高野氏館

概説 菅谷地区には台地内部に単郭または2つ程度の郭からなる方形小城館が30館ほど存在していたらしいが、宅地化により次第に湮滅しつつあるようだ。これら小城館は佐竹氏の家臣などが水田開発による経済的な基盤確保のために築いたもので、中世武士の開発領主としての一面を良く示している遺構と言える。彼らの管理していた溜池のいくつかは、現在も使われており水田を潤し米の生産に寄与している。[『図説茨城の城郭』より]
堀と土塁の断面。当時もこのような水堀だったと考えられる
高野氏館全景パノラマ(クリックで拡大)
その他の写真
  1. 櫓門跡と考えられる南側の虎口。前方の小径は古道。
訪問記[2006/12/05]『図説茨城の城郭』p80にも縄張図はあるが、これが描かれたときはまだ藪だった。藪が払われて500年ぶりにその全容を表したのもつかの間、12月9日には整地が始まり湮滅するらしい。中世城館の一瞬の輝きを目にした瞬間だったということだろう。
所在地那珂市菅谷中宿東
参考書『図説茨城の城郭』