横内城

概説 戦国時代、この地方で勢力を振るったのは南部氏である。「南部系譜」によれば、南部氏が外ケ浜(青森市周辺)を手に入れると、第二十代信時が四男の田子弾正光康を堤浦の古館に置き、信時自身はここから移って横内城を築いた。明応七年のことであるという。この光康が初代堤弾正で、青森平野の湿原を開削・改良し青森市の今日の発展の基を築いたという。[『日本城郭体系2』より]
南側の堀
その他の写真
  1. 城主堤弾正則景と室朝日御前夫婦石塔
訪問記[2003/09/20]常福寺南側に堀がある。一部は庭園に利用されている。
所在地青森市横内字亀井。横内交差点の南東約400mにある常福寺が目印。
参考書『日本城郭体系2』