武田城

概説 武田次郎左ヱ門尉(武田信玄の一族)が、甲斐の争乱の時に逃れて来て二重作に住した。次郎左ヱ門一次郎右ヱ門信定一次郎右ヱ門尉就利一次郎右ヱ門信忠たちが代々その主であった。就利は佐竹氏に従属し、信忠は小見川の領主内田若狭守に属していた。のち帰農して現在に至っているようである。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
横矢のかかった食違い虎口
その他の写真
訪問記[2005/04/18]30mx30mほどのこじんまりとした方形に近い単純な郭だが、南側の虎口には横矢を仕掛けている。また、その虎口部分にはセオリーには反して周囲の郭への虎口も集まっている。あまり戦闘用の城という感じではない。
所在地大洋村二重作字古屋山1138のイ。
参考書『茨城県遺跡地図平成2年度版』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』