城の内館

概説 平坦な川中子地域の県道沿いにあり、今も残る堀跡に囲まれた約4haの地で、現在は宅地、屋敷畑となっている。常陸大掾家の出城として水辺の守りを堅めていたが、天正18(1590)年、佐竹勢との戦いで常陸大掾が滅亡した時、取手山館等とともに滅んだと考えられる。[『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』より]
道路に面した畑の縁は土塁と堀跡に見える
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訪問記[2004/02/15]県道沿いに塀で囲まれているが、周囲よりも1mほど盛り上がった畑が館跡だろう。個人のお宅の門と塀越しに土塁と堀跡らしきものが見られる。
所在地新治郡玉里村川中子(かわなこ)字城之内300。玉里東小学校の東側660m付近。
参考書『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』、『玉里村史』