正直城(仮称)

概説 詳細はまったく不明。北西約2.7kmにある小坂城の出城か、あるいは北方約1.8kmにある下久野城の関連施設か、どの時代のものと考えるかによって支配勢力も岡見氏か、江戸崎土岐氏かなど様々な可能性が想定できる。あまりスマートではないが、仮に「正直城」と呼んでおく。
南側の段曲輪
正直城縄張図(クリックで拡大)
その他の写真
  1. 主郭部と土塁
訪問記[2006/12/11]主郭と思われる25mx35mの郭には日露戦争で戦死した石井大尉(?)の顕彰碑が建っている。また、ここはかつて公園として使われていたということなので、土塁などはかなり改変されているのだろう。主郭から南西方向へ段郭が3段並んでいる。一番下の郭は墓地になっている。主郭の西側にも郭が有ったのかも知れないが、その部分にはコンクリートの擁壁の跡が見られることから近年宅地となった時期があったものと思われる。西側を通る道は「江戸道」と呼ばれた旧道で、昭和6年ころに龍ヶ崎街道(現在の県道68号美浦栄線)が開通するまでは、幹線道路だった。台地と城域を切り離す堀切を利用した道だった可能性もある。今のところ城郭遺構かどうかハッキリしないが、今後地名の調査をして城郭に関連する地名が落ちていることを確認したいと思う。
所在地牛久市正直町。国道408号線正直町交差点の北東約150m付近。
参考書