龍岡城

概説 別名、田野口陣屋もしくは龍岡陣屋。文久3年(1863)、三河奥殿藩主であった松平(大給)乗謨は、田野口の所領に居所を移し、元治元年(1864)より築かれたのが田野口陣屋。これに伴い田野口藩と改め、さらに明治元年(1868)には龍岡藩と改めた。その居所は俗に「龍岡城」と呼ばれるが、正しくは田野口陣屋もしくは龍岡陣屋である。[『【決定版】図説江戸三百藩「城と陣屋」総覧 東国編』より]
 函館市の五稜郭、北斗市の戸切地陣屋などとともに、稜堡式の洋式城郭として有名。
田口城から見下ろす
その他の写真
  1. 校庭内に建つ陣屋時代の現存建築物 御台所
訪問記[2006/07/30]田口城は龍岡城を見下ろせる絶好のポイントではあるが、同時に龍岡城の戦術的なアキレス腱でもある。とくに、幕末の大砲時代に作られた城郭としては防御力が貧弱である。ここは戦争のための城郭ではなくあくまでも政務のための陣屋であり、詰めの城は田口城だったのかも知れない。
所在地長野県佐久市。郭内は田口小学校々地になっている。ただ、今後の市内の史跡整備の課程で田口小学校は余所へ移転されるとの話を耳にした。
参考書『【決定版】図説江戸三百藩「城と陣屋」総覧 東国編』