館城

概説 明治元年10月28日、旧幕府軍の松前攻撃によって松前藩主松前徳広は館城に避難したがわずか2週間ほど滞在しただけで、11月12日には江差へ敗走した藩士たちの督励に向かうということで館城を退去した。館城はわずか2ヶ月で急造された平城で居住性も防御性もきわめて低かったと思われる。11月15日朝、旧幕府軍松岡四郎次郎は館城の攻略を開始した。残っている松前兵の数も少なく、わずか4時間ほどの戦闘で陥落した。城郭としての体裁も整っておらず、グランドオープン前に藩主入城・退去・戦闘開始・壊滅という悲劇的な経過を辿ることになる。
本丸跡
その他の写真
  1. 史跡配置(現地案内板)
  2. 城址南側の丘陵斜面に点在する散兵壕
  3. 百間堀の土塁(堀は土塁の向う側)
  4. 三上超順力試之石を難なく?持ち上げる団員
訪問記[2001/06/04]数年前に来たときには無かった丘の下の城門ができていた。
[2003/08/18]厚沢部町郷土資料館へ寄って館内を見学させて頂いた。ありがとうございました。館城は昨年、松前城の関連史跡として国指定史跡に認定されたとのこと。今後本格的な発掘調査が行われるとのことです。
[2007/09/01]午前中市立函館博物館五稜郭分館の最後の特別展第一部を見に行った。午後はFさんの用事に便乗して江差までドライブ。帰りに館城に寄る。最近の調査によると箱館戦争時代の散兵壕と言われていた掘り込みはどうも攪乱の可能性があるらしいという話を聞いた。
所在地北海道檜山支庁厚沢部町城丘
参考書『箱館戦争写真集』