制のきいた抒情がたまりません。ただのサスペンス、 暴力映画とは雲泥の差です。刑事殺人事件を縦糸、ハリソンとケリー・マクギリスの 純粋(すぎるよう)な恋愛を横糸に、現代の一般的な社会とアーミッシュという特殊 な禁欲的社会を対比しつつ物語が展開していきます。 音楽はモーリス・ジャールで、「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」に劣らぬ 素晴らしいメロディーが聞けます。アーミッシュの仲間が新婚の二人のために小屋(家?) を建てるシーン。ここで流れる音楽の与える高揚感は、そこかしこで味わえない種類の ものです。この映画をまだ見てない方がいらっしゃるなら、羨ましい限りです。 私の好きなシーンをいくつかあげておきましょう。 冒頭の無数の麦(でしょうか)が風になびくシーンがまずいいですね。ヨーロッパの 田園風景を彷彿とさせますが、アメリカの田舎でロケされたようです。少年が自分の 目撃した犯人を見つけ、誰かに教えたそうな表情を見せます。そして、電話で話して いたハリソンが徐々に少年のただならぬ様子に気づき近づいていきます。ハリソンの 表情が緊迫感があっていいです。女性に人気があるのがわかります。私ではあの表情 は出せません。ほかには、ロックの懐メロをバックにダンスをするシーンや、ケリー が体を洗うところをハリソンがじっと眺めるシーンも、間(ま)がなんとも言えぬ緊 張感を醸し出します。いつも私が泣いてしまうのは、最後近くで、銃を持った悪者の 警察副部長にハリソンが丸腰で近づき「もう十分だ」とかなんとかいうシーンです。 己の命を省みず、悪に立ち向かう勇気に感動するして泣くのか、理由は不明ですが、 ここで必ず涙が溢れます。(モ表に戻る)   ・「サウンド・オヴ・ミュージック」 躾にうるさいトラップ大佐のもとで萎縮して暮らしている子どもたちを、家庭教師の マリア(ジュリー・アンドリュースがはまり役)が町に連れていったり、木登りをさ せたり、ボートに乗せる。それら一切が気に入らない大佐は彼女に暇を出そうとした ところに、かすかに聞こえてくる妙なる調べ。 大佐「あれは何だ」 マリア「歌です」 大佐「それはわかっている。誰が歌っている」 マリア「子どもたちです。お客様の歓迎のために練習したんです」 マリアの答えを聞き終わらぬうちに大佐が邸内にむかうと、ゲストを前に子どもたち が天使のような声で「サウンド・オヴ・ミュージック」を歌っています。じっと聞い ていた大佐も、厳格さという鎖から解き放たれ、音楽の力に押し出されるように唱和 します。それを目にして驚く子どもたち。「お父さんがいっしょに歌ってくれている 、あのお父さんが。信じられない」という表情です。歌の後、大佐は自分の非をマリ アにわび、この家庭に音楽をよみがえらせてくれたことを彼女に感謝します。それを 聞いたマリアは、自分の部屋に戻る途中で「やった!」というような仕草をみせるの ですが、このへんも実にいい。 今後も何回も(それも子どもの成長といっしょに)この映画が見られるかと思うと、 それだけで幸せな気分になります。いい映画だ。(モ表に戻る) ・「周遊する蒸気船」(ジョン・フォード作品、年代不明) 私のジョン・フォード・ベストスリー(感動の程度ではなく、今後も何回も見たいと いう観点からの選択)では、「わが谷は緑なりき」「荒野の決闘」「駅馬車」ですが、 「周遊する蒸気船」もベストスリーに入れたいぐらいに気に入りました。遊びがふん だんに盛り込まれていて、楽しめます。 物語そのものは、すこしだけ真面目、9割方が変というか、のどかなユーモアすら感 じさせます。愛し合っている若い二人以外、みんな一風変わった人物です。蒸気船の 姿も素敵です。煙をモクモク出しながら進んで行くところ、絵になってます。見てる だけで嬉しくなる。 物語の土台に少し聖書的メッセージを感じました。人を救うために、自分の大事なも のを犠牲にするところ、つまり、蒸気船のレースに勝つため(=正当防衛なのに縛り 首になりかけている甥を救うため)、蒸気船の船体そのものを壊して薪にしたり、最 後には商売道具のロウ人形を釜に放り込んだりする場面です。ここが、全然真面目で なく、どたばた調で展開するところが非常に好ましい。 次のようなシーンが気に入っています。 やくざな家族が娘を取り戻しに来るところで、まだ結婚の承諾も与えていないのに、 「この子は息子と結婚しとるんじゃ、なんか文句あるんか」てな感じでロジャース が女の子をかばうところ、その優しさにほだされて彼女がロジャースをうるむ瞳で見 るところ、いいですね。また、新生モーセがロープで捕まえられて船上に上がり、黒 人の乗組員ひとりから「水でもいかが」と言われるところはおかしかった。彼、海の 水をたっぷり飲んでいたはずですから。フォードのユーモアが堪能できます。 (モ表に戻る)

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