ワシリチャシ

概説 昭和55(1980)年、国道改修時に発見された。チャシとは「砦、柵、柵囲い」とされ、一般に16世紀から18世紀に作られたと言われる。昭和58(1983)年、北海道教育委員会の調査では全道に483ケ所が確認されている。
 ワシリチャシは面積約9000平米。前方を海辺に突き出した台地の後方に幅2.5m、深さ3m程の空壕とこれを渡る土橋がつくられている。両側は急斜面をなす。
 上ノ国町内には勝山館など和人の館が存在する。檜山を含む道南にはチャシの発見例が少なく両者の関係が注目されるところであり、このチャシは大変貴重なものと推測される。内部から擦文土器が採集されている。[ワシリチャシ説明板より抜粋しました]
 2002年夏〜2003年秋にかけて行われた上ノ国町教育委員会による「ワシリ遺跡」発掘調査によると、出土した土器の特徴や遺跡周辺に堆積(たいせき)する火山灰などから、擦文時代(約1300ム900年前=本州の平安時代に相当)のものと推定され、同町教委の松崎水穂主任学芸員は「堀を備えた擦文時代の遺跡は、松前町の原口館と道路工事で失われた乙部町の小茂内遺跡の2例だけで貴重な存在。本州と類似した遺構や土器は、津軽海峡を挟む共通の文化圏や人々の交流があったと考えるのが自然だ」と話している。 [『函館新聞』2003年10月26日より]
チャシ域は駐車場右手へ拡がっている
    その他の写真
  1. 概略図
  2. 調査が始まっていました(2002/07/22)
  3. おかげで堀切もくっきり
訪問記[2001/06/04]比石館から上ノ国へ戻る途中の国道228号線添いの小さな駐車場に説明板が立っていた。草が多くて空壕や土橋などの確認はできませんでした
[2002/07/22]偶然通りかかったら草が刈られていたので覗いてみたところ、やはり発掘調査が行われていた。台地側とチャシとを区切る堀切もくっきり。中世よりも古い時代の物が出ているそうです。
所在地北海道檜山支庁上ノ国町汐吹
参考書『アイヌのチャシとその世界』