概説 | 台地の付け根付近に中世の館跡が残っています。これが、地名「立ノ越」(館ノ腰)の由来と考えられています。さらに、谷津をはさんで西の丘陵には戦国城砦跡(「立ノ越館」のこと)があり、羽成監物の城という伝承があります。[『身近な名所事典』より抜粋] |
南側からの遠景 |
訪問記 | [2002/04/15]立ノ越古墳群のある細長い尾根の一部に立ノ越旧館はある。今日は籔の一部を見ただけだが竪堀付きの堀切と櫓台が見つかった。ここは立ノ越古墳群に含まれていることから、古墳を利用した櫓台と考えられる。細長い尾根なので南北にもう少し広がりがありそうだ。また、塚の一部に穴があったので覗いてみたら、石棺の壁がそのまま残っていた。 [2004/01/02]民家の南側の一画にわずかに土塁が残る。去年見た堀切は中に伐採した枝が大量に捨てられていた。 |
所在地 | 稲敷郡阿見町阿見字立の越 |
参考書 | 身近な名所事典(阿見町) |