館山館

概説 別名、高崎城、波塚館、岡の内館などともいわれる。南北朝時代応安元(1368)年ころ、常陸大掾高幹の一族・つる(露の字の各を鳥に置き換えた漢字)町三河守平照光の居館であったと伝えられ、今も土塁の跡を止めている。[『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』より]
館山稲荷神社と総合文化センターの間の土塁
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訪問記[2004/02/15]今日は総合文化センター内の玉里村立史料館で開催されている「地方王権の誕生」という展示を見に行ったついでに周辺のいくつかの城館を回った。センターと館山神社の間に土塁が残る。神社の周囲の土塁は城館土塁と異なる場合が多いがこの土塁は城館のものと考えてよさそう。
 村立史料館・村立図書館について:初めて玉里村総合文化センターへ来た。センター内の村立史料館・村立図書館の規模はけっして大きいとは言えないが、展示内容や公開に向けてのコンセプトにとても好感が持てた。特に史料館展示室の収蔵庫への扉に掲げられている案内板には感動した。たいていの資料館であれば「ここから先は収蔵庫につき立ち入り禁止」と書かれていると思う。それが逆に立ち入りを誘う文言。要旨は「この史料館はたくさんの資料・史料を収蔵していますが、展示室には収蔵品のごく一部しか展示できません。展示できないものはこの収蔵庫に収められているので、ここは宝の山です。ぜひみなさんもこの扉を開けて中の資料・史料に直に手を触れて下さい。希望者は受付まで。」というもの。すばらしいですね。
所在地新治郡玉里村高崎291外。総合文化センターと館山稲荷神社の場所。
参考書『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』、『玉里村史』