築島台場

概説 築島は高田屋嘉兵衛、弟金兵衛の活躍した時代、享和3(1803)年に築かれた。文政4(1821)年の古地図との比較によると、現在の末広町および豊川町、金森倉庫、ホテルシーボーン付近に相当する。市立函館図書館には実際には造られなかった『箱館築島御台場絵図面』が残っている。「弁天台場」クラスの頑強なものは造られなかったとしても簡単な砲台はあったのだろう。
 この砲台は弁天台場を側面から援護する目的で設置され、備え付けの大砲は鋳鉄砲だが、鋳物の成分が悪いためか肉厚で、巣穴を埋めた跡があちこちにある。明治2(1869)年5月の戦で砲尾を破損、使用不能となったため脱走軍はその場に大砲を埋めて退却したものと思われる。昭和36年北海道漁連函館支所を建築中、土中から発見された。製作はイギリス・ブラッケリー社1865年製。現在は官艦朝陽の艦載砲とともに函館市立博物館五稜郭分館前に展示されている。
大砲は豊川町の漁連ビル(右手)裏から出土した
その他の写真
  1. 高田屋嘉兵衛はこの築島に北海道最初の造船所を造った
  2. 築島台場跡地から出土した大砲(函館市立博物館五稜郭分館)
訪問記[2002/08/05]今となってはここに何があるというわけでもないのだが一応写真だけは撮っておいた。漁連ビル裏から大砲が出土しているということなのでこのあたりにあったのだろう。
所在地函館市末広町。金森倉庫の南半分からホテルシーボーンそして中央分離帯のグリーンベルト付近一帯。
参考書「新開調記」(『箱館戦争史料集』に収録)、『はこだて歴史散歩』、函館市立博物館五稜郭分館平成12年度特別展図録『五稜郭』